ふわふわの絨毯から体を起こした歌仙は、寝ぼけ眼で周囲を見渡した。厚いカーテンで日光を遮られ、部屋は重苦しい雰囲気で満たされている。全体的にアンティーク調で揃えられた家具は美しいはずなのに、物悲しい気持ちになるのはなぜだろう。
 と、そこで昼間と同じ格好の三日月が倒れていることに気づき、慌てて駆け寄った。

「おい、三日月!大丈夫か!?」

 荒く揺さぶられた三日月は「ぅ……」と声を漏らした後、蒼穹のような目をぱちくりと瞬かせた。

「はて、俺はこんな場所で寝ていただろうか」
「僕にもさっぱりだ。誘拐にしては拘束もないし……いいさ。とにかく犯人を殴ろうじゃないか」
「脱出は二の次か。まあ付き合おう」

 歌仙の風流(脳筋)な提案に三日月も同意した。現状は何一つ理解できてないが、この状況を作り出した犯人がここにいるのなら、顔を拝んでやろうという心意気に異論はなかった。

「まず武器になるものを探そうか。今の僕達は本体がないからね」
「ふむ……しかしこの部屋に武具はないぞ?」

 三日月の言う通り、部屋には武器はおろか、刀に似た棒状の物はない。中央に位置する木製のテーブルには一輪の花が挿してあるだけで、奥にある暖炉には火かき棒すら見当たらない。
 まさか椅子を持ち運んで振り回すつもりではあるまい。二台ある本棚にはどちらも厚い本が詰まっているようだが、本を乱雑に扱うことは歌仙が許さないだろう。

「これなんてどうだい?」
「………。」

 歌仙が持ち上げたのは花瓶だった。……どこかで水を捨てる必要があるが、まあ一回くらいなら身を守れるだろう。三日月は寛大な心の持ち主だった。

 テーブルの周囲には四脚の椅子があり、壁際には本棚が二台、そして暖炉が一つあった。暖炉の上には猫の肖像画──猫に対して肖像画というのも変だが、本当にそうとしか言えない──が飾られている。

「どれ、俺も探すとしよ……っ!」

 そう言って探索しようと踏み出した三日月だったが、歩き慣れないふかふかの絨毯のせいで躓いてしまった。元凶のおかげで怪我はなかったが、顔面を打ちつけたせいで鼻がヒリヒリする。

「何してるんだい?」
「絨毯は歩きづらくてな」
「わからなくはないが……しっかりしてくれよ」
「はは、すまんすまん」

 鼻をさすった後、二人はそれぞれ別の本棚を眺めた。しかし、ぱっと見ジャンルも言語もバラバラで、持ち主の趣味がわからない。むしろ意図的に偏りがないようにしているのでは、という気さえしてくる。

 その時、両開きの扉がキィィ……と音を立てて動き出した。歌仙はすぐさまテーブルに戻していた花瓶を構え、三日月は靴の中で親指に力を込める。

 扉から入って来たのは──

「歌仙!三日月!なんでここにいるんだ?」
「御手杵!?いや、君こそどうしてここに……待て、その女性は誰だ?」

 御手杵に庇われるように後から入ってきた人物は、歌仙の視線に僅かに肩を揺らした。

「ああいや、怖がらせるつもりはないんだ。ただ見覚えがなかったから……」
「御手杵さんの知り合い、ですか?」
「あ、ああ。昔馴染みのようなものさ」
「じゃあ貴方達も刀だったとか……?」
「!」

 話したのか、という意味を込めて歌仙は御手杵を見たが、彼は「そうそう!」と女性に向けて満面の笑みを浮かべていた。

 前世が刀の付喪神だった、など普通信じてもらえない。記憶を保持したまま生まれ変わるだけでも十分特異なのに、神の一端がなぜ輪廻に加わっているんだと思われるだろう。しかし彼女は頭がおかしい様子もないのに、半信半疑のようだが信じている。それだけの信頼関係があるということだろうか。鈍感な節のある彼も、第二の生で良い女性と巡り合えたのか……。

「兄がお世話になりました?」

 頭を下げるような首を傾げるような、どちらともつかない姿勢になった女性はさておき、歌仙と三日月は目を丸くした。

「兄!?兄だって?じゃあ君はこいつの妹なのかい?」
「はい。書類上はそうなります」
「な、なんだ、やけに距離がある物言いだな……」

「まだ妹になってからそんなに経ってないので」
「まだ兄になってからそんなに経ってないからなぁ」

「仲がいいのか悪いのかよくわからないな……複雑な事情でも……いや、今は聞かないでおこう」

 虎徹兄弟のような養子縁組か、村正派のような親の再婚か。ともかく今はこの館からの脱出が第一目標だ。

「僕は歌仙兼定。向こうにいるのが三日月宗近だ」
「よろしくな」
「私は苗字名前です。蕎麦屋の店主……になる予定です」
「へぇ、蕎麦か。いいねぇ」
「にゃ」

 会話を遮るように鳴いた黒猫は、するりと御手杵の横を通った。

「何だい、この猫は」
「なんか急に出てきたんだ。で、コイツを追って戻って来たらお前らがいたってわけ」
「僕達より先にいたのか。犯人は見つからなかったのかい?」
「犯人?」
「僕らを連れてきた奴さ」
「あー……」

 御手杵の煮え切らない返事に、歌仙は「何か知っているのかい?」と一歩近づいた。

「結論から言うと『知らない』だ。でも多分、この館の謎を解けば帰れると思うぞ」
「謎解き?そんなことのために誘拐されたって?」
「誘拐っつーか、呼び出された?なんて言えばいいんだろうな……」
「こちらの許可なく連れ出すなら誘拐だろう」
「まあ間違っちゃいないんだが……」

 御手杵は困った様子でうなじに手を当てた。自分は前に同じような体験をしていたことによる「慣れ」があるが、おそらく歌仙は初めてなのだろう。だがここは常識が通じる場所ではない。なんとなくだが、そう思うのだ。

「そうだ!俺と名前は前に同じようなことがあったんだけど、そん時はなぞなぞを解いたら帰れたんだ。な?」
「私は解けなかったんですけど……まあ一人が解ければオッケーなのかもしれません」
「して、俺達はどんな謎を解けば良いのだ?」
「「…………」」
「君たちも知らないのか」

 歌仙の言葉にさらに無言を貫く御手杵と名前。前回は箱に入った紙切れがあったが、今回はどちらも手ぶらだった。

「にゃーお」
「ん?」

 黒猫は目を離した隙に本棚を前足で引っ掻いていた。扉と同じ壁に備えつけられている本棚は先程同様、雑多な本が詰められている。

 名前はその中から一冊の本を手に取った。目を引いたのはその汚れ具合だ。他と比べて大分古いのか薄茶に色褪せていて、ページもかなり痛んでいる。まるで博物館に展示されている羊皮紙のようだ。
 しかし表紙に書かれている文字は日本語でも英語でもない。ドイツ語らしいということはわかるが、名前には読めなかった。

「気づかなかったな。そんな値打ち物が紛れていたのか」
「歌仙さん、鑑定できるんですか?」
「趣味の範囲だけどね。専攻は日本文学だったから」
「すごい……」

 そんな二人の頭上で御手杵が引き抜いたのは赤黒い本だった。本来は槍であり、刀剣男士として戦場を駆けていた御手杵はすぐにそれが血だと気づいた。自分や仲間の体から流れる様子は見慣れているが、こうも本にべったりと、しかも染み込んでいるのは少し気持ちが悪い。
 全身に血がかかったまま放置されたのか……と自分に重ねて手入れしてやりたくなったが、方法がわからない。おそらくわかっていても、ここには道具がないだろう。ごめんな、と内心謝りつつ、御手杵はページをめくった。

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