フューのお菓子な一日、或いはアルスの災難な一日(後編)



 置いてあった初心者でも簡単お菓子作りというタイトルの本を両手にもち、付箋の付いている丸くて焦茶色のチョコレートケーキの写真が載ったページをめくった。

「そんじゃ、自分が本の内容を読み上げていくんでフューさんはそれに従ってくださいね」
「はーい」

 本に書いてある内容を口にしていく。

 フューさんは指示通りにまずはココアとバター、牛乳を透明の耐熱器に入れてレンジで温め始める。
 二つ卵を割り、中の満月のような黄身と透明な白身をきちんと分けた。
 白身にはメレンゲ用の砂糖を投入し、電動泡立て器で白身はピンとつのが立つつややかなメレンゲに変える。そこに卵黄二個を混ぜると、メレンゲは薄黄色へと変化する。

 バターが溶けココアと牛乳の混ざった液体を投入して、ゴムベラで底から掬うように混ぜ合わせていく。あっと言う間にココアスポンジの生地が出来上がった。
(意外と手際いいっすね)
 キチンと手順どうりにしてるし、今の所は不安要素は存在していない。これならちゃんとした生地がつくれるだろう。

 視線を外した瞬間、液体を淹れる音がした。
 何だと思いつつフューさんに視線を戻すと片手には試験管を握っていて、生地には虹色の液体が浮かんでいた。それを何事も無かったかのようにゴムベラで混ぜている。
 自分は持っていた本をシンクの上に置き、フューさんに近寄って胸ぐらを掴み思いっきり引き寄せた。体型にフィットしていたが伸縮の効いた服なのか伸ばすことができた。

「おいコラ今何した?」
「何も?」
「うそつけぇ〜!! 今びちゃって音が聞こえたんだよ! マジで何した!」
「怪しい物じゃないよ? 最近作った強壮剤を注入してみたんだ」
「馬っ鹿じゃねーの!?」

 予想通りによく分からない薬を投入しやがった。生地を見ると、既に混ざってしまいもはや後戻り不可能な状態になっていた。

「……勿体無いから一回焼くっすよ」

 捨てたい気持ちもあったが、それでは材料が無駄になってしまう。きちんと味見してからだと判断した。
 数十分後、電子音が鳴り響き、スポンジが完成した。
 外見は普通のココアスポンジだ。悪臭はせず、甘い匂いがする。

「見た目はまぁ普通っすね……」

 問題は味だ、フューさんのとんでも薬品がどんなケーキにしてるのか。
 スポンジの切り分けずフォークで一口分掬い取り、口に含んだ。
 その瞬間。

「オロロロローー!!」

 地面に膝をつき、四つん這いのまま七色の吐瀉物を口からぶちかます。
 床を思いっきり汚してしまったが、迅速にお掃除ロボがやってきてモップを使って吐瀉物を清掃していく。床は一滴残らず綺麗に掃除された。。
 口元をロボが持ってきたハンカチで拭き、立ち上がった後フューさんに向かって怒鳴った。

「くっっっっそ不味いっす! なんっすか、この不味さ!! 舌がピリピリして、喉が飲み込むことを拒絶するし一瞬宇宙がみえたんっすけど!? 体力強化するどころか体力の大半持っていかれたっすよ!!」
「味はアレだけどちゃんと効果は証明されてるよ? ラットで試したら、痙攣してたけど後からムキムキに」
「クソ薬品だろ!! ラットに土下座しろ!!」

 どこに出しても恥ずかしい劇薬だった、薬を飲まされた実験用のラットが可哀想すぎた。彼か彼女かは知らないが、恐らく自分と同じように意識が宇宙に飛んで行き、あの世を渡り掛けただろう。
 ため息を付き、ココアスポンジを指す。

「勿体ないけど、これは捨てるっす」
「えー」
「えーじゃねぇ捨てろ!!」

 フューさんは不満そうにしながら、渋々とココアスポンジを生ごみ入れに処分した。
 それからは散々だった。計量が杜撰だったり、また変な薬を入れたり、スポンジが上手く膨らまなかったりと様々な失敗を五回ぐらいした。

 自分は五回目からツッコミ疲れてしまい、ロボの用意したパイプ椅子に座っている。背もたれに両腕を置き、顎を乗せてダレていた。
 フューさんは両手に持っている本ごしから、真っ黒焦げのスポンジを見つめている。

「おかしいなぁ、レシピ通りにしているのに上手くいかないや」
「主にあんたが余計なことしたりするからじゃないっすかぁ??」

 ここまでやっていて分かった、フューさんは絶望的にお菓子の才能がない。科学者だから細かい作業も得意だろうと思い込んでいた自分の浅はかさを呪いたい。むしろ、料理をロボや先輩に食べさせられている時点で察するべきだった。
 そろそろ止めよう。材料が勿体無いし、時間は無限じゃないからだ。

「ねー、フューさん。もう止め」
「嫌だ」

 はっきりと拒否をされて、少し驚いた。
 フューさんの性格からして、さっさと見切りをつけてお菓子作りを諦めるんじゃないかと予想してたからだ。何故なのか質問する。

「どうしてっすか? 先輩は既製品でも満足してくれると思うっすよ」
「……確かに。後輩ちゃんの言う通りだろうね」
「だったら」
「けどさ」
 
 自分の言葉を遮るように、フューさんは話を続ける。

「親友は毎回既製品じゃなくて手作りを作ってくれる。前にどうして手作りなのって聞いたんだ。親友だって既製品を渡した方が楽だろう? そしたらね」

『そうだなぁ……オレ自身そこまでお菓子作りを苦に思わないってのと――美味しいって言葉を貰えたのが、嬉しかったからだな』

「ボクは誰かのために何かを作成した経験が無いから、親友の気持ちが分からない。だけど、ボクも同じようにしたら親友は喜んでくれるかもしれない。だから、ボクも同じことを親友にしてあげたいんだ。それに失敗したのってまだ五回でしょ? 諦めるには早いしね」

 そういってフューさんは勝気な笑みを浮かべた。成功するまでやると言う意思を感じた。
 大切な人の笑顔がみたい、それは誰しもが抱く願いだ。
 自分だってそうだから。バレンタインデーにチョコを渡すのは、日頃の感謝の気持ちを伝えたいのと、ありがとうと微笑んでほしいからだ。

 本当は手助けしたくない。
 手伝いたくないけど、無視なんて出来なかった。
 私は片手で頭を掻きむしる。

「あ〜!! もう、仕方ないっすねぇ!」

 私はパイプ椅子から立ち上がり、本を手に取ってフューさんへと詰め寄る。

「さっきまではレシピ本を淡々と読んでただけっすけど、今からは細かい点も指示していくっす!」

 レシピ本に書いているのは作り方だ、失敗のポイントなどが書かれていない。私も初めての時は本通りにやったのにスポンジが膨らまなかったりしたが、先輩にコツなどを教えてもらって成功率が上がった。だから、フューさんにもコツを伝授する。

「先輩に喜ばせたいなら、自分の指示に従うっす! いいっすね!?」

 フューさんはぽかんとした表情で自分を凝視したのち、口角を上げながら頷いた。

「うん、分かった!」

 まずは卵や牛乳は常温にし、粉類などは誤差のないようにきっちり計量させた。お菓子は計量が命、少しの誤差も命取りだと先輩が念押ししていた。
 次に粉類を振るい、常温の卵と牛乳を使ってやり直していく。粉類を振るう理由は、卵などと混ぜるときにダマにならないようにらしい。
 今度はちゃんとした生地ができあがった。

「あとはオーブンに任せるっす」

 クッキングシートをひいた型に生地をいれ、空気抜きをした後、予熱したオーブンで焼いていく。
 外と中用のチョコクリームを作っていく。
 板チョコを切り刻み、耐熱ボウルに投入する。鍋に水を張って沸騰させ、上にチョコの入ったボウルを乗せて溶かしていく。チョコレートはトロッとした液体状になった。お湯から外し、生クリームを少しづつ加えていく。最後にハンドミキサーで混ぜ合わせ、もったりとしたチョコクリームが出来た。

 オーブンから電子音が鳴り響く。中を開けると、コゲ一つ無いココアスポンジが焼けていた。
 スポンジの粗熱を取って、爪楊枝を刺してスポンジを三等分する。
 生クリームを塗って挟んでを繰り返し、さいごの生クリームで外側を整えていく。
 残ったチョコクリームを搾り袋で絞っていき、板チョコをおろし金でけずって上部分を飾ったら。

「完成っす!」

 お店ぐらい、とは言わないけどなかなか立派なケーキが完成した。
 味見をする為に、フューさんと自分の分を切り分けた。
 丸くて白い皿に茶色のチョコケーキが映えて食欲が湧いてくる。チョコレートの甘い香りに促され、ケーキの先端をフォークで切りわけ食べる。

「うん、美味しい!」

 先に感想を口にしたのはフューさんだ、自分も首を動かして同意する。
 チョコスポンジのホロ若さとチョコ生クリームの甘さがバランスの取れている、甘すぎずされど苦すぎない味になった。
 これなら先輩の舌も唸らせられるだろう。

「大成功っすね! あとラッピングなんですけど」
「ああ、そこに関してはロボにやってもらうよ。彼の方が上手だし」

 やっぱロボを頼るんかいとツッコミたかったが止めた。これでラッピングに凝り始めたら絶っっ対時間がかかるだろうと予想したからだ。

 フューさんのケーキ作りも無事に終わったので、私は帰宅することにした。
 フューさんの研究室には玄関が存在しないので、空間転移ロボでコントン都に戻る準備をする。本来研究所に来るには、特別なロボに合言葉を言わなければ無理らしい。ちなみに知ってるのは先輩だけと、凄くどうでもいい情報までくれた。
 私はロボに、移動先をコントン都と入力する。

「はい、後輩ちゃん。これ」

 差し出された物を受け取る、上部分に持ち手がついていて少し厚めの紙素材のケーキボックスだった。
 これは何だろうと、フューさんに目を向ける。

「さっきのケーキだよ。ホイポイカプセルはバレンタインデー後で、すぐに渡すから」

 予想外の返答に、瞬きをする。

「……いいんっすか? 先輩のでしょ?」
「後輩ちゃんは今まで協力してくれたからね。それにバレンタインは感謝を贈るんでしょ? なら、持って帰ってよ」

 どうやら、このケーキはフューさんの感謝の印らしい、先輩用に作ったのに意外と律儀だ。断わるのもなんでか悪いので心よく頂こう。

「そこまで言うなら、ありがたく頂戴します。ただし来年は絶対手伝わないんでそのつもりで」
「えー、来年も手伝ってくれても良いじゃん」
「お断りですぅー!」

 舌を出して断固拒否してやる、長時間のお菓子作りは懲り懲りだ。フューさんは不満そうな表情でこちらをみつめてくるが無視してやる。

「じゃあ、自分はもう行くっす。先輩が喜ぶよう、健闘を祈るっすよ」
「うん、ありがとう。後輩ちゃん」

 転送機のボタンを押す。
 光に包まれ、目を開けると時の門前の風景が広がっていた。

「はぁっーーー、や〜っと解放された」

 思いっきり背伸びをする。辺りを見回すと、空は明るい水色ではなく黒色へと変わっている。小さい星や丸いお月さまが出ていて、辺りはすっかり夜に染まっている。お菓子作りをしている間に、相当時間が経ったようだ。
 さっさと家に帰ってゆっくり休もう。

 足を踏み出すと、こんな言葉が頭をよぎった。
(何か忘れてるような…………)
 腕を組んで頭を捻る。

 そもそも今日は何月何日だったか?
 今日は、二月十三日。バレンタイン前日だ。

「…………あっ、あーーーー!!」

 先輩達へのチョコだ、準備をしようとしている時にフューさんに捕まったことを思い出した。あの人のケーキ作りに夢中で記憶の彼方に放り出されてしまっていた。ガッデム!!
 舞空術を使って、急いでショップへと向かった。
 カウンターに居るショップロボに話しかけた。

「あ、あの、製菓用のチョコってまで残ってるっすか!? もしくは板チョコ!」
「申シ訳ゴザイマセン、全テ売リ切レテイマス。既製品ナラ余ッテル物ガアリマスヨ」

 ロボの言葉を聞き、愕然とした。
 そりゃあ今日はバレンタインの前日だ、明日に備えて準備している人が多いのは当然だった。一寸の望みが絶たれてしまった。これでは先輩たちのチョコを作れない上に、売れ残りのチョコしか渡せないじゃないか。
 頭の中から湧き出る怒りを発散させる為に、肺に大きく息を吸い込み叫んだ。

「ぜ〜〜〜ったい来年は手伝ってやらねぇからなぁ〜〜〜!!」

 来年お願いされても断わってやると心に誓ったのであった。






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