説得できなかった件

 また船が遭難した。

 今から半年前にアグラヴェインがぼやいた時、ベディヴィエールは乗員の安否と船の喪失を憂いた。

 いくら屈強な男たちでも、気まぐれな海には容赦なく呑み込まれてしまうのだろう。軍用の船は強化されているが、貿易用の船までは手が回っていないのが現状だ。幸い遭難した船はどれも低コストで造られたものだったが、一から造り直す資材や人材を思えば惜しい。

 だがそういった問題を解決するのが今のベディヴィエールの役目だ。隻腕でありながら兵士六人分の戦闘力を以て戦場を駆けていたのは過去の話。今はどの諸侯にも属さない者たちを束ね、義勇軍を率いる軍略家である。





「どういうおつもりですか、セニカ卿」

 顔を合わせるなり詰問するように尋ねるベディヴィエールに、セニカは「何のことでしょう」とクワを動かす手を止めた。
 その傍ら、普段お目にかかれない円卓の騎士の登場に、一緒に畑を耕していた市民たちも作業を中断した。見たところ人数は少ないが、深刻な食糧難の唯一の希望である農作業を先送りにはできないのだろう。

「このところ船の難破が相次いでいます」
「その前に場所を変えましょうか。立ち話ではないのでしょう?」
「……ええ」

 そう簡単に相手のペースに乗ってくれないことはよく知っている。だが市民にも聞こえる場所で気軽に話せることではないというのも一理あり、ベディヴィエールはセニカの提案に乗った。

 森に入るセニカの後をついてしばらく歩くと、一階建ての丸太小屋に出た。クワを立てかけ、セニカがドアを開ける。室内は狭く、中央に丸テーブルと椅子が一脚あるだけでスペースが埋まっていた。窓際に大小様々な植木鉢が並んでいるのも、余計に圧迫感を与えている。

「ここなら誰にも聞かれません。見られることもありませんよ」

 どんな魔術だって弾きます、と言いながら、セニカはベディヴィエールに対し椅子を引いた。板を組み立てただけの簡素な椅子だ。何か仕掛けられていないか怪しんだが、魔術に詳しくないベディヴィエールでは何もわからず、おとなしく座ることにした。

 セニカは奥にある窓を開け、椅子の代わりに縁に腰かけた。外から入ってくる風が撫でるように髪を揺らし、袖を靡かせる。その中で微笑む様子は聖母のようで、この映像をマーリンに売りつけたら高値で買いそうだ、とベディヴィエールは思った。

 しかしマーリンに教える気は毛頭ないし、もし推測が正しければ、セニカは聖人ではなく人を操る悪魔となる。

「船の遭難でしたね。もちろん知っていますよ」

 逸る心拍を感じながら、ベディヴィエールは口を開いた。

「ではそれが『嵐ではない夜』に限られることは?」
「おかしなことを言いますね。穏やかな海で船乗りが迷いますか?私は嵐だと聞いていますが」
「いえ、その報告が間違いなのです。私は半年間記録していましたが、その間に起きた遭難は全て嵐ではありません。むしろ嵐を避けるように起きています」

 出航から帰還までは時差が生じるため、報告を不審に思う者はいなかったのだろう。ベディヴィエールも辺境でとある噂話を耳にしなければ、調べようと思わなかった。

「では水夫だけが生還しているのはなぜでしょう」
「海を知る者は危険を知り、泳ぎにも秀でています」
「既に海に繰り出しているにもかかわらず口を割らないのは?」
「悲惨な事件を思い出したくないのでしょう」
「出所不明の宝飾を得ていることも気になります」
「正当なもの、とだけ」
「翌日に起こる民の失踪と何か関係があるのでは?」
「魔物に食べられたのでしょうか。あるいは神の怒りに触れたのかもしれません」

 相次ぐ船の遭難。水夫の懐事情。遭難と同時に消える民。ベディヴィエールはこの三つの背後に、一人の影を見た。

「宝飾について付け加えるなら、船乗りは危険と隣り合わせで働いています。意欲を掻き立てるための差別化、船員を募集するための餌としては効果的なのでは?」

 十分ありえる話だ。ベディヴィエールも同じことを考えたし、何一つ疑問に思わなかっただろう。発言したのがセニカでなければ。

「それでは延命治療に過ぎません。貴方なら根本的な解決法を……『そもそも遭難しない方法』を思いつくはずです」
「それは買い被りが過ぎますよ。私は万能ではありません。できないことだってあります」
「そうでしょうか?こう見えて私、観察眼には自信があるんですよ」

 ベディヴィエールは追究の一手をさした。

「思いつかないのではなく、言わないだけではありませんか?」
「私がブリテンに不利なことをすると?理想郷を滅ぼす人間など存在しません」
「ええ、私も同感です。きっと今回のことも……結果的にはブリテンのためになるのでしょう。ですが──民を放逐していい理由にはなりません」

 ベディヴィエールは否定してくれと願いながら目をぐっと瞑った。しかしセニカは否定しせず、子供の成長を喜ぶ親のように「よく気が付きましたね」と褒めた。

 それが答えだった。
 セニカは民をブリテンから追い出したのだ。

「彼らは……乗船した民は無事なんですか」
「大陸に着いたことは確認済みです。その後はわかりませんが」
「どうしてそんなことを……!」
「収穫量には限りがある一方、消費量は増え続けています。彼らはローマを目指し、私は人口を減らせる。お互いメリットがありました」
「……確かに異民族の流入によって食料が不足しています。いつ飢饉が起きてもおかしくありません。しかし今育てている作物が収穫できれば解決する問題です!」

 ベディヴィエールは椅子から立ち上がり、丸テーブルに身を乗り出した。

「作物全てを収穫できると断言できるのですか?天候、魔獣、害虫、疫病、戦争……これだけ不確実な要素があってなお『絶対』と言えますか?」
「なら開拓して農地を増やせばいいのです。異民族の労働力があれば多少の無理は利きます」
「これ以上の開拓は魔獣の生息域と被ります。もし彼らが村に下りてくれば、ただでは済まないでしょう」
「くっ……」
「どうしてあなたが苦しむのですか?渡航を選んだのは市民自身です。どんな扱いを受けようと、その責任は彼らに帰結します」
「どうなろうと関係ないと仰るのですか……?貴方なら説得できたはずです。彼らが望んでいたとしても、貴方は引き止めるべきでした……!」
「引き止めたところで延期になるだけですよ。それなら希望者を集めて一気に送る方が効率的ですし、不満を持つ人を減らすことで反乱も防げます」
「っ……」

 セニカは彼らのために船を手配したのではない。ブリテン島のため、アーサー王の治世を守るため、願いを利用して民を間引きしたのだ。

 しかし頭の中がぐるぐると混乱する一方、軍師としての自分は賢いやり方だと舌を巻いていた。ピクト人やサクソン人は強靭な肉体を持つ。民が減った分より労働力は上回るだろう。そして人数自体は減少しているため、おそらく消費量にも余裕ができる。

 上手くできている。だが以前のセニカならやらない、思いつきもしない策だ。

「宝飾は船に乗るためのチケットです。私は食料を想定していたのですが、伝言では正しく伝わらなかったようですね」

 噂が広まるにつれ尾ひれがついて、より高価なものに変化していったのだろう。だがそれは、それだけ市民が渡航に価値を見出していることを意味している。

「ですが彼らは守るべきブリテンの民。異邦の手に渡ることは貴方の本懐に反するはずです!」

 ベディヴィエールにはブリテンを理想郷と言うセニカの気持ちが理解できない。アーサー王や円卓だけ切り取って見れば幸せだと言えるが、キャメロットから離れると市民の暮らしぶりに自分の無力さを嘆いてしまう。だがセニカはその市民を指して理想郷だと言うのだ。

 だからこそ、どうしてこんなことをするのか知りたかった。知って、止めたかった。

「彼らが願った相手は私ではありません。まだ見ぬローマ皇帝です」
「だから見捨てたと?」
「……主は救いを求める者を助けます」

 セニカは初めて微笑みを消した。窓枠に背を預け、薄青の空を眺める横顔は何を思っているのだろう。もはや彼女自身にもわからないのかもしれない。

「……やはり貴方は変わってしまった」

 心を渡しましたと平然と言ったあの日から、セニカは少しずつおかしくなった。

 ベディヴィエールの知るセニカは他人に甘く、罪人にも手を差し伸べるような人だった。しかし今のセニカがしているのは残酷な取引だ。願いとは名ばかりの、破滅への罠。大陸に渡った民の顛末も、もう眼中にないのだろう。

 以前のセニカであればデメリットを連ねて考え直すよう止めたり、そのことを周囲に相談したりしていたはずだ。現にベディヴィエールはよく相談されていたが、マーリンと約束して以来、その機会は一気に減ってしまった。

「円卓の称号は荷が重いと言った時、貴方はこう言いました。『腕がなくたって、あなたには頭脳があるじゃないですか』と」

 隻腕など些細な問題だと笑い飛ばすように、それでいてベディヴィエールの反応を恐れるように差し出された手が、今も目に焼き付いている。その時、居場所がないのは自分だけではないと知った。それでも自分と違って能力を十全に示し、王の隣を歩く彼女に憧れた。

「セニカ、今度は私が言います。『全ての願いを叶えずとも、貴方には価値がある』」

 セニカは瞬き一つせず、遠くから眺めるようにベディヴィエールを見た。ふと風がやみ、何もかもが静止する。その瞬間は一枚の絵画のようだった。

「それでも願いに固執するというなら、私が祈ります。どうかマーリンとの約束を反故にしてください」

 遠くで小鳥が囀る中、ベディヴィエールはヒビが入るような音が聞こえた気がした。

「…………」
「…………」

 長い沈黙の後、セニカは「ごめんなさい」と唇を噛んだ。

「私が何か変わったことは自覚しています。まるで仮面を被っているような、役を演じているような時間があるのです。最近はずっとそう……」
「だったら今すぐ心を返してもらうべきです。取り返しのつかないことになる前に!」
「いいえ……できません。マーリンの願いを叶えるまでは引けないのです」
「……どうしてそこまでマーリンにこだわるのですか。貴方の思い通りにならない人物なら他にもいるはずです」
「…………報いたいのです」

 セニカは言葉を拾うように目線を落とした。

「私の過去は人に話せるようなものではありません。でも主の導きがあって、自分より異端な存在を見つけて……全てが救われました。この人の側なら人として生きていけると、そのために主は私を導いたのだと気づいたんです。だからこの恩を少しでも返せるなら、私は国だろうと世界だろうと救います。必要とあらば悪魔にも成り果てましょう」
「……、」

 ベディヴィエールは言葉が出なかった。心を失ってなおこれほど強い意思があるのなら、以前はどれだけ鮮烈な感情を隠していたのだろうか。
 だがそれも、次第になくなるのだろう。つくづく滑稽だ。夢魔が人間らしい幸福を感じるなど夢物語であり、セニカの恩義が消える方が早いに決まっている。

 セニカもわかっているはずだ。わかっていて、止まらないのだろう。

「私では貴方を取り戻せないのですね……」

 ベディヴィエールにとってのアーサー王のように、セニカにとってマーリンは世界を占める存在なのだろう。並大抵の言葉では説得できるはずがない。

 しんと静まり返る中、ベディヴィエールのお腹が短く鳴る。遅まきながら左手を当てるが、その音は既にセニカの耳に届いていた。

「もうすぐお昼時でしたね。時間を取らせてすみません」
「いえ……今だけはその微笑に感謝します」

 心を取り戻さない限り、セニカが舞台を降りることはない。客と話しているこの状況も、役はなくても仮面をつけたままなのだろう。

 だが諦めるつもりはない。今は力不足でも、いつか届くまで手を伸ばし続けるだけだ。以前のセニカのように。

 無力感を振り切ってベディヴィエールは背を向け、ドアに手をかけたところで宣言した。

「貴方が解決できないと言うなら、私が解決してみせます。『絶対に』」

 踏み出した一歩は鬼が出るか蛇が出るか。誰にもわからなかったが、少なくともベディヴィエールは前を見据えていた。





「言わなくて良かったのかい?『尊敬するアーサー王の許しがあってのことだ』って」

 ふらりと現れたマーリンは、結界の一歩手前で立ち止まった。ベディヴィエールが去ってから来たというのに内容を聞いていたような口ぶりに、セニカは部屋を見渡した。しかし防音結界は破れていない。

「聞いてなくても予想はつくよ。やたら船関係のことを調べてたからね。でも当たりだったみたいだ」

 小屋一帯にはあらゆる魔術を無効化する結界が張られている。おかげで何も聞こえなかったが、マーリンは千里眼でベディヴィエールが調査しているのを知っていた。
 しかしモルガンお手製の隠れ家がこうも簡単に見つかるとは、セニカも予想外だった。森にも人除けの結界を張るべきだろうかと思ったが、そこまでして秘密にしたいわけではない。何も言わず、防音結界だけ解いた。

「入りますか?」
「遠慮しておくよ。モルガン直伝だろう?私にだけ反応する防衛装置とかついてそうじゃないか」
「よくわかりましたね」
「え。こっちは当たらなくても良かったんだけどな」

 モルガンが「たまには一人でゆっくりしなさい」と一日で手掛けた小屋には対セニカ用とマーリン用の即死級魔術があれこれ仕込んである。しかしセニカ用のものは悉く発動させては跳ね返され、今はただのオシャレな小屋になっていた。
 ベディヴィエールは気づかなかったが、失敗から学んだモルガンの隠蔽力はさらに凶悪なものになっているため、名家の魔術師だろうと見破れなかっただろう。

「アルトリアが許可したって知れば落ち着くと思うんだけどなぁ」
「いえ、もしベディヴィエールが円卓を去るようなことになれば前例ができてしまいます。アルトリアの忠誠は盤石なものにしなければ……」

 仲間が去ることより現状の崩壊を慮る。こういった思考が知らず知らずに変わったと言われる由縁なのだろうと、セニカは自分の非情さを理解した。

 マーリンも知らないことだが、最初の案は民を運ぶことではなかった。今は攻め入る気配はないものの、南方の大国ローマはいつ進軍してきてもおかしくない。ブリテンの情報を遮断するためには、情報源を上陸させないのが手っ取り早かった。
 自分で考え直せたのは、消えかけている感情の残滓のおかげだろうか。あと数年、あるいは数ヶ月後だったら、何も思わず実行していたかもしれない。

「以前の私だったら、ベディヴィエールのように怒るのでしょうか」
「怒らなくてもキミはキミだろう?何か問題があるのかい?」
「……」

 マーリンの言葉は聞こえが良くて、つい耳を傾けてしまう。しかし悪魔の囁きにも思えて、素直に信じられずにいた。

「あなたの言葉は、たまに耳を塞ぎたくなります」
「ただの戯言。泡沫の夢のようなものさ。キミが楽になるなら何だって構わないよ」
「……随分と都合の良い夢ですね」
「信じられないかい?」
「いえ、信じますよ。あなたは悪魔ではなく、夢魔ですから」

 ベディヴィエールの祈りが叶うとしたら、それはマーリンとの約束が果たされた時だ。いつか考え直せず、非情な策を専行してしまう日が来るかもしれない。だがその時は、きっと円卓の騎士が立ち塞がってくれるだろう。

「そうだ、畑にいた人達がお昼ご馳走したいって言ってたよ」
「では兎でも差し入れしましょうか」

 騎士として立派に成長したアルトリアを思い出しながら、セニカも小屋を出た。

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