夜の街はキラキラしているようでその実、ドス黒い闇の中の迷宮なのだと一欠片も知らなかった。そんな頃の話である。



成人を迎えてほんの数カ月のこと、お酒の味を知った私と友人は一ヶ月に三度ほど、夜の街へと繰り出すようになっていた。多くはない。寧ろ少ない数だ。親にとっては、悪い子にはならないギリギリのライン。

人生にはしゃぎたい、とかそんな浮ついた理由からでは決してない。家に居ることになんら不満はない。家族との時間も嫌いじゃない。それでも、それでも閉鎖された世界から、時たま抜け出したくなる衝動に駆られる。どうしようもなく息苦しくなる。そういう時は決まって、友人と一緒に外へと出て行った。

人と会ってもそれなりに恥ずかしくない格好で。十八の時に染めた赤茶の髪。それ以降染め直しに行っていないから、元々の黒髪と相まって陽の光に反射すると中々のグラデーションだ。左だけ開けた二つのピアス穴にはターコイズの星模様がゆらゆらと揺れる。友人と色違いで買ったそれは、持っているピアスの中でとびきり気に入っている部類だ。



友人と共に偶々入ったバーが最近のお気に入りだったりする。何時も隣に居る赤髪の友人の姿は今日は何処にもなく、居るのはそのバーで知り合った、此処の常連さんだという種類のバラバラな男三人組だった。職業不明、年齢も不明、知っていることと言いえば名前ぐらい。それはお互い様なのでとやかく言うつもりは全くもってない。

お洒落なこのお店を好きな飲み仲間、それが数回しか会ったことのない私達の関係だと思う。 " 此処が好きだ " なんて言葉、私よりも常連歴の長そうな彼らでは比較できない事だが。

「作ちゃん、手ェ見せてよ」

飲みかけのグラスをコトリと音をたてて置き、隣に鎮座する三人の中で中々に体格の良く、怖モテの印象を受ける彼に絡みに行った。いや、酔ってはいないので酔っぱらいの鬱陶しい絡み具合ではなく、友達に絡みに行くようなそんな軽い感じ。ふと見えた、グラスを持つ彼の手がほんの少し気になった。無遠慮であったかも知れないが彼は「なんだ」と言いながらも右手を差し出してきてくれた。

織田作、と呼ばれる彼を私は作ちゃん、と呼ぶ。たった数回。たった数回しか会ったこともない、それも男にちゃん付けだなんて。最初は止めろ、と渋めに八の字に曲げていた眉間も呼ぶ回数を重ねる事に諦めたのか、その皺は段々と無くなっていった。最後には好きにしろとポイ捨てだ。ならば好きにさせてもらおう。

彼の知り合いであろう、何時も真ん中に座る手が包帯だらけの優男も「それはいい!私も今度から織田作のことは作ちゃんと呼ぶ事にしようかな」と絶賛して声を震わせ呼んでいたが、何故だか今も彼にだけお咎めの声が上がる。太宰、と。

「手がどうかしたのか」
「いや、なんか」

まじまじと見つめる、自身の両手に包まれた作ちゃんの右手。骨ばってて、大きな骨格をプニプニと触りまくる。男の人の手だ。なんかエロい。でも、なんか安心する手だ。よく頭を撫でられる。撫でてくれる、ぽんぽんと。それが暗に子供扱いされているようで、でも心がぽかぽかとして、眠たくなる。

「なんか、男の人の手っていいなぁと思って。ゴツゴツしてると思ったら全然そうでもないし。こう…、骨ばってるのが堪んない」

「私、変態みたい」と愚痴りながらも手の中の " 堪んない " と評した彼の手をぎゅっぎゅっと握ったり絡ませたりと遊ぶ私の言葉に作ちゃんは、そうか、とだけ紡ぐ。その横で「名前ちゃん!良ければ私の手も触ってくれ給え!」と変質者よろしく状態の優男、基太宰さんは無視し一番奥で太宰さんに冷たい視線を投げかける最後の一人、雰囲気が公務員の坂口さんへと手の中の遊びはそのままに、目線を合わせる。

「坂口さんの手は白そう」

もみもみと最早マッサージのような手の動きで作ちゃんの右手を掴みながら、白そうです、と再度言ってみる。坂口さんは両手をパッと顔より下に掲げながらそうでもないですよ、となんだか苦笑していた。眼鏡の奥の瞳が見えないからよく分かんないけど。

「白くて細そうです」
「それは暗に女の人のようだと言っているのかい?」
「そう言うイメージだと言っているだけですよ」
「私なんてどうだろうか、作、ぶフっ……さ、作ちゃんには負けるが骨ばってて堪らないかも知れない。そして何より、安吾より白い!真っ白だ!」
「いやその白って包帯じゃないですか…」

太宰、太宰くん。と双方から呆れのお声が掛かる。しかし、当の太宰さんは未だにどうだろう、と謎のナルシストポーズで催促してくる。顔が整っているだけにやっている事が残念で仕方ない。

右手を私に持たれているので、半分ほどまだ此方に身体は向けたままの状態で太宰さんに先程の作ちゃん呼びを咎める作ちゃん。そんな作ちゃんの、太宰さんの方へと行ってしまった半分も見えないほぼ後ろ姿をただじっと見つめた。

大きな手だ。大きな背中だ。自分よりもずっと上にある、作ちゃんの顔。ボケとツッコミという名のじゃれ合いはまだ続く。ふいに、上から下へと目線を戻せば自分の倍はあるであろう、多分余り見ることのない作ちゃんの手。

作ちゃん、太宰さん、坂口さんの言い合いを小耳に挟みながらふと気づく。あ、作ちゃんの体勢ちょっときつそう。それもそうだ。私が作ちゃんの右手持ったままだから、腰を捻って反対方向を向く姿が気遣っている。向きにくかろうに。言ってくれればいいのに、と思うもそれがこの人の良い所なのだからそれこそ仕方ない。自分から離すのはなんだか忍びないけど、これ以上迷惑も掛けたくない。潔くパッと離せば、それに気づいた作ちゃんが元に戻るように姿勢を此方に戻してきた。律儀な奴め。

「もういいのか」
「寧ろ触りすぎたよ」

有難う御座いました、とわざとらしく茶化すように言えば作ちゃんにじっと見つめ返された。え、なんだか照れるね。

なに?そう問う前に今度は自分の、さっきまで作ちゃんの右手を握っていた手を取られる。さっきまで握っていたから、今更比較しなくたって分かる。両手で包みきれないほど大きいなその手が、今度は私の小さな手を包み込んでいる。

「…小さいな」
「一応女の子の手だからねぇ」
「一応ってなんだ」

あ、笑った。ふっと溢れた笑い声に此方まで綻ぶ。

気を遣ってか二人が口を挟んでくる様子もない。そのせいでやけに静に感じる店内。ゆったりと流れるジャズだとか、手を包み込む温かさだとか、なんだかいいなぁと眼を細めると、作ちゃんの笑う声が鼓膜を震わせた。

「子供は早く帰って、寝ることだな」

何を勘違いしてか、作ちゃんの包み込んでいた手が途端離されて、流れるように頭部に移ったと思えばぽんぽんと撫でられた。彼の、大きな掌が私の陳腐な色の髪を梳かす。それだけで安心しきってしまって、ぽかぽかとした生温さが身体の奥底まで浸透してくる。瞼が重くなる。脳が働くのを嫌がる。ああ、本当に眠たくなってくるじゃない。

子供扱いしないで、そう言いたいもその心地よさに身を委ねてしまう辺り、やっぱり私はまだまだお子ちゃまのようだ。


16.10.27
まだ殆どを読んでいないのでかなり妄想による所もありますが、私の中の三人のイメージはこんな感じ。「手」をテーマにしたら織田作で書きたくなってこうなりました笑。織田作になでなでされたいですはい。