横なぶりのにわか雨が降り出して数分後。ドアの開閉音に続いて複数の足音が聞こえ、あのテーブル席に案内しようと決めつつ顔をあげて、止まった。

 コナン君の表情が死んでいる。

 最初に入って来たのは毛利探偵の娘さんとコナン君。彼女たちを含めた来客となると、友人の鈴木財閥の令嬢と女子高生探偵、もしくは少年探偵団が常なのだが、今日は違うらしい。
 一人は金塊を溶かして流し込んだような金眼に、スーツ姿の女性。もう一人は若草色の袴を着た男性だった。さしずめ雨宿りの場所を探しているところに蘭さんが通りかかったのだろう。
「いらっしゃいませ。四名様でよろしいですか?」
「先にコナン君たちを案内してもらっていいですか?私はタオルを取ってくるので」
「ええ、わかりました。ではこちらへ」
 三人をテーブル席へ案内すると、蘭さんが出て行ったドアに金眼を向ける女性が呟いた。
「美人・優しい・惚れる」
「加州さんが出陣しそうな標語だね」
「主なのに発言の自由がない……」
 水滴を拭いていたハンカチを目元に当てるという、なんとも古典的な悲しみ方をする女性に対し、手ぬぐいでコナン君の髪を乾かす男性が苦笑で応じる。
「それだけ愛されてるってことさ」
「数名重過ぎて潰れそうなんだけど」
「何があろうと私が支えるよ」
「イケメンか」
「今日は私の奢りだよ」
「イケメンだ!?」
 この二人、かなり仲がいいようだ。服装からして同じ職業ではなさそうだし、学生時代の知り合いといったところか。尚、コナン君はこのハイテンポについていけてない様子。
 途中『カシュウ』が恋人関係に当たるのかと思ったが、数名の愛とはどういう意味なのだろうか。まるで複数から慕われているかのように聞こえるが……。
 いや、まさか。
 変装するならわざわざ目立つカラコンにする必要はないし、ボロが出やすくなるような複雑な環境設定にするなんて愚の骨頂。そもそも彼女は秘密を好む性質であるため、綿密に計画した設定であろうとペラペラ喋る真似はしないはず。
 否定材料は揃っているが、職業柄一度抱いた懐疑はなかなか消えてくれない。
 一応顔を確認しよう。一応。
 テーブルに近づき、できるだけ自然に女性の顔がよく見える位置につく。
「ご注文はお決まりですか?」
「ではホットラテとコーヒーを一つずつ。君は?」
「ボクはオレンジジュースがいいなー!」
「──かしこまりました」
 この二人飲み物について話してないよな?最近は親しくなるとテレパシーが使えるようになるのか?
 疑い疑われの生活が長いせいか、変な方向に思考が飛んでしまう。一般人に振り回されるなんて、もしかしたら疲れてるのかもしれない。そういえば三徹目だった。
 注文したのは男性の方だったため、顔色を窺うような仕草で女性を確認したが、特に反応はなかった。本当にあいつならウインクや意味深なアイコンタクトくらい送ってきそうなものだが、やはり勘違いだったようだ。
 オーダーをとってカウンターに戻ると、丁度蘭さんがタオルを両手に戻って来た。
「これ、よかったら使ってください!」
「ありがとう!助かる!」
「私の分まで申し訳ない。いやはや、この雨じゃ傘もあまり意味がないね」
 男性の言う通り、外は雨粒が窓を壊さんとばかりに降り注いでいる。蘭さんにも注文をとり、手を動かしつつ彼らの話に耳を傾ける。
「亀甲はお出かけ日和って言ってたけど本当に出かけたのかなぁ」
「どうかな……彼の性癖は特殊だからね」
「縄が透けてたらどうしよう」
「あっというまに口の端に上るね」
「はらきよでノーマルに戻せない?」
「生まれつきはちょっと……」
 目の前に小学一年生がいることもお構いなし。この二人、人生の通知表に『周りを気にせず自分らしく生きましょう』という欄があったら花丸がつくに違いない。
 一体どう生きたらそんな自由人になれるんだ。不思議そうにしている蘭さんが気の毒になってくる。ああ、どうか君は純粋なままでいてくれ……。
 とは言え、これでコナン君が空元気な理由がわかった。そういう世界を知識として得ていたとしても、幼い彼にはまだ早かったのだ。
 ならばとうに二十を超えた自分が、と芽吹いた好奇心の赴くまま声をかけた。
「おまたせしました。……とても仲が良さそうですが、お二人は恋人でしょうか?」
 二人は一瞬きょとんとした後、男性は照れくさそうに頬を掻き、女性はいやいやと手を振った。
「家族のような仲間……と言うべきかな」
「一心同体ってやつです。何年も同じ釜の飯を食べてますしね。まあ、墓での年数は知りませんけど」
「な、なんのことだかさっぱりだよ」
「はぐらかそうったって無駄だよ!みんなの休日が揃ったら全部吐かせるって決めてるんだから!」
「こら、席を立たない」
 墓?……何かの隠語か?
 男性はホットラテを両手で包み暖をとる女性の視線を、コーヒーに口をつけて流そうとしている。その表情を見るに、流れ着く先は胃の中なのだろう。
 ここで、純粋なハートの持ち主が動いた。
「すっごく仲良しなんですね!お二人みたいな関係、憧れちゃいます!」
「ほんと?あ、親切にしてもらったお礼に秘訣教えよっか?」
「お願いします!」
 女性は蘭さんの耳元に近づき、手で隠すという徹底ぶりで秘訣とやらを囁いた。残念ながら一言も聞こえてこなかったが、男性の苦い表情を見るに、むしろ聞こえなくて良かったのかもしれない。
「で、でも私、空手を習っていて……」
「大丈夫、あなたならできる」
「……そうですね、私やってみます!」
 頬を赤らめて意気込む蘭さんは可愛らしいはずなのに、不安な気持ちになるのはなぜだろう。
 相手は幼馴染の新一君だろうか。知り合いであれば今は戻って来ない方がいいと伝えてあげたいが、足取りすら掴めない彼と連絡をとることは不可能だ。
 ところでコナン君の目がさらに光を失った気がするのはなぜだろう?
「お、村正が来てくれるって。位置情報送っとこ」
 その後、一分も過ぎないうちに薄紫の長髪の男性が現れ、二人は車に乗り込んで帰って行った。


 彼らが帰って正気を取り戻したオレは、安室さんにひどく心配された。目が死んでいただの、光がなかっただの、どうやら散々な様子だったらしい。
 その原因を話したかったが、今は蘭がいるし、正直思い出すだけで頭が痛くなる。
 だから帰り際、ずっと聞きたそうにしていた安室さんもオレと同じ目に遭えばいいと思い、アドバイスを伝えた。
「あの人たちを理解しようと思わない方がいいよ……」
 嘘はついてない。


「うぅ、季節が操れないってほんと不便……」
「君は途中から天候さえ変えてたからねぇ」
「あの頃は人間やめてた」
「そういえば、薬研くんが新しい肥料を試したいと言っていたよ」
「明日は脱ぐのに丁度いい天気デス。水も引きマスよ」
「そうなんだ。直帰して手伝おうかなぁ」
「知ってるかもしれないけど、博多くん、特許を取って薬研くんの薬を売りたいらしいよ」
「儲かる未来しか見えない」
「そのうち悪霊を追い出す芳香剤とか発明しそうだよね。私の出る幕がなくなってしまうよ」
「なにその発想──……っくしゅん!」
「ああ、天気以外にも条件がありマスね」
「ごめん、できればそのパーカー……ってはや!! えっ、ハンドルから手ぇ離してた?」
「これくらい簡単デス」
「ほら、早く着なさい。風邪をひくとまた亀甲くんが移してくれとねだってくるよ?」