元気になあれ
元気になあれ


 茹だるような夏の暑さを乗り越えたかと思えば、のんびり秋の到来を感じる間も無く一気に冷え込みが厳しくなった。その気温の寒暖差の影響で、まだ免疫力が強くない娘は風邪を引き熱も出した。しかも症状はかなり重く、このとき嫁は看病するのに一杯一杯だったと思う。俺は組織の任務で一週間は家に帰れずじまいで、娘の看病を手伝うこともできなかった。申し訳なさと同時に有り難みを感じながらも、一週間ぶりに帰宅した。まだ夕方前だし夕食の準備もしていないだろう。今日くらいは俺が夕食を作って嫁を労わろう。まあ、俺が作るといえば「零くんこそ休んで!」と言われることが今からでも想像つくが。
 娘も一週間経てば、熱も引き元気な姿を見せてくれるだろう。二人の存在に期待しながら家のインターホンを押す。すると家の中からドタドタドタ!と騒がしい足音が聞こえてきた。久々の帰宅になると、娘がこうやって駆けつけてくれることも想定済みだ。可愛いな、と心内でぼやいているとガチャリとドアの鍵が外された。ドアノブを引き、いつものように娘のダイビングハグの準備をした。

「パパ!」

 いつものように娘が俺の胸に飛び込んで………

「大変なの、パパ!」

 飛び込んで、来ない?
 それどころか、いつも通りの風景など一切どこにもなく娘の顔は焦りから心なしか青ざめている。仕事柄得意な勘か、はたまた直感か――何やら嫌な予感がした。

「ママが、ママが大変なの!」

 その言葉を聞いた瞬間、俺は我を失ったかのように嫁のもとへ向かった。もはや、靴をどのように脱いだかとか荷物をどこに置いただとか、そんなことさえどうでもよくなるくらいに、一目散に、無我夢中で。





「もう、大袈裟だよ娘ったら、…ッ、ゴホっゴホッ、」
「38度7分…これのどこが大袈裟なんだ」

 寝室のベッドでぐだりと横たわっていたのは、顔を真っ赤にして辛そうに息をする嫁の姿だった。どこからどう見てもそれは病人で、俺が想像していた幾つもの「最悪な予感」が外れてホッと安堵するも、嫁がここまで苦しそうにする姿を見るのは初めてで内心かなり焦っている。

「娘の風邪がうつっちゃっただけだよ」
「ママ、娘のせいで…?」
「いいや。それもあるけど、きっと疲れも溜まってるんだろう。…すまない、一週間も帰れなくて。娘の看病も任せっきりで」
「ママ、ごめんね…」
「二人のせいじゃないから、ゴホっ、ごめんね、もう五時だ。っゴホッ、すぐ夜ごはんの準備するね」

 咳が止まらないようで、苦しそうに言葉を紡いでから布団を剥ぎ取り、身体を起こそうとする嫁を見て眉間に皺が寄る。そして急いで彼女の両肩をつかみ、それを阻止する。

「今日は俺が作る。お前は寝ておくんだ」
「大丈夫だよ、零くんだって、一週間も帰って来れなくて疲れてるでしょ、ゴホッ、」
「馬鹿。俺もそこまでヤワじゃないさ」
「…でも、」
「良いから。たまには甘えてくれないか、嫁」
「そーだよ、ママ!娘もパパのお手伝いするよ!」

 俺だけでなく娘にも押され、やがて嫁は諦めたように溜息を一つついて起こしかけていた身体を再び布団に沈めた。

「それじゃあ、たのみます」
「ああ。先にお粥を作ってくるけど…食欲あるか?」
「ゴホッ、ちょっとだけ、」
「分かった。娘、パパがママのおかゆさんすぐに作ってくるから、ママの様子見ておいてくれるか?」
「うん!分かった!」
「良い子だ」

 娘に嫁を任せてから、急いで俺はお粥を作った。棚から解熱の成分を含む風邪薬も取り出し、寝室へ戻ると娘が嫁の頭を撫でていた。「ママ、だいじょうぶ…?」と何度も尋ねているようだった。娘も俺と同様、心配して仕方ないだろう。

「嫁、出来たぞ」
「…ありがとう」
「食べれる分だけ食べてくれ。これ、薬だ」
「ごめんね、何から何までッ、ゴホゴホッ!」

 これはかなり風邪も拗れている。苦しそうに咳き込む嫁を見て、娘の眉尻もだんだん下がっていき瞳を潤ませている。念のためマスクは付けさせているがこのまま娘をここに居させて、また娘の体調が悪くなってしまうのは冗談でもない。リビングへ行くようにやんわり促すと、ママの迷惑はかけないようにと思っていたのかすんなりと部屋を出て行った。
 しばらくして、茶碗に入った三分の一ほどのお粥を食べ終え、嫁は申し訳なさそうにご馳走様とつぶやいた。せっかく作ってくれたのにごめんね、と付け加えて。本当に、こんなときまで自分より人のことを考えるなんてどこまでお人好しなのか。それがまた彼女の魅力でもあるけれども。

「早く寝て、少しでも多く汗をかいた方がいい」
「…まだ六時、だよ」
「時間は気にしなくていい。明日は俺も家にずっといる。娘も幼稚園は休みだろう」
「…うん」
「それに、ここ最近娘の看病で十分に寝ていないだろう。だから、ゆっくり休んでくれ」
「零、くん」

 布団を丁寧にかけて、先ほどの娘のように嫁の頭を優しく撫でる。その度に目を薄く細めていく姿は、まるで小動物を相手しているみたいだった。弱っている姿は、実年齢よりひどく幼く見える。更に守ってあげたくなる。

「ありがとう」
「ああ。それじゃあ、部屋の電気消すぞ」
「……うん、」
「それじゃあ。…おやすみ」
「れいくん、」

 最後の力を絞り出したかのような、か弱い声が俺の名前を呼んだ。耳を傾け、嫁の顔を見れば彼女は花が開くようにふわりと笑った。

「だいすき、ありがとう」

 嘘偽りない、真っ直ぐとした視線をこちらへ送りながらそう口にした嫁はきっと熱に浮かされているんだろう。とはいえ、その言葉を放っておくことなんか出来ず、――自分の本能を我慢することなんか出来ず、俺は離れかけていた嫁にまた近寄った。

「早く元気になってくれよ」
「……ん」

 ゆっくり屈んで、嫁の顔にそっと触れる。もう一度やさしく頭を撫でながら唇を重ねようとするも、さすがに嫁に怒られそうなので額に軽く唇を落とした。

「なっ、馬鹿、ゴホっ」
「はは。おやすみ」

 結局怒られたが、赤い顔が更に真っ赤になってゆく姿を見て愛くるしさを覚えながらも最後に頭をひとつ撫でて部屋の電気を消した。部屋に出る直前、小さな小さな「おやすみ」という声が聞こえた気がした。早く良くなってくれよ、と俺もドア越しに呟いてから 娘のいるリビングへと向かったのだった。さて、久々に夕食を作ろうか。

//180113

BACK