『今晩、名前ちゃん家に寄ってもいいかな?』
朝起きてふと携帯を見れば、そんなラビチャが届いていたことに気が付く。いつもなら起きたてはしばらくボケーっと夢と現実を曖昧に行き来しているのだが、眠気は一気に吹き飛んで、急いでチャット画面を開いてその文面をまじまじと見つめた。
――久しぶりの、彼からの連絡だった。
彼から届いたラビチャの時間を確認すれば、メッセージの横に「05:30」と書かれていた。相変わらず朝が早いことだ。でもそれは決して彼が早起きさんだとかそういう訳ではないのだと思う。きっと、仕事が忙しいから。今日も朝から仕事なのだろう。
彼、というのは。私の彼氏で、今大人気のアイドルグループ、アイドリッシュセブンのメンバーであり、MEZZO"のメンバーでもある逢坂壮五だ。ちなみに私は家賃四、五万程の少しボロいアパートに親から仕送りを頂きながらぽつぽつと暮らしているただのしがない大学生だ。壮五くんみたいに芸能人だとかアイドルだとか、そういうのでは決してない。普通のどこにでもいるような学生だ。
そんな二人がなぜ出逢ったのかというと、それは大学に入学して間もない頃、たまたま共通の知り合いがいたため絡むことになったのがキッカケだった。何の変哲もない。私は元々メジャーな音楽もマイナーな音楽も聴くほどの音楽通だったので、さまざまなジャンルの曲を聞く壮五くんとも意気投合。第一印象は、物凄くイケメンで真面目で頭が良くて優しくて非常にモテらっしゃる漫画に出てくるような王子様みたいな完璧なキャラ――だったのだけど、好きなものになれば周りが見られなくなるくらい興奮しちゃうところだったりとか、一途なところだったりとか。そんな壮五くんに、私はころっと惹かれてしまったのだ。とはいえ叶わない恋だとは自覚していたのだけど、これまたなんということでしょう、実は告白は壮五くんからだったりする。しかも、「名前ちゃんに出逢ってから君のことしか考えられないんだ」という私にはもったいないくらいな熱烈な告白である。あ、やばい、思い出しただけでもニヤけてしまう。
そんなこんなで彼と付き合って二年と少しが経っている。だけど、彼が音楽の道を歩みたいと言って大学を中退し(彼の夢については相談を受けていたし応援もしてたけど正直中退はマジかと思った)、アイドルとしてデビューしてからというもの彼は多忙を極めているから、今は会える日が貴重になってきているのだ。実は連絡するのも一週間ぶり、会うのは実に二週間ぶりだったりする。あれ、三週間ぶりだったかな。改めて考えてみるとやばいな。私は壮五くんのラビチャ画面をしばらくぼんやりと眺めたのち、『大丈夫だよ』と返信をした。
壮五くんから返信が来ることはなかったけど、お昼前にラビチャの画面を開けると私の送ったメッセージに既読という文字が浮かび上がっていた。無意識に口角が緩んだ。
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午後八時過ぎ。ピンポーン、とインターホンが部屋中に鳴り響いて来訪者が誰か確認せずにドアを開けた。もちろん壮五くんがいた。二、三週間ぶりの壮五くんだ。何かに緊張していた訳でもないのに、顔を見ただけでほっと一息吐いてしまうような、そんな安心感が私を包んで肩の力が抜けた。
「久しぶり、壮五くん」
「っまた確認せずに出てきて! もし僕じゃなかったら、危ないだろう」
「はいはい。早く家入って〜」
「もう。……お邪魔します」
開口一番に、説教が始まった壮五くんを強制的に家へと入れる。これは毎回壮五くんに怒られることだ。どうやら私は不用心過ぎるようだ。うむ、確かに壮五くんじゃなかったらどうしてるだろう。宅配便さんだったら吃驚されてるよね。不審者とか逃亡犯とかだったら終わりだ。ちゃんと気を付けよう。
壮五くんは律儀にそう言ってから、靴を脱いで丁寧に並べた。ボロんちょなアパートの玄関にいる壮五くんという景色はやっぱり似合わない。FSCの御曹司だからってのもあるし、彼が纏うオーラがとてつもないからってのもある。
それにしても、何度も通っている彼女の家なのだからもっと気楽にしてもいいのに。挨拶はしっかり、靴はきちんと揃える。いつ何時もそういう礼儀はしっかりとしてる。そういうところもすごく尊敬するし好き、だけどね。
リビングに向かうなり、壮五くんは当然のようにソファーの右寄りのところに腰を下ろした。私がいつも左側に座るからだ。冷たい麦茶を二つ分用意して、ソファーの前にあるテーブルに置き、続くように私は壮五くんの隣に腰を下ろした。これは壮五くんが私のお家に来てからの毎回のルーティーンだった。冬の寒い日は、この冷たい麦茶が温かい紅茶になる。
壮五くんは冷たい麦茶をさっそく喉に通して、コトリと音をたててコップをテーブルへまた置いた。そして、ソファーに深く体重を預けて大きな息を吐きながら肩の力を思いっきり抜いた。付き合って半年くらいのときに漸く気付いたけど、これは壮五くんの気が抜けてリラックスタイムが始まる瞬間だ。
数秒、沈黙というより無の時間が流れると、ぽすりと壮五くんが私の肩に自身の頭を寄せた。これは、つかれた、という合図だ。
「お疲れさま、壮五くん」
「……」
「壮五くん?」
「……うん」
これは、かなりお疲れのご様子だ。壮五くんは更に体重をこちらへと預けて、まるで小動物みたいに頭を私に寄せ付けた。そんな彼が微笑ましくて、その柔らかい髪をくしゃくしゃと撫でる。ふわりと、壮五くんの匂いが漂った。
壮五くんは、アイドリッシュセブンのメンバー曰く、温和で世話焼きなグループのお母さん的な存在だという。テレビで言っていた。まあなんとなく分かる。本人は、お母さんという単語に関しては疑問を抱いていたが同じMEZZO"のメンバーである四葉環くんには手を焼いてるかな、とほんの少し私に愚痴を零したときもあった。周囲との和を尊重し、常に自分の意は我慢して、保守的。責任感がとっても強い。普段グループの中でも仕事でも何でも、彼はそういう性格が良い意味でも悪い意味でも滲み出ているからか、非常にストレスを溜め込みやすい。他の人に甘えたり頼るという行為もあまり出来ないタイプ――お酒を飲んだらタカが外れるけど、それとはまた話が違う――だから、こうやって私の家とか私の存在が彼にとって安心できる場所であって良かったなとは思う。それに、そんな彼だからこそ、とことん甘えさせてやりたい。私はどちらかというと面倒を見たいタイプだし、相性良いのかもしれない。
「今日は何? ツアーのリハーサルとか?」
「…んー、それは明日」
「そうなんだ」
「うん。今日はラジオ収録と、歌番組の収録」
「へえ、どっちの?」
「MEZZO"の」
ということは、身体的な疲労よりも精神的な疲労か、と心の中で思わず苦笑を漏らした。デビュー当時はメンバーの環くんと色々と衝突も激しかったけど(壮五くんから毎度愚痴は聞かされていた)、今はなんだかんだバランスを保てているようで安心だ。それでも彼の自由奔放っぷりには悩まされているらしいけど。なんだかそれさえも微笑ましい。
「ね、名前ちゃん」
「んー?」
「……久しぶり、だね」
壮五くんの顔を伺うと、上目遣いでこちらを見つめていた。はー、相変わらず端正なお顔なこと。付き合いたての頃なんか、こんな近距離で顔を見ることさえも出来なかった。今はそれこそ見慣れたけれど、未だにこの美しさには感心してしまうほどだ。
「会いたかったよ、名前ちゃん」
透き通った紫の目に吸い込まれるような感覚に陥る。心地の良い声でそう甘く囁いて、彼は眉尻をほんのちょっぴり下げた。私の肩にかかっていた体重が、また更に重くなった気がした。
「……私も会いたかったよ」
そっくりそのまま返した言葉だけど、もちろん本心から出てきたもので。壮五くんはその言葉を聞くなりに、心底嬉しそうに笑った。ふっと私の肩にかかっていた重さがなくなったかと思えば、彼が私の正面へ向くような体制に変えていた。
それから壮五くんの顔が視界いっぱいにぶわっと広がってビックリしていた束の間、唇に柔らかい感触が重なった。久しぶりのちゅーだ。そんなことを考えていると、気がつけばソファに押し倒されいて目の前にいる壮五くんの背景が天井になっていた。
しばらくちゅっちゅと触れては離れてを繰り返して、額をくっつけたままどちらかともなく笑いあう。
「今日はいつに増して甘えたさんだね」
「…そうかな?」
「うん、すっごい」
「ずっとこうしたかったから」
「それはそれは」
光栄なことです、と言いたかったけれどそれは壮五くんからのキスによって防がれてしまう。ちゅーって、キスって、不思議で。ただ唇を重ねるだけの行為なのに、すごく好きっていう気持ちが溢れる。好きな人としているからなのかな。壮五くんだからなのかな。うん、きっとそうだ。
「名前ちゃん、」
「はぁい」
「すきだよ」
「ん、私も」
唇が重ねられて、離れる。
「ぼくの方が、好き」
「それって一生続いてくやつじゃん」
「ふふ、本当だね。じゃあ」
また、唇が重ねられる。
「ぼくは、」
その後に続けられた言葉に、きゅんと胸が締め付けられた。彼は礼儀だとかマナーだとかにはしっかりしているのに、こういうことはいつも恥じらうことなく真っ直ぐに言ってくれる。こればかりには慣れたいのに、なかなか上手くいかない。首から熱がだんだんと上がってくるのが分かる。だけどそれは私だけじゃないようで、壮五くんの頬もほんのりピンクに染まっていた。その顔を見て、更に体温が上昇する。うー、あついあつい。あ、顔が近付いてきた。ちゅーされる。私はそっと目を閉じた。
これからも私たちなりに、のんびりと、マイペースに歩んでいけたらいいな。私はもうきっと、壮五くんしか好きになれないから。壮五くんと永遠を過ごせるなら、今すこし寂しいのだって我慢したっていい。私は彼とのまだ透明な未来を心して望んでいるから。心なしか熱い唇が重なった。なんだか、幸せでたまらなくて泣きそうになった。
「ぼくは、愛してるよ」
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