待ちスケープゴート

 ――こんな夢を見た。

 無数の人の姿でごった返す広場は、地響きにも似たざわめきに満たされていた。
ブーツの靴音を響かせ、ヴァンジャンスは広場を見下ろす造りに設営されたステージに立つ。

 それだけで、群衆は大いに湧き立った。
薄い微笑を口元に浮かべて、ヴァンジャンスは群衆の前に立つ。

 ヴァンジャンスが口を開くより先に、群衆の誰かが、英雄だ、と呟いた。
英雄。
その言葉は、瞬く間に伝染していく。

 ヴァンジャンス様は英雄だと、誰かが言った。
それを聞いた民衆が、ヴァンジャンス様は英雄だと、口々に繰り返した。

 ヴァンジャンスは、違う、と否定の言葉を唇に乗せる。
だが、熱狂する群衆の前では、その言葉は無力だった。
ヴァンジャンスがどれだけ否定の言葉を述べようと、それらは全て群衆によって掻き消され、無かったことにされていく。

 それでも、ヴァンジャンスは否定することを止めなかった。
違うのだと、その賞賛を受けるべきは自分ではないのだと、幾つもの言葉を紡ぐ。

 誰も、ヴァンジャンスの声に耳を傾けてはくれなかった。
ひとりでも構わないから、ヴァンジャンスは、声を聞いて欲しかった。

 そうして、もう一度声を張り上げる為に、ヴァンジャンスが息を吸い込んだ時。

 重い荷物が転がるような音を立てて、女がひとり、ステージに転がされた。
その顔にも、姿にも、よく覚えがある。
枷で両手を戒められたその女は、見間違えるはずが無い。

 ナマエだ。
ナマエは、ヴァンジャンスにとって、大切で、信頼の置ける女であった。
少なくとも、このような、まるで大罪人のような扱いを受けるべきではない女であった。

 ナマエがステージに転がされた瞬間、群衆の興味はそちらに移ったらしい。
今の今までヴァンジャンスを英雄と称えていた群衆は、同じ口で汚ならしい言葉を吐き、ナマエを罵った。

 国賊だ、国の恥だと、並べ立てられた罵倒が、ナマエに襲いかかる。
物のように乱雑に扱われるナマエは、表情のひとつさえも動かさずに、口汚い言葉の全てを、その全身で受け止めていた。

 先に耐えられなくなったのは、ヴァンジャンスの方だった。
やめてくれと、ヴァンジャンスも叫んだ。

 しかし、ナマエを庇おうと駆け寄るより先に、ヴァンジャンスは行手を遮られ、動けなくなった。
ナマエとヴァンジャンスを隔てる彼らは、やはり表情を変えぬまま、彫像のようにヴァンジャンスを遮っている。

 彼らは、ヴァンジャンスがどれだけ叫んで懇願しても、一歩だってその場を動かない。
ヴァンジャンスが力の限りに押し退けようとしても、彼らの足裏はステージの床に固く固定されているのかと疑うほどに、彼らは退いてはくれなかった。

 女を殺せと、群衆の誰かが叫んだ。
女を殺せと、群衆の誰もが叫んだ。
ただ独り、ヴァンジャンスだけが、やめてくれと叫んでいた。

 やがて、ナマエは民衆の声と刑を執行する執行人に背を押され、死刑台へと登らされていく。
ナマエの元に駆け寄る術を奪われたヴァンジャンスは、叫ぶことしか出来ない。

 そうして、遂にその時は訪れた。
ヴァンジャンスの見ている前で、重量を伴った音を残しながら、ナマエの首めがけて刃が自由落下する。
その名を声の限りに叫んだ瞬間、最後の最期に、ナマエがヴァンジャンスの瞳を見たような気がした。

 ヴァンジャンスの目が確かだったなら、ナマエは確かに、ヴァンジャンスに笑いかけていた。
胸が詰まるほどに美しく悲しい微笑みを見た瞬間、ヴァンジャンスは思わず息を呑む。

 一瞬にも満たない微笑みがヴァンジャンスに向けられた次の瞬間、刃に斬り裂かれたナマエの首がごとりと落ちた。

 ナマエが処刑されたことにより、群衆は再び歓喜に包まれる。
ヴァンジャンスを英雄と呼ぶ声が、先程よりも興奮と熱気を帯びて、ヴァンジャンスを包む。

 その只中で、ヴァンジャンスは処刑台に置かれたままになっている、首の無いナマエの亡骸を呆然と見つめていた。
止まることを忘れたように流れ出た鮮血が、ステージを紅く紅く染めていく。

 ナマエを殺したギロチンの音が、最期の美しい微笑みが、ヴァンジャンスの五感にこびりついて、離れてくれなかった。

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