花と成りしは白亜の愛
――こんな夢を見た。
ナマエが、椅子に品良く腰掛けて微笑んでいる。
シルヴァ家の屋敷に設えられた椅子は、王族御用達の職人が拵えた、華美な装飾が美しい逸品である。
とりわけ、ナマエには花の装飾が施された椅子がよく似合っていた。
椅子に似合う似合わないがあるのも妙な話だが、兎角ノゼルは、そういう疑問の類を覚えぬまま、ナマエに良く似合うと思った。
背もたれに硝子の彫刻が嵌め込まれた椅子は、中々見ない意匠をしているが、美しさは文句無しである。
シャンデリアの光を透かした硝子に照らされて、ナマエが浮かべる淡い微笑は、非常に儚く美しい。
「私、もう死ぬんです」
だから、そんな美しい女の口から聞こえたその言葉に、ノゼルは耳を疑った。
ナマエの頬は白く透き通っているが、そこに死期迫る病人の青さや土気色は無い。
ナマエの唇は薄紅を重ねてふっくらとしていたし、髪は艶やかに波打っていて、すこぶる健康的だ。
どれをとっても、死の気配など微塵も感じられなかった。
「もう、駄目みたいなんです」
ナマエは、一言たりとも、死にたくないとは言わなかった。
ただ、どこか諦観を滲ませた微苦笑で、もう死ぬのだと、数度繰り返した。
「もう、死ぬのか」
ナマエがそんな調子だから、ノゼルも大して取り乱すこと無く、そう問い返すことが出来た。
きっとナマエが死にたくないと錯乱して泣き叫んでいたなら、ノゼルだってもっと違うことを言えたのだろうが。
「もう、死ぬんです」
それでもナマエはそう返すのみで、ノゼルはどうにか出来ないかと思考を巡らせた。
だが、そもそもナマエがどういう原因で死んでしまうのか、とんと見当がつかない。
見当がつかないから、ノゼルの力ではどうしようも無かった。
「私が死んでも、どうかノゼル様のお側に居させて下さい。きっと、私はあなたの側に居ますから」
「分かっている。私は、オマエと生涯共に居ると決めているのだからな」
「……良かった」
ナマエのかんばせに、花が咲いた。
この世の何より美しいとさえ錯覚させるナマエの花笑みを、襟から伸びた蔦が覆う。
眼窩からは細い芽が顔を出し、頭蓋を突き破って枝すら生えてきた。
再三ナマエの口から死ぬとは繰り返し聞かされていたが、まさかこんな死になるとは思ってはいなかった。
驚き目を見張るノゼルの前で、ナマエの心臓から斜に生えてきた茎が、そっと首をもたげた。
重たげにふるりと揺れた茎は、先に大きな蕾をつけている。
蕾は、やがてノゼルに真っ直ぐ向き直ったまま、萼をゆっくりと開いてみせた。
一点の穢れも無い、白く美しい花弁が萼から溢れ出し、甘い香りを揺蕩わせている。
白百合の花だった。
涙よりも濃い、噎せ返るような感情の渦が溶けた甘露の雫が、花弁の先でくるくる踊る。
雫を指先で拭ってやれば、雫はノゼルの乾いた指先に染み込んで消えた。
硝子の彫刻が、陽光を反射し瞬いて、白百合の花をより鮮やかに輝かせる。
そうしてその時、ノゼルはこの椅子がナマエに似合うと感じた意味を悟った。
この椅子は、彼女にとっての花瓶なのだ。
ナマエに似合うのは、当然だったのだろう。
その心臓に、花として咲き誇る運命を抱えていたのなら、花の魅力をより引き立たせる花瓶が似合わぬ道理が無い。
白百合を掻き分け、血色を失ったナマエの唇に口付けを落とせば、鼻腔を穏やかな緑と土の匂いが満たした。
成程、これならずっと共に居られるだろう。
花と緑に彩られた女が、ノゼルの部屋、ひときわ陽当たりの良い窓際に腰を据えて目を閉じている。
それで、ノゼルは充分だった。
ナマエは決して約束を違えなかったのだから、ノゼルもまた、約束を違えること無く、物言わぬ花となったナマエを、心の奥底から愛している。
花と成り果てたノゼルの愛しい人は、今日も体温を失った肉体を植物に捧げ、永劫に枯れることの無い愛をノゼルに注ぎ続けている。
参考:夏目漱石『夢十夜』
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