いつまでもどこまでも、自信家で無鉄砲で、我儘な王子様なんだなと思った。


「稲実に来てよ」

 中学三年生になって、そろそろ受験する高校を決定していかなければならないといった時期。学校から家までの十五分ほどの帰り道を一緒に歩いていた彼が、唐突にそう言い出したのだ。おちゃらけた雰囲気は一寸も感じられなくて、真剣な面持ちでまっすぐに。

 
 彼は私の幼馴染だった。名は成宮鳴という。冒頭に挙げた通り自信家で、少し無鉄砲で、とても我儘な王子様気質な性格だった。野球を小学生の頃からやっていてポジションはピッチャー。今ではこの東京を飛び越え、関東で一番期待されている中学生ピッチャーといわれている。鳴が野球をしているところは数え切れないくらい見たことがあるし、数々の打者を打ち取っていく鳴を見たら凄いなとは思うけれど、やっぱりいつまでもあの我儘王子様で幼馴染の鳴だということには変わらないから彼が関東一の中学生ピッチャーというのは良くも悪くも私からすれば変な感じがした。実感がないという方がこの場合は正しい気もする。

 そんな彼が西東京屈指である野球の強豪かつ名門校の稲城実業から推薦が来たのは、もうかれこれ一年以上ほど前のことだった。それほど早くから彼は才能を見出されていたのだ。鳴自身も、野球をするのに申し分のない環境とチーム力ということでとても喜んでいたのも覚えている。それからというもの数々の学校から推薦が来ても鳴は稲実一筋だった。そう、そしてそんな彼からついたった今告げられたのが冒頭の言葉だった。

「……え?」
「だーかーら。稲実に来てよ、名前も」

 一体、彼が言っていることを理解できずにいたけれど時間が頭の整理をしてくれる。そう、彼は昔からそうだった。いつも思ったこと感じたことやりたいことを突拍子もなく発言するのだ。しかもその声色には断れない雰囲気さえ篭っている。

「鳴、とりあえず理由を聞いていい?」
「そろそろお前も学校決めるだろうし、早めに言っといた方が良いかなっていう俺なりの親切心だけど」
「は、はぁ?」

 相変わらず上から目線の物言いに呆れて思わず溜め息を吐いた。そしてゆっくりと口を開く。

「いや、……いや、行かないよ?」

 当たり前の返答をすれば、目の前にあるコメットブルーの瞳が分かりやすく揺らいだ。そして、小さな小さな「え」と震えた声が僅かに開いている唇から漏れた。

「なんで」
「え、なんでって……え?」
「なんで!!」

 そんなの、こっちが聞きたい。なんで稲実に私も行かなくちゃいけないの。そもそもがおかしすぎるでしょ。買い物に付き合って、ついてきて。まるで、そういうことを言ってるみたいな彼の軽い頼み方。本当この男にはいつまで経っても呆れさせられる、なんて思いながら鳴に視線を向けるとそこには茫然とした表情を浮かべている彼の顔があった。そしてまた、唇を震わせた。

「じゃあ、……じゃあどうすんのさ!!」
「な、なにが?」
「俺たちどうすんのさ!!」

 これは駄目だもう。埒があかなくなってきた。こうなってしまった鳴には今なに言っても意味がないっていうことは長年一緒にいた幼馴染の私ならば悠々と分かる。思わずため息が出た。

「美羽は地元の高校に行くんでしょ」
「……まあ。なるべく近くで偏差値が自分に合ったところって考えてるけど」
「ほら。じゃあどうすんの!!」
「だーかーら、何がって聞いてるの!」

 少し怒気を含ませた声色で聞き返すと、さっきまでの威勢はどこへやら鳴は眉尻を下げる。そして、ぽつりぽつりと話し始めた。

「俺は家を出て稲実の寮で暮らす」
「うん、そうだね」
「そしたらもう名前とはこうやってお互いの家だとか、帰り道だとか、公園だとか行けないし」
「…うん」
「平日の朝も放課後も休日も俺は野球漬け、会えるとしたら学校の時間帯だけ」
「………」
「だから! 学校一緒じゃないと! 一緒に喋ったり会ったりできないじゃん!!」


 鼻息をフンーと、小さな子供のように大きく鳴らした鳴を見て茫然としてしまう。いやもはや目の前にいるのは小さな子供だ。体がちょーっと大きいだけの子供だ。赤ん坊だ。
 とりあえず自分も落ち着いて、つい今さっき鳴に言われたことを頭で整理した。 結構時間がかかってしまった。

 あのね、うん、あのさあ。

「……こんなこと私がいうのもなんだけど」
「なに」
「そろそろ鳴はさ。幼馴染離れした方がいいと思うよ」
「は?」

 鳴の性格から見て分かるよ。気心の知れた幼馴染の私がずっと近くにいないと不安なのは。でもね、いつまで経っても幼馴染幼馴染じゃだめだよ。うん、だめすぎる。結局お母さんに縋ってる人と同じだよ? 周りから見たらビックリされちゃうよ? 寮生活するなら、もう早くひとり立ちしなくちゃ。分かった?

 半ば説教するみたいに、でも本気のトーンで言えば鳴は絶対に拗ねるからあくまでやさしく。私なりの最大の良心だと思う。なのに、目の前にいる幼馴染は納得するどころかわなわなと震え始めた。

「……から……な……」
「……なんて?」
「さっきから、幼馴染幼馴染ってうるさいな! 名前の馬鹿!!」
「は」

「幼馴染だから一緒にいてほしいんじゃないし!!」

 
 ガバリと勢いよく上げた鳴の顔は怒りに震えていてるせいか少し赤くて、綺麗なコメットブルーの瞳も涙目になっている。

「ばか、ほんっと名前ってバカだよね!! 俺がただ幼馴染だからって理由で一緒にいてくれなんて言わないし!! 流石にそんな奴だったら俺でもドン引きだよ!」
「ええ」
「しかもなんで気付いてないのさ! こんな頼みしてる時点で察しろよ!! バカ! 名前のバカ!アホ!!」
「は、はあ?」

 呆気に取られている最中、鳴の腕がぐんと伸びてきて。気が付いたときには肩をがしりと掴まれていて。目の前には鳴の顔がすぐにあって、


「名前のことが好き」


 そう、鳴は確かに言った。


「好きな子と離れ離れになんかなりたくない」
「…」
「幼馴染の名前に、好きな子の名前に、近くにいてほしいんだもん」
「……」
「そしたら俺、野球もっと頑張れるから。そんで名前のこと絶対に甲子園に連れて行くから」
「………」

 怒涛の発言にこっちの顔が熱くなっていくのが分かる。あ、あれ? 鳴の顔が赤いのも怒ってるからっていう理由だけじゃなくて、実はそういうこと? というか、何? なんでこんな話になってるの? まず事の発端は鳴が稲実に来て、なんて突然支離滅裂なことを言い出したからだよね。 あれ?

「ま、……まま待って。なんかすごくどさくさに紛れて私……告白されてる?」
「うん、されてる」
「待って待って。ほ、本当に鳴はその……私のこと……す、好きなの?」
「うん、好き」
「……本気?」
「うん、本気。名前のことが超好き」

 その瞬間、油断していた私は鳴にぎゅっと抱き締められた。文字通り、ぎゅっと。小さい頃は私の方が高かった身長も気付けば鳴の方が高くなっている。とはいえまだ差はほんのちょっとだけど。これからもっと大きくなるのかな。

「め、めい」
「これからもずっと名前が好きだと思う。だって俺、名前と結婚したいもん」
「何を言ってんの……」
「ねえ、名前は?」
「……ちょっと、鳴……近い」
「俺のこと、好き?」

 鼻と鼻の先がつくんじゃないかってくらいの、ただでさえ近い距離なのに更に近付いてこようとする鳴に必死に逃げ惑う。がっちりと抱き締められてしまってるからそれもほぼ無抵抗に等しい。

「そんな、……いきなり好きとか聞かれても、あんまり分かんないけど」
「……けど?」

 顔は見てない、というか見れないけど。たぶん見上げたら鳴の顔はすっごくニンマリとしているんだろうなあって思った。


「その……嬉しいのは、嬉しいよ。ありがとう、鳴―――きゃっ!」

 その瞬間、再び強く抱き締められて思わず悲鳴が出て鳴の顔を見上げた。う、うわあ、すっごく嬉しそうな顔してるよ。黙ってたらかっこいいのに、ほんとお子さまだよね。でも成長したよね、なんやかんやで私たち。「名前」「なに、きゃっ、近い! やめて!」「なんでーー!ちゅーしたい!」ううん嘘、やっぱりお子さま。またすぐに近づいてきてキスをせがまれるけど拒否の体制を取り続けた。

「ねえ名前。 それじゃあ稲実来てくれるよね?」
「何言ってんの。行かないよ」
「ええ、なんで!!」
「それとこれは話が違うでしょ……」
「なんで!! 」
「あーーもう! そのかわり、電話とかは全然…してくれてもいいから」
「ほんとに? 言ったよ? いつでもするよ? 毎日するよ?」
「はいはい言いました。いつでもどうぞ鳴が疲れない程度にどうぞ!」
「やった! 名前大好き!」

 そう言って鳴はまた私のことを強く抱き締めた。あったかいなあ、鳴。実は告白して緊張して体がこんなにポカポカしてるのかもしれない。可愛いなあ。なんて考えてたら視界が鳴で埋まって、唇にちゅっというリップ音が響いたと同時に感触がした。ねえ鳴、ここ、一応通学路だからね? 相変わらず突拍子もなくて自信家で王子様みたいな人だけど、それでもこうやって今彼に抱き締められたり我儘を言ってもキスされても満更でもないのはきっと私は鳴のことが……うん、そうだからだろうなあ。「へへっ、名前のファーストキスいただき! あ、俺も初めてだから! 嬉しい!? ねえ名前、嬉しい?」………うん、すごく嬉しい。なんて鳴には絶対言ってやんないけど。


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