学校行事だからといって、あまり浮足立つ方では無かった。
 体育祭も球技大会も、周囲程熱意は無かった。勝ち負けにあまり頓着が無い性分だから、と言ってしまえば簡単だが、俺は自分で思っていたよりも、数段、単純だったのかもしれない。
 わざわざ体操服に着替え、もくもくと作業している自分を俯瞰的に想像しながら、そんなことを思っていた。



 周囲を段ボールやら、木材やらで包囲されていた。それらは高い壁のようにそびえたっていて、男二人での作業を辺りの賑やかさから遠ざけていた。
 それが何となく殺伐とした雰囲気だと感じているのは、俺だけなのだろうか。

「飽きた」

 太宰は自ら勇んでやる、と立候補した看板の装飾をすでに飽きていた。絵が前衛的な割には、看板の出来はお化け屋敷に相応しくおどろおどろしい。しかしその看板は、一向に出来上がる気配がない。
「当日までに間に合うのか」
「さぁ、どうだろう」
 他人事のようにそう言い、太宰は段ボールの隙間からちらちらと教室の方を眺めていた。袖にべったりついた赤いペンキが、いかにも猟奇的だ。すでに空になったペンキの缶が、太宰の足元に転がっている。
「……可愛いよね、名前って」
 不意に太宰がそう言った。
 太宰を見ると、にっこりと真意の見えない顔で笑っていた。
 正直、嫌な予感がした。その予感は恐らく的中していて、俺は普段ならば学校祭の準備などサボっているであろう太宰が、看板を作ることに立候補した違和感を感じていたし、太宰も、俺が自主的にこういった行事に参加している本当の理由を、とうに見抜いているだろう。
 なぜ互いに似合わないことをしているのか。


 それは、名前が、楽しそうだからだ。


 なぜ名前が楽しそうだと張り切ってしまうのか。なぜ太宰が名前を可愛いと言っただけで焦るのか。

 その理由ももう互いに分かっている。

 太宰が意地の悪い笑みを浮かべ、話し出す。
「私、この間名前とお昼一緒に食べた」
「俺は昨日一緒に下校した」
「私はお弁当作ってもらったけど?」

 下らない。実に下らない攻防だ。そう頭では思うが、正直口惜しいやら羨ましいやら雑念が湧いて出た。それに気を取られ、木材を一つ間違えて切ってしまった。目敏く気づいた太宰は、ふふん、と得意げにしている。
「例え織田作相手でも、私は名前を譲らないからね」
 太宰のその笑顔の底知れなさに、俺は頭を抱えたくなった。その顔を一度名前に見せてやりたい。



「名前ー、こっちこっち」
 看板などとうに見捨て、名前の動向に気を配っていた太宰は、いち早く彼女を見つけた。身を乗り出し、さっき俺を挑発した時とは打って変わって無邪気な顔である。
「はい。お待たせ」
 段ボールの山から出てきた彼女は抱えていた缶を置いた。そして太宰の看板に目くじらを立てる。それに言い訳する、太宰の楽しそうな顔。
 俺は作業に没頭する振りをして、彼女と太宰が言い合うのを聞いていた。
 いつ、太宰は名前と昼食を共にしたのだろうか。なぜ、名前が太宰の弁当を作るのか。彼女は一体、何を作るのだろう。
 太宰のそういう、他人の懐に入り込むのがうまいところは、少し羨ましくもあった。対して自分のつまらなさに、悲観していた。



「他に何かいるものある?」
 彼女がそう言って首を傾げた。
「無いかな。あ、私と仕事代わる?」
「そのまま絶対サボるでしょ。織田作見張ってて」
「分かった」
 そう返事をすると、彼女が立ち上がった。
 その時、ビリビリッという布が裂ける音がした。
「あ、」
 名前がぱっと背中に手を回す。背中が切れたのだろうか。
「大丈夫か」
「えっと、どうなってるのか見えなくて、」
「見せて」
 名前がなにかを言い終える前に、太宰が動いた。太宰のペンキだらけの制服が、彼女に伸びる。
 太宰が名前の前に行き、その背中に手を回す。
 それを見て、体が衝動的に動いた。持っていたものを床に放り投げた。かつん、と木材が床にぶつかる音がした。
 咄嗟に、太宰から名前を引き離す。そのとき掴んだ肩の細さと、思っていた以上に破けているシャツから見える素肌に、少し動揺する。しかし、他の奴らに破けたところを見られたくなく、彼女の体に近づいた。
 名前が首を捻り、俺の顔を見る。彼女が動いたせいで、甘い匂いがした気がした。
「お、織田作」
 上を脱ぎ、彼女の肩にかけた。その時に彼女の顔が赤いのが、少し意外だった。
「それ着て保健室に行ってこい」
「あ、ありがとう……」
 初めて聞いた、彼女の照れたような細い声が、耳に残る。
 蹴躓きながら保健室に向かう彼女の背中を見送った。



「……織田作」
「太宰、女子にああして無遠慮に触るのはあまり良くないと思うぞ」
 彼女が去った後、何か言いたげな太宰に何事も無かったかのように諭す。
「……もしかしてわざと?」
 太宰がそう苦々し気に言った。さっきとは違って随分余裕の無い顔だ。

 俺は太宰程口もうまくない。しかし名前が嬉しそうなら浮足立つし、自分から口には出さないが可愛いとも思ってる。他の男といれば、嫉妬もする。余裕などない。

 例え太宰相手でも、俺は名前を譲らない。


 太宰の先の問いに、笑って答える。


「さぁな」


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