成り果てるは怪物
――こんな夢を見た。
空が、やけに近い。
手を伸ばせば届きそうだ、なんて錯覚するほどに近い空を見上げて、アスタはようやく、自分の足が地に着いていないことを悟った。
空を飛んでいれば、空が近いのも当然だろう。
魔力が一切無い為に、箒で空を飛ぶことさえ出来ないアスタは、まだ自力で空を飛ぶ感覚を知らない。
生まれて初めての感覚に、アスタは興奮が抑えられなかった。
魔力の無い自分が、箒や魔導具の手助けも借りずにどうやって空を縦横無尽に駆けているのか。
アスタの脳裏に疑問が掠めたのは、ほんの一瞬だ。
それ以上に、アスタは空を飛ぶという奇跡のような時間に溺れていた。
思った通りの方向に飛べなかったのは最初だけで、感覚でコントロールの方法を覚えてしまえば、アスタは本当に自由だった。
自由自在、縦横無尽に空を駆けて、一体どれほどの時間が経ったのだろう。
眼下に広がる大地に、アスタは見慣れた建造物を見た。
その特徴的な建物の外観を、アスタが見間違うはずが無い。
黒の暴牛のアジトだった。
アスタが空を飛べないことを知っている仲間達は、空を自由に飛ぶアスタを見て、何と言うだろうか。
期待に胸を膨らませて、アスタは黒の暴牛のアジトからほど近い森に降り立った。
このくらいの時間なら、きっとナマエが魔法の特訓をしているに違いない。
彼女ならきっと、アスタの成長を自分のことのように喜んでくれるだろう。
ナマエが何度も通ったのだろう、獣道にしてはしっかりと踏み固められた道を行けば、見慣れた人の姿が、こちらに背を向けて立っている。
アスタがナマエの名前を呼ぶよりも、森の中を歩いてきた足音に、彼女がごく自然な動きで振り返る方が早かった。
思いの外早く見つかってしまい、照れくささに苦笑するアスタとは対照的に、アスタを直視したナマエの双眸は、大きく見開かれていく。
恐怖を象った、尋常ではない表情に、流石のアスタも何かがおかしいと気が付いた。
「なあ、ナマエ、どうしたんだ?」
「嫌、来ないで!」
黒の暴牛で見た、どんな拒絶よりも激しい言葉に、アスタも思わず足を止めて、その場に立ち竦む。
その言葉を振り切って距離を詰めることなど許されないような、そんな気迫が、ナマエの短い言葉に宿っていた。
「ナマエ、オレだよ、アスタだって」
「私に近付かないで、化け物!」
とうとう、アスタは何も言えなくなった。
化け物だなんて、生まれてこの方一度も、言われたことが無かった。
何と返すのが正解なのか、アスタには分からない。
立ち尽くすだけで、踵を返すことも出来なかったアスタから、逃げようとしたのだろうか。
ナマエは恐怖に引き攣った表情もそのままに、森の更に深い場所へと駆け出していく。
「ナマエ! なあ、待ってくれって!」
遠ざかる背中に、手を伸ばす。
そうして目に飛び込んできた己の手の姿に、アスタは絶句した。
黒く隆起した表皮に、尖った長い爪。
人間の手とは思えぬ造形にぎょっとして、手を引っ込め、両手を揃えて見てみれば、もう片方の腕も、そっくり同じ姿をしていた。
胸の内を、じわじわと恐怖が侵蝕してくる。
嫌な汗を滲ませて、視線を徐々に移していく。
胸、腹を通って、足の先までを見下ろしてみたが、アスタの身体の全ては、腕と同じく人間とは到底思えない姿をしていた。
成程、確かに化け物だ。
全身から力が抜けて、ずるずるとその場にへたり込む。
アスタの唇から、自嘲が漏れた。
こんな手では、もうナマエに手を伸ばせない。
こんな姿では、もう黒の暴牛にも居られない。
いつの間にか怪物に成り果てていた己が、悲しくて、悔しくて、感情がアスタの胸中で渦を巻く。
こみ上げてくるそんな感情達を放出するように、空を仰いで声の限りに叫んでみても、アスタの鼓膜を震わせた己の慟哭は、怪物が咆哮する声にしか聞こえなかった。
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