「ベオウルフさまー!」
 今日もカルデアに鈴のような声がこだまする。無邪気な割に一切の足音を殺した名前が、ベオウルフに駆け寄った。


 数多の英霊が一堂に会するカルデアにおいて、生前の知り合い同士が召喚されるのは珍しいことではない。ベオウルフと名前もその一例であった。巨人グレンデルを倒し、老いてなお火竜を相打ちの形で仕留めた王、ベオウルフ。そんな彼の忠臣が名前である。
「マスターに聞きましたよ!素材を狩りに行かれるそうですね」
「自分も連れてけってんだろ?ダメだ、お前は留守番だ」
「またですか……!?体調は万全、魔力も全回復、武器も調整済み──準備万端です!どうしてダメなんですか!」
「お前に留守を預ければ、俺は気兼ねなく戦場を駆けられる。それだけだ」
「うっ……信じて頂けるのは嬉しいです。身に余る光栄です。でも!カルデアの護衛ならここには適役がいっぱいいます!はっきり言って無意味です!戦力過多です!ていうか共闘したいんですー!」
 廊下で騒ぐ名前に、またやってるという様子で野次馬が遠巻きに集まる。レイシフトについて行きたい名前と、留守を任せたいベオウルフ。バーサーカー二人の口論は、もはやカルデアの日常風景だった。
「そんな縋るような目ぇしたって変わんねぇぞ。帰ったら修業つけてやるから我慢しろ」
「時には実戦も大事です!」
「とにかく今回はやめろ。何しろ相手が悪い」
「自分の身くらい自分で…………っ」
 その先は言葉にならなかった。今まで勝てたことがない相手に言ったところで納得してくれるはずがない。上司に似て狂化ランクの低い名前は、説得力に欠けると自覚してしまった。
「……わかりました。お気をつけて……」
 ベオウルフが一人で管制室に向かう。野次馬たちはその姿が見えなくなってから名前が悔し涙を拭うことも、すぐ立ち直って手当たり次第に勝負を挑むことも知っているため、巻き込まれないうちに逃げようと散らばっていく。
 しかし今日はいつもと違った。
「君に涙は似合わないよ」


 素材を落とすエネミーを探し歩いている最中のことだった。
「……やっぱり、一緒に戦いたい?」
 聞きづらそうにマスターが尋ねる。誰のことか、と聞き返すのは野暮だろうとベオウルフは思った。弟子自慢という訳ではないが名前はそれなりに戦えるし、他の英雄と協調できる柔軟さも備えている。だがそれには条件があるのが問題だった。
「マスターも知ってるだろ?俺がいちゃあ、あいつは手前の戦いができない」
「そうだけど…………」
 ベオウルフと同じ戦場に立つと、名前の狂化はランクアップする。言語は話せるが、言葉が通じない状態──スパルタクスのようになるのだ。スパルタクスが圧制への叛逆を信念とするように、名前はベオウルフを守ることに執着し、単独で突っ込んでしまうのだ。
 一応本人も抑えようとしているのだが、歯止めが効かないらしい。同じ戦場に立ちながら守れない不甲斐なさから、先に敵を殲滅させようと体が動いてしまうのだとか。英霊としての根幹に関わるらしく、別クラスなら大丈夫なのか聞かれた時も「どの霊基であれ、こうだと思います」と断言したほどだ。
 藤丸は作戦が大事だということも、大切な人を守りたいという気持ちも理解できる。だからこそ二人を離すという行為が妥協策のようで、何とかしたいと思っていた。
「じゃあ名前がベオウルフを守って、ベオウルフが俺を守るとか?」
「おいおい、戦闘狂に突っ込むなって言うのか?そいつは無理な相談だぜ」
「ですよね……」
 ベオウルフに攻めるなと命じることは、ギルガメッシュに謙虚であれと命じるようなものだ。そんなことで令呪一画を削る訳にもいかない。そもそも名前はベオウルフが戦うことについては肯定的で、同じ戦場に立てないこと、それが叶ったとしても怪我を防げないのが悔しいだけなのだ。だが強者を歓迎するベオウルフが無傷の戦いで満足できる訳がない。
「でもこのまま一緒に戦えないなんて……」
「ちょっと貴方、私のマスターを困らせないでくれます?言うことを聞くように調教して差し上げれば良いじゃありませんか」
 おそらく最初から目を光らせていたのだろう清姫が割って入った。彼女が発言すると火と死の香りが漂うが、要は実践して訓練すればいいと言っているのだ。
「というか、あんなに心配されるとか何やらかしたんです?部下ならば貴方が戦闘狂だとわかっているのでしょう?」
「……痛いところ突くじゃねぇか」
「執念っていうか……心配性にしては過剰だよね」
「少なくとも俺が生きてた頃はもっと物分かりのいい奴だったんだが……まあ今回の獲物が関係してんだろうな」
 藤丸たちが目標とする素材はドラゴンから採取できる。そしてベオウルフとドラゴンと言えば、火竜との最期の戦いだ。
「俺は部下を連れて火竜に挑んだ。だがアイツの部隊は住民の警護に当たらせたんだ。その後アイツがどうなったかは、マスターも知ってるだろ?」
「うん、名前に聞いたよ。逃げ帰った兵士を殺して、次の王も…………それで処刑されたんだよね」
 いかに相手が強敵であれ王を見捨てたことを許せなかったのだろう。私刑を始めたのが訃報を聞いた後というのが、忠誠心の大きさを物語っている。
 ベオウルフ亡き後玉座についた王を殺したことについても「だってアイツ火竜のこと『どうせリンゴ程度の幼体だったのだろう』とか言うんですよ!?」と激怒するくらいだ。
「全ては慕うがゆえ、ですか……なんだか仲良くなれそうな気がしてきました」
「うん、ベクトルは違うけどベオウルフ関連だと結構似てるかも」
「不意打ちで燃やされるってか。手合わせ中ならあり得なくもないが」
「あり得るんだ……」


 帰ってまず気づいたのは、違和感。いつも専用のセンサーでもあるのかと疑いたくなるほど毎度出迎えに来る名前が、今日はいないのだ。
 いい練習相手が見つかったのだろうか。それにしても珍しいこともあるもんだと思いつつ、ベオウルフはシミュレーションルームに向かった。
 だがそこに名前の姿はなく、荊軻やハサンの面々が酒を嗜んでいた。
「あれ、ベオウルフじゃん」
「ビリーか。名前見なかったか?」
「あー……うん」
 ビリーは名前の名前が出た途端、ベオウルフと距離を置くように重心を後ろに乗せた。
「これ言っていいのかなぁ……でも巻き込まれたくないなぁ」
「はあ?」
「僕が言えるのは『早く戻して』ってことだけだよ」
「なんだそりゃ」
 何かあるようだが、話す気がないなら無理に口を割らせることでもない。深追いしないベオウルフを見て、ビリーは何か言いたげな表情のまま「行けばわかるよ」とだけ言って指し示した。
 その先は食堂があるはずだ。また早食い勝負でもしているのだろうか。だがその程度なら放り出して出迎えに来そうなものだが……と疑問に思いつつ、ベオウルフはとりあえず食堂に向かうことにした。


 ビリーの言う通り、名前は食堂の一角にいた。後ろ姿しか見えず、その正面にはダビデが座っている。気配を殺していないにもかかわらず振り向く様子はなく、いっそ別人だと言われた方が納得できる。
「おい、名前」
「あっ、ベオウルフさま!ご無事で何よりです!来ないでください!」
「は?」
 聞き間違いかと思ったが、厨房に立つブーティカやエミヤも「何事!?」という風に手を止めている。それほどまでに名前がベオウルフを拒否するというのは衝撃的だった。
「席はたくさん空いてます!あっち行ってください」
「……おい、頭でも打ったのか?」
 名前に押され、ベオウルフは半歩下がった。だが理由もわからず去るのは男として、上司として選択肢にない。犯人は──十中八九ニコニコと見守るような視線を向けてくるダビデだろう。
「そんな顔しないでくれよ。僕はちょっとアドバイスしただけさ」
「そうなんです!私は今までベオウルフさまを守りたいという気持ちを抑えようとしてきました。でも……もういいんです!」
 ベオウルフは嫌な予感がしたが、止めるより先に名前が晴れやかな表情でダビデのアドバイスを告げた。
「他の英雄をベオウルフさまと同じくらい尊敬すればいいんですよ!」
「………………………………馬鹿か?」
 特別な一人を下げるのではなく、他の大勢を上げる。なるほど、着実な方法だ。現実味は皆無だが。
 先程マスターにも言われたばかりだが、自分が関わるだけでこうも騙されやすくなってしまうのかと、ベオウルフは心配になった。
「それはそうと、なんだって俺を遠ざけるんだ?」
「?だってベオウルフさまがいたら目移りしちゃうじゃないですか」
「…………………………」
「あ、でもベオウルフさまの臣下はやめませんよ!用があればいつでも参上しますからね!」
 たとえこの笑顔を曇らせることになろうと構わない。ベオウルフは指摘することにした。
「……お前何年俺に仕えたと思ってんだ?そんなんじゃ人理修復が先に終わっちまうぞ」
「え?」
 英雄一人にベオウルフと同じ年数がかかるとして、まずその時点でもう人類が滅亡しているか、無事修復を終えてカルデアから退去しているだろう。
 どちらにせよ二人が共闘する未来はない。
「そんな……やっと共闘できると思ったのに……」
「鍛錬が必要ってこった」
 項垂れた後頭部を労るように叩く。するとダビデが立ち上がった。
「まだ諦めるのは早いよ。短くても濃密な経験を積めば、あるいは──」
「ほう?俺にも聞かせてくれや」
 ベオウルフは名前の頭をダビデと逆の方向にねじった。
「マスターと僕らみたいなことさ。具体的な例はこれから探すけどね」
「博打だな。そんな曖昧な方法で擦り込まないでやってくれや」
「こういうのは案外やってみないとわからないものさ。それともあれかな、自分が一番じゃなくなるのが怖いのかい?」
「…………。」
 ベオウルフは想像する。自分を見ても声をかけず、嬉しそうに駆け寄ることもなく、来ないでくださいと嫌悪する名前を。
「ああ、そういうことにしといてやるよ」
「あの、ベオウルフさま、頭が千切れそうです。怒ってますか?これが噂のヘッドスパですか?」
 いつの間に力んでいたらしく、ベオウルフの指が名前の頭を鷲掴みにしていた。ヘッドスパの意味はわかないが、どうせロクでもないことなのだろうなと思いつつ手を離す。
「お怒りもごもっともですが、ダビデ王は私に協力してくれただけです!罰は私が受けます!」
「なんで怒ってるかわかったのか?」
「はい──本意ではないとはいえ、ベオウルフさまに無礼な真似をしました!どうぞ一発殴ってください!」
 そう言って無防備を晒す名前を本当に一発入れるべきか迷ったが、これまで叩きのめしても治らなかったのだから無意味だろうと拳を開いた。
「ほんと、お前は馬鹿でよくできた忠臣だな」
「えっ、馬鹿を治せばパーフェクトじゃないですか!」
「…………いや、お前は馬鹿のままでいい」
「いいんですか!?」
 さすがベオウルフさま懐が広い!と褒める名前と共に、シミュレーションルームに向かう。


 廊下に出たベオウルフと、その様子を見ていたダビデは、時を同じくして呟いた。
「余計なこと教えやがって」
「お互い守りが固いなぁ」