乞い願うはあの日の愛
――こんな夢を見た。
花屋の店先に、花の苗が並んでいる。
何でも、素晴らしく美しい花を咲かせる植物の苗らしい。
苗が並ぶ棚の前で足を止めたフィンラルに、店員がすぐに目をつけて寄ってくる。
当たり障りは無いがポジティブな意味を持つ言葉がつらつらと並べられた売り文句を、とりとめの無い笑みで受け流していたフィンラルは、しかし店員が告げたその花の名前に、思わず花の苗を凝視することとなった。
「……ああ、そっか。ナマエ、好きだったもんな」
フィンラルにしか分からない感傷が、口の端から零れて砕けた。
結局フィンラルは、花の苗を買った。
麻糸で編まれたカップから、頼りない緑の小さな茎と葉がふよふよと揺れている。
店員の挨拶に会釈を返してから店を出て、指先で小さな葉を撫でる。
哀傷に目を伏せてから、フィンラルはそっと魔導書を手に取った。
途端、街の景色を引き裂いて現れた空間魔法の裂け目に、フィンラルは躊躇うこと無く身を投じる。
次に一歩を踏み出した時には、フィンラルは小高い丘の上に立っていた。
遠くに、僅かに青い霞が掛かった街の景色を見下ろせる、人の気配が無い丘だ。
青く茂る草むらに靴底を埋めて、フィンラルは真っ直ぐに歩き出した。
目的地は、丘の一等高い頂上だった。
目印になるようにと置いた、白くつるりと輝く大きな石が、以前来た時と全く変わらぬ顔でフィンラルを出迎えた。
石は、フィンラルの手によってこまめに掃除されているから、まだ苔も生していなかったし、汚れだって無かった。
フィンラルは、石の傍らにしゃがみ込むと、持参した小さなスコップで、苗が収まる程度の穴を掘った。
最初こそ苦戦したこの作業も、いつの間にか慣れてしまった。
だが、地面に空いた穴に、そっと苗を収めて土をかける作業が、フィンラルは好きではなかった。
苗を埋めずに放置したところで、成長することも叶わず枯れてしまうことなんて分かっているから、込み上げる苦い感情を噛み砕いてでも、土をかける他に無いのだが。
乾いた音と共に、掘り返した土が埋め戻されていく。
掘り返した土で出来た山が無くなる頃には、苗はすっかり植えられて、まだちっぽけな枝を風に凛々しく揺らしてみせていた。
植えたばかりの苗に汲んできた水をそっとかければ、土は湿り、何だか丘の土に馴染んだようにさえ思えた。
「大きくなるんだぞ」
小さいくせに青々とした葉を撫でれば、ひんやりとしていた。
水を吸い上げる植物の、生きている冷たさだった。
あの時指先に触れたのは、とうに命が喪われた冷たさであったのに。
脳裏をよぎる記憶を振り払うように、フィンラルは立ち上がった。
石の傍らに立って丘を見下ろしてみれば、あちこちに小さな芽が萌芽している姿が見えて、フィンラルは小さく歓喜の息を吐いた。
全て、フィンラルがせっせと種や球根を買っては運び、この丘に埋めたものである。
芽が出る季節に目を通さず、ばらばらに買ってきたものだから、まだ芽を出していない種もあるに違い無い。
花が咲く季節も全く統一性が無い花々を植えたから、顔を出している芽が成長したら、きっと一年を通して花の絶えない丘になるだろう。
そして、丘の頂上では、ナマエが好きだった木が、絶えず風にそよいで、心地の良い日陰を作り出すのだ。
人知れず広がるだろう花畑の未来予想図に、フィンラルは踊る胸を隠しきれない。
楽しみだった。
ただ、ひとつだけ心残りを漏らしても許されるならば、フィンラルは花畑を眺める己の横に、ナマエが居ないことだけが、胸を締め付けられるように苦しかった。
いつか、フィンラルがその手で植えた花々を、隣で眺めて欲しかったなんて、一言も言えないままになってしまった。
今更後悔したところで、もう遅いと分かっていても、まだ未練がましくナマエを乞う声が喉を震わせる。
「……どうして、言えなかったんだろうな」
好き、だなんて、声に出してしまえばたった二文字の言葉なのに。
その二文字が、フィンラルには途轍も無く大きいものだった。
届かなくなってから、こんなにも後悔するくせに、言えなかったのだ。
花が咲いたら、好きだと言えるだろうか。
その言葉は、丘の頂上で眠っているナマエにも、届くだろうか。
こんなにも、遅くなってしまったけれど。
好きなのだと、愛しているのだと、フィンラルが声の限りに叫んだなら、ナマエも何処かで聞いてくれるだろうか。
応えてくれなくても、構わない。
ただ、聞いて欲しかった。
丘を風が渡って、緑の匂いが吹き抜ける。
そこにはまだ、ナマエの面影は見えなかった。
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