「結婚式」
「……え?」
夜。娘が寝てから2人でゆっくりしていると突然、嫁の口から出て来たそのワードに思わず目を見開き、少し過剰に反応してしまった。
嫁の手元にあるのは結婚情報誌で、当の本人はそれを食い入るように眺めている。
「来週の土曜日ね、小学校からの友達の結婚式があるの。結婚式に参加するなんて初めてだから、色々勉強してるんだ」
そう言っては、目から下の顔を雑誌で隠し、ふふふと笑う。どんな服着ていけばいいかな、真っ白なコーデはダメらしいよ、ウェディングドレス姿楽しみだなあ。目を爛々と輝かせているのに、なにか我慢するかのように時たま目を細める仕草に、胸が締め付けられた。
俺と嫁は、結婚式を挙げられていない。
◇◆◇◆◇
「ママ、今日すーごいおめかししてたね!」
「そうだな」
「娘もけっこんしき行ってみたい!」
久々に家で料理を作り、娘と2人きりで夕飯を食べていると、やはり会話は嫁が今日行った“結婚式”についてだった。もう娘も幼稚園に入っているし、そういう話も友達としているんだろうな。
「パパとママのけっこんしきって、どんな感じだったのー?」
その話の流れで来れば、聞かれることだろうなと覚悟していたが、やはり言葉に詰まる。
嫁と結婚したのは、5年前。もちろん当時から潜入捜査をしていたから危険な状態ではあったが、何より嫁の側にいたいという考えで婚姻届を提出した。法律上ではもちろん俺と嫁は夫婦になれた訳だが、それを誰彼構わず公表するということは厳しい。それに加え、仕事のスケジュール上余裕など微塵も無い。そのため、結婚式を挙げることも出来ずに時は流れ今に至る。
娘には、素直に結婚式を挙げていないといえば良いのか。それとも隠した方が良いのか。何が正しいのかも分からないのが本音だ。
「パパとママは……だな」
「うん!」
「……秘密だ」
「えーー!なんで!!」
ずるい大人――いや、ずるい父親だなと思った。
「娘がもっと大きくなってから教えてやる」
「ええ、娘はもう大きいもん!」
「まだまだ小さいよ」
「ぶーー。あ、そうだパパ!」
「ん?」
「じゃあこれだけ教えて!」
ママのウェディングドレス姿、綺麗だった?楽しそうに尋ねる娘に、笑みがこぼれる。嫁のウェディングドレス姿を頭の中で想像して、心の中でぼやくはずが口からそれは漏れた。
「……綺麗、だろうな」
・
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申し訳ないけど、3次会に行っても良いかというメールが嫁から届き、大丈夫だと返信したのはついさっきのことだった。きっと、久々にたくさんの懐かしい友達といるんだから、話し込むこともたくさんあるだろう。
娘を寝かしつけてからしばらく、1人で酒を飲みながらぼうっとテレビを眺めていると 玄関の方から物音が聞こえた。ただいまー、といつもより幾分か高い声が聞こえて 俺はソファに下ろしていた腰を上げ、台所へ向かった。
「ただいま〜零くん」
「おかえり。ほら」
「ありがとう」
冷水の入ったコップを手渡すと、へにゃりと笑ってそれを受け取った。化粧をして、髪の毛も巻いてアレンジをして、上品なフォーマルドレスに身を包んだ嫁の頬は明らかに赤く染まっていて、思わず唾を飲み込んだ。
「ふう。久々に飲み過ぎちゃった」
自分で腕を後ろに回し、ネックレスを外す仕草がどうも色っぽく見えて、釘付けになる。男に変な目で見られていなかったか…何もされていなかったのか。――良い年して、考えることは高校生だなと自嘲してしまう。
「…酒にあんまり強くないんだから、無理はするんじゃないぞ」
「えへへ。でも、楽しかったから」
俺がソファに戻り腰を下ろせば、嫁もちょこちょこと後をついてきて、俺の隣に腰を下ろした。ふふっと笑いながら、流れるように俺の肩に頭を乗せ、腕にしがみつかれ、体重を預けられて。これは随分と酔っているなとため息をつきそうになる。
「披露宴で私、挨拶任されててね。すごい緊張しちゃった」
「そうだったのか」
「あ、そうそう。ブーケトスあるじゃない」
「花嫁が投げるやつか?」
「そう。それね、今まで男なんか興味ない!って子が取ってね、これは絶対いい出会いうるぞ〜って思った」
「そうかもしれないな」
「あと、ケーキ入刀とかも楽しそうだったし…余興もすっごい笑っちゃった。ある親子が一緒にダンスしてたりね、可愛かった」
「それは見てみたい」
「新郎から新婦にお手紙もあってね、私泣いちゃった。本当幸せな人に出会えたんだなあって」
「ああ」
「バージンロードを歩いてる姿も、指輪を交換してる姿も、…ウエディングドレスを着てる姿も、」
「……」
「全部、全部幸せそうだなって」
ちょこっとだけ羨ましくなっちゃった!と満面の笑みを向ける嫁に胸が締め付けられた。ちょこっとだけなんて、分かりやすい嘘よくついてくれる。
「……嫁。すまない」
「んー、何が?」
「何がって、お前」
「えー?」
「……結婚式。挙げさせてやれなくて、」
「いーの、全然。謝ることじゃないよ」
嫁の顔を眺めると、酔っている影響でいつもより少し表情が幼くなっていた。未だにしっかりと俺の腕にしがみついており、嫁は目を閉じて口元だけにっこりと笑っている。
「確かに羨ましいよ、結婚式」
「…」
「だって、女の子の憧れだもん」
綺麗なウエディングドレスを着て、最愛の人と一緒にバージンロードを歩いて、色んな人にお祝いをされて。ぽつりぽつりと話す嫁に、俺はただ耳を傾けることしかできない。
「でもね、私幸せだよ」
「え?」
「零くんと結婚できてるってだけで、ちゃんと夫婦ってだけで、幸せだから」
それは、嫁も当然分かっていた。どんな捜査内容と言わずとも、俺は公安警察で決して安心な仕事をしていないと話したとき、自分たちは改めて普通ではないのだと悟った。結婚だって、お互いその気であっても、もし万一俺の正体がバレて嫁に危害があったら。そのことも、嫁は全てを悟り重知していた。けれど、結婚をしたいという道を選んで俺についてきてくれたのも、紛れもなく嫁だった。
「……嫁」
「ふふ、なーに」
「今の仕事に片がついたら、挙げないか」
「結婚式?」
「ああ」
「…うん!挙げたい!」
「披露宴はさすがに厳しいけど」
「式だけでいいよ。ウエディングドレス着て、バージンロード歩いて、誓い合って。それだけで十分だよ」
「…そうだな」
「そしたら、誰呼ぼうかな。やっぱり、小学からずっと仲良しの子は呼びたいし、あと――」
楽しそうに語る嫁に、口元が緩む。最愛の妻のウエディングドレス姿を見たい。共にバージンロードを歩きたい。そうだな、娘にはベールガールを務めてもらおう。きっとそれが1番良い。そんな幸せな結婚式をいつか、いつかは。半透明な未来を頭に描きながら、未だに口数が止まらない彼女の唇に自分のそれを重ねた。
//170828