もうひとつのzoccon


1

「はっ、はっ、はっ……」

 無我夢中で、走っていた。
 この、果てのない広大なハイラル平原を。

 走り続けてもうどのくらい経ったのかなんて考える余裕は、今の私には微塵も存在しない。ただ、今にも張り裂けそうなくらいの痛みが足の裏を刺していること、何度も疲労から足が絡まり転んでしまいそうになっていたこと、そして息がとっくに切れ、なけなしの呼吸で走っているため意味が分からないくらい苦しく辛いこと。それだけは確かだった。

 そんな中、足は止めずに走りながら私は頭だけを振り返らせた。そこには他でもない私を必死に追いかけ回す奴らの姿が映り込む。先ほどより距離がほんの少し縮まっている気がして、思わずゾっとした。私は急いで前へと振り向き直し、程なくして限界に達するであろう足の回転を死に物狂いで更に加速させた。しかし、その無理やりが良くなかったのは言うまでもない。

「――きゃっ!」

 覚束なかった足は見事に絡まってしまって、私は無残なことにその場へと転んでしまった。膝が地面に擦れ、その個所から痛みがじんわりと広がる。早く立たないと。立たないといけないのに。もはや感覚がなくなってしまっている足に命じても意味はないに等しく、ピクリとも動くことはなかった。腰が抜けてしまっている。恐怖、不甲斐なさ、情けなさ、救いようのない痛み――全てが入り混じって、涙腺が緩むのが分かった。


 どうして、こうなったんだろう。


 私はただ、彼に会いたかっただけなのに。彼に会いに行こうとしていただけなのに。私が愛しくて堪らない、大切な彼の顔を一目でも見たかっただけ、だったのに。
 神は私をお捨てになられたのだろうか。いや、そんなことを自問しても仕方がない。これは自業自得だった。私がちゃんとしっかりお父さんとお母さんのいうことを聞いていれば、こんなことにはならなかったのだ。

 けれど、今更悔いても遅い。きっとこれが私の運命だったのだ。そう自分自身に納得させる他なかった。


 始まりは、一通の手紙だった。

 私はハイラル城下町にてクスリ屋を経営している一家の一人娘だった。年はもう少しで十七になる。日中は両親の仕事を手伝ったり家事をしたり、年相応に友だちとお茶をしながら談笑したり。毎日何の変哲もない、だけどすごく幸せで充実した日々を送っていた。

 けれど、ほんの少し前のこと。
 空が不気味な美しさを感じさせる黄昏に染まったかと思えば、突如ハイラル城が得体の知れぬ結界で封じ込められたのだ。
 それからというもの、このハイラル平原に気味の悪い魔物が次々に溢れかえった。見たこともない、恐ろしくて、おぞましい魔物たちが。そのため城下町に住む人々はみんな町から出れずにいた。更には、この近くでゾーラ族の子が倒れたとかいう奇妙な噂も流れていたし、とにかく私たちは非日常な日々を過ごすことを強いられていたのだ。

 しかし、これまた忽然と。ある日を境に城下町を覆う黄昏は消え去り、美しい青空が広がるようになったのだ。人々はそれを大いに喜んだ。ハイラル城がまだ不気味な結界に封じ込められているのは気掛かりで仕方ないけれど。ゼルダ姫は無事なのだろうか。とはいえ私とて、なんだか神に振り回されているような気がして堪らなかったけれど、それ以上に元の日常が戻ってきたことは嬉しかった。なぜなら、どうしたことか空が黄昏に染まっていた時、ウチのメインターゲットでもある旅人や騎士さんたちがなかなか店に入らなかったため、商売のしの字も無かったのだ。だからようやく店に客が戻ってきたし仕事も元通りに出来るようになってきたし、良かったなと安心していた頃だった。

 一通の――彼からの手紙が届いたのは。

『名前、げんき? ボクはげんきだよ。

 ボクはいま、カカリコむらにいるよ。

 さいきん、まものたちがいっぱいだけど、名前はだいじょうぶだった?
 ボクは、いろいろあったけど、なんとかだいじょうぶだよ。

 でも、なんだか、すごくさみしいんだ。

 ねえ、名前。
 ボク、いま名前に、すごくあいたいよ。』

 たどたどしい字で書かれたそれを見て私が動き出すのに時間はもはや要らなかった。いや、こんな手紙をもらって動かない訳がない。彼の元へ会いに行きたい。いや、会いにいかなくちゃならない。私は手に持っていた一枚の手紙を読んで、そう決意した。


「カカリコ村に、行こうと思うの。……というか、行ってきます」

 彼から貰った手紙を差し出しながら、両親へそう報告をした瞬間。まず始めに父親の「バッカもーーーーん!!」という大きな怒声が家かつ店に響き渡った。母親には溜息を吐かれ、店にいたお客さんからは何事だという視線を向けられる。父親の言い分はこうだ。「まだ外は魔物がうじゃうじゃと溢れかえっている。そんな中、カカリコ村まで? しかも何の武器も扱えない、馬にも乗れねえお前が? バッカもーーーん!」遂には頭に拳骨をお見舞いされてしまった。

 こうなれば私がどう言ってもお父さんが納得してくれないことは明白だったから、常連の騎士さんに強請って弓矢を貰った。剣とかは扱えないだろうけど、弓ならきっと私でも扱えるはずだから。正直、親戚の剣士さんに付き添ってもらうのが一番安泰なんだけれど――生憎、最近とても忙しそうにしているからそんな頼みもできない。ちなみに、その親戚の剣士とは手紙を書いた主と父親にあたる。つまり、手紙の主は私のいとこだ。

 弓と地図を構え、大きめのかばんに手紙を書いてくれた彼が好きだった食べ物を詰め込む。そんな私を見てお父さんから「勝手にしろ」と半ば投げやりなお許しを頂き、お母さんには「死んじゃダメよ、あんな場所は叫んでも助けなんて来ないんだから。自分の身は自分で守るのよ。あなたはドジで間抜けなんだから……わかった? 約束よ」と、お守りをくれた。大袈裟だなあ、と呑気に笑っていた私はこの後まさか絶望的な悲劇が襲いかかるなんて知る由もなかった。


 動きやすい靴に履き替えて、地図を見て、位置を確認。現在地から南東の位置にあるカカリコ村には、まずはオルディン地方へ赴かなければいけない。恐らく目的地にはスムーズにいっても徒歩では半日はかかるだろう。気を引き締めて、いざ出発。
 
 運が良いのか魔物とも全く出くわさず、遭遇しても気付かれることなく、休憩を挟みながらおよそ半分までの距離まで辿り着いた。順調だな、なんて思っていたときだった。

「――!!」

 一体のボコブリンと目が合った、気がした。
 私は弾かれるように近くにあった岩へ隠れる。どうしよう、絶対にバレた。一度バレてしまえば隠れる行動に意味はもはやなくて、覗き込むように確認すると奴が仲間を率いてこちらへジリジリと駆け寄ってくるのが見えた。ここはもう……逃げるしかない!
 私は勢いよく地を蹴って走り出した。
 
 微かな希望を抱きながら現在の状況を把握しようと、足を止めずに顔だけ後ろへ振り返らせる。そこに映ったのは、ボコブリンたち魔物の群れが見つけた獲物――即ちこの私を爛々とした目で追いかけてきている光景だった。
 それは、走ってから――いや、逃げ始めてからはずっと変わらない光景だった。魔物たちが私のことを諦めてくれたり、他に違うターゲットを見つけたりだとかそういう展開には一縷の希望をかけても成らず、ただひたすら私は魔物の群れに追いかけられていた。奴らがそう易々とは諦めてくれるはずなんて無かったのは分かっていたけれど、それでも願わずにはいられない。体力的にも限界を迎えようとしている私は、このままでは埒があかないと感じていたのだ。

 走りながら、背負っていた弓を手に取り矢をセッティングする。私が唯一所持している武器だ。こういうときに使わなければ、いつ使うというのだろう。走りながら奴ら魔物の群れを射抜くなんて器用なことは出来ないのは分かりきっているけれど、やるしかない。

 人生初めての弓矢でボコブリンたちに狙いを定めた。まさかこんなことになるのは思ってなかったから練習という練習もしていないけれど――ここは一か八かで。構えた弓を放すと、ピュン!という音を立てて矢は凄まじいスピードで飛んで行く。しかし、定めているポイントへは大きく外れ矢は無残にもボコブリンたちの目の前で落ちた。あれ?

 ――ピュン、ピュン!

 それからというもの、弓矢を連射してみるけれど攻撃どころか威嚇や牽制にもならなくて。

「……つ、次こそ……」

 再び弓矢は構えようとしたが、矢が無い。カバンの中にも無い。……無い。どうやら魔物に当たることもなく全部使い果たしてしまったようで、弓は完全に使い物にならなくなってしまったことを悟った。もしかすると弓矢って、剣よりも扱うのが難しかったのかもしれないと気付くのも時既に遅し。そこからはもう、私はこの絶望的な状況を打開する案が一つも浮かびやしなかった。そして、ただただ逃げることしか出来なくなってしまったのだ―――


 ―――そして、冒頭に至る。

 その場へ転び、立ち上がれなくなってしまった私の今の状況を言葉で表すならば、絶対絶命だろうか。そんな生温いものでもない気がする、と私は死を覚悟する間際でぼんやりと考えていた。

「……っ、」

 私を追う足音たちが、すぐ近くでピタリと止んだ。にじむ視界を見上げれば、今の状況が嫌でも分かる。
 ここまでだ。そう言わんばかりに奴らは私を囲み、満足げに見下ろした。
 
 お父さん、ごめんなさい。あなたの言う通り、あなたの娘は本当に馬鹿者でした。
 お母さん、ごめんなさい。せっかくお守りまでくれたのに。あなたの言う通り、私は弓矢も使えない間抜けだった。約束も守れなくて、ごめんなさい。

 ひとつ、今の状況に我儘と文句を言わせてもらうなら、せめて、そう、せめて彼に会わせてから死なせて欲しかった。これじゃあ外に出てきた目的も果たさず、ただ死んじゃうだけじゃない。ねえボコブリンさん、一体どこから食べるの? 頭? 足? 私なんて食べてもきっと美味しくないわ。

 一番近くにいたボコブリンが荒く呼吸をしながらじゅるりと涎を吸い取った。なんと下品な音だろう。そのまま奴は手にしていた武器を私に向かって大きく振りかざした。ああ、もう、本当に終わりだ。

 その瞬間、私はぎゅっと目を閉じて真っ暗な世界へ逃げた。痛みはあるのだろうか、痛みに悶えながら死ぬのだろうか。それともすぐに死んでしまうのだろうか。出来ることならそちらを私は望みたい。ああお父さん、お母さん、今までありがとう。不束な娘でごめんなさい。私の愛する彼、会いに行けなくてごめんね。最後に心の中でそう懺悔しながら私は全てを諦観した。



2



「………」

 身構えていたような痛みは何も感じない。どういうことだろう。もしかして、まさか。私はもう死んでしまった? 優しいボコブリン様が私に気を遣って即死させてくれた? 一体どこから食べられたんだろう。やっぱり頭? 脳みそって色々と詰まっていて、確かに一番美味しそうだものね。悪趣味なこと。

 今目を開いたら、きっと美しい景色が広がる天国の世界にいるかもしれない。もうここまできてしまったのなら、私は天国からこの世界を見守ることにしよう。天国からお父さんとお母さんに謝って、二人が幸せに暮らせるように見守ろう。そして何より、あの手紙を書いてくれた愛しい彼に会いに行こう。ああ、彼は悲しむだろうな。自分に会いに来て、死なれるなんて。ごめんね、こんな情けない奴で……私が一番分かってるんだよ。

 自分自身の行動を何度も悔やみながら一人思いにふけた。しかし、そのとき真っ暗な世界に「ギュエッ!」という天国には似つかない化け物のような鳴き声が近くから聞こえた。まさか、天国にまで魔物がいるのだろうか。今のはボコブリンの声に違いない。憎きボコブリン。なるほど、あの世でも追いかけっこは続くって訳ね。ならば逃げないと。

 そう決意して目を開いた瞬間。
 そこに広がっていたのは美しい天国の景色を背景にしたボコブリン――ではなく、死ぬ前の世界の景色を背景に、泡を吹いて倒れるボコブリンの姿だった。

 はて?

 何事だと考えながら、ゆっくり、恐る恐ると顔を上げてみる。するとそこには緑衣をまとった端正な顔持ちの男の人が、剣を握っていた。その剣の矛先は、ボコブリンの群れ。男の人(とても美男子)は私を守るように、じりじりと目の前に詰め寄って、私に背後を向けるようにボコブリンたちと敵対した。

 思考回路が停止する中、ボコブリンたちが仲間を倒されてしまったことへの怒りで興奮し、一斉に美剣士さんへと襲いかかった。

「っ、」

 あぶない! そう叫ぼうと思っても声は思うように出なかった。ボコブリンの凶器である棍棒が美剣士さんにへと振りかざされる。恐怖で目を瞑りたい衝動に陥っていたけど、その後の瞬く間の光景に私はそれをすることすらも忘れてしまっていた。

 美剣士さんは、ボコブリンが襲いかかってくることにも怯むことなく冷静に奴らを見定めてから、剣を巧みに振るった。そして、ボコブリンの群れを器用に一体ずつ倒していく。複数で襲いかかられているのに、しっかりと周りの状況を把握しながら、更には私のことまで視野に入れて戦っている。そんなことが出来るスーパーマンでヒーローで勇者様みたいな方なんて、この世界に存在するんだ、なんて目の前で繰り広げられている光景を眺めながら他人事のように考える。もしかすると本当にここは天国の世界で、そして強すぎて格好良い美剣士が現れて私を助けてけれるという都合の良い夢を見せてくれているのかもしれないと思っていると、ボコブリンの棍棒の破片が頭に飛んできて小さな痛みが広がり、一瞬で現実世界に戻された。

 そうこうして、ボコブリン最後の一体に「はぁっ!」と勇ましい雄叫びをあげてトドメを刺した美剣士さん。あっという間に一体残らず確実に退治した美剣士さん、いや勇者様。すごい、と圧倒されている私をよそに彼はふう、と一息吐いてからこれまた器用に剣をくるくると回しながら背の鞘にそれを収めた。そんな様子までサマになっている。なんて格好良いんだろう。そしてこちらに振り返って、放心状態の私に歩み寄ってきては目線を合わせるように、私の目の前で跪いた。

「怪我は?」

 ふるふる。思考も正常に働いていなくて、私は無口な幼児のように首を横に振ることしか出来ない。けれど、目の前にいる勇者様は私のその返答を聞いてホッと安堵したように厳しい表情を解いた。

「……良かった」

 そして、すごく優しい顔をこちらに向けた彼を見て、私も徐々に現実を飲み込めたような気がした。あれ、もしかして。

「……わ、わたし、……死んでない?」

 恐る恐る目の前の彼に尋ねると、きょとんと目を丸くさせてからこくりと彼は頷いた。

「ああ、無事だよ」

 そういって、私をこれ以上危機はあるまいと安心させるために、勇者様は柔らかい笑みを浮かべた。その瞬間、心臓を強く掴まれたような感覚に陥った。そして、つい先ほどまで想像していたような天国の世界が彼の背後には見えたような気がした。

 勇者様を見ていると、胸の鼓動がドクドクと忙しない。地に跪くその体制はまるで王子様のようで、おこがましいことに私はお姫様なのではないかと勘違いしてしまう。よくよく考えれば、お顔の距離も少し近い。それを意識すると再び心臓がきゅっと痛くなった。あ、ああ、これはもしや。私はその端正な顔に、凛々しい表情に、美しく透き通ったその碧眼に、

「もう、大丈夫」

 一目で心を奪われた。




 しばらくお互いを見つめ合ったまま続いた沈黙。早くお礼を言わなくちゃならないのに、未だにボコブリンに襲われていたことの恐怖心の余韻が残っているのか、はたまた目の前にいる勇者様にどっぷり見惚れてしまっているせいか、なかなか言葉が出てこなかった。しかしそんな空気を終わらせたのは、他でもないどこか不思議そうに私のことを見つめていた勇者様だった。

「………どうか、したか?」
「へ」
「いや、俺の方をぼうっと見てたから……」
「えっ!? あっごごめんなさい! すごくあの、なんていうか、格好良いなあっていうかお顔が綺麗だなあって思ったというか……」
「……」
「ハッ!」

 息を飲んだそのときには、勇者様は目を丸くさせていた。口もぽかんと空いている。私はつーっと冷や汗が額から頬に伝い流れた。あれ、私今すごいことを言った気がする。

「わっ、あの、その、さっきのは忘れ
てください……」

 私のその言葉に、勇者様も少し困惑したように「あぁ…」と返した。私、なんてことを言ったんだろう。いや決して失礼なことは申してないけれど、絶対に気味が悪いと思われたような気がする。いや、私だったら思う。思わず落胆で肩を下げそうになったけれど、それよりも先にやるべきことがあって私は俯かせていたその顔を上げて勇者様の美しさ碧眼を真っ直ぐに眺めた。

「……あのっ」
「ん?」
「こんな私を。助けてくれてありがとうございました。あなたは命の恩人です、勇者様です……本当に」

 勇者様が来てくれなければ、きっと私は今頃ボコブリンの餌となり、そのままあの世へこっくり逝っていたに違いない。御礼深くしみじみと頭を下げると、勇者様は「間に合ってよかったよ」と優しく微笑む。その笑顔を見てまた私は心臓を鷲掴みされた。

「ん」

 すると突然、勇者様が手を差し伸べられたかと思えばそのまま私の手を取った。なんて紳士な方、とうっとりしながら私も彼のご厚意に甘えてその手を頼りに立ち上がろうとする。が、なかなかその腰が上がらない。それどころかへろへろと力が抜けていくばかり。なんてこった。…腰が抜けてしまっている。

「立てるか?」
「あ、えっと、その」
「……?」
「……こ、腰が、抜けちゃって、あはは」

 最悪だ。嫁入り前のおなごが初対面の方に、しかも命の恩人にこんな醜態をみせるなんて。自己嫌悪に駆られながら、勇者様に私のことは放ってどうぞお先へ進みくださいと言おうとしたそのとき。

 勇者様は、ふっと優しい笑みを浮かべて私の手を強い力で持ち上げた。その引力に抵抗することもなく私は立ち上がらせられる。だけど、腰が抜けてしまっているから上手くバランスが取れなくて、あろうことか勇者様に倒れて込んでしまった。しかし、さすがは勇者様。即座に私を受け止めるように支えてくれて「大丈夫か?」とまた優しい声色で私の様子を尋ねた。わ、わ、わ…近い。高速で首を縦に振って私は彼から離れたけれど、まだ腰が抜けてしまっているのか下半身に力が入らない。そんな私を見かねて、また勇者様は私のことを支えてくれた。……紳士で男らしくて、中身も外見も勇者様だなんて。

「それにしても、一体どうしてこんなところに一人で……」

 周りをきょろきょろと見渡しながら私に同行者がいないことを確かめる彼を見て、そうだよね、と心の中でぼやいた。きっと誰しもが思うのだろう、こんな平原のど真ん中で女一人でいるなんて一体何を考えているんだと。それは重々承知している。だって、家を出る前に散々お父さんに怒鳴られたんだから。さすがの勇者様にも訳を話せばきっと呆れられる。だって本人である私が一番呆れているんだもの。

「……実は、会いたい人がいて」
「? その人の元へ向かっていたのか」
「はい」
「それはどこなんだ?」
「えっと……カカリコ村に」

 私の口から目的地の名前を聞くと、勇者様は少し驚いていた。どうしてだろう? 勇者様は何か考える素振りをしながら「カカリコ村には今他の住人はいないはず…」とかぶつぶつ呟いていた。恐らく心の中の声が漏れてしまっているのだろうが、あえて私は気付いてない振りをすることにした。

 すると、勇者様は私の顔をまた真っ直ぐに見つめた。そして私の予想もしていないような言葉を投げかけた。

「それじゃあ、カカリコ村まで送るよ」
「えっ!? そんな、大丈夫ですよ!」
「いや。君一人だとまた危ないから」

 苦笑いする勇者様のお顔を私はだんまりと眺めた。この人は……な、なんて。

 なんて、優しい人なんだろう。

 普通、「もう気をつけろよ」といって別れるものなのに。この勇者様は「一緒に行くよ」って。そんな気を遣ってくれる人、この世に存在するのか? 私みたいな自分から死に向かっていたようなド阿保に優しくしてくれる人なんているなんて。ああ、もうだめ、勇者様が見えない。輝きすぎて眩しいもの。

 すると、勇者様は少し離れたところにいた馬を手招きした。そして「こいつは俺の愛馬なんだ」と紹介してくれた。そっか。やっぱり勇者様も馬を持っているよね、そうだよね。普通に考えてこんな広い平野を徒歩で移動する馬鹿なんていないよね。
 
 勇者様は身軽に颯爽と愛馬に乗った。それすらも格好良い。ぼうっと見惚れていると、勇者様がまた私に手を差し伸べた。

「ほら」
「えっ?」
「捕まって」

 勇者様の言う通り、そっと彼の手に自分の手を重ねた。「ここに足をかけて」「そのまま片足で」勇者様が教えてくれるひとつひとつの手順に頷きながら言われるがまま愛馬にしがみつく。そして、あともう一踏ん張りというところで掴まれていた手を勇者様によって引っ張られ私はそのまま馬に乗り込むことに成功した。
 すごい。意外と馬ってこんなに高いんだ。

「わ、わあ…」
「馬に乗るのは初めて?」
「初めて……」
「そっか」

 じゃあ、しっかり捕まっていてくれ。そう勇者様は言うけれど、どこに捕まっていればいいのか分からなくてあたふたと慌てているとすぐ耳元の近くからクスリと笑われて、「ここ」と手綱を掴むように促してくれた。後ろから抱きすくめられるみたいな体制に少し恥ずかしさを覚えながら、私はなるべく気にしないように真っ直ぐ前を見据えた。

「それじゃあ、行こう」

 勇者様のその一声で、馬は進み始めた。



「きみはどこから来たんだ?」

 しばらく平野を進み、馬の便利さに感動を覚えていた頃。勇者様がそう問いかけた。

「んっと、ハイラル城下町からです」
「城下町? 俺が今から行こうとしていたところだ」
「えっ! それじゃあカカリコ村は反対方向じゃないですか! 私今すぐに降ります!」
「大丈夫だから。急ぎじゃないし」
「うう、でも…」

 どこまでも優しい勇者様に肩身が狭くなる。馬で移動してるとはいえ、反対方向に進むと時間が倍にかかるはずなのに……。

「それにしても、城下町からカカリコ村まで歩いて行こうとしていたのか?」

 すると、いつか聞かれるだろうと身構えていたその問いが投げかけられ私はうっと言葉を詰まらせてしまった。誤魔化すみたいに頬をぽりぽりと掻きながら、馬鹿にされることを覚悟しながら私は眉尻を下げた。

「そ、そうです……」
「何か武器は?」
「弓矢は一応持っていたけれど、全部不発になってしまって」

 勇者様は私のその返事を聞くなり、「ははっ」と面白そうに笑った。多分、誰が聞いてもこれは笑うと思う。そんな無謀にチャレンジするのは魔物に喰われたい奴か私くらいだろう、どう考えても。

「弓矢は使えたのか?」
「ううん、今日初めて使ったんです」
「それは難しいだろうなあ」
「……とっても。あなたは使えるの?」
「まあ、それなりには」

 こういう人を護衛につけていたら、お父さんからも快い承諾を得られていたんだろうなあとぼんやり考える。やっぱり私の出発前の考えは浅はかすぎたことを痛感する。

 それにしても、剣も扱えて弓矢も扱えるなんて。物凄く鍛錬された兵士なのかしら? けれど着ているものはクスリ屋を訪れる旅人さんたちのような印象を受ける。それに、齢だって私の少しだけ上くらいな感じがする。

「あの……あなたは、お幾つですか?」
「ん、十六」
「ええっ!」
「?」
「あ、いや。私も十六だったから」
「同い年? それは驚いたな」

 ちらり、少しだけ顔を後ろに向けて振り返ると勇者様と目が合った。すると、勇者様は笑みを浮かべながら首を傾げた。まさか同い年なんて、思ってもみなかった。こんなにも若いのに、あれほど勇敢だなんて。天は二物だけではなく三物も四物も、この人に与えているに違いない。きっとそうだ。思わず面白くなって私も彼に笑みを返すと、勇者様はほんの少し目を丸くさせていた。

「あなたは旅をしているの?」
「……まあ、そうだな」
「若いのに、本当に勇敢なのね」
「はは、どうも」
「私はしがないクスリ屋の娘だから」
「……店を手伝っているのか?」
「うん。店を手伝って、家事をして、友達と遊んでって、呑気に生きてる」

 そんな奴が無防備に外へ出たからまんまと魔物に襲われたんだけどね、と自虐するように言うと勇者様はまた面白そうに笑った。けれど、そこには決して私を馬鹿にするような見下した意は全く込められていないことを私はしっかりと感じていた。

「でも、会いたい人がいて、その人に自ら会いに行こうとしたんだろ」
「うん」
「その気持ちは、素晴らしいものだと思うよ」

 私が悪いのは一目瞭然なのに、私の馬鹿で浅はかな考えが招いた惨事なのに。決して私のことを否定しない勇者様に、どこまでも優しい勇者様に、涙が零れそうになった。


 それから勇者様は、私に気を遣いながら馬のスピードを上げた。風を切る感覚がとても心地良い。時たまバランスを崩すと、欠かさず後ろから勇者様が支えてくれた。きゅん。
 そうしてしばらく経った頃。勇者様が手綱を掴んでいた片手を手放し、「ほら」といいながら前方を指さした。

「着いた」
「わあ……ここが」

 そして、勇者様は村の近くに馬を止めた。先に勇者様が華麗に馬から飛び降りたので、私も勢いよく飛び降りようとしたらやんわりと「危ないよ」と笑いながら止められた。そして王子様みたいに彼は手を差し伸べて、お姫様みたいに私はその手を取ると、さっと引っ張られる。しっかりと勇者様に受け止められて無事に怪我することなく着地した。


「ありがとう。あなたには感謝してもしきれないわ…本当にありがとう」

 しっかりと勇者様に向き合いながら、わたしは御礼をする。命の恩人でもあり、更にはカカリコ村まで届けてくれた。これですぐお別れなんて少し寂しいけれど、無い物ねだりは出来ない。彼は今からハイラル城下町に用があるのだから。だから、勇者様にちゃんと私の想いが届くように頭を下げる。本当に、すごく良い人だった……。しみじみそう思いながら顔を上げると、勇者様はにこりと優しく笑った。

「それじゃあ、また明日来るよ」
「うん。……えっ?」

 再び愛馬に跨った勇者様の言葉を、思わず私は聞き返した。するとさも当然かのように、彼も不思議そうに首を傾げていた。

「君が城下町に帰るとき、また迎えに来るから。一人は危ないから、ちゃんと待っていてくれよ」

 そういって、勇者様は愛馬を鞭で叩いて私が乗っていたときとは比べ物にならないくらいのスピードでハイラル城下町の方角へと進んでいった。勇者様の後ろ姿がだんだんと小さくなっていく。完全にそれが見えなくなってしまってからも、私は彼の言葉がぐるぐると頭を巡っていた。そしてようやくその言葉を理解したときには、溢れる笑みを堪えることは出来なかった。

「……ふふっ」

 私はくるりと振り返ってカカリコ村の入り口へと足を進めた。そして、愛する彼の元へ向かう。早く会いたい。抱きしめてあげたい。そう考えながらも、頭の片隅には勇者様の凛々しいあの表情が浮かんでいた。あんなに格好良いなんて、もう罪レベルじゃない? 勇者様。勇者様。……あれ、そういえば。

 名前、聞いておけばよかったな。


3



「………えっ、名前?」

 カカリコ村に入ってすぐに見つけた彼は、私の姿を見るなりそのサファイアブルーの目を丸くさせた。ぽつりと私の名前を小さく呟く姿が愛らしくて堪らない。彼はしばらく何か考えているみたいだったけれど、私の存在を本物だと理解したその瞬間。パっと顔を輝かせて、満面の笑みでこちらへ駆け寄った。

「名前!」

 勢いよく私にダイブしてきた彼を強く抱擁する。すると、彼はぎゅうぎゅうと私の首にまだ小さくて細い腕を回した。

「会いに来たよ、コリンくん」
「ほんとに、名前? 夢みたい…」
「夢じゃないよ。コリンくんお手紙書いてくれたから飛んできたんだよ!」

 まだ傷むこともしらないサラサラとした綺麗な金の髪を撫でながら、また私はコリンくんを抱く力を強める。これが私の愛しくて愛しくてやまない彼。ああ、道中は本当に死にかけたけれど会いに来て本当に良かった! 私の日々の疲れも癒される! 好きすぎて困っちゃうどうしよう……!

 すると、教会のような場所から次々に見知らぬ子供たちが出てきた。そしてコリンくんと私の姿を見るなり、頭に疑問符を浮かべている。

「コリン、その姉ちゃん誰だ?」
「なんだかコリンにそっくり…」
「……」

 私はコリンくんの抱擁を解いた。お友達さん、だろうか。少しコリンくんからすれば気の強そうなお友達に見えるけれど、どうやらそれは杞憂ではなかったようで。コリンくんはお友達からの問いに少しモジモジしながら控えめに私のことを見上げた。そのとき。

「あなたが、名前さんですか?」

 突然声をかけられてびっくりしていると、子供たちの後ろに大人の男性の方がいた。身に纏っているものやらを見て、恐らく牧師さんだとかそういう人だろう。私は「そうです」と素直に頷くと、彼は「あなたが」と目を開いて表情を柔らかくさせた。

「申し遅れました。私はこの村の教会の牧師をしています、レナードと申します」
「名前です、はじめまして」
「コリンがあなたにいつも会いたいと仰っていたので。手紙を書かせたのも私でして。しかし、まさか本当にお越しいただけるとは…。良かったね、コリン」
「……うんっ」
「え? え?」
「ねえコリン、どういう関係っ?」
「名前は、ぼくの…いとこのお姉さんなんだ」

 コリンくんが私のことをそう紹介したので、私もお友達さんたちに目線を合わせるように膝を地面につけた。「よろしくね。えーと?」名前を伺うと、女の子はベスちゃん、男の子はタロくん、小さな赤ん坊の子はマロくんと一人一人教えてくれた。みんな少し気は強そうだけど、根はとても良い子そうだ。よかった。

 そして、私は閑散としたこの村を見渡す。

 コリンくんのお父さんのモイさんの姿も見えない。当然ながらお母さんのウーリさんも。ウーリさん、確か今月でお腹にいる赤ちゃんが臨月に入るっていっていたからこんなところにいることは考えられない。ゆっくり安静にするためトアル村にいるはずだろう。ベスちゃんら子供たちのご両親の姿も見受けられない。それじゃあ一体どうして、子供たちだけがこの村にいるのだろう。頭を悩ませていると、レナードさんが少し表情を曇らせながら「子供たちに何があったのか、どうしてこの村にいるのか、私からお話します」とその口を開いた。



「……そんなことが、」

 教会に通され、私とコリンくん、そしてレナードさんの三人の空間で、これまでの数日に何が起こったのかを私は聞いていた。そしてそれは、驚くべきものばかりだった。
 あの不気味な黄昏の空。忽然と現れ、忽然と姿を消したものだからあまり深くは考えていなかったけれど、まさかそんな大事件が起きていただなんて。しかもそれに巻き込まれてしまったのがコリンくんを含む子供たちということに、何ともいえないやるせなさが溢れる。呑気に暮らしていた私が馬鹿馬鹿しくなる…。自己嫌悪に陥っていると、レナードさんは優しく笑って「この子たちは今の現状をしっかりと把握して、元気にやっています。だからお気を病まないで頂きたい」というものだから頷くことしか出来なかった。

「……それにしても、名前さん」
「はい?」
「失礼ですが、ハイラル城下町からお越しになられたとお聞きしましたが」
「はい」
「まさか、歩いて……?」

 レナードさんは信じられない、といったような表情で私にそう問いかけた。思わずその顔に吹き出しそうになるけれど、寸でのところでなんとか堪えた。ううん、そうだよね、馬も近くに見受けられないし歩きで来たとしか考えられないよね、でも歩きだったらどれだけ超人なんだって思われちゃうよね。

「あ、ああっ! えっと、違うというか…違うくはないんですけど」
「……?」
「歩いていこうとしていました。けれど、途中で魔物に襲われてしまって……」
「大丈夫、だったの?」
「うん。ある人が私を助けてくれたの。すっごい格好良くて、ヒーローみたいな人で……」
「へぇ…」
「しかもその方が、馬に乗せてくれて私をカカリコ村まで送り届けてくれたんです」
「それは、勇敢な方ですね」
「そうなんです! 勇者様です!」

 すっごく勇敢で、とても格好良い人。私の口からだけでは説明しきれないような、そんな人だったんだから。私がニコニコと満面の笑みを浮かべながら語っていたからか、レナードさんもまた柔らかい表情を浮かべていた。

「勇者かぁ……」
「ふふ、うん。コリンくんにはいる? 自分にとって勇者だって思う存在」

 私の膝に乗るコリンくんの頭を優しく撫でながらそう問いかけると、こちらに振り返ってコリンくんは「うん」と口角を上げながら頷いた。

「リンク、かな?」
「……ふふ。コリンは本当にリンクのことが大好きね。」
「む。リンクさんをご存知で?」
「ああ、いえ。実際にはお会いしたことがないんですけど」





トワリン連載のzocconですが、実はこういうものも書いていました。
物語的にはこっちの方が夢主がリンクにベタ惚れになる理由とかしっかりしてるし、リンクに出会う前から間抜けでドジってことでうまく書けているかなあ?とも思ったんですけど、ご覧の通りコリンくんといとこ設定なんですね、つまりなんかそういうのも全部回収したり物語に含ませてたらこれまーた話完結させる前に飽きちまうパターンだぞ…ってことで泣く泣く没にしました。

・コリンくんの親戚(いとこ)
・モイ(剣の師匠)やコリンからリンクの話は聞いていたから名前だけ知ってる
・ドジのおっちょこちょいの間抜け
・ウーリさんと夢主母が姉妹同士

みたいな設定でした。


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