それからその男は、三日に一回の間隔でわたしの元へ訪れた。いつも高級な手土産を持って。

『 名前さん、こんにちは 』
『 …… こんにちは、秀壱さん 』

彼の名前は栢原秀壱さんと言った。有名な財閥のご子息らしく、それはもう大変高貴な方だった。

歳はわたしより四つ上で、実弥お兄ちゃんと同じ歳。

『 そうだ、最近 " 銀座 " の方に新しくできた少し洋風な甘味処があるんです! 異国から輸入したと言う甘いものもきっとあると思います、名前さんと是非ご一緒したいので行きましょう? 』

と、わたしの返事を待つよりも先に荒れたわたしの手を取り、その甘味処があるという方角へ歩き出す。

『 ちょ、秀壱さん…! 困ります! 』
『 僕がご馳走しますから。名前さんは僕と一緒にいてくれるだけでいいんです 』

" 名前さんに一目惚れをしてしまいました " と、彼の口から告げられたのは二回目に会った時だった。相変わらず上質な着物に身を包んだ彼は、そんな驚くべき発言をさらりとしたのだ。

急に、そんなことを言われるなんて思っていなかったわたしは鳩が豆鉄砲を喰らったように思わず口を開けて固まってしまったのも記憶に新しい。

『 " あいすくりぃむ " を知っていますか? 』
『 ?あいす、…? 』
『 氷菓子です。十数年程前から日本でも食されてる物で、口に入れると氷のように溶けてしまうのに味がついている不思議な食べ物です。僕、最近それが大好きで 』

最近は気温も上がり、暑くなってきたのできっと名前さんも気にいると思います。そう言って酷く楽しそうに笑った。

( へえ、そんなものが…。氷のように溶けてしまうと言うことは冷たい物なのかしら )

黙って手を引かれること数十分。近代発明である電車などが行き交う街中にまできてしまい、思わず冷や汗が垂れる。

『 街へ来るのはあの日以来ですか? 』
『 え、ええ。わたしは家事を主にしてますから滅多に街には来ないので… 』
『 そうなんですね。…… ああ、其処気をつけて。鉄道の通るところには窪みがありますから。足を引っ掛けないでくださいね名前さん 』

慣れた手つきで先導されるのがなんだかむず痒くて思わず口を噤む。ああ、わたし、家に下の子たちを置いて何やってるんだろう。こんな街まで来て、一体何がしたいの。

『 …… 名前さんが気に入った物があれば是非おうちの方にも何か買って帰りましょう。僕が振り回してしまったお詫びです 』
『 ……… あなたはお詫びが多い人ですね 』
『 ふふ、そうですね。名前さんがあまりにも愛いらしいのでついつい我儘を言ってあなたを困らせてしまうんです、僕。だから、お詫びです 』

悪い人ではないことが痛いほど伝わってくるから、どうしようもない気持ちが空回りする。この人がもっと自己中心的で、それでいて酷い人であったのならどれほど良かったことだろうか。

強引でいながらわたしのことを気にかけながら喋りかけてくれる、その中途半端な優しさのせいで、この握られた手を振り解くにも解けないのだ。

『 変な人 』


□ □ □


『 今日もありがとうございました、名前さん。ますますあなたの事が気になってしまいました 』

両の手に持たされた大量の紙袋。兄弟が多いわたしに気遣ってたくさんのものを買い与えてくれた。もういいと何度も伝えたのにきく耳持たず、お勧めだというものばかり待たされてしまったのだ。

『 すみません、連れ回した挙句、途中までしかおくれなくて 』
『 お気遣いなく。それに詫びをしたいのは此方のほうです。またこんなにたくさん頂いて、…… わたしには返せるものがありません 』
『 これは僕のお詫びですからお気になさらず。またこうしてどこか二人でゆっくり外出する事ができれば僕はそれで良いので 』

何でも今日は夜に晩餐会なるものがあるとやら。外はすっかり日が落ち、街中には街灯があるとは言え、家の方は真っ暗だろうなあ…

( あゝ、こんなに遅くなってしまうなんて。早く帰らないとお母さんやお兄ちゃんたちが心配するわ )

『 日が落ちてしまって危険ですね…… 名前さん、どうかこれをお持ちください 』

こんな遅くになるまで振り回したのはあなたですけどね。そう思いながら手渡されたのは香袋の様な紫色の布に入ったものだった。

すん、と鼻をすすれば良い匂いが鼻腔に充満する。

『 この香りは……? 』
『 藤の花です。最近この辺りでも " 鬼 " が出てるみたいですのでどうかお気をつけて 』
『 おに、……? 』
『 ええ。藤の香り袋を持って帰ってくださいね、必ず 』

" 何故藤の花の香り袋を? " そう聞く前に『 では、またお会いしましょうさようなら 』と言って背中を向けて帰っていってしまった。

ともあれ、握らされた香り袋を胸に握りしめ、わたしも帰路に着く。

遠くで祭囃子の音が愉快に鳴っていた。
もう、そんな季節か。

重たい、たくさん歩いて足も痛いわ。
疲れた。早く帰ってみんなに会いたい…

『 遠いなあ 』

徐々に街灯が減り、暗くなってくる帰り道。先が見えない事がこんなにも不安になるなんて知らなかった。

鼻緒の部分が擦れて痛くなってしまって、いつもよりもだいぶ遅く歩いていると、月明かりに照らされたお兄ちゃんが立っていた。

お兄ちゃんの綺麗な頭が輝いて見えた。

『 こんなところにいたのか 』
『 ……… おにいちゃん 』
『 玄弥たちが心配してる。早く帰るぞ 』

何も言わずわたしの手にあった袋を持ってくれる。手持ち無沙汰になってしまった右手でお兄ちゃんの左手を掴む。暖かくて、わたしよりも大きな手。

『 ……ごめんなさい 』
『 お前が幸せになるための第一歩だろ 』

謝ることなんかねえだろ、と優しく笑ってくれた。

違う、違うのお兄ちゃん。

わたし、あの人の気持ちを踏み躙ってるの。好きでもなんでもないのよ。ただあの人がわたしを好いているだけなのよ、気持ちを利用してるだけなの。

嫌だと言いながらついて行くのは、あの人はわたしにどんな景色を見せてくれるのか気になっているからなの。あの人の優しさにつけこんで、自分の気持ちに嘘をつこうとしてるだけなの。

きっと、わたしがあの人と結婚すればこの家も少しは楽になるんだと思う。もしかしたら援助だってしてくれるかもしれない…、それなら悪くはないのかもしれない

ねえお兄ちゃん、
わたし、最低な女でしょう?

身分も良くない、秀でた才だって何もないのに。

『 名前のこの手を握って、幸せにしてくれる人がいつか必ず現れる日が来るからよ、』

ねえ、あのね、わたし、今の生活以上の幸せなんて何一つ望んでいないの。

『 今は兄ちゃんに握らせてくれ 』


□ □ □


『 姉ちゃん! 姉ちゃん、お嫁さんに行っちゃうの? 俺たちの家から出ていっちゃうの!? 』
『 やだやだやだあ! お姉ちゃんまだお嫁さんになんかいかないよね!? 』
『 ひ、弘… 寿美っ!? 』

家の扉を開けて早々、二人に抱きつかれて思わず後ろに倒れ込んでしまった。これにはお兄ちゃんもびっくりしたみたいで目を丸くしていた。

『 お帰り名前、ごめんねえ。この子たち、名前がお嫁に行くと思ってるの 』
『 だって今日、姉ちゃん男の人に手引かれてどっか行ってたんだもん! 帰りもこんな遅いし! 』

末の妹が間に涙を溜めだした。今にも泣き出しそうなその顔を見て、わたしはなんて最低なんだろうと思う。

『 泣かないで。お姉ちゃん、お嫁にいかないよ? わたしがいなくなったら、みんな悲しいでしょう 』
『 悲しいよぉ…… 姉ちゃん 』
『 もう、ことまで泣き出さないで… 』
『 ほら、お前ら。姉ちゃん困らすな 』
『 玄弥兄ちゃんだって気になってたじゃん! さっきまで母ちゃんに問い詰めてただろ! 』
『 な、…! 』

弟たちにそう言われ、顔を赤くする玄弥。

『 あら、玄弥だってお姉ちゃんが家出て行ったら寂しいよねえ、悲しくて毎晩泣いちゃうよねえ 』
『 な、泣かないよ! 』

お母さんに揶揄われてさらに顔を赤くする玄弥。ワナワナと震えながら『 早く手ぇ洗って! 』と声を張って、恥ずかしくなったのか布団の中に潜った玄弥がこれまた可愛くて、声を荒げて笑ってしまう。

大丈夫大丈夫、お嫁になんて行かないからね。