息を止めて微笑んで
息を止めて微笑んで


 なにか面白い夢なのかと思った。文字通り、目を疑った。ドッペルゲンガーというものを生まれて初めて信じた。



 大学時代の友達から久々に遊ぼうと誘いがあった。そして、娘が幼稚園に行っていて、且つ零くんも家に帰らないときを見つけて予定を入れた。零くんが家に帰ってくるのは貴重な時間だから、その時は零くんを優先したいからだ。
 友達と遊ぶなんて珍しくて、ウキウキしてしまう。零くんとは彼が今の職に就いたときくらいから外でデートするなんてことは一切無かったから、外出でお洒落するのも久しぶりだったりする。とはいえ年齢相応な、だけどお気に入りの服を着る。化粧もしっかりとして、アクセサリーもつけて。アラサーだというのに、気持ちは女子高生みたいだ。

 友達の地元である米花町で、お勧めだという店でランチを食べる。一年ぶりの再会だから、会話は尽きなかった。友達も三年前に結婚していて、子供も去年無事に生まれたそうで。主に子供の話だったかもしれない。他にも夫の話になったりした。友達の旦那さんが、今年転勤になったそうでバタバタしたそうだ。

 私の旦那は……どうだろう。公安警察だし、転勤っていっても職場が変わることはないのだろうか。絶対に警察庁だろうし。仕事内容が変わったりしてるのかな? こういうとき、当たり前なんだけど何も知らないのがちょっと悲しかったりする。いや、仕方ないって分かってるんだけどね。決して楽じゃない、危ない仕事をしてるってことは知ってるくらいだ。だいたい、どんな仕事をしているのかは察しはつくけれど。……歯痒いな。でも零くんの仕事内容には干渉しないっていうのが、結婚してからの決まりなのだ。

「そうだ、この近くにポアロっていう喫茶店知ってる?」
「ポアロ?」
「そう! 雑誌とかでもよく取り上げられるくらいすっごい人気なの」

 良かったらこの後行かない? 友達の提案に私は頷いた。どうやら出されるメニュー全て美味しいそう。また、とてもイケメンで愛想の良い、まるで王子様みたいな店員がいるそうだ。彼目当てで来る人も多いという。店員はともかく、メニューが美味しいというのは気になる。デザートも勿論あるだろうし、ケーキ食べたいかも。


 ランチを食べていた店を出て、さあポアロへ向かおうとしたときだった。友達の携帯電話が震える。ごめんね、と私にひとつ謝って電話に出た。しばらくして、「ええ!」と驚いたような声をあげていたので、きっと何かあったのだと思う。急ぎ口で友達は電話を切って、私にすごく申し訳なさそうな顔を浮かべていた。

「ほんっとにごめん! なんか、実家に預けてる子供がめっちゃごねてるらしくて」
「あはは、まだ1歳だもんね。 早く会いに行ってあげて」
「ごめんね、こんな別れ方で。今日はありがとう!」
「うん、こちらこそ。またね」

 フルダッシュで駅に向かう友達の後ろ姿を見えなくなるまで見送った。少し微笑ましくなった。私も、娘がまだ1歳の頃はすごいドタバタしてたなあ。そう思えば、娘も随分と成長したものだ。


「……さて、と」

 腕時計で時間を確認すれば、午後一時前。まだ娘も家に帰って来ないし、せっかく外出しているのにこのまま帰るのも勿体無いかな。一人で数分考えた挙句、私は友達のお勧めしていた喫茶ポアロの住所を携帯のマップで調べる。あれ、意外と近い。徒歩十分ほどで着くそうだ。これは――行くしかない!


 マップでルート案内を駆使しながら、喫茶ポアロへと向かう。自分で言うのもなんだけど、私は大のデザート好きだ。だからカフェに行くのは好きだったりする。そのカフェの、独自のデザートがあるからだ。ポアロはどんなデザートがあるんだろう。ケーキあるかな。なんてデザートのことばかり考えていると気が付けば目的地にたどり着いていた、窓に喫茶ポアロと書かれたカフェ。どうやら、毛利探偵事務の1階らしい。毛利探偵って、よくテレビで名前聞く人かな。

 入り口前に置かれた看板には今日のおすすめメニューが記されてあった。ふむふむ、お勧めはベイクドチーズケーキ。即決だ。

 私はドアノブを引いた。カランコロン、と心地良い呼び鈴が店中に響き渡った。そしてその音を聞きつけて、ひとりの店員がやって来た。

「いらっしゃいませ。カウンターでよろし……」
「………」
「………」

 零くんがいた。


 夢、だろうか。それともあれか、ドッペルゲンガー? おかしい。何かがおかしい。色素の薄い髪、青い目、褐色の肌。身長も、声も、なにもかも全て一致している。これで他人っていったらびっくり仰天だ。いやもう、これは絶対に本人じゃないのか。変に冷静になる。
 それに私だけが慌てているならまだしも、目の前にいる彼も私を見て言葉を失っている。どうやらお互い、状況を把握出来ていないようだった。あまりの衝撃に声すら発することもできない。

「いらっしゃいませ……って、安室さん? 何してるんですか」

 そのとき、エプロンをつけた女性が現れた。恐らく店員さんだろう。というか、あむろさん? この人、アムロさん? どうしよう、益々頭がこんがらがってきた。
 女性店員さんの言葉でようやく我に戻ったのか、アムロさんとやら呼ばれた人(絶対に零くん)は接客業失格でしょと言いたくなるくらいのぎこちない笑みを浮かべて、「カウンターでよろしいでしょうか」と尋ねてきた。声がすごく震えていた。







「安室さん、あの方と知り合いなんですか?」

 コーヒーを淹れていると、梓さんが不思議そうな面持ちでそう尋ねてきた。まあ純粋に疑問に思うはずだ、さっきの対応を見れば。まだ、俺だって頭が混乱してるというのに。

「まぁ……」
「?」

 幾度となくイレギュラーな展開や場面には遭遇したけど、こればっかりは予想もしていなかった。ポアロに、嫁が来るなんて。確か今日の日付は大学時代の友達と遊ぶって言っていたような気がする。いつもより粧しているしそれは間違いなさそうだ。でも何で、よりによってポアロに。
 もちろん嫁は、俺がポアロで働いているということも知らなければ安室透ということさえも知らない。仕事の内容は一切教えていないからだ。このまま安室透で押し切るか? いやでも変装も何もしてないんだ、俺が降谷零だとは絶対に分かっているだろう。数年も寄り添ってくれている嫁さんだ。その目を欺けられる訳がない。

 とにかく、コーヒーをひとつカウンターに座っている嫁の元へ梓さんに持って行って貰う。嫁が頼んだのは、コーヒーと今日お勧めのベイクドチーズケーキだった。大方、入り口前の看板を見たのだろう。あいつは素直な奴だから。にしても、相変わらずデザートには目がないんだな。微笑ましくなりながら、ケーキを取り出した。そしてお皿に盛り付けをして、そろそろ完成だといったそのときだった。

「あの店員さんって、」
「? 安室さんですか?」

 思わず手が止まる。

「はい、あの安室さんって…… バイトさん、でしょうか?」
「そうですよ。普段は私立探偵をしているんです」
「…私立探偵」

 梓さん、少し言い過ぎじゃないだろうか。いや、普段から良く女子高生やら女性のお客様にこの類の質問はされるし梓さんはいつものように答えているだけなんだが。厨房からひっそりカウンターに座る嫁を眺めると、考え込んでいる顔が見えた。戸惑う、よな。公安警察であることは分かってるにしろ、旦那が喫茶店でバイトやら私立探偵をしてるやら告げられるのだ。


「安室さんのこと知らないみたいでしたよ、あのお客様」
「そうですか」
「え?」
「あ、いや。僕が一方的に彼女を知っていたというか」
「……へえ、もしかして密かに好意を抱いていたり?」

 ニヤニヤと楽しそうに笑いながらそう問う梓さんに、心の中で好きでたまらない人だと答える。まあ実際そんなこと口が裂けても言えないので、「まさか」と濁した。

「梓さん、そろそろ二時ですよ。今日はシフト二時まででしたよね?」
「あっ本当だ。そろそろ上がりますね」
「はい、お疲れ様です」

 タイミングが良かった。心底そう思った。休憩室に向かった梓さんの背中を見届けてから、俺はベイクドチーズケーキの皿を持ちカウンターへ向かった。彼女は携帯を弄りながら、俺の淹れたコーヒーを美味しそうに飲んでいる。

「お待たせしました、ベイクドチーズケーキです」

 平然に、いつものように営業スマイルを向けると嫁は露骨に驚いて、そのまま苦笑いを浮かべて「ありがとうございます」と礼を言った。しかし、ケーキに目線を寄越すとすぐに目が輝く。「わあ、美味しそう…!」思わず口元が緩んだ。
 
 洗い物をしながら、彼女が自分の作ったケーキを食べる姿をぼんやりと眺める。その間、梓さんが上がった。他に数人ほどいた客も退店し、ポアロには俺と嫁の二人きりになった。とことん運がついている。念のため店を回り、盗聴器など設置されていないか確認する。――よし、無いな。



「嫁、」

 カウンターに回って、嫁の目の前に座った。俺が彼女の名前を呼んだことで何か緊張感から解放されたみたいに、嫁は肩の力を抜かした。「なにしてるの、零くん」気を遣ってくれているのか、ヒソヒソと小さな声で嫁はそう俺に言った。

「たまたま友達のお勧めで来たら、なんか零くんいるし。いらっしゃいませーとか、すごい営業スマイルだし」
「はは、」
「安室ってだれ? ポアロでバイト? しかも私立探偵? もう無理だよ、頭が追いつかない」

 早口で心境を話す嫁を見て、我慢出来ず彼女の頭を撫でた。驚かせてごめんな、と謝ると腑に落ちないといった顔を浮かべている。

「家に帰ったら、説明する」
「説明して大丈夫なの?」
「え?」
「いや、その…干渉はしないっていう約束だから」

 それは、結婚する前に交わした約束。俺は公安警察で、決して安全な仕事はしていない。だから仕事関連には必ず嫁は干渉しない。それが約束だった。こんな状況でもその約束を果たそうとする嫁に、改めてさすがだと感心する。

「本名は出したらマズイってことも、なんとなく分かるし……」
「まあ、もう安室っていう存在はバレたんだ。全部詳しくは教えられないけど、そのことだけは話すよ」
「大丈夫?」

 大丈夫だ。あの小さな名探偵にも正体を気付かれたのだから、組織のことは隠してほかのことはもう伝えてもいいかなと思った。さすがに、組織のことを教えるのはリスクが高すぎるけど。

「でも、零くんすごいね」
「え、」
「これも、仕事のうちなんでしょ? もう、大変だなと思って。もっと零くんのこと、労らなくちゃね…」

 そう感嘆の息を漏らす嫁が面白くて、つい笑ってしまう。「もう十分、家に帰ったら癒されてるよ」そう言うけど、嫁は納得いってない。本当に、お前や娘の存在だけで和むんだけどな。

「それより、どうだ? ケーキ」
「うん、これすっごく美味しい! まさか零くんが作ったの?」
「あぁ」
「通りでこんなに美味しいんだ…」

 羨ましい、と呟いた嫁は、チーズケーキ最後の一口を頬張った。耳に付けてあるピアスが、揺れた。これは――俺たちが付き合って初めて迎えた嫁の誕生日に俺からあげたプレゼントだった。

「ご馳走さまです」
「嫁」
「ん?」
「明日の夜には、帰る」

 そう伝えると、嫁は嬉しそうに笑って頷いた。「そろそろ娘が帰ってくるから、行くね」会計をしようと財布を出す嫁の手を止めるが振り払われるも、「零くんが働いたお金なんだけどね、」と申し訳なさそうに嫁は言った。そうとはいえ、何だか男のプライドが許さない。代金は要らないと言い合いをして、なんとか俺が勝った。

 そのままドアの前まで送り届け、どちらからともなく足を止めた。店を出れば、もう完全に他人として関わらなければいけないから店の中で、最後に。すると、嫁がモジモジと何かに悩むように俺を見上げてきた。

「…れい、くん」
「ん」

 心なしか目を潤ませたまま、嫁は言った。

「時々。……時々、一人の客として。来てもいいかな」


 相当勇気を振り絞ったのか、口元が微かに震えている。夫婦をしてもう数年経つのに、付き合いたてのカップルみたいだ。いや、だからこそ。会えない時間が多いから、家以外でも会えるなら。夫婦としては会えないけど、こうして同じ空間に居ることが出来るなら。ふう、と心の中で一息ついて口を開いた。

「構いませんよ」
「へ」
「また、おめかしして来てくれるのを楽しみにお待ちしております」


 営業スマイルではなくて、本心から溢れた笑みを向けながら俺は嫁のピアスにそっと触れた。すると、嫁の頬は一気に林檎のように赤くなる。「それじゃあご馳走様です!ままっ、また明日!」逃げるように店を出た後ろ姿を見えなくなるまで俺は見送った。途中、ちらりと俺を確認するみたいに振り返った嫁に会釈すると、心底嬉しそうに笑って小さく手を振り返して来た。本当に、可愛い奴だ。一気に疲れが取れていくような気がした。

 嫁がポアロに来たときは正直驚いたが、物分かりのいい嫁で本当に良かったと思う。本当に、存在だけで俺にとったら癒しなんだ。さあ、次はいつ来てくれるんだろうな。ポアロのバイトがこれほど楽しみになったのは初めてのことだった。


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