甘くて苦い



 バレンタインの前日、レクスの自宅にある台所では甘い匂いが充満していた。
 木製の机の上には白い皿が二つ置いてある。片方には製菓用のチョコレートを溶かして丸く整形したトリュフが、もう片方には上にチョコがかけられたハートや星形のクッキーが綺麗に揃えられていた。近くにはハート柄の透明な小さなポリ袋と様々な色のリボンや、アルミ製のお弁当用のカップが並んでいる。
 オレンジ色のギンガムチェックのエプロンを身につけ、薄水色の三角巾を頭にかぶったアルスが両手を上げる。

「完成したっす!」

 アルスの隣には、紺色のエプロンを服の上から着ているレクスの姿があった。頭にかぶっていた三角巾を外し、アルスに声をかける。
 
「おつかれさん。上手に出来たな」
「先輩のおかげっす、ありがとうございますっす!」

 なぜ二人がお菓子作りをしているかというと、一週間前に遡る。
 アルスは、レクスにお菓子の作り方を教えて欲しいと頼んできた。理由を尋ねると、もうすぐバレンタインなのでいつも一緒に遊んでくれているギニュー特戦隊や先生であるセルにお礼チョコを渡したい。しかし、料理はできるがお菓子作りはまったくやった事がない。そこで、レクスの力を貸してほしいとお願いされた。
 断る理由も無いのでレクスは了承し、二人で一緒に作ることになった。

「どういたしまして。ギニューさんたちが喜んでくれるといいな」
「はい!」

 アルスは鼻歌を口ずさみながらトリュフをお弁当用のカップに入れ、ラッピングを始める。アルスの様子を見つめながら、レクスは微笑ましそうに微妙に口角を上げる。クッキーを透明のポリ袋の中へと詰めていき、リボンで上部分を縛っていく。

「そういえば、先輩」
「なんだ?」
「そのガトーショコラって、フューさんにあげる用っすか?」

 レクスのラッピングをしている手がピタリと止まる。クッキーとトリュフの横には十五センチサイズの四角いのガトーショコラが置いてあった。今は焼きたてなので、網の上で冷ましている。
 眉間に皺をよせながら、レクスはアルスの方へと顔を向ける。

「お前は本当、ストレートだな」
「友達にもオブラートに包めって言われるっす。オブラートって美味しいものっすか!?」
「食うものじゃなくて飲むものだけどな」
「そうなんっすか?」

 アルスは首をかしげる。この様子だとオブラートを知らないようだ、いつか見せてやろうとレクスは心に決めた。
 ツッコミを終え、レクスは軽くため息をつく。アルスに嘘を言っても見破られるだけだと思い、正直に話す事にした。

「そのとおり、あのガトーショコラはあいつにやる物だよ。お前やクラスさんに渡すのは、こっちのチョコクッキーだ」
「今食べてもいいですか?」
「駄目だ。明日まで我慢しろ」
「ちぇー」

 美味しそうなのに、と不満げに呟きながらアルスは口を尖らせた。子供のように拗ねているアルスを見て、レクスは苦笑を漏らしながら優しくポンポンと頭を叩いた。
 ラッピングが終わり、アルスはピンク色の紙袋に様々な色のリボンで縛ったトリュフを詰めていく。
 レクスはアルスを玄関まで見送る。アルスは靴を履き、靴入れの上に置いたピンク色の紙袋を片手で持つ。レクスの方へと顔と体を向けた。

「今日はご指導、ありがとうございましたっす! 先輩の分は明日渡しますね」
「あぁ、気をつけて帰れよ」
「はい! それじゃあ、失礼しますっす」

 アルスは一礼をした後、玄関のドアを開ける。
 玄関のドアを閉まるのを確認し、レクスは台所へと戻った。
 冷めたガトーショコラを四等分に切り、用意した白い箱の中へとつめていく。上に小さいナイロンを入れ、茶色の上げ蓋を重ねる。横に透明のテープを貼り、黒い包み紙で丁寧に包装する。金色のリボンを蝶々結びに整え、完成した。

「よしっと」

 外見的にも満足な出来上がりだ。ガトーショコラは前日に練習をし、ちゃんと味見したので大丈夫だ。
 問題があるのだとしたら、この箱をフューに渡せるかどうかだ。
 レクスはどうしようかと頭を捻る。普通に渡せばいいだけの話だが、それができたら悩む必要なんてない。
 まぁ、なんとかなるだろう。レクスは深く考えるのをやめ、本命チョコを冷蔵庫へとしまった。

 バレンタインが終わり、次の日の夜。
 レクスは自室のベッドでフューに押し倒されていた。

「どうしてこうなった」

 自宅にて。バレンタインにもらったチョコを消費するために食べていたら、チャイムの音が鳴り響いた。
 玄関のドアを開けると、眉間にしわを寄せたフューが立っていた。何か用かと尋ねても黙ったままだった。すると、フューは玄関で靴を脱ぎ、レクスの手首を掴んで無理矢理自室へと引っ張っていった。レクスは呆気にとられて抵抗できなかった。
 そして、今の状況に戻る。

「理由が思い当たらないって言わないよね?」
「おぅ……」

 ジトーっという音が聞こえそうなほど、フューは半目で睨んでくる。
 無論、原因はわかっている。
 それは、きのう作ったガトーショコラだ。
 当日になり、レクスはフューにチョコを渡すシミュレーションをしていた。しかし、どんな形であれ、想像のフューがからかってくる。そう考えると、照れ臭さと茶化されるのが悔しい気持ちの方が大きくなっていた。
 思案した結果、レクスは貰ったチョコが入った紙袋に箱を入れ、頼まれた物だと偽って渡した。

「なんで、嘘をついたの」
「ツンデレの気持ちを味わってみたかった」
「そういうふざけた言いわけはいいから」
「すまぬ」

 場をなごますための冗談が一蹴されてしまう。いつものフューならば、それなら仕方ないと言ってくれる所だが、今回は通じないようだ。
 理由を早く言えと言いたげな目に凝視され、レクスは観念したように正直に話した。

「手渡しするのが恥ずかしくなった、それだけだ」
「いくら何でも遠回しすぎない?」
「それな」

 フューが帰ったあと、レクスは素直になればよかったと少しだけ反省した。普段からフューへの態度の冷たさを自覚していたが、今回のようなイベントぐらいさらりと渡せればと悶々と考えていた。
 数分後には、目的が達成できたからいいかと開き直った。

「ボクが気付かなきゃどうしてたの」
「自業自得だから黙ってた」
「キミなら本当にやりそうだよね」

 フューは呆れた表情をする。フューの様子に、何に対して怒りを感じているのかレクスには分からなかった。
 アルスを見習い、ストレートにきいてみる事にした。

「怒ってるのか?」
「当たり前でしょ。無いって断言された時はショックだったし、期待してたのは本当だったんだよ」

 フューの発言に、レクスは少しだけ目を見開いた。
 バレンタインの当日。フューに話しかけようとすると、大人数の女子タイムパトローラーたちからチョコを貰っている姿を目撃した。笑顔でお礼を言っている姿を見て、その場を立ち去った。あんなに沢山あるなら、自分の分を与えなくてもいいのではないかという気持ちがあったのは、否定しない。
 それに、フューはコントン都のイベントに興味なさげだった。どんなイベントに対しても反応が薄く、それよりも実験が最優先のようだった。バレンタインもフューにとっては平日だから、もらえなくても気にしないだろうと予想していた。
 だが、予想と事実は違っていた。残念がらせてしまったことに罪悪感を覚え、レクスは謝罪をする。

「本当に悪かった。嘘をついてすまない」
「許さないよ。だから、こうする」
「へっ?」

 フューは片手でレクスの顎を持ち上げ、顔を急接近させる。
 二人の顔が重なる。

「んっ」

 ギシリとベッドの軋む音がなる。フューは顔の角度を変え、レクスの唇を啄んでいく。レクスは頬を赤らめ、瞼を閉じて抵抗せずにいた。二人の奏でるリップ音が、静かな部屋に響く。
 数分後、フューは顔を離した。
 次にレクスの頬へとキスをおとす。

「んっ。フュー、待て」
「待たない。嘘をついた責任はとってよ」

 止めるつもりはないようだ。こうなってしまっては、暴れてもムダだと悟る。元々は自分のくだらない嘘のせいだ。因果応報と考え、レクスはフューの行動を甘んじて受けとめる。
 ふと、フューが家に来たら聞こうと思っていたことがあった。

「なぁ」
「なに?」
「ガトーショコラ、どうだった?」

 フューはキスする動きを止め、レクスと目を合わせた。

「美味しかった。また食べたい」
「……そうか。お前の口に合うように作ったから、よかった」

 寝食を共にしているうちに、レックスはフューが好みそうな味を把握していた。今回作ったガトーショコラは、フューが好きそうな味にアレンジしたものだ。ほろ苦さよりも甘めの仕上がりにした。
 美味しかったと言われ、レクスは穏やかに微笑む。普段の無表情からはあまりみられない、嬉しそうな雰囲気をまとっていた。
 フューは数秒ほど呆然とした後、紫色の頬を赤く染め、悔しさが混じったような表情をする。次の瞬間、レクスの胸に顔を埋めた。
 突然の行動に、レクスは瞬きをする。

「どうした?」
「――キミのそういう所、ズルいよね」

 なにがだと言いたげに、レクスは首をかしげながら顔を顰める。フューは顔を上げずに、両腕を背中に回し抱きしめた。
 レクスはとりあえず、フューの頭を撫でることにした。






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