病死した件
ギネヴィアは真剣な顔で口火を切った。
「わたくし、結婚したいのです」
「もうしてるのでは?」
絵画のような微笑みでセニカが返す。そういうことではないと反射的に言いそうになって、ギネヴィアは口に手を当てた。図星だとしても声を荒げるのは王妃として控えなければならない行為である。たとえ相手が慣れ親しんだセニカだろうと、それは変わらない。
だが今から打ち明けようとしている願望は王妃に相応しくないものだ。まだ王妃面するなんて厚かましい女だわ、とギネヴィアは膝の上で拳を握った。
「貴方なら気づいているでしょう?わたくしの願い……いえ、これはそんな綺麗なものじゃないわ。はしたない欲望よ」
「願いの尊卑は一概に決められるものではありません。まずは落ち着いて、話を聞かせてください」
「ええ……そうね」
ギネヴィアは一つ深呼吸をした。
「今から言うこと、誰にも言わないでね。独り言も寝言も禁じるわ」
「ええ、わかりました。難しい話ですが成し遂げましょう」
「それで、ええと、どこから話せばいいのかしら……そう!あれは道に迷っていた時のことだったわ。わたくしったら侍女を振り払うのに夢中になってしまったの。だってスカートをまくって走るなんて久しぶりだったから、つい楽しくなっちゃって」
「すみません、巻きでお願いします」
「ひょんなことから巡り合ったわたくしと彼はお互い一目惚れをしたの」
「蠱惑的な夕日の中で?」
「やっぱりわかってますわね!?」
ギネヴィアは跳ね上がるように立ち上がった。
「なんとなく、程度ですよ。あとは小耳に挟んだだけで」
「そんなに噂になっているの!?どうしましょう、お父様に知られたらわたくし……わたくし、家出して湖の畔で妖精達とひっそり暮らすしかないわ!」
「結構リアルに来ましたね」
恋は人を変える。普段は教養があり気品高いギネヴィアでさえ古今東西において恋の病と呼ばれる症状を引き起こし、赤く染まった頬を両手で冷やしていた。
「一般兵には知られてないと思いますよ。でも円卓はどうでしょう」
野生の勘、戦士の勘、女の勘……彼らの感覚はただの思い過ごしだと認めないだろう。特にモードレッドはモルガンから色々聞いていてもおかしくない。
「アルトリアちゃん……アーサー王には話したわ。そしたら個人的には応援したいけど、王としては見過ごせないって。まあそうよね」
剣を持たない間はギネヴィアに対し友達のように接しているアルトリアだが、一度知ってしまったことを都合よく忘れることはできないものだ、聖剣を振るう間も頭の片隅で苦悩していることだろう。まして婚姻の時から性別を騙してきた負い目があるのだから、何とか力になりたいと思っているに違いない。
「なるほど。当人達が納得しているなら好きに動けばいいと思いますよ。私から言うことはありません」
「あら、意外だわ。わたくし魔術で催眠されると思ってました。王を好きになるように」
「妙にトラップが仕掛けてあるのはそういうわけですか……しませんよ。私は頼まれたことしかやりません」
「でも貴方、いざとなったらわたくしよりアーサー王の味方に回るでしょう?」
「イェスノーでは答えられませんね。ギネヴィアと私では『いざ』のタイミングが異なるでしょうから」
「誤魔化さないでちょうだい。そうやって煙に巻くんだから」
「で、挙式はいつですか?」
「なっ、いきなり本題に戻らないで!やるわけないじゃない!」
ギネヴィアは声を張り上げて否定したが、その頬は満更でもなさそうに緩んでいた。叶わないとわかっていても夢見てしまうのだろう。目の前にそれを実現できるかもしれない人物がいるのだから、無理もない話ではあるが。
「何か良い案はないかしら?」
「王妃と部下が長年愛を育んでいたという関係を公にしても誰も処罰されず、かつブリテンの栄華を築いた王の威厳を傷つけない案ですか」
「やっぱり無理よね……」
どう取り繕うとも、ギネヴィアは王を裏切った浮気者。もし周知の事実となればランスロット共々、火炙りや島流しといった罰は免れない。
「厳しいですね。策がないわけではありませんが……」
「あるの!?さすが宮廷相談役ね!」
ギネヴィアの瞳に輝きが戻る。そんな肩書は持ってないと思ったが、セニカはシワのついたドレスを見てスルーした。
「では、あなたを殺します。時間をかけて」
*
ギネヴィアは日に日に弱っていった。宮殿を散歩する時間が減り、兵士たちも廊下でよろけて侍女に支えられる姿を見かけるようになった。そんな王妃にアーサー王も心を痛め、彼女と二人だけで過ごす日が増えた。
一時は神の怒りに触れたからだ、魔女の呪いのせいだ、などと色々な噂が囁かれたが、アーサー王が熱心に否定したこと、幼少期を知る両親が「我が娘は昔から繊細な子だった」という旨の手紙を送ったことで、公衆の面前で口に出す者はいなくなった。
両親からギネヴィア宛に届いた手紙には、連れ帰って療養させようと地元の名物や庭の様子が事細かに書かれていたが、ギネヴィアに帰るつもりは毛頭なかった。ただ一文「たとえこの身が危うくとも、わたくしは愛する方と寄り添います」と返し、連れ帰るのは不可能だと悟った両親は毎日手紙を送ることを条件に折れた。
我が子を守りたい親心と、愛する人と共にいたい女心。ブリテンの民は互いの心情に思いを馳せ、いつか来る別れに涙した。
その日はそう遠くなかった。ギネヴィア妃の死を悼み、国中が黙祷を捧げた。年齢も民族も関係なく、皆が彼女の安寧を祈ったのだ。
ギネヴィア亡き後、アーサー王は妃を娶らなかった。彼の隣は空席であり続けたが、何人たりとも座ることを許されなかった。
「と、こんな感じでどうだい?」
マーリンとセニカはギネヴィアの新居を訪れていた。ヴィヴィアンが四つの神造兵器を保管していた、人も妖精も入れない空間。これほど隠居に最適な場所はないだろう。
「でも騙してるみたいで申し訳ないわ」
「騙されてくれないと困ります。しかし見事な演技でしたよ、病気の王妃様役」
「確かにあの時は『わたくし演劇の才能があるかも!』ってノリノリだったわ。だってこんなに多くの人が悲しんでくれるなんて思ってなかったもの」
ギネヴィアは複雑そうに眉を下げた。多くのものを失って、得られたものはただ一つ。後悔はしていないが、これほど自分が国民に愛されていると知っていたら何か変わっていたのだろうかと考えてしまうのも事実だった。
「その罪悪感こそがあなたの罰なのでしょう。火炙りより長く、生涯付きまとう……こちらの方が苦しいかもしれませんね」
「……そうね」
しんみりとした空気が辺りを漂い始める。それを払拭するように、セニカは朗らかに言った。
「火炙りの方がお好みでしたか?」
「そんなわけないじゃない!貴方には本当に、心から感謝してるわ。マーリンもね」
「私は何もしてないよ。口を滑らせただけさ」
マーリンはそう言って肩を竦めた。
当初は教えるつもりはなかったのだが、突然日の入り頃に呼び出され、合間合間に「なんか違うな」「立ち位置が逆だ」などと呟かれてはセニカも不審に思う。何かの魔術に巻き込まれていると勘違いし帰ろうとしたところをマーリンが引き留め、誤解を解くためにギネヴィアとランスロットの馴れ初めを教えてしまったのだった。
「随分アルトリアと籠もっていたようですが、何をしていたんですか?」
「名前を考えていたの。私が使う偽名と、子供の名付け親になってほしくて」
「ちょっと気が早くないかい?」
「そうかしら?」
まだギネヴィアのお腹は出ていないが、子供を授かるのも時間の問題だろう。
「ではそろそろお暇します。どうかお幸せに」
「ええ、是非またいらして?アルトリアちゃんにも伝えてね」
ギネヴィアは花が咲いたように笑った。
*
「彼女、幸せだと思うかい?」
帰路についていた道中、マーリンが突然尋ねた。
「あの笑顔を見て不幸だと言うのですか?」
「いや……気になっただけさ。親も地位も捨てて、彼女の傍にいられるのは一人だけになった。でも彼は王に仕える限り俗世を離れられないし、女性に惚れられることもあるだろう。これって不公平じゃないか?」
「人によって天秤の重さは変わります。私たちには対等に見えなくても、当人にとっては何物にも代えがたいものだったりするんですよ」
家族、恋人、地位、名誉、金、財宝……その人によって大切なものは変わる。マーリンもそれは理解している。
だがギネヴィアの選択は極端で、愛する一人のためにどうしてそこまで捨てられるのか理解できなかった。
「実のところ私も理解していません。国防と恋愛相談の違いもよくわかりませんし」
相談が何にせよ、セニカのスタンスは一貫している。アルトリアの性別を明かした時も気づかれないうちに相手の選択肢を絞り、退路を断ち、最後の一手を決める自由だけを与えていた。
今回もそうだ。もしランスロットが裏切っていたら、ギネヴィアは処罰されていた。彼の性格からしてあり得ないが、惑わされた被害者だと喧伝して自分だけ処罰を免れる道もあったのだ。
だがアルトリアがギネヴィアとランスロットの関係を応援している以上、その未来は実現しない。
これからランスロットは自らの騎士道に従い、ギネヴィア一人を愛すだろう。その覚悟は内側から生まれたものだけではない。選択肢が限られていたがゆえに即決したことを「迷いのなさ」だと錯覚した覚悟もあるはずだ。セニカは本気でそう思っていた。
「多くの恋愛を見届けましたが、どうして満足できるのか不思議でなりません。誰かを愛することは、こんなに消去法的で惰性的なものなんでしょうか」
「…………」
マーリンから見てもギネヴィアの愛は重く、それに応えるランスロットも異常だった。二人はこの結末を望んで得た未来だと思っているはずだ。消去法や惰性といったマイナスのイメージは微塵もない。
だがセニカにとって愛に重さなどないのだろう。その辺の住民でも同じことができると思っているに違いない。おそらく心を渡す前から、理解に至る道が欠けているのだ。
「大丈夫さ。そのうち私が教えてあげるよ」
「教わるものではないでしょう。やはり真似を……まずは地面を歩くべきでしょうか」
「ああ、君の移動手段って飛ぶか宙を走るかだもんね」
まずその時点でギネヴィアとランスロットのような出会いはない。遭遇するとしたら、竜種との会敵ぐらいだ。
「ですが一人で歩くのは退屈で……今もあなたがいなかったら飛んでいます」
「じゃあ誰かと歩けばいいんじゃないか?私でよければ駆けつけるよ」
「あなたは呼ばなくても来るじゃないですか」
「君といると退屈しないからね」
「その理屈だと私の相手はキャスリパーグになるのですが」
「全然興味ないじゃないか」
「?」
気づかないセニカに、マーリンは面白そうに声を震わせた。
「どうせ体が目当てなんだろう?私だって髪質はふわふわだよ。しかも獣臭くない!」
「大魔術師が小動物と張り合わないでください」
「ほら、ちょっと触ってごらん。病みつきになるかもしれないよ」
「遠慮しておきます」
「ええ?何もしないって」
美しい夕焼けの中、並んで歩く人影が二つ。新たに出会うだけが全てではないのだが、お互い口説き文句には縁がなかった。