ワン・ペア
一足先に目的地に到着したマーリンは眼前の建物を見上げた。
お化け屋敷のような廃墟じみたカジノ。しかし入り口から漏れ出る空気はお化け屋敷などという言葉では言い表せない瘴気を孕み、生気を蝕みそうな気配を醸し出している。極めつけに、看板には一般人であれば読めないであろう文字。それは英雄王が生きた時代に使われていたメソポタミア文字だった。
イルカルラ・カジノ。その名の通り、冥界の女主人たるエレシュキガルがオーナーを務めるカジノである。
彼女の性格を知るマスターであれば「怖いのは見た目だけで実は面倒見がいいカジノなんだろうな」と思うかもしれない。しかしこのカジノ、オーナーとうって変わって中身は千辛万苦の有り様である。理由についてはゴルゴンの女神が関わっているとだけ言えば十分だろう。
エレシュキガルとセニカは第七特異点で会っている。その記憶はカルデアに召喚されているエレシュキガルにはないが、あの性格ではカルデアの記録をチェックしたことだろう。別の自分だろうと受けた恩には敏感な女神だ。何らかの理由を以ってセニカに接触し、留めていてもおかしくない。
「いや、考えるのは後にしよう」
立香とマシュはカーミラのスポーツカーに乗っているが、道なりに進む以上、到着にはもう少し時間がかかる。ジークフリートと刑部姫、北斎の三人は足での移動になるため、合流はもっと遅くなるだろう。
悠長に待つ時間はない。運命力が尽きれば今度こそ消えてしまう。そう思うと、杖を握る手に嫌な汗がにじんだ。元から一人で探すつもりだったのだ。彼らの協力がなくても見つけ出してみせよう。
「まっ、まままマーリン様っ!?」
受付にいたのはブラダマンテだった。シャルルマーニュ十二勇士の一人として名高い、そしてマーリンとも縁のある英霊である。一部からグランドクソ野郎の肩書きを送られているマーリンだが、ブラダマンテにとっては声だけで「はわわっ!」となる存在なのだ。
尊敬する人物が何の音沙汰もなく当然目の前に登場する。突然の事態に、普段から大きな声がさらにボリュームアップした。
「お一人ですか!?セニカ様は!?」
「ちょっと中を検分させてもらうよ。何、すぐに終わるさ」
そう言って通ろうとするマーリン。だがブラダマンテは「いけません!」と慌てて引き留めた。
「ダメなんです。たとえマーリン様であっても、お一人では入場できません」
「……冥界のルールか」
冥府というフィールドにおいて、エレシュキガルは絶対の存在である。原始の英雄たるギルガメッシュでも、エレシュキガルの片割れであるイシュタルでも、冥府にいる間は彼女に逆らえない。
「運命力の削減を最大限に落としたので強制力はありませんが、スタッフ総出で罠を作っていたご様子。マーリン様といえども無事では済ないでしょう」
「それは困るな。魔力は無駄遣いしたくないんだ」
「検分と仰っていましたが、何か不備がありましたか?当店はカジノ・キャメロットを参考にしたので問題はないはずですが……」
「…………そういえば、このカジノが完成したのは最近だったね」
「はい!ゴルゴンの三姉妹が手伝ってくださったので予定より早く完成しました!」
ブラダマンテが元気よく肯定する。
カジノ・キャメロットと同じ反応があって当たり前だ。おそらくVIPルームもカジノ・キャメロットを手本にして作ったのだろう。設計図をそのまま渡すなと言いたいが、文句は後だ。
「実はセニカを探していてね。見かけなかったかい?」
「セニカ様?こちらにはいらしてませんよ」
「嘘はいけないね」
「え……?」
「この魔力はセニカだよ。洗脳スキルでも使ったのかな」
呆然とするブラダマンテに呪文を唱えると、それほど強力ではなかったのか簡単に解除できた。
しかし、だからこそ疑問が残る。痕跡を消したにしてはやり方が甘いのだ。これでは探してくれと言っているようなものである。もちろん痕跡がなくても探すが、今のセニカに自分を試すような真似はできないはずだ。そもそも小悪魔的な発想ができるか怪しいところである。まあ再臨すればありえるかもしれないし、それはそれでちょっと興味があるが……。
「そうでした!セニカ様もいらっしゃいました!どうして忘れていたのでしょう……イルカルラ・カジノは脱落者が多いのですが、見事景品を手にされていましたよ!」
「ふむ。一人じゃなかったんだ?」
「二人用のカジノですから!」
「…………へぇ」
「あの、マーリン様……?お顔がとても怖いです」
「おっといけない。そいつはどんな奴だったかな?」
「とても素敵な方でしたよ!お顔も……あれ?」
途端に表情を曇らせるブラダマンテ。いくら思い出そうとしても、ぽっかり記憶が抜け落ちたように思い出せないのだ。
「あっ、名簿!」
急いで入場者を記録していた名簿をめくる。するとそこには、流暢な筆跡でとある人物の名前が記されていた。偽名を使わないのは己の実力を認識しているからか、それともマーリンへの挑発か。
かつての日々を思い出しながら、マーリンは苦々しい顔で呟いた。
「……これだから苦手なんだ」
おとなしく座に収まっていればいいものを、どこから嗅ぎつけてきたのやら。この目が効かないという時点で察しはついていたが、最悪過ぎて考えないようにしていた。
ある意味この特異点で一番安全な場所と言えるかもしれないが、いつ気変わりするか予測不能なのも事実。乙女心を蟻とするなら稲妻並みの速さで気が変わる気分屋なのだ。セニカが妙なことに巻き込まれている可能性は高い。
「も、申し訳ございません!正体を見破れずに逃してしまいました!」
「キミの落ち度じゃないさ。むしろ話が通じやすくて助かった」
サーヴァントの中にはトラブルしか起こさない者もいる。彼らに比べれば、情報を握る者がブラダマンテだったのは暁光だろう。
「マーリン様!セニカ様をお探しなら私もお供いたします!」
「いや、キミはここにいてくれ。そのうちマスターが来るだろうから、私は魔女狩りに行ったと伝えてくれるかい?」
「D'accord!不肖ブラダマンテ、今度こそ指令を遂行します!」
見つかったら遊びに来てくださいね!という宣伝には聞こえなかったフリをしつつ、マーリンは別の場所に移動した。
*
ラスベガスの街並みを疾走する、一台の赤いスポーツカー。運転席には車色と同じ真っ赤な帽子を被る女性が、その横には少し窮屈そうに少女二人が並んでいた。
「彼、随分と入れ込んでるのね」
ふと会話が途切れた時、カーミラが呆れたような声で言った。
「盲目的なところが昔の私そっくり……って思ったけど、アレ私より酷いわよ」
「すごく過保護になってたね。トリスタンから話は聞いてたけど、ちょっとびっくりしたよ」
「過保護で済むのかしら……?」
「確かに苛烈気味でしたが、マーリンさんの気持ちもわかる気がします。先輩もよく盾から飛び出してしまうので。大切な人を守ろうと躍起になっているのではないでしょうか」
「でも囚われ過ぎると痛い目に遭うわよ。サーヴァントなんて所詮ただの模造品。死んだところで記憶が犠牲になるだけの使い魔だもの」
車内に沈黙が満ちる。音を置き去りにした空間で、カーミラはぽつりと続けた。
「……でも、一部の人間にとっては違うんでしょうね」
「それ私も入ってる?」
「どうかしら。自分でよく考えてみたら?」
「先輩はサーヴァントのみなさんを大切にしています。駒として命令したことはありません」
「そう言うマシュだって駒扱いしてないじゃん。円卓が来てから毎日楽しそうにしてるの知ってるんだからね」
「そ、それは……みなさんがよくしてくれるので、ついお邪魔してしまうと言いますか……」
「円卓ってマシュには姪っ子を可愛がる親戚みたいに接するよね。やっぱりギャラハットが関係してるのかな?」
「以前アルトリアさんに、どことなく似ていると言われました。類似点があるのかもしれません。ギャラハットさんとお話ししたことがないので、具体的には答えられませんが……あ」
「マシュ?どうしたの?」
「いえ……少し気になってしまって」
マシュは懐かしそうに遠くを見て、それから困ったように微笑んだ。
「オジマンディアス王と対峙した時、セニカさんは『試練は手伝えない』と仰っていました。でも困難を嬉々として迎える人が、目の前の試練を放置するでしょうか」
「うーん……自力で乗り越えてほしかったから、とか?」
「それもあるかもしれません。でもあの時、私はまだ宝具を使いこなせていませんでした。自分を助けてくれた英霊の名前もホームズさんに教えられるまで知りませんでした。ですが、聖賢と讃えられるセニカさんなら──」
「乗り越えられると知っていた……?」
「はい。きっとギャラハットさんが助けてくれると信じていたのでしょう」
あくまでマシュの予想であり、本当のところは当人に聞かなければわからない。セニカも聞かれない限りは話さないだろう。だからこれは、ただの希望だ。たとえシナリオに組み込まれた要素だとしても、彼らの間にそう考えるに足る絆があると思いたいのだ。
「賢いなら今のうちにマスターを替えるべきね。愛されるにも限度ってものがあるわ」
「でもセニカなら普通に受け止めてそうなんだよね……会った時間は短いけど、円卓の話だと結構変わってるみたいだし」
「そうですね。サーヴァントのみなさんは英雄なだけあって個性的な方が多いですが、その分愛情表現も癖があるので……」
「そういえば浮気性のぬいぐるみも見かけないわね。水着と海なんて絶好のナンパ場所なのに……カルデアで擦り潰されてるのかしら」
「うわ、想像できる……」
「アルテミスさん、良い笑顔で怒っているんでしょうね……」
三人の脳裏に同じ光景がよぎる。彼女の場合怒りはオリオンに向けられるが、もしマーリンのように周囲に向けられていたら、カルデアには毎日弓矢の雨が降っていただろう。
「逆にマーリンが浮気したら怒るのかな?」
「いえ、円卓の方でもセニカさんが怒ったところは見たことがないそうです。パラケルススさんの薬でも怪しいと口を揃えていました」
「聖人ってみんな頭の螺子が外れてるのかしら。それか代償として何か奪われてるんじゃなくて?」
「どういうこと?」
「カルデアにもいるじゃない、願いを叶える代償に才能や魂を奪う存在が……彼女をブリテンに導いたのは、本当に救世主だったのかしら」
「……」
「……」
「……」
夏の夜更けの怪談のように、背筋にひやりとした寒気が走る。
「や、やだなぁ!そんなわけない……ないよね?」
「ふふ、冗談が過ぎたかしら。もうすぐ着くわよ」
「冗談、ですか。はあ、ドキドキしました……」
直線に入り、赤いスポーツカーが速度を上げる。
彼女たちは知らない。おどろおどろしいカジノが待っていることを、ゴルゴンの女神に目をつけられることを──彼女たちはまだ知らない。