沢村妹と光舟


1

 面倒な奴に出くわした。
 そう心底思った。

 試合後。球場を出て、広い場所を探しながら歩いていると、勢いよく人にぶつかった。隣から拓の焦った声が聞こえた。
 俺自身、スタンドから眺めていた今日の試合を頭に流しながら前も見ず歩いていたのは自覚していたから、ぶつかったときは正直に「やってしまった」と自分の行動を後悔した。その上、ぶつかったのは中学生くらいの女。小柄だった彼女は尻餅をついていた。

「いってててて」
「…すみません、大丈夫ですか」

 そう声をかけると、女は顔を俯かせたまま右手の平を俺に見せて来た。心配ご無用といわんばかりに差し出されたその手を見て、俺は改めてもう一度謝ってからその場を去ろうとした、が。

「ちょちょちょっと!!」

 怒りを含んだ声が耳に入った。振り返ると、ぶつかった女が自分を悍ましそうに睨んでいるかと思えば、ズンズンとこちらへと歩み寄ってきた。

「あのね、男なんだから助けて下さいよ!!私、仮にも女!分かりますか、オ・ン・ナ!」
「……」
「あ〜イケないイケない、モテませんよそんな男の人!」

 ――面倒な奴に出くわした。
 女にぶつかった、というのは誤った表現で、正しいのはそっちだと思った。ピーピーうるさいところが、あの先輩にそっくりだ。
 なるべく面倒ごとに巻き込まれたくない上に、この女はスルーしても大丈夫だと俺の勘が告げているから、女を無視してそのまま歩みを進めようとすると、手首をがしりと掴まれた。…。

「なんで無視するんですか!!私、まだ用件言ってませんよね!!」

 用件なんてあったのか。随分と長い前置きだ。

「…何」
「青道野球部ですよね!!」
「…」
「沢村栄純はどこにおられますでしょうか!」

 俺はこの面倒な女に、更に面倒なことを突きつけられたのだった。


2


「フハハ!そうだろうそうだろう、カッコよかっただろう!」
「うん!さっすがだよ、ほんと!」
「あ〜なんてお前は良いやつなんだ〜!」

 楽しそうに二人の世界に浸りこんでいるのは、あのうるさい先輩(沢村)と先ほどぶつかった女だ。

「まさか沢村先輩に妹がいたなんて、意外だよなぁ」
「…」

 拓の言葉に、心の中で共感した。
 確かに、犬みたいな癖っ毛の茶髪だとか、くりくりした少し吊りめな目とか、何よりあの僅かな時間でも分かるほどの五月蝿さとしつこさをみれば、あの人の妹だといわれても違和感は全くなかった。

「何歳だろうな?光舟はどんくらいに見える?」
「…中1くらいじゃないか?」
「いーや、お前らと同じ高1だぞ」

 突然、拓とは違う声が会話に挟まった。声に振り返れば、その人はいた。御幸一也先輩。
 どうやらこの人は、あの沢村先輩の妹について知ってるようだった。

「高1!?…には全然見えないっすね」
「だよな。その上子供っぽいし。あの通り、兄ちゃんにべったりだから余計にな。ま、兄貴の方もなかなか溺愛だけど」
「先輩たちの中ではあの妹さん、有名なんすか?」
「ま、有名も何も、名前ちゃん2ヶ月に1回くらいのペースで青道来てっからなー」

 名前。 沢村名前っていうのか。

「わざわざ長野から1人で電車で来てんだとよ。始発乗って5時間かけて」
「5時間!?」
「そ、5時間。もちろん片道な」

 拓と先輩の会話に、思わず目を丸めた。
 あの女が俺たちと同じ年だったということ。あと、あの人の地元が長野だったのかと知ると同時にあの女がその長野からここへ5時間かけて来ているということ。言分からみるに、きっと彼女は兄の試合や練習姿を見るためだけにここへ来てるんだろう。それらは、俺にとって驚きの事実だった。

「長野から5時間かけてくる妹、しかもあのキャラってなれば、青道野球部の中じゃ知られた存在って訳だ」

 現に彼女は今、他の先輩とも楽しそうに談笑している。

「すごいっすね……」
「ま、そこまでくると尊敬に値するよな――っと、噂をすれば」

 御幸先輩が話を止めた。ひらひらと手を振る方に俺も拓も振り向くと、あの女が「御幸せんっぱーい!」と、見えない尻尾を振りながらキラキラした目でこちらへ駆け寄ってきた。思わず顔を逸らす。

「久しぶりです、御幸センパイ!」
「おー、久しぶり。高校入学おめでとさん」
「えへへ、ありがとうございやす!」

 口調もあの人にそっくりだ。

「高校生活どんな感じ?」
「えーっと… 新しい感じ!」
「はっはっはっ、そりゃそうだけど。高校で新しい友達できてるか?」
「えへへー、そう見える?楽しそう?」
「おー、見える見える」」

 そういって御幸先輩が彼女の頭をぽんぽんと撫でると、2人とも顔をくしゃりと緩ませる。先ほど、沢村先輩の妹への溺愛ぶりをこの人が指摘していたけど、この人もなかなかだと思うのは俺だけなのか。…。

「あっ!!」

 彼女が大きな声を上げ、何事かと俺は顔を上げた。すると、御幸先輩の後ろにいた俺の存在に気付いたのか、俺を指差し口をあんぐりと開けていた。指を差されることに不快感を覚えながら、無言で俺は彼女を見つめた。

「ん? 奥村と知り合いか?」
「えっと…さっき色々あって!」

 ね、と俺に目配せし、さり気に振ってくるこの女に内心呆れながら、こちらに視線を向けた御幸先輩に口を開いた。

「…さっき、少しぶつかってしまって、その詫びに沢村先輩のところに案内しただけです」
「そうそう! 意外と優しかったんです、この方!」

 ね、と再び目配せしてきた彼女から俺は目を逸らした。

「おーい、名前!」

 ちょうどそのとき、沢村先輩もこちらへ駆け寄ってきた。

「御幸キャップ!うちの名前に何もしてないっすよね!!」
「してねーっつの。むしろコイツが手出してた」

 御幸先輩が指差していたのは間違いなく俺で、思わず目を見開いた。何を言っているんだ、この人は。

「なんだと奥村少年!!?」
「ははは…」

 拓の労りの笑い声が隣から聞こえて、文句のひとつやふたつ言ってやろうかと思っていたのを止めた。兄貴も妹も面倒だ。

「あ、監督さんたちだよ!」

 彼女につられるように、球場の出入口を見ると監督やコーチたちが出てきていた。

「もう学校に帰るんだよね?」
「ああ、そうだなー… 名前はもう帰っちゃうか?」
「明日は学校だからね、残念だけどさ」

 そうか、これから彼女は5時間かけて帰らなければないのか。今から帰っても、家につくのは夜の8時過ぎだ。

「でもねでもね、お年玉だって残ってるし、バイトも出来るようになったから!月に2回くらいは来ちゃうかもね!」
「そーかそーか!…んじゃ、兄ちゃん楽しみにしてんな!」
「うん!」

 一見、仲睦まじい兄妹の会話にも聞こえるが、どことなく違和感があった。
どうしてそこまで、兄に会いにくるのか。仲が良い、応援をしているとはいえ、長野と決して近くはないところから。しかも、まるでお金は一切他の目的には使わず、ここへ来るためだけに常に残しているような、そんな言い草――さすがに、行き過ぎなんじゃないのか。それは、俺だけでなく拓も同じ気持ちらしく、首を傾げていた。

 ――変な奴。

「それじゃあ、」

 そう、純粋に思った。

「また来ます!」

 沢村先輩に手を振り、続いて御幸先輩に。
 そして、俺に視線を向けた。

「申し遅れました!」
「私は沢村名前です!」
「あなたの名前を、ぜひ教えてください!」

 ニカっ、と効果音がつくくらいの笑顔を向けて、彼女は俺に右手を伸ばした。柄にもなく俺は、謎めいた彼女のその、白くて、小さな手を、握った。

「奥村光舟」

 それ以外何も付け足さず、淡々と口にすれば彼女は目を丸くさせたのち、ふんわりと笑った。思わず、柔く握りしめていた手に力が入った。

 なにか不思議な場所に足を踏み入れたような、むず痒くて、少し苦しい、そんな感覚を。

 このときに、初めて覚えた。


3


 例えば、昼食を食べているとき。授業中、板書を書き終えたとき。夜、沢村先輩が電話している姿を見たとき。

 騒がしくて、落ち着きがなくて、うるさくて、まるで犬みたいなあの女が、度々と頭の中に浮かんでは消えていった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 その日の部活が終わり、夕食・入浴後。
 今日も御幸先輩の部屋――もとい俺も過ごしている部屋に、投手陣や捕手陣が数名集まって、御幸先輩から野球について更に奥深く教わる教室が開かれていた。
 しかし、今日はいつも身を乗り出すようにして御幸先輩の話を聞いていたあの人―沢村先輩の姿がないことに気付く。とその瞬間、先輩に何か飲み物を買って来いと命令され、俺は渋々とした面持ちを隠して、部屋を出た。


「―――んで、俺が御幸先輩の構えたとこにズバーッ!て決めたんだ!いやあ、あんときのあの人の顔っていったら!」

 足を進めるにつれ聞こえていた声は、自販機の隣にあるベンチが発信源だった。もうさすがに声を聞くだけで誰なのか特定してしまう辺り、俺の中でこの人のことがしっかりとインプットされてることなんだと思う。

「それでだな、そのあと…」

 更に自販機に近付くと、電話をしていた張本人――沢村先輩が俺の存在に気が付いた。大声で俺の名を呼ぶんじゃないのだろうか。そう心配もしたが、それは杞憂だった。目を少し開き、携帯を手にしていない反対の手を軽く上げ、ニっと先輩は笑う。そしてすぐに、携帯の相手との会話に戻る。それほど、彼は“彼女”との時間を大切にしているようにみえた。

 一方、その沢村先輩の電話の相手がすぐさま予測できる俺も奇妙に思えた。

 俺は沢村先輩から目を外し、自販機に立ち向かう。頼まれていた飲み物を人数分ちょうど購入し終えたとき、電話の相手に急用が出来たのか、慌ただしくその電話は楽しげな雰囲気を残したまま終わった。

「――はーぁ、」

 すると、沢村先輩が何やら掴み所のない、らしくないため息を零した。思わずそちらへ振り向いてしまう。

「らしくないですね」
「んー、奥村少年まだいたのか」
「…?」
「っつーか、何処がらしくないんだ?俺はいつも通りだぞ!?」

 そういわれれば、いつも通りのうるささとしつこさではあるけれど。しかし、先ほどのため息はやっぱり引っかかる。
 ――あの女に、何かあったのか?
 そこまで考えて俺は思わず内心笑ってしまった。考えすぎだ。たかがあの日、数十分しか顔を合わせていないというのに。俺の頭の中に勝手に彼女が出てくるだけだというのに。

「さっき妹と電話してたんだよ」
「はい」
「やっぱ妹は良いぞー、俺の元気の源だ!」
「…シスコンなんですか」
「なっ、妹思いって言え!!!」

 そう。
 たかがそれくらい程度の仲なのに。


@没

沢村妹と奥村少年のお話。
act2が始まって1年くらい…2017年初めくらいに書き始めたものなので光舟の口調も先輩への態度も呼び方もまだいまいち分かっていない状況で執筆していたので今思うと違和感が!すごい!確か試合も春大4回戦?準々決勝?くらいまでしか進んでなかった気がするので話も思うように進めなかったので没になった気がする。
続きどうなるだろう…うーん…ただ今私が密かに設定構成などを書いてるのは御幸妹と奥村とのお話です。え?

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