あなたに送る
あなたに送る



 最近、嫁や娘の様子がおかしかった。二人は何か企み始めると、少し厄介になる。無論害はないが。この日、仕事の予定はどうだとか、何時に家に帰ってくるだとか。公安の仕事にしろ、黒の組織の仕事にしろ、決まった休みや帰宅時間なんて存在しないから、曖昧に(適当ともいう)返事をすると娘にちゃんと教えて、と怒られてしまった。……。

「その日は、帰って来てほしいな。できるだけで良いの。お願い」
「パパ、娘からもお願いだよう」
「……何かあるのか?」
「ふふ。何かあるの!」
「ええ!パパは、わからないの?」
「こーら娘。パパはわかってないの、だから秘密って言ったでしょ?」
「パパへーんなの!でも、ママと約束したもんね!だから、これは娘とママのひみつー!」
「まぁ、そういうことかな」

 そういうこととまとめられても、俺は何一つ理解するどころか頭に疑問符を浮かべるばかりだ。パパは分からないの?パパ変なの?待て、本当に一体何のことなんだ。

「出来たらで大丈夫なの。またその都度、教えてほしいな」

 準備とか必要だから。そう言った嫁は楽しそうにニコニコと笑っていて、俺の首に手を回している娘も愉快そうにはしゃいでいた。なにを企んでいるのか結局何一つさっぱり思い浮かびやしないし、とにかく嫁たちのためにその日は何もなければ良いなとは思った。






「ふーんふふーん、」
「随分とご機嫌だな、娘」
「わぁ、パパ!」

 翌日、資料尽くしの自室で仕事をまとめてから部屋を出てリビングへ向かうと娘がこの前俺が買ってあげたスケッチブックに落書きを描いていた。鼻歌をうたっているし、相当ご機嫌な様子だ。

「みてみて、タヌキさんかいたの!」
「おっ、上手いじゃないか」
「でしょー!」

 にししと笑う娘の近くに腰を下ろし、そのまま脇に手を通して自身の足に娘を乗せた。体重もだんだんと増えてきて(もちろんそれでもまだまだ俺からすれば軽いが)、意外とこの瞬間が成長を感じている時間でもある。
 娘の頭を撫でながら、まじまじとクレヨンで描かれた黄土色のタヌキを見ていると前のページにも落書きが透けて見えた。気になってページをめくろうとすると、下からダメ!と制御する声が聞こえたので大人しく見ないことにした。

「パパ、もうちょっとだね!」
「ん?……あぁ、」

 おそらくは、昨日の話の続きかと察した。娘は体を揺すりながらタヌキの絵にツノを増やしていく。……タヌキにツノは、ないはずだぞ。

「ママね、すーごい楽しみにしてるんだよ」
「そうなのか?」
「でもね、ママ、そのこと考えてるとき、たまに悲しそうなお顔するの」
「……悲しそうな?」
「うん…」
「そう、か」
「だからね! その日は、パパはもちろんだけどママもいっちばん可愛く笑ってほしいなーって、娘思うんだ!」
「……そうだな。娘も、その日はいっぱい笑おうな」
「うんっ!」

 娘は満面の笑みで頷いた。そして、タヌキの絵に仕上げと言わんばかりに大きな出べそを描いていた。いつもなら心の中で突っ込むはずが、頭につっかかる疑問が邪魔してそんな余裕などなかった。
 嫁が娘の前で悲しそうな顔……?ますます分からなくなってきた。






 嫁たちのいう、「その日」の一日前。娘がとっくに寝ている時間、およそ三日ぶりに家へ帰ってきて、家特有の安心感を感じながら嫁と久々にちびちびと晩酌をしていた。そして、俺からそういえば、と明日の仕事の予定を彼女に伝えることにした。

「えっ 夜は帰ってこれそうなの!?」
「あぁ」
「ほ、本当に?」
「今のところはな。6時過ぎには帰ってこれそうだ」
「わ!それも完璧な時間帯!」

 そう。それは久しぶりの確信めいた予定だったのだ。明日は公安の仕事といえば朝に登庁して調査書類を届けに行くだけだし、バーボンとしての仕事は、元々ないのだ。明日はいつも行動を共にしているベルモットがジンの方に同行すると言っていたから、緊急で呼び出されることも99.9パーセントないだろう。だから、昼頃から6時までポアロのシフトが入っていたからそれが終われば、真っ直ぐ家へと帰られるのだ。あまりにも上手くいくものだなと思った。もしかすると、嫁と娘の願いが届いたのかもしれない。嫁は、また嬉しそうに表情を緩ませている。

「そんなに、嬉しいのか」
「もちろん」
「……へえ?」
「零くん、だって、本当に分かってないでしょ?」
「さっぱりな」
「うん、……そっか」
「ん?」

 しかし、俺がそう答えると先ほどまでとは打って変わって嫁はほんの少し表情を曇らせた。何か気に障るようなことでも言ったか。思考をぐるぐる回転させても、やっぱり思い浮かばなくて反省のしようがなかった。いや、もしかして。娘の言ってた“悲しそうな顔”って、このことだったんじゃないのか。悩んだりひらめいたりを繰り返すそんな俺を見てか、嫁はまたパっと明るく笑顔を見せて「とにかく明日、帰ってくるときを楽しみにしてね」と言った。何はともあれ明日には分かる、んだよな。






 午後6時過ぎ。ポアロを出てさっそく、家へと車を走らせた。昨日までは気兼ねなくその日を楽しみに待っていたが、昨日の嫁のあの曇った表情を見てからというものの、やはりなにか心が突っかかる――そんな気分だった。つくづく俺は嫁に感化されやすいな。

 家につき、少し深呼吸をしてからインターフォンを鳴らした。いつものこの時間なら、ドタバタと大きな足音を立てながら娘が迎えに来てくれるはずだが、今日はそんな娘どころか嫁でさえ来ない。仕方なしにカバンの奥底に入っている鍵で解錠すると廊下も部屋も、とにかく家の中が真っ暗だった。

「……おかしいな」

 廊下の電気を点けるも、リビングは愚かどの部屋にも灯りは見えない。嫁も娘も買い物に行ってるのか。いやでも、靴はある。なら二人はここにいるはずだ。でも、じゃあなぜ、こんなにも気配を感じない? 職業柄なのか、すぐに悪い予感が頭の中を駆け巡った。――まさか、誰かが部屋に入って、二人を!

 気付いた時には靴を慌てるように脱ぎ捨て、リビングへと駆け走った。震える手でリビングの電気のスイッチを押す。眩い灯りが、リビングを照らしたその瞬間だった。



パァーン!
パッパァーン!

「零くんっ」
「パパっ」
「ハッピーバースデー!!」

 ………………?……………ん?……………どういうことだ?頭の中はせわしく困惑しているのに、鳩に豆鉄砲を食らったような表情とは、まさしく今の俺のことだろうとなんだか冷静に考えたりもしていた。

 目の前にいるのは、決して、倒れたり失踪したりな二人ではなく、クラッカーを手に、ちゃらけた帽子をかぶり満面の笑みを浮かべている、嫁と娘。だんだんと状況を理解するのに時間はかからなくて。

「パパ、お誕生日おめでとーー!」

 娘がその言葉を復唱したときに、漸く俺は完全にそれを理解したのだ。

「……そうか。そういうことか」
「ふふ。今日が自分の誕生日ってこと、忘れちゃってたでしょ。零くんたら」
「ああ。すっかり、な」

 バーボンの方も、安室透の方も、生年月日は偽っているから本来の自分の誕生日なんてそれほど重要でもなかったのだ。もちろん降谷零の生年月日を聞かれれば答えられるが、カレンダー上で見ると何の日か思い出せないといったような、そんな感覚だった。確か去年も、一昨年も忘れていたような記憶がある。仕事柄仕方ないものもある。寂しい人間になったものだ。あの悲しそうな嫁の表情は、俺が誕生日を忘れていたからなんだろう。

「去年もその前も誕生日当日にお祝いできなかったから、今年こそはと思って!」

 そういえば、去年以降も誕生日の日は仕事で家に帰られなかったのを今更ながらに思い出した。そして嫁や娘がいつも、数日遅れで細やかに祝ってくれていた。
 ああ、そうか。だから今年、俺の誕生日に俺自身が家にいることを、そして家族で祝えることを二人は、何より嫁は望んでくれていたのか。それを考えると、胸がジーンと温まった。自分の誕生日を忘れるなんてつくづく寂しくもあるが、俺は誰よりも幸せな人間だ。こうやって祝ってくれる大切な家族がいるのだから。

「パパ、これ!娘からのプレゼントだよ!!」

 すると娘が、とある一枚の紙を持ってきた。はい、と差し出されたそれを見て目が丸くなった。恐らくスケッチブックの1ページを破り取ったと見られるその白い背景には、クレヨンで描かれた俺と、娘、そして嫁が3人仲良く手を繋いでる姿が浮かんでいた。思わず、鼻の奥にツンと痺れが走った。

「ありがとうな、娘。すっごく上手く描けてるじゃないか」
「パパ、よろこんでくれた……?」
「当たり前だ。すっごい嬉しいよ。今日からパパの部屋に飾るな」
「えへへ、やったぁ!」

 若干その絵になんとなくの見覚えがあったのは、タヌキの絵の1ページ前に透けているのを見たからなんだろうと思った。あのとき俺が見ようとして、娘も内心慌てていたのだろうか。そう思うと、微笑ましくなって娘を抱き上げた。

「パパ、見て見て! ママ、すーーっごいご馳走いっぱい作ったんだよ!」

 娘の言葉に促されるように、俺はテーブルへと視線を向けた。そこには彩り豊かな料理がたくさん並んでいた。しかも、俺の好きな食べ物ばかりだ。嫁の方を見ると、視線がばっちりと重なった。

「せ、せっかくだから。パーって、お祝いしたいなって思って。張り切っ…ちゃった」

 少し頬を赤らめながらそう説明した嫁に、どうしようもないほど愛しさが込み上げた。娘を下ろし「手を洗いに行こうか」といえば、元気に「はーい!」と返事をして娘は洗面所へと走り向かった。その後ろ姿を確認して、俺は再び嫁の方への振り返った。

「嫁、」
「は、はいっ」
「ありがとう」

 心の底から、想いを告げると嫁は泣きそうな顔で笑った。洗面所からは、ジャーと水が流れる音が聞こえる。俺は嫁との距離を詰めて、彼女の有無を言わさずに唇を重ねた。「っ!?」急いで嫁は俺から離れて、「もう!早く手を洗ってきて!」と怒った。顔が真っ赤だから、むしろ可愛いんだが。そんなことを思いながら、娘のいる洗面所へと足を進めたときだった。

「零くん、」
「ん?」

「誕生日おめでとう」

 にっこりと笑って嫁は俺に向かって改めてそう言った。胸が温かくなるのを感じながら、俺は頷く。洗面所からドタバタとした足音が聞こえたかと思うと、「今日はパーティーだよー!」と騒がしい声が聞こえてくる。そうだな。今日くらいは、思う存分に楽しんでもいいのかもしれない。

 家族3人、テーブルに並んで。嫁の作ったご馳走を堪能して。歌を唄ってくれて。嫁と娘が協力して作ったというケーキを食べて。年を重ねるだけだと設定付けていたイベントはこんなにも幸せ溢れるものだったのかと再確認しながら、俺は誕生日を最愛の家族と過ごしたのだった。

//180304

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