「カハハ!! 肉!!肉だぁあああ!!」
「うるせぇよ雷市……っておま、まだ頂きますもしてーのに食うんじゃねーよ!」
「ミッシーマ!! うめぇぞ!」
「話聞け! 監督が奮発して買ってくれて尚且つマネージャーが料理してくれた肉だぞ!? もっと味わえや!!」

 目の前で繰り広げられる、まるで不良みたく荒い口調での喧嘩のようなこのやり取りはこの薬師高校野球部では日常茶飯事だった。けれど私はその中に飛び込むことは愚か、慣れることも未だ出来ていなくて冷や汗を流しながら「あの、えっと、」と言葉にならないような情けない声を出して慌てることしか出来なかった。

 私、苗字名前。性格は地味でとにかく地味。クラスでも目立つことないただの地味女の私は、なぜかクラスとかだったら一番目立つような超カースト上位系の野球部のマネージャーをしている。普通そこから展開的にイレギュラーだと思う。「野球部マネージャー募集してるんだ! 誰もいねえんだ! 頼む! やってくれねえか?」と同じクラスだった三島くんに切羽詰まるような表情で頼まれて、人から頼まれたら断れない性格の私は頷くことしか出来なかったのだ。三島くんも当時隣の席にいたのが私だったから頼んだのだと思うし、本当にたまたまなのだと思う。私が頷いたことが、イレギュラーな展開への始まりだったに違いない。
 それから流れるように三島くんに案内されては野球部の監督もとい部員さんたちに大いに歓迎されてもう後戻りはできないと悟った。そうして今に至る。
 入部したての頃、私と野球部の部員さんとの間にはコミュニケーションのコの字もなかった。無論私がビビりまくって部員と話せなかったからだ。でもしょうがないと思う、だって元々の性格から既に大人しい奴だから野球部みたいな、いつもメンチ切っている不良チック(のように見えていた)なキャラの人たち相手とすぐに話せる訳ない。顔合わせることだって困難だった。何度もやめようと思ったけれど「辞めます」という一言も監督さんに言う度胸も無くて渋々ながら続けていたけれど、気付けばマネージャーの仕事が楽しいと思うようになっていた自分もいた。それに、人間というのは凄いもので、いつも部活中にだんまりしていた私に優しく声をかけてきてくれたとある先輩をきっかけに、私は部員にも監督さんとも最低限のやり取りは出来るようになったのだ。時間が経つごとに、今では顔を見て話せるようになった。未だにこういう部員同士の怒声あげるようなやり取りには怯えてしまうんだけれど…。

「おーい、マネちゃんが困ってんだろー」

 そのとき、私の背後から優しく宥めるような声が聞こえてきた。轟くんはその声にすぐ反応して、私の方へ振り向いた。

「マネージャー! すまん!! あっ! この肉、美味い! 超、美味い!!」
「よ、良かった。まだ料理はあるから、いっぱい食べてください」
「聞いたかミッシーマ!? まだあるって!」
「だからお前は食うの早すぎだって!」

 再び慌ただしいやり取りが繰り広げられて、私は困ることしか出来なかった。本当に、いっぱい食べても大丈夫なんだけどな。でも確かに轟くんは食べるの早いから、みんな平等に食べられなかったらどうしよう…と私は考え唸った。すると、背後から「ほんっと賑やかだよなーアイツら」と、今度は私に向かってその人はそう言った。コミュ障の特徴、話しかけられても返しの言葉がすぐに出てこなくて返事をすることもできず、その人は部員さんたちの輪の中へ行ってしまった。あ、行っちゃった…。そうですね、の一言もいえなかった。



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「メリークリスマース!!」

 大きな掛け声と共に、紙コップで乾杯。
 今日は12月25日。クリスマスだった。野球部は絶賛冬の合宿中で、すごく厳しいトレーニングをしているんだけど、この秋の大会惜しくも優勝は出来なかったけれど準優勝をしたし、お祝いも兼ねてクリスマスはたーんと豪華にしようという監督からの提案で監督本人は手羽先のチキンを買われていた。で、私はそのチキンなどなどを料理したり、パーティー会場となる部屋の飾り付けをした。クリスマスをこんなに大人数で過ごすなんてこと、私の人生にあるわけないと思ってたけれど。人生って何が起こるか分からないんだなあとしみじみ思う。

 育ち盛りの男の子たちだから、どのくらいお肉も用意すればいいのか分からなくて、とにかく監督が買ってきてくれた量を全部料理したけれど、あれよあれよと肉の姿はみんなの口の中へ消えていく。すごい、まだパーティーが始まって少ししか経ってないのにもうお皿に残っているの半分くらいしか無い…。でも、そうだよね。あんなに大変なトレーニングをした後だもん。お腹空くに決まってるよね。まだキッチンの方に予備は残っているから、多めに作っておいて良かったと心底思った。

 それから肉やジュースを補充したりてんやわんやしながら(監督さんはお酒飲んでいたのを私は知っている)、みんなお待ちかねのケーキの登場。しかも何と色んな種類のホールケーキが六つも。「おお〜!!」と歓声が湧いた。ちなみにこのケーキたちも監督のお財布かららしい。監督、太っ腹過ぎます……。

「マネージャー! チョコも、このイチゴ乗ってるやつも食っていいか!?」
「は、はい。みんなとお裾分けで」
「ミッシーマ!! 良いって!!」

 このクリスマスパーティー、一番盛り上がっているのは轟くんだと思う。轟くんのお父さんもとい監督曰く「普段よりちゃんと飯出てきてるからじゃねえか?」と言っていて、どう返事をすればよいのか分からなくて苦笑いを浮かべるしか出来なかった。

 部員のみんな、お酒を飲んでるの?って思うくらい酔っ払いみたいなテンションてどんちゃん騒ぎしている。私はというともちろん地味子なのでそんな中に紛れることはなく、隅っこでその様子を眺めたり、さりげに片付けをしたり。あんなにたっぷり用意していたお肉が全部無くなって、みんながケーキに夢中になっている間にお肉を盛り付けていたお皿をこっそり下げて調理教室に向かう。微かに野球部の騒ぎが聞こえる中、私は一人洗い物をする。地味なやつにはこのくらいの静けさの方が案外気楽だったりするのだ。部員たちといるのも(というより部員たちのやり取りを見ているのも)最近は楽しいけれど。

 それにしても、みんな喜んでくれて良かったなあ。お肉も美味しい美味しいって食べてくれて良かった。味付けがみんなの口に合わなかったらどうしようって不安だったし。クリスマスパーティは成功なのかな。だとしたら良いな。そんなことを考えながら洗い物を続けていたそのときだった。

「マネちゃん」
「っはい!?」

 突然背後から声をかけられて私は手に持っていたお皿を落としかけたけど、なんとか持ち堪える。え、えっと、いつの間に…!? 恐る恐る振り返ると、そこに居たのは。

「よっ」

 一つ上の先輩、真田先輩だった。
 我等が薬師高校野球部のエースの真田先輩。すごく端正な顔をお持ちで、しかも優しさも兼ね備えているパーフェクト人間だ。第一印象は正直チャラそうで地味子の私からすれば関わっちゃいけない人だ…って怖かったけれどすごく良い人なのだ。一年の頃はサボっちゃっていたらしいけど、今はすごく練習には真面目な人だし。入部してすぐに優しく接してくれたとある先輩っていうのは真田先輩だったりする。ド緊張とド恐怖で震えていた私に声をかけてくれた先輩。パーティーが始まる前、轟くんと三島くんを宥めていたのも、真田先輩。すごく優しいし、こんな地味子な私にも気を遣ってくれる、真田先輩。おこがましいのは承知だけど、私はそんな真田先輩に、密かに、その、想いを寄せている……。そう、だから。私はよくよく考えてみて今の状況に驚きを隠せなかった。

 真田先輩と二人きり…!?

「どっ、どどどうしてここに…」

 どこからどうみても緊張してると分かるようなドモり具合に、真田先輩は面白そうに「ははっ」と笑った。どうしてこの人はこんなに爽やかに笑うことが出来るのだろう。そういうところからしみじみと真田先輩との格の差を思い知る。

「マネちゃんここに来るの見えたから」

 未だに笑顔を浮かべている真田先輩のその返答に私はまた戸惑うことしか出来なかった。私が聞いたのはそういうことじゃないような、気がする。
 とりあえず私は蛇口をひねって水を止めた。水の流れる音が無くなったことによって、更に二人きりの空間に緊張感が増した。どうしよう、やっぱり水流そうかな。でも失礼…だよね…? 色々と頭を巡らせていると、真田先輩は水道に一番近い椅子へと座った。どうしようどうしよう。真田先輩と二人きりで、しかもこんな近い距離。足がちょっと震えてる。

「今日の料理、マネちゃんが全部作ってくれたんだよな」

 すると、真田先輩が頬杖をつき私を見上げながらそう尋ねた。う、上目遣い。そうです、という言葉は声にならなくて、私はとにかくコクリと頷いた。
 
「そっか。超美味かったよ」
「…え、と。良かったです」
「ん」
「あ、ありがとうございます」

 恐らく顔を真っ赤にして辿々しいながらもちゃんと真田先輩にお礼を言えた自分自身の成長に感動を覚える。しかしそれはどうやら私だけではなくて、真田先輩も私がしっかりとお礼を言ったことにほんの少し驚いている様子だった。でもすぐにその表情は解かれて、ふっと笑みを漏らすみたいな感じで真田先輩は口角を上げた。どうしたんだろうと不思議に思ったけど、特に追求はしなかった。

「マネちゃん、肉どころかケーキも食ってないんじゃねーの?」
「は、はい」
「だろうなー」
「どうして…あ、いえ」
「ん。何で知ってんのって? そりゃーマネちゃんのことずっと見てたから」
「そうなんですか……って、え?」

 真田先輩、今サラリとすごいこと言ったと思う。思考が徐々に停止してちゃんとした考えが頭に浮かばない私を放って、真田先輩は何やら背後からとあるものを取り出しては、私の前に差し出した。その光景に私は目を丸くする。真田先輩の手には紙皿と、その上に乗っているのはケーキだったから。

「これ、マネちゃんの分」
「えっ!」
「取っとかねぇと、あいつら全部食べちまうからな」

 けらけらと笑いながらそう言う真田先輩の顔を、私はどこか他人事のようにぼんやりと眺めていた。どうしてこの人は、こんなにも優しいんだろう。どうしてこの人は、こんな私にも優しくしてくれるんだろう。心がじわりと温かくなって、ほら、また、私はあなたへの想いが募っていくのだ。

「ありがとうございます、真田先輩」
「どーいたしまして」

 引きつってるかもしれないけれど、頑張って笑顔を浮かべてみる。すると真田先輩は目を見開かせていた。どうしよう、やっぱり引きつっていたかな。気持ち悪い顔、していたかな。お互いに黙りこくって、沈黙が私たちを包んだ。

「……」
「……」

 この時間は、この空間は、何なんだろう。  
 お互い何かするわけでもなく黙ったまま、ずっと見つめ合っている時間が続いていた。逸らしようにも、やはり勇気のない私は目を逸らすという行為もできない。でも恥ずかしさと緊張でどうにかなってしまいそう。洗い物を再開するべき…? そう思って、手だけを蛇口の方へ動かしたそのとき、真田先輩も手をようやく動かせた。真田先輩、いつまでここにいるつもりなのだろう。そんなことを考えながら蛇口を捻るのもまた忘れて彼のことを見ていると、なぜか真田先輩はケーキと一緒に持ってきていたフォークで真っ赤なイチゴを刺していた。あれ?

「マネちゃん」

 真田先輩は腰をあげて、イチゴを指したフォークを私の口元へと運んだ。ふわりと甘酸っぱい匂いが鼻腔をくすぐった。今度こそ思考が完全に停止した私は、目の前にあるイチゴと真田先輩の顔を交互に見ることしか出来ない。

「ほら、マネちゃん」
「……」
「あーん」

 その言葉を聞いた瞬間、ぶわりと首元から耳、そして顔がこのイチゴのように真っ赤になったと思う。顔が熱い、沸騰してる。数秒してからようやく我に戻った私は「……え?」と情けない声が出る。そんな様子の私を見て、真田先輩はまた笑った。からかって、いるんですか? そう聞こうにも、聞けない私の弱い心。

「いらねーの?」
「え、いや、」
「早く食べねえと俺が食っちまうぞー」

 一体さっきから何が起こっているんだろう。いや理解できる訳もない。野球部に入ってから幾多のイレギュラーな展開をこなしてきたけれど、これはさすがに予想もしていない。「マネちゃん、俺の手疲れてきた」目の前の真田先輩がそう言った。じゃあ辞めればいいのに、という私の無言の訴えも通じるはずがない。悩み、悩んだ挙句、私は目を瞑りながら口を開いた。大丈夫、真田先輩に他意はないはず。良心かつ洗い物をしている私を気遣って食べさせてくれているんだ。きっと。恐らく。

 口の中にイチゴの味が広がった。フォークが抜かれて、私の舌の上にイチゴが転がる。あ、……甘くて美味しい。するとイチゴを味わっている私を見て真田先輩はまた笑った。さっきから真田先輩、笑ってばっかり。

「ハハッ、あー、マネちゃん可愛い」
「!?」
「ほら、次ケーキ。あーん」

 そう言うなり私の返事も聞かず、真田先輩は私の口の前に今度はケーキを差し出した。かなりの大きいサイズで近付けてくるものだから、食べる他選択肢もない。大きく口を開けてそれを飲み込む。お、多い……。フォークが抜かれて口の中を占領するケーキを一生懸命もぐもぐと食べる。そのことに必死になっていた私は、そのとき真田先輩の行動をしっかりと見ていなかった。

 はっと気づいた時には、真田先輩のフォークも何も持っていない指がこちらに近づいてきていた。そして、私の口元に真田先輩のそれが触れた。そのまま私の口元を拭って、真田先輩は離れた。彼の指には真っ白い生クリームが付いている。「ついてた」そう言って、真田先輩は自身のその指を咥えた。………!?!?

「はー。ほんっとマネちゃんって鈍いよなぁ。ま、そんなとこも可愛いけど」
「…」
「それとも何、俺そんなにチャラそうに見える?」
「…」
「俺、誰にでもこんなことしねーよ?」

 どうしよう、さっきから真田先輩の言っていることの意味が分からない。分からなさすぎて卒倒しそう。うそ、本当は、分かってる。

「せっかくのクリスマスだし、俺は可愛い可愛いマネちゃんと一緒に過ごしてーんだけど、マネちゃんはどう?」

 人懐こい真田先輩の笑顔が、今は少しいつもと違うように見える。これって夢なのかな……もしかすると都合の良い夢なのかもしれない。そう考えてたらまたケーキを口の前に差し出されて、甘い味が口の中に広がった。人生過去最大級のイレギュラーな展開に私は戸惑いながらも、真田先輩の問いにゆるりと頷いた。


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