憧れの高校生になってから、三ヶ月。
友達が百人出来たり授業中屋上にサボりにいったり先輩に優しくされて恋に落ちたり、なんていう夢みてた高校生活とは全く似つかないような平凡な日々を過ごしている訳だけど。唯一、理想に近い事案があった。
隣の席の男の子が、それはそれはとてもイケメンくんであることだ。
チャラチャラしたような人ではなくて、どちらかといえば誠実っぽい。寡黙で無口でクールでミステリアス。クラスメイトのほとんどが彼と喋ったことがない。休憩時間だけならず授業中でもずっと、あまりよく分からない暗号が書かれたもの(クラスの中では国家機密書類と密かに称している)を見ているだけだ。ただそんな彼はこれまたなんと意外なことに、野球部なのだ。うちの学校、青道野球部はつい先日には春の選抜甲子園にも出場したくらい強い。そんな強い部活の一員なんて全く考えられない。野球だけじゃなくてスポーツしているところも想像つかない、そんな男の子。
授業中はいつも、彼を横目でちらりと見てみる。私の視線になど気付くことは当然なく、相変わらず彼は国家機密書類を見ている。ああー、お顔が綺麗なこと。喋ってみたいなあ。野球のルールを知ってれば少しは話せたのかな? 周りから彼と隣の席なんて羨ましいといわれるけど、喋ってないんだからそんなに意味もない気がするけど。でもまあ羨ましいだろ、へへん。あーあ、何か喋るきっかけでも転がってないのかな。いや多分ないだろうな。こうしてこっそりと近距離で拝めるだけできっと幸せなんだな。ああー。
奥村光舟くん。今日もイケメンだ。
***
もうすぐで七月に入ろうとしていて、期末考査も近付いている。また勉強はせずただ机と向かい合うつまらない日々の始まりかーなんて落胆していた数学の授業中のことだった。数字と記号だらけの黒板を渋々書き写しては問題を解き、シャーペンを指先でくるくると回しながら暇つぶしをしていると、ふと隣の存在が視界に入った。言わずもがな奥村くんである。
「………」
まあ彼は何をされてるかというと、私のように板書をすることもなく、問題集を解くこともなく(というか問題集さえ机に出していない)相変わらず国家機密書類をじっくりと読み込んでいる。この前誰かから聞いたけど、実は野球のスコアブックっていうものらしい。聞いても結局どういうものなのか分からなかったけど。けれど、そのスコアブックとやらを見ている奥村くんはすこぶる真剣で。この横顔がまたかっこいい。見ながら何考えてるんだろうな。ふーん。本当にかっこいいなあ。クールビューティって言葉がよく似合うよねえ。やっぱ隣の席っておいしいなあ……。奥村くんがスコアブックに没頭しているのをいいことに、私は隠すこともなく頬杖をつきながら彼をガン見していたそのときだった。
「――苗字!」
「はい!?」
「目を開けたまま寝てるのか、お前は。当てられたんだぞ」
数学のちょっと面倒くさいおっちゃん先生に怒られ、クラスメイトにくすくすと笑われる。うー、恥をかいてしまった。そんな中、ちらりと奥村くんを見てみるけど相変わらずスコアブックから目線は外していなかった。うん、安定。ここまでくると、もはや外の世界の声も音も聞こえてなさそう気がする。
「問題1のこのXが分かるか?」
「えーっと。……0と3です」
先ほど解いていたノートを見ながら回答すると、すぐに「正解だ」という先生の声が降りかかった。良かったとホッと胸を撫で下ろす。数学は割と得意だったりするのだ。授業のやる気がないだけであって……。
すると先生はまたすぐに問題2の答えを聞こうと生徒を当てようとしていた。一度当たったのでもう私に出番はないと、肩の力を抜いた瞬間。
「それじゃあ次の問題を――隣にいって」
となり。
「奥村!」
あ、当てられた。急いで隣に視線を向けると、奥村くんはぼけーっとしたほぼ無に近い表情でゆっくりとスコアブックから顔を上げた。なんだ、外の声聞こえてるんだ。それじゃあ私が怒られたことも聞こえてたのかなあ。そうだとすると恥ずかしいかも。
「この問題2が分かるか?」
「………」
奥村くんは初めて見た黒板に書かれたその問題をキリっと見つめた。おお、かっこいい、なんて思っていたのも束の間。それから申し分程度に彼自身の机に置かれていたノートに今度は視線を移した。そのノートはこの距離から見る限り真っ白で何も書かれていないように見えるけど、それでも奥村くんはノートと黒板に視線を行ったり来たりしていた。
刹那。
彼の様子を横からじっと見ていた私の方へ、奥村の視線が動いた。ん?
わたし、超見られてる?
「奥村お前、まーた授業に関係ないものを見て問題を解いてなかったのか!?」
「……」
「そろそろ本当に没収するぞ、それ!」
先生にそう言われているけど彼の二つの目はばっちりと私を捉えている。まるでそれは何かを訴えかけているような――いやこれは本当に訴えている気がする。相変わらず表情はやっぱり変えずに、私をじっと見つめてくる奥村くん。彼が今求めているもの。それは、それは。
「……さ、3分の7と……5……?」
ほぼほぼ口パクくらいにしかみえない、多分隣の彼にしか届かないであろう声量でそう伝えた。奥村くんはそれを聞いて何か反応するわけでもなく無表情のまま前を向いた、そして。
「3分の7と5です」
「! ……正解だ。なんだ、ちゃんと問題を解き終わっていたのか」
授業に関係のないやつら程々にしろよー。先生は適当にそう見過ごして、次の問題に取り掛かった。あ、あれ、えっとこれは。奥村くんのプチ危機を何気に救ったということでいいのだろうか。奥村くんは私のことを頼ってくれたという風に自惚れてもいいのだろうか。
そんなことを考えていると、突然どこかから小さな紙くずが私の机に飛んできてうまく着地した。飛んで来た方角である隣の席を見てみれば、奥村くんが私をまた見ていた。な、なんだろう。疑問に思いながらもその紙くずを広げた。真っ白でしわくちゃになっていた紙には、質素な文字でこう書かれていた。
『あ り が と う』
急いで隣を見たそのとき。
奥村くんが笑った。
笑顔、とかじゃなくて。口角をほんの少し、もう本当にほんの少しだけ上げただけのそんな表情。だけど私にはそれが奥村くんなりの笑みなんだと、奥村くんなりの精一杯の感謝なんだと。気付いたときにはハっと息を呑んでは周りをきょろきょろと見渡してしまうという挙動不審な行動を起こしてしまう。だ、だだだってそれくらいビックリしたし、その表情がとても朗らかでお美しくて。なぜか泣きそうになった。
次に隣の席を見たその時には、もう既に何もなかったかのように彼はスコアブックに目を向けていた。思わず今度は私の方が笑みを溢してしまった。全くそこに会話なんて成立していないのに、こんなにも距離がぐっと近づいたような感覚がする。ふわふわしてる。不思議だなあ、ほんと。奥村くんって、すっごく不思議なパワーを持ってる人だなあ。
「……どういたしまして」
今度は、隣の奥村くんにも届かないくらいの声量で私はぽつりと呟いた。
//181007