生い茂る緑の草木と、色とりどりの花が広がる庭園から眺められるハイラル城はとても美しく、俺はこの景色を気に入っていてよく足を運んでいた。最近では活発に可動するガーディアンが庭園のそこらを歩き回っていて、その光景を見るだけでなぜか心はいつも落ち着きで溢れかえっていた。というのも、かれこれこの場所でこうしてゆったりと過ごすのも長い。幼い頃からの馴染みの場だからこその心地の良さなのかもしれないと俺は考えていた。しかし、そんな俺以上にこの場所を好んでいた人物が一人いた。
「姫! 姫様! どこへ行かれたのですか! いるならお返事をしてください、姫!」
騒々しく一人の兵士がこの庭園の中を叫びながら駆けていく様子が目に入った。木陰の下で腰を下ろしていた俺はすぐさま立ち上がると、兵士がこちらの存在に気が付き目を大きく見開かせた。
「リ、リンク殿。ここにいらしたとは…これは失敬」
「いや、いい。それよりどうしたんだ?」
「……実は、姫様がまた、自室から居なくなってしまいまして」
我々、教育係の大臣から令を受けていたのです。姫様がこれ以上城を脱走されぬよう、何か用があるとき以外でもしばらくは籠らせて反省させなさいと。しかし、私も常に目を光らせていたのですが、ほんの少し目を離した隙に姫の自室から居なくなってしまったのです。そう説明する兵士は、自身が大臣からの令を遂行することが叶わなかったことによる情けなさからなのか、無念そうに肩を下げていた。
「リンク殿は、姫を見かけなかったでしょうか」
一縷の希望を賭けるように、俺へそう問いかけた兵士に対して横に首を振った。至極残念そうな表情を一瞬浮かべたのち、「了解しました。では、他を当たってみます」と敬礼して庭園を去って行った。その後ろ姿を、俺はぼんやりと眺める。あの兵士は、とんでもないものを命令されたんだなと思いながら。
「……もう、行った?」
耳元から聞こえた控えめなその声の問いかけに俺は小さく頷いた。すると「やったあ」と嬉しそうに声を弾ませたその声の主の方へ振り返り、思わず溜息が溢れそうになって寸でのところで抑えた。
「ありがとう、リンク!」
「………」
この場所を気に入っていた人物、その人こそが今ほんの少し土で汚れてしまったドレスの裾を振り払うこの、人騒がせな姫だった。
「聞いたでしょ? 私、部屋に閉じ込められていたのよ! なんて酷いことをするのかしらと思わない?」
「……仕方ないと、思われますが」
「もう! リンクまで!」
城を抜け出すのも大変なのよ。見張りの兵も、メイドたちの目も抜け出さないといけないんだもの。でも逆に、そんなに警戒されると余計に城を抜け出してやる、って思ってしまう方が私にとっては仕方がないわね! いつその口が塞がるのやらと思うほど、ペラペラと流暢に嬉々として話す姫に俺は耳だけを傾けていた。相変わらず、よく喋る姫だ。
「教育係なんて、私にはもう要らないのに。きっとゼルダが賢くて教育係もすぐに不要だといわれたから、あの大臣はその分私に暇を持て余しているんだわ!」
「……」
「というか、もしかすると兵士が私を探しているということが御父様の耳に入ったら、次は怒られちゃうかも!」
「それは、なりません」
「ふふふ。でも、リンクが守ってくれるんでしょう?」
「……さすがに、王からは、難しい」
ええ、そこは守りますって言うのが格好良いんじゃない! 姫は楽しそうに笑いながら俺を肘でこついて、そのまま俺が座っていた木陰の場所に彼女は腰を下ろした。悩みあぐねたが、俺は彼女に一人分の距離を開けてその場へ腰掛ける。すると俺の配慮はすぐさまと崩され、姫はこちらににじり寄ってその一人分の距離を一気になくした。いけません、なりません、という制止の言葉が俺の口から出てくることはなかった。
「昔っからリンクだけね。こうして私が城を抜け出したときに、隣にいてくれるのは」
肩の力を抜いて木にもたれかかった姫の艶やかな髪が、俺の頬に微かに触れる。俺は彼女のその言葉を聞いて確かにそうだ、と心の中でぼやいた。
ハイラル王国の第二王女。それが彼女の肩書きだった。俺と彼女が初めて出逢ったのはかれこれ十数年前くらいになるのだろうか。騎士の家系に生まれ、幼少時から剣を振るってきた俺は物心がついていたときには父の後ろについていきながら城の中を歩いていた。そんなとき出逢ったのが、まさしく彼女だった。昔からこの城の全体がよく見えて空気が気持ち良いこの庭園が好きだった俺は、剣の稽古が終わってからそこで一休みしていたときに突然草むらから彼女は現れたのだ。
「わあ、兵士!? こんなとこにも居たの!?」
「……えっ」
「ごめんなさいごめんなさい、ちゃんとお勉強しますからお父様には言わないで……」
「……」
「…って、あれ? 怒らないの?」
「お、おれは、兵士じゃないから…」
そのときに彼女が顔を上げて、俺はようやくこの少女の姿をしっかりと見たときにひどく驚いたことを覚えている。だって、まさかこんなところで王国の姫と出逢うなんて思いもしなかったからだ。
「そうだったのね! ねえあなた、お名前は? 」
「……リンク、です」
「リンクね。良い名前! 私は、」
「名前姫」
「わあ! 知ってるのね!」
どれだけ幼くても王国の姫の名前を知らない訳がない。それなのに、名前姫は俺が自身の名前を知っていた事実を大変嬉しそうにニコニコと笑っていた。その笑顔に猛烈に惹かれていたことも、俺の記憶にはしっかりと残っている。
名前姫は、第一王女である彼女の姉とは違ってかなりのお転婆姫だった。城を抜け出すのはしょっちゅう。国王や教育係も手を焼いていると父さんが言っていて、凄いお姫様なんだなと率直に思っていた。
しかし、初めて彼女と出会った日以来、俺が庭園で休んでいると城を脱走した名前姫がこの場所へとやってきて、二人で兵士達に見つからないように注意を払いながら話をしたり遊んだり過ごして、俺の稽古の時間や名前姫の大事な用件の時間が来たらお別れをする。そしてまた次の日に落ち合う。いつしかそれが俺たちの日課となっていた。幼かった俺は名前姫の城を抜け出すという行為が良くないものだということは薄々としか理解していなかったし、誰にも見つからないように二人で過ごすというスリリングさに興奮して楽しかったことも憶えている。
今でこそこんな無愛想な人間になってしまったけれど、まだそのときは周りからのプレッシャーも少なくありのままの感情を表に出していた時期だった。だからこそ名前姫と過ごす時間は本当に楽しくて、お互いにずっと笑顔を浮かべていた。父さんに「最近休憩中にどこへ行ってるんだ」と聞かれた時はドキリとして、人生で初めて父さんに嘘を吐いた瞬間でもあった。
徐々に齢を重ねる度に、姫の脱走行為は良くないものなのだと理解していたが、それでもやはり止めることなどは出来なかった。それにはもちろん理由がある。その大部分としては、彼女がハイラル王国の第二王女として、ゼルダ姫の妹としての自分の気持ちを正直に俺にへと告白してくれたことだった。
「このハイラルにおける、魔王ガノンの厄災って、知っている?」
「……ガノン?」
「そう。神話の時代からずっと繰り返されているの。一万年前にもそのガノンが復活したけれど、先祖たちはその高度な技術を駆使し、退魔の剣を持つ近衛騎士と姫の聖なる力で奴を封印した」
「……」
「けれど、そのガノンが……もしかすると、この数年のうちに復活するかもしれないって占い師が予言したらしいわ」
「えっ」
まるで絵本の中のような話に、俺は信じられないと思っていたことを覚えている。
「退魔の剣を持つ騎士っていうのは、まだ分からないらしいけど……聖なる力を使う姫っていうのは、だれか分かるでしょう?」
「……ゼルダ姫?」
「そう。だから、みーんなしてゼルダ、ゼルダよ。何するにしてもゼルダ。私なんて城の中に居ないも同然。お父様なんて特にゼルダばかりだったから」
「……」
「……だから、私と一緒に遊んだり、こうして話してくれるリンクとの時間が大好きで、とても大切なの」
自身の姉にあたるゼルダ姫と自身への周りの扱いに対してのコンプレックスを曝け出した名前姫のその本心を聞いた上で、城から出ずにきちんとして下さいなんて野暮なことを言えるほど俺は冷徹な心を持ち合わせていなかった。言おうとも思わなかった。代わりに口から溢れそうになった言葉は自分でも格好つけてるものだと自覚したから、照れ臭くて言えなかった。なら、ずっと俺たちは一緒に居たら良いんだよ、なんて。
しかしその言葉とは逆に、それから名前姫と接する機会が少しずつ、また少しずつと減ってしまっていった。その訳は幾つかあり、中でも俺の剣術が数々の人たちに認められ、更には評価されていき、様々な任務をつけられることが増えたからだった。光栄なことだったけれど、いつしか剣術だけでなく振る舞いも礼儀も考えも全てが評価されているということに気が付いた。そして、周囲の模範となるよう心掛け続けた結果、気付いた時には今のように自分の感情を出せなくなってしまっていた。それは評価する者だけではなく、親しい者、名前姫の前でもすらも。
会える機会は減ってしまったものの、それでも時間があるときは庭園で一緒に過ごすことはこうして何度かあった。お互い心も体も成長して昔のように接することを俺は出来なかったけれど、名前姫はいつも幼い頃から変わらぬ態度で俺と楽しそうに過ごしていた。他愛もない話から、少し真剣な話まで。名前姫は表情をあまり見せなくなった俺にも、笑顔でいつも話しかけてくれていた。そんな彼女に、そんな彼女が、俺は――。
懐かしい記憶を呼び起こして、俺はふと隣にいる彼女に気付かれないように視線を送る。しかし、すぐに気付かれてしまってにこりと可愛げにありふれた笑みを返されてしまった。
「城を抜け出しても許してくれるのはリンクだけね」
「……決して、許しては」
「でもいつも匿ってくれるじゃない。というか! 私だけの前だったら、その堅苦しい言葉はやめてと言ったでしょ?」
「、しかし」
「ほーら」
「……」
「リンク、見て。今日はガーディアンの調子が良いのね。楽しそうに歩いているわ」
「そう、ですね」
「じゃなくて?」
「………だな」
「うん。よし!」
そう満足そうに頷いて、名前姫は俺の髪を撫でた。齢が俺より一つ下の姫に、まるで年下のように扱われていることに複雑になる。名前姫はたまに、こういうことをする。もしも俺以外の男にこんなことをすれば、どうなるか分からないのに。とはいうものの彼女の柔らかい手の感触は心地が良くて、彼女の柔らかい表情につられて、俺の口角はほんの少しだけ上がった。しかしそのとき、ぴたりとその手が動きを止める。不思議になって閉じかけていた瞼を上げると、名前姫はとても真剣な眼差しをこちらへ向けていた。
「……聞いたわ。あなた、英傑に選ばれたのね。…それと」
「……」
「ゼルダ直属の近衛騎士に付いた、って」
そう言っては、彼女はゼルダ姫と同じ美しい翡翠の瞳を伏せた。
「まさか退魔の剣を持つ剣士が、リンクだったなんて」
「……」
「はあ。これからあなたも大変になってしまうし、私の相手をつとめる暇なんて無くなってしまうのね」
「……」
「でも、それこそ仕方ないのね。ゼルダのことを御守りできるのは、きっとあなただけなんでしょうし」
ゼルダのこと、しっかりと御守りさしあげてね。名前姫は薄らと笑顔を浮かべてそう言った。周りの人からのゼルダ姫と自分への扱いの差に不満と淋しさを覚えていた名前姫だが、誰よりも姉思いの少女だったのは分かっていた。封印の力に目覚めることが出来ず「出来損ないの姫」「責を果たせぬ無才の姫」などと、ゼルダ姫が王宮内で辛辣な評価が囁かれているのを見つけると真っ先に怒っていたのは他でもない名前姫だった。
しかし、名前姫は突然眉尻を下げて「まあ、でも」とか口を開いた。
「我儘を言うなら、リンクが私の直属の騎士になってくれたら良かったのに」
か弱い笑みを浮かべながら指の先をいじる名前姫のその光景をじっと俺は見つめた。指の先をいじるときは、照れ臭そうにながらも本心を語っているとき。そんな彼女の癖を見抜いたのは、もう数年も前のことだ。
「ねえ、リンク」
「ん?」
「私、リンクが好きよ」
「……」
「大好き。愛してるわ」
「……は?」
一瞬、思考が停止する。彼女は何を仰ってるんだと本気で頭の中に疑問符ばかりが並ぶ。まだ彼女の考えに頭を悩ませている中、名前姫は俺の太腿に手を添えた。
「この前、御母様が亡くなってから十年経ったでしょう。そのときにふと思ったの。大切な人って、いつ居なくなるか分からないでしょう。それにこの世界だって、いつ終わりが来るか分からない。だから、こうしてその人が今目の前にいるときに、ちゃんと想いを伝えなきゃいけないんじゃないかって。後悔しないように」
「…」
「今までずっと、王女という立場は自由に恋愛してはいけないと言われ続けてきて、自分の想いを秘めていたわ。……けれど、好きになってしまったもの! だから私は、後悔しないように伝えるの」
「……姫」
「ねえリンク、好き。私、リンクのことが大好きよ。ずっとずっと、昔から」
名前姫からの熱烈な言葉たちに驚きながらも、心の底では激しく歓喜に湧いている自分もいた。薄々は気付いていた。名前姫が自分に対して好意を寄せていることが。けれど、名前姫が言っていたようにまさかその想いを伝えてこようとは思いもしなかった。だから俺だって必要以上に彼女への想いが加速することもなく、ただ、微かに少しずつ募ってく。それだけで良かった。だって、そうだろう。なのにそんなことを言われてしまえば。俺は、俺だって、名前姫のことが。
「伝えるだけならいいでしょ? 結婚してほしいなんて頼んでる訳でもあるまいし。あ、でも私は将来リンクの妻になりたいと思っているけれど」
名前姫は更なる本心を語り、俺はとうとう狼狽えるしか出来なかった。正確には、どう反応するのが正しいのかを分かっていなかった。いや、むしろ何も反応しないのが正しいということは分かっていた。俺の立場上、姫とそういう風な関係になって、もしも城の者や国王にバレてしまったら。俺だけじゃなくて、きっと名前姫まで辛辣な目を向けられるだろう。それだけは嫌だった。だから。
「……そう、ですか」
「うん。大好き」
「……」
言葉は返すことは出来なかった。けれど姫のそんな想いも無下には出来なくて、俺の太腿に置かれるその華奢な手に自分の手を重ねることしか出来なかった。けれど姫はその行為だけで、ぱっと花が咲いたような笑顔を浮かべる。けれどその表情はすぐに解かれて、名前姫は俺の目を真っ直ぐに見つめた。そして心なしか、その顔の距離が、だんだんと近づいている気がする。
「ねえ、リンク。これからはゼルダの元へずっといるんでしょう。なら、しばらくはきっと会えないでしょ? …だから」
そう前置きを置いて、名前姫は俺の顔にぐいっと勢いよくにじり寄った。また一瞬、思考が停止したけれどすぐに我に戻って「ぅええっ!」と情けない叫び声を出しながら、彼女の肩を抑えた。あわやもう少しで距離が無になるところだった。冷や汗なのかただの汗なのか、よく分からないものが額から流れる。名前姫は不満そうに「もう」と口先を尖らせたのが目に入った。
「最後くらい良いじゃない。キスのひとつやふたつくらい」
「……なっ、キ!? ダメですよ、そんなの!」
「シっ! そんな大声出したら兵に見つかってしまうでしょ。あとその話し方は辞めてと言ってるでしょ!」
慌てふためく俺は、名前姫に小さな声で注意されて反省をする。けれど今のは絶対に彼女に非があると思うのは、間違いではないはずだ。
「ふふ。冗談よ。御母様が昔言ってたもの、キスというものは愛し合ってる者同士がするものなんだって」
「……」
「だから、私だけがリンクのことを愛しているから成立しないものなのよ。ね、ほら、だからもうキスなんて強請らないからそんな顔しないで」
名前姫は相変わらずの達弁でそう言ってから、腰を上げた。ドレスの裾には草が幾つか付着していて、パタパタとそれを払う姫の様子を俺はぼうっと見つめることしか出来なかった。
「ほら。これから遺跡の調査へ行くんでしょ? ゼルダが今朝言っていたわ。あなたも行かなくちゃ」
「……姫は?」
「今日は用はないし、私はずーっとここにいるわ。私の大好きで大切な場所だもの」
すると、名前姫が未だ座り込んでいる俺の手を引っ張り上げて立ち上がらせた。そして背中をぽんと優しく叩かれる。
「ねえ、リンク」
「…?」
「私はリンクのことを本当に愛してる。きっとこの世を去っても、魂だけの存在になっても、永遠にリンクのことがずっと好きだと思うわ」
「……」
「だから、どうか無事で。ちゃんとここへ還ってきてね。私は待ってるから。それで、また私の相手になってね」
こんなことを頼めるの、リンクしかいないんだから。楽しそうに言う名前姫に俺はしばしの空白を開けてから頷いた。すると安心したように頬を緩ませて名前姫は「ありがとう」と感謝の言葉を口にした。それと同時に俺は決意した。
近々復活とされている厄災ガノンの危機。けれどそれを他の英傑とゼルダ姫と共に食い止めて、全てを終わらせたとき。そのときはちゃんとこの場所へ還ってこよう。必ず。名前姫はずっとこの場所で待ってくれるんだ。そして、この場所へ還ってきたとき。そのときには彼女に伝えたい。俺のありのままの、ありったけの名前姫への想いを。彼女と同じように今までずっと秘めていた想いを伝えたい。いや、伝えよう。名前姫だけが俺を愛しているというのは間違っていますよ、と。ああそうしたらまたその話し方は辞めてくれと言われてしまうか。じゃあもう真っ直ぐに伝えよう。一度照れ臭くて言うのを留めた言葉も一緒にして。
名前姫が小さな掌をひらひらと振って、満面の笑みで俺を見送る。そんな彼女の笑顔を目に焼き付けながら、俺はゼルダ姫の元へと向かった。
「いってらっしゃい、リンク!」
彼女のその声は、俺の脳内を何度も木霊した。
**
*
「―――っ!」
はっ、と我に戻った。
見渡しても、あの美しい草木や花は見えない。けれど、百年前とは全く姿を変え輝きを失ったハイラル城だけはしっかりとそびえていた。一瞬何が起きたのか分からなくて、頭の中でゆっくりと一つずつ理解を進める。厄災ガノンが復活して、食い止められなくて、俺は瀕死になって、それから百年後に復活をして、厄災ガノンを倒して、ゼルダ姫が封印して。そして今は、ゼルダ姫と再びこのハイラルの再建を目指して日々各所を巡っているところで。そして、ハイラル城の様子を見にきて、やって来たんだ。この荒れ果ててしまった庭園へ。
ああ、そうだ、ここは。ここはかつて、俺が気に入っていた場所。そして――。
「……このウツシエは、百年前、あなたが私に初めて頼みごとをした日ですから、よく覚えています」
ここから見える景色が好きだから、シーカーストーンでぜひ撮らせてほしいと言ってきたのです。あなたは覚えていますか? そのゼルダ姫の言葉に、俺は百年前の記憶が蘇り始める。
「……名前も、あなたと同じで、この場所をとても気に入っていましたね」
ゼルダ姫の口から出たその名前に、心臓が早鐘のように騒がしく鳴った。
この庭園は、俺が気に入っていた場所。そしてそんな俺よりもこの場所を好んでいたのは、その人。ゼルダ姫がこちらへ向けてくれているシーカーストーンの画面を眺めると、百年前の美しい草木と色とりどりの花の先に、立派なハイラル城がそびえる景色が映っている。
「私はずーっとここにいるわ。私の大好きで大切な場所だもの」
刹那、彼女の笑顔が蘇った。
「あの子はよく、城を脱走するお転婆で、みんな手を焼いていました」
知っている。国王も兵士もみな、彼女には困らされていた。
「けれど私には分かっていました。御父様や周りの者が、力の持つ私ばかりに目を向けているから、あの子は誰にも構われず寂しかったんだって……」
それも、知っている。彼女本人の口から俺は、聞いたから。
「でも、相変わらず脱走の癖は治りませんでしたが、いつからかあの子は寂しげのある顔から、常に笑顔になっていました」
それも。――否、
「理由を尋ねたことがあります。すると名前は言っていました。とても楽しい時間が出来たのだと。一緒にいて凄く楽しくて、幸せだと思える存在が出来たのだと」
それが誰なのかまでは、教えてくれなかったのですが。けれど私は、名前が本当にその方を心の底から好きなんだなあと思いました。ゼルダ姫はそういって、翡翠の目を伏せた。その様子が、彼女に、そっくりで。
「大切な人って、いついなくなるか分からない。だから、こうしてその人が今目の前にいるときに、ちゃんと想いを伝えなきゃって」
「だから私は、後悔しないように伝えるの」
己の口から溢れた息は、震えていた。
彼女はそう言っていた。
彼女の言う通りだった。
気が付いたときには、思い出したときには、彼女はもう目の前にはいなかった。
立場上許されないからと義務的な理由をこじつけて彼女に自分の想いを伝えられなかった。けれど、全てを終わらせたら彼女に伝えようと思っていた。嗚呼、彼女は言っていたじゃないか。大切な人はいつ居なくなるか分からない。その人が今目の前にいるときに言わなくちゃならないと。後悔しないように、そのときに言わなければならないと。なのに俺は、彼女は、ずっといると思っていた。また庭園で俺が一休みしていたら、城を脱走した彼女が草むらからひょこりと現れるのだと思っていた。なのに、なのに。
「……っ」
「リンク……?」
もし、あのとき、彼女に想いを告げることが出来ていたなら。あのとき、俺も愛していると言っていたら。あのとき、彼女に口付けていたら。
「私はリンクのことを本当に愛してる。きっとこの世を去っても、魂だけの存在になっても、永遠にリンクのことがずっと好きだと思うわ」
けれど、彼女は。
「だから、どうか無事で。ちゃんとここへ還ってきてね。私は待ってるから。それで、また私の相手になってね」
名前姫は、もういない。
「………」
彼女の言葉、声、姿、香り。全てを思い出したとき、つう、と頬に生暖かいものが音もなく伝った。とめどなく溢れるそれが唇に触れて塩辛い。そして、シーカーストーンに映し出されているウツシエと、変わり果ててしまったかつての庭園の場所を見ながら、ゼルダ姫にも聞こえないような声で小さく呟いた。
「……名前」
愛してる、と。
その言葉に返事はなくて、代わりに一陣のそよ風が吹き抜け、彼女がいつも飛び出してきていた草むらがさらりと揺れた。
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