「いつ来ても素敵なところね」
 マリー・アントワネットは紅茶を味わい、ふわりと頬を緩めた。フランスが恋したと言われる彼女の微笑みは、そこらの花より麗しい。
 名前は種火が集まるまで戦闘に参加できない。そこでどうしてギルガメッシュがああなってしまったのかを知るため、成長したギルガメッシュの唯一の友であるエルキドゥを探していたのだが、廊下で鉢合わせたマリーにお茶に誘われ、こうして温室のベンチに向かい合うことになったのだった。
 召喚された日にカルデアを案内されたものの、温室については案内も言及もなかった。名前は「マスターとマシュには風情を解さない人間に見えていたのだろうか……」とマリーが淹れた紅茶に映る人相を見つめた。
「もしかして気に入らなかったかしら?」
 俯いているのを誤解したのか、マリーが心配そうに尋ねる。
「いや、少し考え事を……ここは良い場所だ。森林とは別の安らぎがある」
「でしょう?ここならゆっくりお話できるとおもったの。あなたとお話してみたかったのだけど、歓迎会がなかったから」
「……歓迎会というのは英霊が来る度に開くのか?ここは随分とサーヴァントの気配がするが……」
「新しくサーヴァントが来た晩はお祝いするのが決まりよ。でも遠慮する人もいるから毎回ではないわね。名前、あなたも遠慮したの?」
 かつてフランスに嫁いだからこそ、マリーは迎えられる喜びを知っていた。遠慮する気持ちもわからなくはないが、相手に嬉々として受け入れてもらえるのは嬉しいことだ。
「……遠慮ではない」
 断ったときのマスターの顔を思い出し、名前は目を伏せた。
「歓迎会なんて開いても、きっと困らせるだけだ」
「そうかしら?歓迎は準備する方も楽しいわよ。普段料理しているサーヴァントは腕によりをかけてフルコースを作ってくれるし、友好的なサーヴァントはあなたがどんな英霊か知りたいと思っている筈よ」
「……そうか」
 マリーとしては今日歓迎会を開く流れを期待していたのだが、名前の反応は淡泊なものだった。
「あなたも話してみたい人がいるんじゃなくて?」
「歓迎会じゃなくても話せるだろ?」
「ふふ、そうだったわね」
 自分が生み出した現状に気付いたマリーは、口に手を添えて笑った。意外と知的な人なのね……と感心しながら。
 マリーは昨日、マスターとマシュに案内されながらギルガメッシュに怒鳴られる名前を見ていた。そのときセイバーでありながらバーサーカーのように会話が通じない彼女に興味を持ち、こうしてお茶に誘ったのだが、悩み事のせいか名前の顔は憂いを帯びている。
「ねぇ、あなたは何に悩んでいるの?良ければその悩みを教えてくださらない?私、元気なあなたとお話したいわ」
 快晴のように透き通った薄青の双眼が、名前をじっと見つめる。高貴な令嬢のようでいて不機嫌な少女のようにも見える視線に、名前はたじろいだ。
「気を悪くしたならすまない。貴方のような美人と話すのは久々なんだ、少しくらい緊張するさ」
「そうかしら?緊張しているなら、今頃紅茶は空になっている筈よ。でもあなたはカップを持ち上げてさえいないし、スコーンだって手をつけてない。英雄王だって美人だけど普通に話していたわ」
「……あいつは別枠だ。見慣れてるしな」
「人見知り──いえ、今のあなたが通常なのね。謙虚で心優しい、名君にふさわしい人物だわ。そういえばあなたが来た日、あの王様がマスターを雑種と呼んだら怒っていたわね。マシュがマスターの話をしているときも聞き役に徹していたし、それに──」
「待て、待ってくれっ」
 止まらなそうな根拠の列挙に、名前は慌ててマリーを制止した。事実だが、他人に指摘されるのは恥ずかしいものがあった。
「当たりかしら?」
「自分が優しいなんて思ったことない。だが名君にふさわしいと言われるのは……その、嬉しいな。一番の誉め言葉だ」
「じゃあご褒美にあなたの悩み、教えてくださる?」
「流石フランス王妃、交渉が上手い……でも本当に大したことないんだ。誰も損はしないし、悲しむこともない。その程度の悩みだよ。……少なくとも歓迎の席で話すことじゃない」
 名前の指摘に、マリーは目を丸くした。
「……いつから気付いていたの?これが私なりの歓迎会の代わりだって」
「王族のもてなしには慣れてるんだ。紅茶やスコーンの文化は知らなくても、所作でわかるさ」
「あら、ウルクではどうやってもてなすのかしら?あの王様みたいに金で彩るの?」
「さぁな。私は暴君のことも賢王のことも知らない。我が王ギルガメッシュは名君ただ一人だ」
 名前の知るギルガメッシュは、名君と崇められるような王だった。人を貴様とも雑種とも呼ばなかったし、我と書いてオレとも読まなかった。
「名君が主催した宴のことならいくらでも──」
「ここにおったか」
 噂をすれば、難しい顔をしたギルガメッシュが入口に立っていた。彼はマリーと名前が座るベンチにずかずか近付くと、無言で名前の紅茶を仰いだ。
「お前、まだ手をつけてなかったのに……!」
「もう用はなかろう。雑種が呼んでいるぞ」
「まだそんな呼び方を……お前は他人の名前もろくに覚えられないのか」
「わざとに決まっておろう。マスターであろうと王たる我の前では全てが雑種よ。ええい、疾くついて来い!」
 ギルガメッシュが名前の腕を引くが、名前はその手を引っぺがした。
「私は彼女と話してるんだ。邪魔をするな」
「貴様は我に反抗しなければ死ぬのか? いや、反抗せずとも死ぬ奴だったか。いつまでその茶番を続ける気だ。とうに貴様の抵抗など類型化しておるわ。一日にして反応する価値もなくなって──」
「マリー、今のうちに逃げろ。もし生き延びたら頭を撫でてくれ」
「いいわよ」
「いい訳なかろう!それは我の役目だ!うっすらそんな記憶がある!」
「捏造すんな」
 ギルガメッシュのフラグ回収の速さに名前はちょっと引いた。さっそく反応してますけど、とでもツッコめばいいのだろうか。
 対してマリーはお互い遠慮のない──ギルガメッシュは遠慮というより自尊心を投げ捨てている気もするが──二人を見て「仲がいいのね」とニコニコしていた。
「男で私に触れて良いのは名君だけだ。この頭、容易く撫でられると思うなよ!」
「愛いことを言うでない!おのれッ……これほど名君時代の記憶を思い出したくなる日が来ようとは……ッ!」
 ギルガメッシュは胸を押さえながらキレた。彼が名前について覚えていることといえば、彼女の死に際のみ。見てるだけで苛立つし、無力化させて独房に投げ入れてやりたいし、「なぜこのような雑種に惚れたのだ?」とかつての自分に問い詰めたいところだが、今の自分の感情に納得するだけの根拠を持ち合わせていないのだ。容姿は及第点だが、中身は断罪もの。だというのに、なぜわざわざ探してまで接触しようとしているのだろう。
 一方そんな疑問など知ったことではない名前は「記憶がないのか……?」と目を丸くした。
 英霊は英霊たる人生を記録として覚えている。例えばジャンヌ・ダルクは田舎で過ごし、オルレアンを奪還し、魔女として死んだ流れを覚えているが、ジャンヌ・ダルク・オルタは田舎で過ごした記憶を持たない。記録の方はわからないが、ともかく一部の記憶がないだけで霊基が異なる──つまり別人になるのだ。
「やっぱり名君とは別人なんだな!ふふっ……あはははは!」
「その高笑いをやめんか!録音して目覚ましにするぞ!?」
「うげ、気持ち悪いこと言うなよ……いや、目覚ましになるってことは私がお前の安眠を妨害するってことだから……いっそ直々に妨害しに行ってもいいぞ!」
「くっ……我はどうすれば……!」
 ギルガメッシュは毎朝起こしてくれるという誘惑と剥き出しの嫌悪の狭間で揺れた。
「ねぇ二人とも、マスターが呼んでいるのではなくて?」
 マリーに少し不安そうに尋ねられ、名前は「しまった!」と跳ねるように立ち上がった。
「こんな奴の相手をしている場合ではなかったな。ありがとうマリー、時間を無駄に使うところだった」
「そも貴様が抵抗などするからではないか」
「ギルガメッシュじゃないギルガメッシュの命令に従うのは複雑なんだ。わかってくれ」
「笑わせる。雑種如きが王に理解を求めるか」
「…………」
「…………」
 一方は不満げに睨み、もう片方は余裕ある笑みを浮かべた。
「マスター!私の名君を召喚してくれ!」
「させぬわ!」
 マリーはコントのような喧嘩をしながら入口に駆けたく後ろ姿を見て、くすりと笑った。
 ──認めてなくても元気になるのね。
 そう思いながら安堵と僅かな悔しさを感じていると、名前が急に足を止めて振り返った。
「マリー、次は私から誘おう。マスターを共にする仲間として」
「まあ……!」
 マリーは自分の魅力を最大限に引き出した笑みで「楽しみにしているわ!」とキスを投げた。頬を染める名前にギルガメッシュの機嫌が急降下したのは言うまでもない。