少年少女終末論

 ふと眠りから意識が浮上することは、珍しいことでは無かった。
朝を迎えるその前に絶たれた眠気の残滓を追うように、ユノは寝返りを打つ。

 そうして初めて、月光に照らされてぬらぬらと揺れる影を見た。
教会の窓にかけられたカーテンの、中途半端に開けた隙間。
細く差し込む月明かりを背にして、彼女はそこに居た。

「……ナマエ?」
寝ぼけ眼を擦って、ユノは寝返りを打ったばかりの上体を起こした。
僅かな月明かりの他には光源が無い部屋の中では、手を伸ばせば届く距離で頼りなく座り込む幼なじみの顔すら上手く見えない。

「……ユノ。ごめん、起こしちゃった?」
月明かりの中で座り込んでいたナマエは、ユノの呼び掛けに大きな瞳を細める。
背後から差し込む月の光を浴びて、まるい瞳がきらりと輝いた。

 情けなく下がった眉尻は、苦笑する時のナマエの癖だ。

「そういう訳じゃないけど。ただ、目を覚ましたらナマエが起きてたから、気になっただけ」
緩く首を左右に振って、ユノは淡々と答える。

 幼なじみが深夜に目を覚ますことは、きっと少なくないのだと、ユノは思っている。
自分がそうであるように、眠りの浅い部分まで浮上した意識が、何かの拍子にふと眠りから抜け出してしまうことは、恐らく普通に存在している。

 だからきっと、目を覚まして座り込んでいる幼なじみに声を掛けたのは、それだけではなかった。
どこかを見ているナマエが消えてしまいそうだったから、なんて根拠の無い本心を告げることは出来ないから、ユノは手近な理由で本心を覆い隠した。

「……ん、良かった。起こしちゃったら、やっぱり申し訳無いし」
他の子ども達を起こさぬようにと潜められた声が、密やかに笑った。

「……ナマエは」
ユノの口から、言葉が溢れて転げ落ちた。

 きっと、ナマエの声が、か細く聞こえたからだ。
囁くような声色に、泣きそうな色が滲んでいるような、そんな気がしたからだ。

 根拠なんて無い。
強いて言うならば、幼なじみとして、きょうだいにも等しく共に育った長い時と、その中で育まれた直感が、根拠になるだろうか。

「嫌な夢でも、見たの」
暗闇に慣れたユノの視覚が、くるりと見開かれたナマエの瞳を捉えた。
薄い唇が、躊躇うように数度、音も無く開閉する。

「……ユノには、敵わないね」
諦めたように、ナマエがふわりと微苦笑を浮かべる。
その表情が、答えだった。

「夢を、見たの。ユノもアスタも居なくなって、私独りだけが残される……。そんな夢」

 ひとり。
ユノは舌先で、三文字の言葉を転がした。

 幼い時から一緒だった幼なじみが、居なくなる。残されたのは独りだけ。孤独。
そうなった自分の姿は想像出来ないけれど、ただひどく苦しくて寂しいことだけは、ユノにもはっきりと分かった。

「ユノとアスタの姿が見えなくなって、このままじゃ駄目だって思ったの。このままじゃ二人が死んじゃうって。だから、名前を必死に呼んで、やっと駆け付けた時には……真っ赤だった」

 死という言葉を、避けようとしたのだろうか。
置き換えられた言葉が、むしろ生々しさを伴って降り積もる。

「……怖かった。神父さまもシスターも居るのに、世界に私しか居ないみたいに寂しかった。泣いても叫んでも、アスタは背中を撫でてくれなかったし、ユノは隣に居てくれなかった。……世界の終わりって、きっとそんなものなんだろうね」

 ここに何も知らない大人が居たならば、馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばしていたかもしれない。
人がひとりふたり命を落とした程度で終わってしまうほど、世界は軟弱に出来ていないと、叱られたかもしれない。

 だけど、ユノには理解出来た。
ナマエの唇から紡がれる事象は、確かに世界の終わりに等しい。

 そんな日が、そんな時が訪れたとして。
クローバー王国は、この国を取り巻く世界は、明日も明後日も続いていくかもしれないが。
残された少年少女の世界は、その瞬間に終わりを告げるのだろう。

 世界の終わりは、遙か遠くに見えるくせに、案外近くに口を開けている。

「……なら、世界を守ろう。ナマエの悪夢を、ただの悪い夢で終わらせる為に」
それは、悪夢に苛まれる幼なじみを慰める為の、口先だけのその場しのぎでは無かった。
同じく、世界の終わりを望まないユノの、紛れも無い本心だ。

「オレ達で守るんだ。オレ達三人の世界を」
「私達で、守れるかな」
「守れるかどうかじゃなくて、守らなきゃいけないんだ。世界が終わるより前に、オレ達の手で」

 弱音に揺らぐナマエの瞳を真っ直ぐに見つめて、ユノは繰り返す。

 いつか、時が過ぎれば、世界は終わるのだろう。
だけどそれは、手を伸ばせば届くほど近いものじゃなくたって良いはずだ。
だから、世界が終わるより先に、薄ぼんやりと見えている世界の終わりを遠ざけてしまいたい。
誰にも頼れないというのなら、頼りない己の手で。

「……うん。そうだね。私達が、やらなきゃ」
震える声で、ナマエが頷いた。

 夜明けは、まだ遠い。
世界の終わりを知った少年少女は、一途な覚悟を胸に秘めたまま、再び床に就いた。