はじめてのおつかい
はじめてのおつかい


「明日、久々に弁当を作ってくれないか?」

 久々に夕方に家に帰り、家族三人で夕食を済ました日のこと。俺は嫁が飲むような酎ハイをちびちびと飲みながら、洗い物をしている嫁にそう頼んでみた。
 お、お弁当? 俺の口からそのワードが出てくるのは不思議でたまらないのか、嫁はそう復唱していた。

「明日は丸一日デスクワークに費やそうと思っていてな。それに、夜には帰れそうだから」
「全然構わないけど。 珍しいね、零くんが仕事でお弁当持っていくの」
「……まあ、たまにはな」

 なんて口先では言っているが、本当は嫁の弁当というのが羨ましいからだ。
 仕事上、決まった時間に昼飯を取るなんて滅多にない。嫁の作った弁当を、職場の机で食べたことも滅多にない。基本デスクワークに勤しむ同僚が、昼休みに自身の嫁が作ってくれているという弁当を食べる光景を見て何度羨ましくなったことか。
 だから、明日は丸一日潜入先の仕事もない、ポアロのシフトにも入っていない、私立探偵の仕事もないため、警察庁の己の机でへばりついてやろうと思っていて、ならばと。弁当が、食べたい。

「明日は九時半に家出るんだよね?」
「あぁ」
「了解です」

 それじゃあ、娘と一緒にお風呂入ってきてくれる? そう促されて、俺は酎ハイを一気に飲み干しテレビの虫になっている娘を呼んだ。何をそんな必死に見ているのかと思えば、小さい子たちがおつかいをするという番組。昔からよくやっていたし、俺もよく見ていたな。そんなことを思いながら、娘に「パパと風呂に入ろうか」と提案すれば、まだテレビは見たそうにしていたものの「パパとお風呂! 久しぶりだ!」と目を爛々にさせたので、その小さな手を引いて一緒に浴室へと向かったのだった。






 最悪だ。せっかく嫁が使ってくれた弁当を持って来るのを忘れてしまった。

 翌日。九時半に家を出るつもりが、上からの令で結局八時に家に出ることになってしまった。お陰でバタバタと朝は忙しなく準備し、弁当を鞄に入れるという行動はいつもとは違いイレギュラーなものなのでうっかり忘れていた。
 しかもそれに気が付いたのが、職場である警察庁に到着してからのことだった。もう一度言おう、最悪だ。

 嫁が弁当を作ってくれていたのは知っていた。朝から「久々の零くんのお弁当作りだから張り切りたかったのに!」と、俺の急に早くなった通勤時間により寝癖がたくさんついた頭とパジャマという姿で弁当を使ってくれていたからだ。可愛いな、なんて思ってたのに。まんまと忘れるなんて。せっかく作ってくれたのに。やるせなさと、申し訳なさが込み上げる。そんな登庁してから三時間後、午前十一時過ぎのことだった。

  緊急事態発生

 携帯の画面に映っているその文に、何事だと思わず席を立ちそうになったが、プライベート用の携帯であることに気が付く。とはいえ、文の内容が内容だからやはり何事だと急いで何重にも施したパスワードを解除していき、メッセージ画面を開いた。メッセージの主はもちろん、嫁からだ。

  緊急事態発生

  娘がね

 娘……? 娘に何かあったのか? はやる気持ちで「どうした?」とこちらからもメッセージを送れば、長いこと返信はこなかった。おそらく、一分ほど。俺のメッセージに既読マークはついているから、嫁が長文を送っているのか、はたまた頭を悩ませながら文を送っているのかの二つだろう。悶々とその時間を耐えていると、ポシュっ、とだらしない通知音が耳に入った。

  零くん、今日お弁当忘れたじゃない。もうなにやってんのーって思ったんだけど、それに気付いた娘が、娘がパパのところに持って行くって。いきなりおつかいしたいって言い出して

 その文面を見て、思わず安堵の息を漏らした。なんだ、もっとこう、娘が事故に遭っただとか、そういう不吉なことを考えてしまっていた。いやもちろん、嫁からすれば十分な緊急事態なんだろうけど。娘の突拍子のない発言に困り果てている嫁の姿を想像しては、笑いが込み上げた。
 
  警察庁までの道のりなんて車も凄いじゃない? だから危ないからダメって言ったんだけど、もう聞かなくって。今一人でせっせと準備してて、私も諦めつつなんだけど

  とりあえず、日比谷公園まで車で送ってから、そこから行ってもらおうかなと思ってる。もちろん、私も後ろからついていくけど。

  とにかくそういうことだから、また警察庁近くになったら連絡するから、そのときは外に出ておいてくれるかな? ごめんね、忙しいのに(><)

  それじゃあ今から家を出ます

 もうすぐで昼休憩にも入るし、今から家を出てくれればちょうど良い時間帯だ。日比谷公園からなら、娘の歩くスピードを考えておよそ二、三十分くらいだろう。確かに車通りも決して少ないとはいえないが、そこは嫁に任せるべきか。
 俺は一通りそのメッセージを見てから、いそいそと文字を打ち込んだ。

  了解。無事を祈る

 少しふざけた文面を送ってみたが、本心だ。しばらくしてそのメッセージに既読マークはついたが、返信は返ってこなかったので俺も仕事を再開させるべくパソコンと向き合った。





 それから約二十分後になると、嫁から日比谷公園に到着したというメッセージが届いた。ちょうど昼休憩に入る時間帯だったため、仕事も一旦切りのいいところで中断して俺は席を立った。



  零くん、今休憩中?

 エレベーターで一階へ向かっている途中、そんなメッセージが届き、そうだと返事をすれば嫁から電話がかかってきた。素直に応答ボタンをタップし、携帯を耳元に寄せた。ちょうど一階に到着した。


「もしもし」
『零くん。ビデオ通話、しても大丈夫?』
「……? 構わないけど」

 開口一番にそう提案してきた嫁を疑問に思っていると、携帯の画面がパッと切り替わる。そして、そこには娘が一人で日比谷公園付近をトコトコと歩いている後ろ姿が映っていた。恐らく嫁が一つのペンで書いたであろう簡単な地図の紙を見ながら、戸惑うことなくズンズンと歩みを進めている。

『せっかくだから零くんにもこの娘の姿、見せておきたいと思って』
「ああ、有り難いよ。それにしても、出足は好調そうだな」
『もうちょっと迷ってくれてもいいんだけどね。ここだ!って決めた道にひたすら進むって感じだし、さすが零くんの子どもかも』

 そう言って気楽に笑っている嫁につられていると、『あ、何このお店! 新作ワッフル……?』と娘を撮っていた画面がブレた。娘も心配だが、嫁も相当心配だ。全く、本当スイーツには弱いやつだな。


 すると、それまで歩みを止めなかった娘も、とある店の前でボーッとなにかを見つめていた。

「なにを見ているんだ?」
『……ぬいぐるみ?』

 しばらく眺めてから、娘はハッと我の世界から抜け出したかのように再び早足で歩みを進めた。後ろをついていく嫁が、娘の止まっていた店を映してくれると確かにそこにはぬいぐるみが置いてあった。窓側においてある、大きな熊のぬいぐるみだ。本来なら欲しい欲しいと駄々をこねるはずだが、今はおつかい中だということを思い出したのだろう。それだけで十分偉いよ。





『霞ヶ関駅についたし、もうそろそろ――』


 その時だった。今まで順調に歩いていた娘の姿が、嫁の小さな悲鳴と共に画面から消えた。朗らかな表情で携帯を見ていた俺の顔からも、笑顔が消える。


 娘が転んでしまった。


 嫁は今すぐにでも駆けつけたいようにウズウズとしていたが、俺が止めた。そして、二人でその様子を見守ることにした。
 娘は、少し距離のある場所からでも今にも泣きそうになっていることが伺える。膝を痛そうに抱えているが、どうやら血は出ていないようだ。泣くか、堪えるか――。後者を望んでいると、娘はカバンを大事そうに抱えながらふらふらと立ち上がった。そして、カバンの中の弁当の無事を確認し、また力強く歩き出したのだ。

「強い子になったな、娘は」
『だ、駄目、私が泣きそう』
「お前が泣いてどうするんだ」
『うう… そろそろ着くし、とりあえず電話切るね』

 娘に会ったら、いっぱい褒めてあげてね。涙声でそう言った嫁に頷いてから、連絡を切った。そして、受付の壁にもたれていた身体を起こし、警察庁を出た。
 もうすぐで、娘がやって来る。








 嫁との電話を切ってから、およそ五分後。
 きょろきょろと周りを見渡しながら警察庁へ辿り着いた娘の姿を直接確認した。それと同時に、娘も俺の姿を見つけてはパァっと花が綻んだように明るい笑顔を浮かべて、俺の元へ一目散に駆け寄ってきた。危ない、また転ぶぞ。

「パパーーーーっ!」

 娘が勢いよく飛び付いて、俺にしがみついてきた。そんな可愛い愛娘を軽々と抱き上げる。

「パパ、娘ね、パパにお弁当届けにおつかいしにきたんだよ!」
「一人で来てくれたのか?」
「うんっ! 娘、一人で来たの!」
「凄いじゃないか、娘」
「ほんとー!?」
「あぁ。成長したな」
「えへへ」

 頭を撫でてやると、娘は嬉しそうに笑った。そして、手提げカバンを手渡してくれる。中にはもちろん、今朝嫁が作ってくれた弁当も入っている。

「ありがとうな、娘」
「どういたしまして! ……あ、パパっ」
「ん?」

「お仕事、頑張ってね!」

 とびっきりの笑顔でそう言ってくれた娘が愛しくて、大人げもなくぎゅうと抱き締める。「パパ、苦しいよ〜」なんて声も聞こえるけど、それよりも娘を抱き締めていたかった。しばらくそうしていると、警察庁の駐車場付近に一人の女性の人影。目を凝らせば、嫁だった。俺の視線に気が付いたのか、嫁は俺に親指を突き立てる。そんな彼女に、俺も同じポーズを返した。


 娘が、踵を返して警察庁を後にしていく。そんな娘から先回って、嫁も日比谷公園へと戻っていった。もう一度俺は、カバンの中に入った弁当を見つめる。昼休みはあと三十分ほど。味わって食べさせてもらおう。嫁が作って、娘が届けてくれたこの弁当を。そして、今日仕事が終わったら近くのケーキ屋の新作ワッフルと熊のぬいぐるみを買って帰ろう。そんなことを考えるだけで、俺の口元は緩く綻んだ。


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