およそ一ヶ月前から食堂付近には甘い匂いが漂い、厨房には女性サーヴァントが一堂に会するようになった。
 まあバレンタインに向けて努力する女性というのは見ていて可愛らしいものなのだが、いかんせん一ヶ月というのが良くなかった。元々甘党じゃないからか、一週間くらいでチョコの匂いを嗅いだだけで胃もたれするようになってしまったのだ。まして血気迫る表情でチョコ作りに励むサーヴァント達の殺気たるや……しばらく近づかんとこ、となるまでに時間はかからなかった。
 そんな訳で本日までバレンタインに縁なく、減ることのない仕事と熱々なランデブーを過ごしていたのだが、実は一人だけ当てがあった。
「あっ、名前さん!」
「おー立香ちゃん。また随分と貰ったな」
 廊下ですれ違ったのは、両腕に大量のプレゼントを抱え、落ちないよう顎で抑えながら自室に向かう立香ちゃん。彼女が俺の当てである。
 というのも先日「名前さんは甘いもの平気?アレルギーある?土とか食べたことは?」と聞かれたのだ。自惚れるつもりはないが、この質問を受けてなお「今年のチョコはゼロだろうな」と仕事に一途になるほど鈍感でもない。ごめん仕事、俺放っとけない子がいるんだ。
 まあ最後の質問はサッパリだが、きっと「マズくても食べてくれるかな」と心配してのことだろう。チョコって舌触りがザラザラな時あるし。
 学生時代は一個でも多くチョコを貰おうと我ながら恥ずかしい努力をしていたが、今はもうそんな熱意はない。あれは若気の至りだった。
 だがそれはそれ、これはこれ。女の子に貰えるならどれだけ歳を重ねようと嬉しいに決まってる。
 貰ったことに満足して食べずに捨てることもしない。見た目からして怪しかろうと、とりあえず食う。それが俺のバレンタインポリシーである。
「名前さん、チョコ貰えた?」
 ニヤニヤと尋ねてくる立香ちゃん。これは「誰からも貰えてないなんてかわいそう……私ので良ければあげるね!」の流れかな、と青写真を描きつつ「今年はゼロだ」と肩を竦めると、取り乱したように驚いてくれた。
「誰にも?え、本当に?嘘ついてない?」
「嘘じゃねーって。ま、十年前なら立香ちゃん以上に貰えたんだけどな──って今貰えてない奴が言っても説得力ないか」
 気休めに自虐してみるが、立香ちゃんの表情は晴れない。
 もしやあの質問はバレンタインと無関係だったり?好きなスイーツからわかる性格診断でもしてたんだろうか。自分でもそんな占いあるのかと思うが、英霊は突飛な奴ばっかりだから一概に切り捨てられない。
「あー……チョコ運ぶの手伝おうか。一人じゃ大変そうだし」
「えっ、ううん!大丈夫!名前さんこそ仕事に戻った方がいいんじゃない?ドクターが探してたよ」
「……」
 どうやら本当に無関係だったらしい。
 勘違い野郎は撤退しますか。ははは。
「じゃあ俺は行くけど……それ、ナイチンゲールに没収される前に隠しとけよ」
「うん。あ、今の先生みたい」
「ほら帰った帰った。下校時刻過ぎてんぞー」
「はーい」
 楽しそうな返事を残して、細い背中が遠ざかっていく。
 あの背中に俺達の命運がかかってると思うと、なんだか寂しいような腹が立つような気持ちになる。全人類の命を背負いながら数多くの英霊からチョコを貰うのと、平凡な学生として同級生と恋バナで盛り上がるのとでは、どっちが幸せなんだろうか。欲しい答えは返ってこないとわかっているが、いつか聞いてみたいものだ。
「名前……あの、ちょっといいかしら……?」
 入れ替わりに現れたのはエレシュキガルだった。何やら手を後ろに組んで言いづらそうに俯いている。
 エレシュキガルはカルデアに召喚された英霊の中でもよく話す方だ。
 だが仲が良いとか馬が合う訳ではなく、カルデアに来たからには立香ちゃん以外の生者とも仲良くなりたいとのことで練習相手を務めさせてもらっているだけである。なぜ俺なのかと聞けば、立香ちゃん曰く「ちょっとチャラ──話やすそうだし、意外と誠実だから」らしい。ちなみにその時は「誠実ぅ?俺がぁ?」と思ったので紫式部に国語辞書を借りるように勧めた。ガント撃たれそうになったけど。
「どうした?また迷子になったのか?」
「ち、違うのだわ!カルデアの地理は把握したもの!」
「そりゃ上々。新人が来たら道案内できるな」
「え、ええ……調査の付き添い、感謝するのだわ」
 話す度に思うのだが、エレシュキガルはとても良い子だ。依代の影響もあるらしいが、本来のもっと根暗で短気な性格になったとしても受け入れられると思う。だって面白いし。
 という旨を言ったらしばらく避けられたことがある。死の女神は褒められ慣れていなかったのだ。正直あのくらいで照れなくても、と思わないでもないが、地上と冥界では色々価値観が違うのだろう。
「で、何持ってんだ?チョコ?」
「っ〜〜!!」
 一気に顔を赤くして口をぱくぱくと動かすエレシュキガル。立香ちゃんに会う前に渡す練習に付き合っていたのだが、どうやら渡せなかったらしい。
「大丈夫だって。立香ちゃんが喜ばない訳ないだろ」
「……違うの。マスターには渡せたけど、でも……」
「ああ、他にもいるのか。別に同じように渡せばいいんじゃねーの?」
「同じにはしたくないのだわ。マスターとは違うけれど、私の特別であることに変わりはないもの……」
「────。」
 息が止まり、言葉を失った。それぞれ大切にしたいからと、たったそれだけのことなのに、心臓に透明の矢が貫通したような感覚があった。
「名前?」
「……あぁ、なんでもない。ただ──そんな風に思われる奴は幸せだろうなって思ってな」
「──幸せ、かしら……本当にそう思う?」
「なんだよ、立香ちゃんといい俺が嘘つきに見えるのか?今のは自分でもストレート過ぎて恥ずかしいくらいだぞ」
 後頭部を掻いた手が宙を彷徨い、口元に落ち着いた。
 自分でも理解が追いついていない。一瞬浮かんだ映像を言葉にするなら「学生の頃にこんな奴と出逢いたかった」だろうか。過去を夢想するとは、とうとうロマニが感染したようだ。
 だが恥をかいたおかげでエレシュキガルの不安を晴らせたらしく、床に向けられていた視線が上がっていた。
「う、受け取ってほしいのだわ!」
 そう言って差し出された包みは、先程見たものと色合いが異なっていた。一瞬呆けたが、すぐに理解する。立香ちゃんとは別の、エレシュキガルなりの特別は俺だった。
「あなたにはお世話になって──じゃなくて、お世話させているし、その、あ、いを…………色んな愛を!感謝に込める日と聞いたのだわ!」
「色んな愛、ねぇ……」
 友愛だけではないと暴露していることになるんだが、気づいているんだろうか。……気づいてないんだろうなぁ。
 いやまあ、普段から顔が赤いのは気づいていたけど、英霊に好かれるなんて思う訳ないじゃないか。しかも相手は神様だぞ。そもそも好意を寄せられるようなことをした覚えがないんだが、誰かに騙されてないか?チョコは貰うけど。
「開けていいか?」
 コクリと頷いたのを見て、さっそく包みを開く。
 中には柄がプリントされたチョコレートが数個と、ジッグラト型の黄土色があった。
「私ずっと冥界にいたから、地上の味が分からなくて……そしたらエルキドゥが私の得意料理も作ればいいって教えてくれたの」
「……なるほど」
 地上を知らない女神と人間ではない兵器が手を組んでしまったのか。
 冥界の主食は埃と土だったという記述もあるし、黄土色のは粘土なんだろう。人間が食べていいのか?
「立香には見た目のインパクトを重視したのだけど、あなたにはおいしいと思ってほしくて……」
「ウッ」
 可愛い子に可愛いこと言われちゃ突き返すなんてできやしない。たとえチョコが粘土でも食べるんだ!この勢いがあるうちに!とチョコと粘土を一粒口に入れた。
「……どうかしら?正直に言ってほしいのだわ」
「チョコの方は食べれなくはないって感じ。粘土は……土っぽい。悪い、おいしいかは食べたことないからわかんねーわ」
「うぅっ……そうよね、あなたは生きてる人間だもの……」
「でもエレシュキガルも地上の食材に不慣れだったんだろ?なら良いんじゃねーの。お互い様っつーか、お前が頑張ったってよくわかるよ」
 俺だって初見の魔獣を商品レベルの料理に変えろって言われたら多分無理だ。しかも菓子類は分量とか混ぜ方とかシビアな世界なのだから、短期間で上達するのは難しい。
 そういうのを考慮すれば、エレシュキガルのチョコは結構旨い方なんじゃないだろうか。あとで立香ちゃんに聞いてみるか。あの質問の意味もわかったことだし。
「迷惑じゃなかったかしら……?」
「本当に嬉しかったって。俺は嫌だったら要らないって突き返す奴だぞ?」
「嘘っぽいのだわ……」
「なんでだよ!」
 じとーっと疑わしい目を向けてくるエレシュキガル。これはあれだな、立香ちゃんにどこが誠実なのか教えてもらわねばなるまい。いつかあらぬ浮気とか疑われそうだ。いやまだそういう関係じゃないけど。
「信じられないならお返しで伝えてやる。首を洗って待っとけよ?」
「首?わ、わかったのだわ!」
 首に手を当てて神妙に頷くエレシュキガル。ほんとに首を洗うんだろうなと思ったが、それはそれで可愛いので黙っておくことにした。


バレンタイン2020