「薬研、何を書いているんだい?」

 本丸中で回してるいち兄の観察日記だぜ!と本人に言えるはずがなく、俺っちは慌てて「大将に文を渡そうと思ってな!」と覆いかぶさって隠した。我ながら苦しすぎる言い訳だが、いち兄は不思議そうな顔で「文に手記とは随分書くね……?」と言うだけで、それ以上追究することなく部屋を出て行く。あぶねぇ。


 はじまりは五虎退だった。一緒に出陣できなかった時のいち兄の活躍も知りたい。その言葉に粟田口は賛同一致したのだが、話を聞くにもそれぞれ遠征や内番があったし、面倒見が良いいち兄がいない時間というのは少なかった。そうしてどうしたものかと考えていたある日、鶯丸が観察日記を教えてくれたのだ。さっそく万屋で冊子を買い、骨喰から回すことになった。
 とはいえ、出陣の様子を書いていたのは最初だけだった。途中から書き手も増え、『金刀装作りの秘訣をたぬきに聞いてた』やら『うまとおしゃべりしていました』やら出陣に関係ないことも書かれ始めたある日、歌仙の一筆で本丸に衝撃が走った。

『一期は主を慕っているのかい』

 あの時「この本丸で大将を慕ってない奴なんていねぇだろ!」と真剣な顔で叫んだ後藤の頭をものすごい勢いでひっぱたいた乱の顔は恐ろしかった。次の瞬間には「僕全然気づかなかったー!」と両頬に手を添えてうっとりしているものだから、居合わせた獅子王はちょっと引いていた。兄弟がすまねぇ。
 しかし、いち兄と大将がそんな関係だったとは。歌仙よく気づいたなと感心したほど甘い空気はなかったのだが、そう言われると当てはまる節があった。よくよく思い返すと、いち兄と大将は距離が近かったのだ。
 正直、人間のいう恋慕に当てはまるかと聞かれれば、いまひとつ断言はできない。だがもし歌仙の疑問がその通りなら、そりゃ大好きないち兄に訪れた春なのだから応援したい。
 とはいえ、応援が必要かは別問題だ。いち兄は後藤と違って鈍感じゃないから大将への気持ちも自覚しているはず。ならさっさと男らしく伝えるように勧めるのが一番の応援だと思ったのだが、なぜか乱に止められた。曰く「微妙な感じがいいの!」らしい。観察日記が三冊目に突入した今でもよくわからない。今度燭台切に少女漫画でも借りるとするか。
 さて、いち兄が戻ってくる前に書かねぇと。


『夜更けのことだ。いち兄の内番服を借りっぱなしだと気づいて急いだんだが、部屋はもぬけの殻だった。本丸を散策したら厨に御手杵と大将がいて、聞けばどうやら腹を空かせた御手杵に大将がちょいと振る舞ってやったら米が足りなくなって、通りかかったいち兄が倉庫に行ったらしい。御手杵に行かせれば喋る時間ができたのにって思ったんだが、ちゃっかりみんなに内緒で料理を教えてもらう約束をしたっていうんだから、いち兄も抜け目ないよな
 追伸。燭台切、少女漫画貸してくれ』


「こん技、まとめて本ば作ったら売れそうばい」
「博多お前、兄の私事を公開する気か?」


『以前俺並みの機動で作れる料理はないかと尋ねられたから、御手杵が食べたのは恐らく俺が紹介した飯だろう。主の役に立てているようで何よりだ。そういえば不動と洗濯物を干していたとき、一期と主が並んでしゃがみ込んでいたのだが、蟻の行列でも見つけたのだろうか』


「殺生を控えるのは良い心がけです……」
「兄さん、さっきアブラムシに殺虫剤かけてましたよね?」


『あなたは主の精神年齢をいくつだと思っているんですか?玉鋼からやり直したらどうです?
 さておき、あの人達が見ていたのはミミズでしょうね。小夜と江雪兄さんと畑仕事をしていた時、三寸ほどのミミズを持って来たので間違いありません。これでもっといい土になると喜ぶ小夜が可愛かったです』


「蟻とミミズは何が違うがか?」
「俺に聞かれてもわからん」
「新撰組局長の刀ともあろうものが情けないのぅ」
「そう言う幕末の風雲児の刀は大河ばかり見て陸を知らぬようだ」


『蜂須賀に言われて馬屋掃除の水を交換しに行ったとき手を洗っていたのはミミズを触ったからか。その後両手を突き出して秋田や包丁を追いかけるさまを見て浦島が困惑していたから、さっそく教えるとしよう。その鬼事で転んだ主殿を一期殿が小荷物が如く脇に担いで行ったのだが、練度を上げると筋力もつくのだろうか』


「あいつ、あれ以上筋肉つけるのか……?」
「兼さんも筋肉教に入る?」
「なんだその宗教……俺は入らねーぞ」
「入りたくなったらいつでも言ってね」


『剣術が上達するんじゃないかな。
 運ばれた主さんの手当ては僕がしたよ。腕と膝を擦りむいていたからお風呂が沁みそうですねって言ったら、一期さんがご入浴の際はお呼びくださいって言ってたんだけど、彼が言うと本気か冗談かわからないんだよね。まあ主さんも主さんで、私の痛覚は優しさでは誤魔化されません、とかズレたこと言ってたから丁度いいのかな』


「僕もわかりません……平野は?」
「いいえ……」
「「……」」
「えっ、なんで俺に聞かないの?」
「では鯰尾兄さんは?」
「さっぱり」
「「ですよね」」


『いち兄の冗談は骨喰兄さんの表情並みにわかりにくいんですよね。
 主さんがお風呂に入っていた頃ですが、いち兄は信濃と毛利と一緒におはじきをしていたので冗談で言ったんだと思います。主さんも変人なので心配は要らないかと。俺がお風呂上りの主さんに出くわした時、怪我を聞きつけた鳴狐に肩車されそうになったって恥ずかしがっていたんです。照れる基準がわかりません』


「私にもわかりません……」
「大丈夫だよ兄貴、アタシもわかんないから!」
「酒のつまみにするにゃ、ちと刺激が足りねぇな」
「俺帰っていいか?」
「あぁだめだめ! なんか面白いの聞かせてよ!」
「てめぇの兄だろうが、この餅巾着のかんぴょうみてーに捻り出せ」
「大声でいち兄呼んでもいいんだぞ?」


『酔っ払いに絡まれた厚藤四郎だ。そういや前に万屋行った時、食い逃げ野郎がいてさ。俺達の方に走って来たそいつを綺麗に背負い投げしたんだよ。大将が。よっぽどショックだったのか、それきりいち兄が剣術以外も学びはじめてさ……最近じゃ漫画の中国拳法とかやってるんだぜ?かっけーよな!俺も混ざりたいけど多分いち兄バレてないと思ってるから、他にやりたい奴いたら一緒に声かけよーぜ!
 追伸。薬研、あの少女漫画は燭台切のじゃなくて明石のだぞ』


「嫌やわー俺の個人情報駄々洩れですやん」
「刺す以外にもできることが増えるのか」



「おや。こんなところに薬研の文が……」

 その後、観察日記を見た者は誰もいなかった。