!未来

 
 人生終わった。もう詰んだ。怒りが込み上げてくるし、だけど虚しくなるし、鬱陶しいからか悲しいからか理由は分からないけどとにかく泣きそうになるし、今ばかりは感情というものを捨てたくなった。

 別れた。付き合って五年、同棲して二年の彼氏と。

 高校一年の頃から付き合い初めて、それなりに仲睦まじいカップルとしてみんなからも憧れられていた。実際本当に仲良かったし、成人しても尚こうやって交際は続いていて同棲もそこそこ続けば、まだ若かろうが結婚だって意識し始める。
 私は高卒で就職し既に社会人三年目だけど、彼は大学に通っていてまだ学生で。だから彼が就職決まったらそろそろ…ね、そのタイミングは来るのかなとか思ってた。それほど私は彼と結婚する気でいた。そりゃ別れたいなと何度も思ったことある、いやもう同棲してしばらくしてからずっと考えていたくらいには。だけど私は特に秀でたものはないし平凡な人間だからこの先ほかに良い方が見つかるのだろうかとか私を好いてくれる人なんているのだろうかとか考えすぎて結局別れなかったのだ。もったいないって考えてた。

 で、別れの発端は彼の浮気と。アーメン。

 大学の飲み会に行ってくると昨日の夜連絡来て、帰ってきたのがあらまあ何と翌朝の十時。は? 今まで何してたん? と問い詰めれば「あー、まぁちょっと」と濁してくるから疑ってあれこれ探ったら鞄からは避妊具入ってた。私たちは基本ラブホとか外でえっちしない。絶対に家でする。だから鞄に入れる意味ない。つまり、そういうことだ。
 問い詰めれば彼は昨夜、飲み会にいた女の子とホテルで一夜を過ごしたらしくもちろんやることはやったと。それだけでも十分にショックだったのに、「私はあんたと結婚するつもりだったのに」と白状した後の彼の返事が今でもわすれられない。

「は? 俺はお前と結婚するつもりなんて微塵ともないけど」
「そもそも今付き合ってんのも家賃とかそういう金の面で助かるからだし」
「浮気なんて大学入ってからごまんとしてるよ」

 すると吹っ切れたのか、逆ギレといわんばかりに淡々とそう言いやがった彼氏の頬を私は思い切りビンタした。それからはもう無言で大事なものだけ引っ張り出して家を出た。お別れの言葉なんて存在しなかったけど、私たちの関係は完全に終わった。

 行く宛もなくて、どこかのビジネスホテルに泊まろうかと携帯でマップを開き近くのホテルを探す。だけど上部に表示されている時刻は19:24で、早々にホテル行っても暇だなと考えた挙句私は連絡帳を開いた。そうだ、この鬱憤を人にぶちまけて少しでも気を晴らしたい。悩む間も無く私は一人の連絡先をタップして、彼に電話をかけた。






「マジで、ほんと、意味分かんない。なんなの? 私の今までの給料返せって感じじゃん、一応これからの未来も見据えてたからこっちも家賃7割払ってたんじゃん、それが何? 私なんのために払ってたん? ほんっと意味分からん何あのクソ男しんじまえぇ」
「ちょお前いい加減飲みすぎだって!その日本酒何杯目だよ!」
「飲まないとこんなんやってけないでしょうがぁあ」

 電話をかかて2コールで出てくれた彼、沢村と馴染みの居酒屋に入ったのはもう二時間前のことだった。沢村も高校時代からの付き合いだ。三年間同じクラスで、お互いなぜかめちゃくちゃ気が合って今でもこうしてしょっちゅう飲んだりする仲だ。沢村は馬鹿だけど、意外と聞き上手で私のこうした愚痴とか相談にも真剣に聞いて考えてくれるのだ。気が合うからだろう、私という人間のこともよく理解してくれている。
 電話で呼び出してから十分くらいで沢村が集合場所の駅前に到着した。車で来てた。飲まない気かよ。ちくしょう。そんなことを思いながら合流すると、沢村が猫目を釣り上げてすごい驚いていた。「お、おまえ、何かあったのか!?」顔だけ見て察するなんて、どんだけ鋭いんだよ沢村さすがたな……と思ったけれど、ふと顔を触ったらめちゃくちゃ泣いてて自分でもびっくりした。沢村の顔見たらなんか、安心したんだ。


「私だけが、勝手に浮かれてたとか、マジで意味わかんない」
「…それくらい、好きだったのかよ?」
「好き、……うーん、どうだろ。高校んときは好きだった、でも最近は結婚したかっただけで」
「?」
「私ってさー顔も良い訳じゃないし胸がデカい訳でもないしこれといった魅力もないし、好きになってくれる人これから居るんかな?って思ったらなかなか想像できなくて」
「……」
「だったらもうこの人しか私いないじゃんって思ってて。じゃあこの有様じゃん?」

 そう言い放って私はお猪口に入れた日本酒をグイと飲み干した。ああ、何で私こんなおばさん臭くなったんだろう。ああ、何で私こんな人生諦めてんだろう。まだピチピチの二十一歳っていうのに。可愛く生まれたかった。もっとスタイル良く生まれたかった。魅力ある子に生まれたかった。自分に自信が欲しかった。そんなこと考えて居ると、またホロリと涙が出てきた。酒の影響か涙腺が随分と脆くなっている。沢村の前じゃないとこんなに泣けない。すると、ずっと顔を俯かせていた沢村がふるふると震え出した。

「……んな……ねえよ」
「っぐずん、なんて」
「そんなことねえよ!」
「え」
「お前は可愛いし、一緒にいて楽しいし、バカみたいに面白いし、素直だし、まぁ胸は……まぁちっせえけど、でも魅力なんかいっぱいあるだろ!」
「は!?」

 やばい沢村が壊れた。私のせいで壊れた。一瞬酔いが覚めた。てかこいつ、さり気に私の胸小さいとかディスりやがった。すると沢村は真剣な面持ちになって私の方を真っ直ぐに見つめた。いきなりそんな目をされても、困る。沢村は意外とイケメンなのだ。そんなまじめに見つめられたら、困るのだ。

「なんかこんな時に言うことじゃないかもしんねーけど、でも今だからこそ言う」
「……ん?」
「俺、」
「うん」
「苗字のこと好きだ」

 時が止まった気がした。

「高一んときから、ずっと」
「…」
「お前のこと、好きだったんだよ」

 え、ちょ、えっ? 沢村何言ってんの頭おかしくなった? 完全に壊れた? そう笑って聞きたいのに、目の前にいる沢村は本気そのものでそんな軽口さえきけなかった。内心で慌てふためく私をよそに沢村は続ける。

「好きになってくれる人が、その男しかいないとかお前は言うけど」
「…」
「俺は、お前があいつの女になってからも、ずっと好きだった」

 ストレートなその告白に、じわじわと熱が帯びる。多分わたし、今顔真っ赤だ。こんな真剣な沢村、野球してるとき以外見たことない。

「だから苗字には申し訳ないけど、正直別れたって聞いて、内心めっちゃ喜んでる」
「……さわ、むら」
「すまん! 卑怯だよな、弱ってるときに漬け込むみたいで」
「…」
「でも、本気なんだ」

 そう言い放って、沢村は立ち上がった。現状にイマイチ追いついていけていない私は彼をぼーっと見つめることしか出来ない。「ほら、もうお前飲みすぎだし帰っぞ!」逞しい手に腕を引っ張られて、とにかく歩く。さらりと私の分もまとめて会計して、外に出て夜風に当たった瞬間、ようやく声が出た。

「まっ、待っ、きゃ!」

 ぐいぐいと私の腕を引きながら歩く沢村ん止めようとしたとき、飲みすぎで覚束なくなってしまった足が絡まって転びそうになる。すると沢村は持ち前の反射神経で支えてくれた。沢村の胸にどーん。私の背中には彼の腕がガッチリ回ってる。完全密着。0センチ。「大丈夫か!?」「ううっ、うん」「だから飲み過ぎって言ったんだろー」一向に腕を離してくれなくて、それどころか更に力が強くなってる気がします、沢村さん。ふわりと香る沢村の匂いが、なんだか今はむず痒い。いつもふざけて肩組んだりしてるけど、訳が違う。顔から火吹きそうになった。

 ようやく解放されたかと思えば、今度はナチュラルに手を繋がれた。すぐそばにいるのは沢村のはずなのに、なぜか沢村に思えない。今まで友達としか認識していなかったのに、こんなことされたらどんな馬鹿な女でも意識しちゃうに決まってる。気が付けば駐車場に到着して、沢村が手慣れたように鍵を開けて助手席のドアを開けてくれた。え、乗れってこと? 目で訴えれば頷かれる。とりあえず乗った。

「お前、帰るんとこ無いんだよな」
「え……あ、うん、まぁ」
「確かこっから十分くらいのとこにホテルあったっけなー」

 運転席に座って片手をハンドルに置き、もう片手だけで携帯を器用に持って、「んー」と唸りながらホテルの場所をググってくれている沢村の横顔をぼんやり眺める。まだエンジンもかけてないから、車内に音はひとつもない。お酒を飲んでいたからか分からないけど、一瞬ここは夢の世界じゃないのかって思うほど私はふわふわしていた。私は馬鹿正直になっていた。寂しさが、あふれた。

「ねえ、さわむら」
「ん?」

 あれもこれも、沢村のせいだ。沢村が、わるいんだ。沢村が、私を好きなんていうから。沢村が優しくしてくれるから。沢村が私をその気にさせるから。沢村が寄り添ってくれるから。沢村が、さわむらが。

「離れたくない」
「……っは」
「いっしょに、いたい」

 ……。……うわ、やばい。私今めちゃくちゃ酔ってる。めちゃくちゃ恥ずかしいこと言ってる。途端に羞恥心が湧いて顔を窓の方に向けて逸らした。沢村の視線を痛いくらいに感じる。恥ずかしい。だけど軽い気持ちで言った訳でもないし、弁解も、やっぱ無しって取り消すのも嫌だった。
 沈黙が続いたのは、数分くらいだと思う。でも私にしては一時間くらいのように感じて、とにかく心臓がうるさかった。沈黙が破ったのは、沢村からだった。

「はぁああああああ」

 めちゃくちゃ重い溜め息を吐きながら、沢村はハンドルに額をつけ項垂れていた。「んなことってあるかよ」とか「落ち着け俺」とか「うあーこれは無理だ」とか、恐らく心の声で留めようとしてるものが全てただ漏れている。そして決意したように、私の方をピシン!と指さした。

「お前、そう言われて俺がどこに行くのか、分かってるよな」
「……うん」
「……」
「……わかってる」
「本当の、ほんっとーに、良いんだな」

 沢村の再確認に、私はしっかりと頷いた。それを見て沢村は鍵を回しエンジンをつける。ブルン、と車が震え始めた。
 
「後悔しても知らねーからな」

 いつもより低い声色でそう言い放った沢村に、思わず顔を上げると彼はなんともいえない強張った顔で笑っていた。言ってることは強気なのに、緊張してやんの。つられて笑みを浮かべると沢村はシートベルトをしっかりとつけて、アクセルを踏んだ。近くにあるホテルとは真逆の、沢村の住む家の方向へ車は走った。沢村のせいだ。ぜんぶぜんぶ、沢村のせいだ。


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