かくしごと
かくしごと


 若干R15


 嫁と籍を入れ、半年が経った。世間では新婚といわれる期間なのに、俺の仕事――極秘の潜入捜査のせいで満足に新婚生活を送るどころか家へ帰ることも出来ていなかった。それをこの間詫びるも、嫁は「零くんと夫婦ってだけで幸せだから、そんな高望みしてないよ」と柔らかく笑うのだ。全く、敵わない。仕方ないと踏ん切り付けたいが、申し訳なさが勝る。だけどその彼女の優しさにも甘えてしまう。
 しかし、先日前。数週間ぶりに帰宅したときのことだ。

「嫁…?」

 リビングへ向かうと、ソファに横たわっている嫁の姿があった。様子を伺うと、熟睡しているようだった。今の時刻は午後7時半過ぎ。昼寝にしては長いし、夜寝にしては早すぎる。今日メールで夕飯の有無を尋ねられたとき、要ると答えたが――食卓の上にも冷蔵庫の中にも夕飯のようなものは見つからなかった。決して責めている訳ではなく、純粋に珍しいなと思った。いつもしっかりしている嫁が普段しでかさないことだ。

「嫁、…嫁」
「んん、…」
「こんなところで寝ていたら風邪を引くぞ」
「れい、くん…?」
「あぁそうだ。このまま寝るならちゃんと寝室で――」
「わぁっ!?」

 俺が家にいることを寝ぼけた頭で理解し、しばしの時間差の後に叫び声が間近で響き渡った。それから嫁は晩ご飯まだ作っていない、どうしようどうしようと慌てふためいている様子で、とにかく俺はそれを宥める。

「そんなに慌てるな」
「ごめんなさい。眠気に耐えれなくって…」
「珍しいな。それなら今日は俺が簡単なものを作るから、また寝ておけばいい」

 せめてもの、彼女のためにブランケットを持って来ようとするも弱々しい力で嫁は俺の服の裾を掴んでその行動を止めさせた。

「大丈夫だよ」

 そう言ってソファから起き上がり、立とうとした瞬間嫁の体は揺れた。そしてそのまま、ふらつきは治らずに近くにいた俺の方へ倒れ込んできた。突然の事態に俺も慌てながら、なんとか胸の中へと収める。

「嫁!?大丈夫か?」
「ごめん…ちょっと、ふらっとしただけ」
「疲れているのか?」
「そうかも。今日久々に車運転したからかな、あはは」

 疑問を抱かざるを得ないその発言に、漸く俺は嫁の異変に気が付いたのだ。何かが、おかしい。ここまでくると俺の直感でしかないが――嫁は俺に何か隠しているように見えた。ただの体調不良を誤魔化しているようには思えなかったのだ。
 今すぐ聞いてやりたいところだったが、何か隠したがっている嫁に乗じて今は知らないふりをした。「どのくらい運転していなかったんだ」と、とぼけて笑ってみせる。どうやら乗り切った、と言わんばかりに安堵の息を漏らした嫁な思わず吹き出しそうになった。この俺に隠し事なんて出来るなんて、まさか思っている訳じゃないだろうな。
 何はともあれ、今日は俺が簡単なものを作る、そういう気分なんだと曖昧な理由をつけて嫁をソファで休ませる。ブランケットを寝室から持ってきてかけてやると、心底嬉しそうに笑った。頭を撫でると、猫のように身をよじらせて丸くなった。本当に、可愛い奴だ。


「零くんのご飯、久しぶりだなぁ」

 キッチンで野菜を炒めていると、つい先ほどまでソファで休んでいた嫁がいつのまにか背後にいて素で驚いてしまった。潜入捜査官たるもの、背後など特に気を付けないといけないのに――まぁ、家ではそれほど気が抜けているということかと苦笑が浮かぶ。

「大丈夫なのか、立ち上がって」
「……うん。大丈夫、大丈夫」

 俺の質問への答えのはずが、それはまるで自分にも言い聞かせているような言い方だった。やはり引っかかる。一体、何を隠しているんだ。

「もう少しで出来そうかな?」
「あぁ」
「ご飯もそろそろ炊けてるかな…」

 炊飯器の元へ行き、確認する嫁を見てから目の前にあるフライパンに目を向ける。最後の味付けのために、調味料を引っ張り出していた――そのときだった。
 うっ、と呻くような声が背後から耳に入る。急いで振り返ると、炊飯器の蓋を開けっ放しにしたまま嫁が蹲っている姿があった。一体、何が起きているんだ。今の状況が全く理解できなくて、とにかく嫁に近寄った。両手で自身の口を覆い、何か耐えているように眉間の皺を寄せていた。

「嫁、どうしたんだ!?」
「っ、お米が、」
「米……?」

 そう聞いて、俺は炊飯器に目を向けた。艶々と白米が光っていて、ご飯の炊けた特有の匂いが香っている。至って普通の光景で、イレギュラーなものは何もない。俺は首を捻らせた。

「……なにも変わりはないが、」

 とりあえず、炊飯器の蓋を閉めた。熱が逃げてしまう。
 しばらくして嫁は手で覆っていた口元を解放しては、自身を落ち着かせるように深呼吸を何度も繰り返していた。そして漸く俺の方を見て、「ごめんね」と眉尻を下げて謝ってきた。反省だったり、純粋な申し訳無さというより、焦りや怯えが強い。そんな表情と声色だった。それを見て、俺はとてつもない胸騒ぎのようなものがした。先ほどの疑問と、何か関係があるのか。

 ただの体調不良ではない、ましてや俺に何か隠している様子だ。そのとき一つの予想が浮かび上がった。まさかと思った。



 ひとまず、嫁をソファへと強制に戻させて後少しの夕食作りを完成させ、皿にも盛り付けた。俺も焦りからか、その作業は少々荒かったように思える。自覚してるだけ、まだマシか。
 とにかく夕食をテーブルに並べた。その間、嫁を横目で確認すると 曇った目をしながらボーっと天井を仰いでいた。覇気がないといえばそう見えるし、純粋に眠そうなだけだといえばそうにも見える。夕食の準備を終え、本来ならばお腹も空いているしすぐ食べたいところだが、間違いなくそれよりも大事なことがある。俺はソファへと近寄った。

「嫁」
「…ん… あ、もう準備できたんだ。ごめんね、何も手伝えなくて」
「嫁、」
「もう8時になっちゃうね、早く食べ…」
「嫁!」

 少し大きな声で彼女のそれからの行動を呼び止めた。びくん、と肩を跳ね上げさせていた。俺は嫁の両肩にそっと手を置いて、ソファに再び座らせるよう促す。嫁が座ったのを確認して、俺もその隣へ腰を下ろした。そして、溜めるのもなんだと思ったさっそく本題へ入ったのだ。


「一体、何を隠しているんだ?」
「!」
「俺に隠し事なんて、通用しないぞ」

 自分でも分かるくらい、自信ありげな声で口角を上げてそう言った。嫁と出逢って、付き合って、そして結婚して――たった今まで。隠し事なんて、されたことあっただろうか。いいや、無い。嫁はそういうのが嫌いだ。まぁ、俺の仕事については公安警察という異色な職のみ知っているから、隠し事云々に対して仕方ないと思ってくれているのだが。そう、だから彼女が隠し事なんて今まで考えられなかった。つまりは、相当彼女もそれについて悩み葛藤し、俺にさえも簡単に言えないものなのだろうと大まかに察していたのだ。だからこそ、深刻な雰囲気にはしたくなくて、ちょけるように自信満々の笑みを今俺は浮かべている。

「なにも、隠してなんか」
「無い……そう言えるのか?」
「っ」
「嫁、話してくれ。俺はお前のことなら、何でも受け止めるつもりなんだ」
「…零、くん」
「俺たちは、夫婦だろう」

 嫁は、ハッと息を飲んだ。そして、丸い目玉をゆらゆらさせながら、諦めたように口元をきゅっと結ぶ。ビー玉のようなその目は、次第に潤いを増してゆく。彼女の固く結ばれた口が、ゆっくりと開けられる。何でも受け止める。その言葉に1ミリとも嘘はなかった。


「……私。赤ちゃんが、できたの」


 嘘は、ないはずだった。
 

 しばらく沈黙がリビングを包んだ。嫁に、赤ちゃんが、出来た。たったそれだけの3節が、未だに頭の中でうまく飲み込めなかった。嫁が、そっと自身のお腹に手を添えた。その光景を見て、思わずゴクリと無意識な生唾を飲み込んだ。つまり、それって。段々とそれを理解していき、胸の奥からじわじわとその感情が溢れ出していたその瞬間だった。
 嫁の頬に、大粒な涙が1つ伝った。

「ごめんなさい、迷惑だよね、」
「は?」
「今は、まだ作ろうって、決めてなかったのに。零くん、今すっごく仕事大変でしょ、なのに子供なんて。だから、呆れられたらどうしようって、なかなか、言えなくて、」

 一度涙を流したことによって、完全に我慢していたものが溢れ出したのか嫁はボロボロと若干嗚咽しながら泣き始める。俺はそんな嫁の様子を見て、拳をぎゅっと固くした。

 子作りをしようという計画は、したことがなかった。欲しくない、というわけでは決してなくて 今は俺の仕事云々、まだ時期ではないよね、と笑いながら話していたほど。でも、少し生々しい話になるが 情事で避妊具は付けていなかったし、中にだって出していた。俺たちは学生でもない、未成年でもないし。夫婦という関係だ。嫁が子を授かっても問題ない。だから、予期せぬ妊娠だって何ら問題ないと思っていた。だから避妊具をつけていなかった。
 だけど、俺と嫁の子供――というものを想像したときは何だか漠然としていて。心のどこかでは、避妊具をつけていなくとも妊娠しないのではないのか、なんて考えていたのも事実だった。無責任だった。そんな俺の、謎の余裕のせいで嫁を苦しめていたのだ。
 でも、ちがう。嫁は勘違いをしている。一番重要で、大切なことを。

「俺は、嫁との子供が心の底から欲しいと思っていたよ」
「…」
「確かにびっくりはしたさ。でも、迷惑なんてことは一つもない」
「……でも、今は時期じゃないって。零くんの仕事に支障が出るから、」
「ちがう。それは俺というより嫁の方が心配だったんだ」
「え?」
「俺が、今はまだ時期じゃないって言ったのは。俺は仕事も不規則で家にいない方が多いから、嫁ひとりで何もかもやらなくちゃいけなくなるだろう。負担が大きくなる。俺に支障や迷惑は一つもないさ」
「そんなの、私だって、大丈夫だもん」
「なら、何一つ問題なんてないな」

 未だ嫁の目から溢れ出す涙を、指で掬うようにして拭った。すると、くすぐったそうに少しだけ顔を捩らせる嫁が愛おしくってたまらなくなる。俺は、嫁がお腹の上に添えている手に自身の手を重ねた。

「嬉しいな、嫁。ここに俺たちの子供がいるんだろう」
「っうん、」
「この子の為にも喜んでやらないとな。この子は、いろんな巡り合わせで俺たちの元へ来てくれたんだ。大切にしよう…… な」
「そうだね……うん、そうだね」

 それから想いが溢れて、嫁を自分の腕の中へと閉じ込めた。ぎゅう、と強く抱き締めると嫁の匂いがふんわりと香る。それから、いそいそと嫁が手を俺の胸板に添えた。

「本当に、俺たちの子供…なんだよな」
「ふふ。私が浮気してると思うの?」
「それは……、」
「えっ し、してないからね!」
「はは! 冗談だ」
「もう……零くんのばか」

 胸板にある手が、俺の襟元をきゅっと掴んだ。胸の奥が、心地良い痛みに締め付けられる。

「嫁」
「ん…?」

 愛してる。至近距離で、彼女の目を真っ直ぐに捉えそう言った。嫁はまた瞳をビー玉のようにうるうると輝かせていく。「私も、」その続きを聞くが前に、俺は無垢な唇に自分のものを重ねる。本当は、不可解な体調不良を見て 何か重い病気を抱えているんじゃないかと不安で仕方なかったんだ。悲報を覚悟していたのに、こんな朗報が待ち構えているなんて良いことだろう? ひと時も離したくなくて、その口付けは長く、長く続けた。夕飯が冷めてしまうな、なんてぼんやり考えながら。
 この空間に、俺と嫁、そして俺たちの子供がいる。なんて幸せなものなんだろうか。この幸せな日々を、幸せな時間を、これからもずっと過ごしていきたいと思う。外では心身血に塗れたとしても、家でそれを洗い流してくれる。俺は、しあわせだ。

//180224

BACK