ふと過るのは、妹分の情けない表情だった。

連れていく、と言って聞かない昔馴染みの我が儘で完全に強制連行されて来たその妹分は、ドン引きするぐらいマジ泣きしていた。しまいには俺にへばり付いてくるわ昔馴染みには脅迫紛いなめに合うわで散々だった午前中。だが、気にならねぇ訳でもなく。あいつは今頃どうなってんのか。ふとしたそんな考えと一緒に浮かぶのは、一緒に置いてきたあいつにとっての悪魔が悪どい笑みを浮かべるところだった。


………………後で菓子でもやっとくか。


「はぁ……」

なんで俺がこうも考え込まなきゃいけねぇんだよ。納まらない思考に悪態を付きたくなる気持ちを押し込めれば代わりに溢れたのは溜め息で。それを拾う奴は居ないと軽く考えていれば思いのほか近くに居たことを忘れていた。

「あれ?カゲが溜め息なんて珍しいね」
「あ″」
「あれ?いつものカゲだ」

ゾエが居やがった。そう言えば任務中だったな。ふと意識があらぬ方へぶっ飛んでいたことに苛立ちが隠せず、もろに舌打ちが飛び出す。それに怯む様子も見せずニコニコとそこに居るのがゾエだ。

「何かあった?」
「別になんもねぇよ」
「ふ〜ん。そう言えばカゲ、女の子に抱きつかれてたね」
「はぁ!?誰に聞いた!!」
「聞いたって言うか、ゾエさんも見てたからね」
「チッ」
「そんな舌打ちしなくてもいいじゃん」

まったくカゲは、とやれやれといった動作も交えながらいつもの如くなんてことない小言を漏らしながらも楽しそうなゾエを背後に、確かに人通りは多くはないが一人も通らないってわけでもなかったな、と見られたくなかった己の失態に今度こそ溜め息すら出なかった。



≪ウウーーーーーーー≫



タイミングが良いんだか悪いんだか。頭を抱えたその時、けたたましくも聞き慣れたサイレンが周りの空気を震わせるように鳴り響いた。気持ちを切り換えろ。自分に言い聞かせ、トリガーの感触を思い出す。今はあいつらのこともゾエのことも後回しだ。

「チッ。おい行くぞ」
「ほーい」



☆ ☆ ☆



白い巨体がゆらり、揺れた。ただひたすらに目の前の光景を見つめるばかりで、危機的な状況だというのに頭の整理が追い付かない。怖くてがたがた震える身体に鞭でもなんでも打って逃げなければいけないのに。逃げなければ、いけない筈なのに。身体は思うように動かず怯えきった眼が写すのは白い巨体だけだった。

どうしよう、どうしよう、え?何が起こってるの??ネイバー?なんでこんなピンポイントで出てくるの?お姉ちゃん!まー君!二人とも何処に居るの?助けてほしいよ……。私なんかが太刀打ちできるわけ、どうしたら、どうしたらいいの?一人で飛び出したりしてきたから、お姉ちゃんの言うこと聞かなかったから、罰が当たったのかな。お姉ちゃん、お姉ちゃん、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめ、お姉ちゃん。

ぐちゃぐちゃの思考回路が判断を鈍らせた。その瞬間、ひゅっと息を呑む。目など無い筈なのにじろりと睨まれているようで、見つかったのだと、状況に追い付いていない曖昧な頭でも理解した。そう、頭の片隅でなんとなく理解してしまっている自分がいる。

引きつった悲鳴が喉の奥で上がった、ような気がした。

「ひっ……!」

破壊音からくる爆音。近界民の雄叫びが鼓膜を容赦なく攻撃してくる。もともと瓦礫と化していた建物がさらにバラバラになって崩れていく。それらが起こした砂埃が辺りを覆いつくし視界を悪くした。けれど、そこでハッとした。これはチャンスだ。逃げろ、逃げろ私。身体、動いて。石みたいに重かった身体をなんとか動かし、その場を走りだした。砂埃がうまい具合に目隠しになってくれている。しかし、ゆらりと砂埃が揺れる。明らかに此方に向かってくる、白い巨体。数はあの一体だけなのだろうか。逃げ切れる自信は何処にもなかった。それでもやっと動き出した足を必死に回転させた。

「っ!?」

しかし、なんて鈍臭いんだろうか。逃げるために必死に動かしていた足が浮いていた瓦礫の一部に引っ掛かり、転げるように転倒してしまった。ズサァーーー。引きずった足が悲鳴をあげる。顔面強打は免れたが身体全部が痛い。

「う……」

意識が一瞬、飛んでいたようだ。真っ白な脳が衝撃でぶり返す。

ズキズキと傷む節々に顔が歪む。それでも逃げなければと脳が警報音を響かせるが、空気が揺れる感覚に再び身体は硬直してしまい。数分前に眺めた白い巨体を目の前に、ああ、駄目だ。終わった。とうとう考えること放棄してしまった。自分は此処で、死ぬのか。漠然とした恐怖のなかもう立ち上がることもなかった。眼を逸らすことなく見つめた白い巨体が、目標を定め向かってくるのをただただ見つめる。何秒だったか。数秒にも満たなかったかもしれない微かな感覚は数分にも感じられた。



その間に、一体何が起こったのだろう。



硬直した身体を容赦ない風が撫ぜる。思わず眼を瞑り手で庇ってしまい、視界がぶれた。ぶわ、と撒き散らす塵(チリ)だとか破片だとかが危なっかしくそこらを舞い散るのをブラックアウトした感覚が肌を伝う。そんな恐怖の情景に響くは獰猛な雄叫び。でも、違った。届いたのはもっと別の、継続的な音だった。

「………ぇ、」

眼を、瞬かせる。

今、自分が見ていたるのは都合のいい夢?それとも、奇跡みたいな現実?

あの恐怖を増幅させる獲物を狙う雄叫びはその次の瞬間、悲痛な悲鳴へと姿を変えた。しかし、次に空気を支配したものは何もなかった。何も存在しない、時間さえ止まったかのような無音。一瞬、世界が静寂に包まれた。そんな錯覚さえ感じた。その世界を壊したのは無様に崩れ落ちる怪物がおこす音で。

白い巨体、いや、近界民が重点的に穴だらけになっている光景。それは紛れもない現実だった。

「君、大丈夫?」

ぼんやりとシルエットだけしか見えていなかった砂埃から、颯爽と現れたのは赤い服の見知らぬ人で。段々とクリアになっていく視角情報からその人が同年代の男の子だということが分かった。その人は優しげにそう聞いてきたけれど、それでもやっぱり、目の覚めない私は曖昧に頷くことしかできなかった。


18.5.28