最悪だ。その一言に尽きる。
ずきずき痛む足は現実なのに、後ろてから見える屋台の向こう側はなんだか外界と別れているように浮世絵放れしていて、どこかぼんやりと屋台の灯りを眺めていた。ここはあそこに比べて暗いな。なんて考えることがこれなんだから嫌になってしまう。
つい最近一目惚れして衝動買いしてしまったサンダルを引っ張り出し、闇夜の中にここは別世界かと思わせるほどキラキラと広げられた屋台を巡っていた。中々にない独特の喧騒は鼓膜に響くほど煩い筈なのに、どこか憎めない騒がしさでこっちまで気持ちが持ち上がっていく。まるで魔法みたい。
そう浮き足立っていられた、はるか昔の数十分前。
あの高揚感が夢だったんじゃないかって錯覚してしまうほどに最悪な気分だ。まさに奈落の底に叩き付けられたように意気消沈している。なんだ、この落差は。
「しくった、マジ、しくった……」
最初は良かった。違和感を覚える程度で、帰りまでなら我慢できるし大丈夫かと高を括ってた。その大丈夫だろうがどんどん悪化した。つまりはそいうこと。そう、自業自得なのである。気づいていたのに、それでも気づかぬうちに履き慣れないそれは容赦なく足を痛め付けていた。我慢は、辛うじてできる。けどふとした瞬間にあ、痛いと思い出させられるのだ。その程度の痛みでも慣れない違和感は痼のようにそこに存在している。じくじく気力を弱らせていく箇所にそっと手を添えれば、ざらり、感触の悪い痛みが侵食してくるようで思わず重たい溜め息が溢れた。それは熱気に埋もれて寂しくも消えていく。
二つの通りを囲うように連なる屋台通りから裏手に位置するそこは木々の方が多くて、人もあまり居ない。だからだろうか、騒がしく熱気溢れる騒音がどこか遠くに聞こえてくるのは。一緒に来ていた友達とも逸れてしまったし、なんなら携帯までも充電切れだ。良いことなんて一つもない。折角の祭りだったのに気分は急降下。はぁ、裸足で帰ろうかな。
「おねぇーさん一人?こないなとこにおったら悪い男に捕まんで」
え。
突然掛けられた声に肩が揺れて動きが止まった。見知った声だった、と思う。暗かったし、姿も確認できぬまま突然声を掛けられれば誰だって詰まる。台詞もあれだったし。恐る恐る声のした方へ振り向けば、徐々にはっきりしだすシルエットはやっぱり知っている人で、知らぬうちに安堵の息が漏れた。
「………お、隠岐?」
隠岐だ。クラスは違うけどよくボーダーで一緒になる友人の一人がそこに居た。
「恐い、じゃないんだ」
「恐い男もおんで。イコさんと水上さん」
「え、どっち」
「さぁ?」
「えええええ」
まぁ、どっちが悪い人でどっちが恐い人かは想像できるけども。
突然の隠岐の登場と発言に、なんだか沈んでいたのに笑いが込み上げてきた。あはは、と笑いが溢れれば隠岐も笑ってて、「隣、ええ?」「どうぞどうぞ」そんな短い会話のすえ言葉通り隣に腰かけてくる隠岐。座りやすいように少し横にずれ荷物も膝に寄せた。
「何やってたん?」
「何してるように見える?」
「ええー、そうやなぁ、……待ち人来ず、か?」
「いや、うーん……靴擦れ?しっちゃって」
さっきの仕返しとばかりに質問を質問で返してやれば案の定、さっきの私と同じ顔しててまた笑った。けどすぐに白状したけどね。ついでと言わんばかりに「ついでに友達とは逸れちゃいました」と小声でぼそぼそと補足しておく。そうしたら此方ではなかなか聞かない訛りでそら大変やわと柔らかく笑われて、目尻が下がる。
「連絡は?できひんの?」
「携帯もこう」
「あらら」
ほれ、と見せた手元のそれは夜と同化しているように真っ暗で何も映さない。なんの機能も見せてくれないそれもまた鞄の中に逆戻りされ仕舞われる。外に出してたってなんの役にもたたないし、誤って落っことしてでもしたら嫌だからね。仕舞ったところで、そら困ったなぁと横から。「そうだね、でももう帰るよ」足はこんなだけど家はそこまで遠くないし大丈夫。そう思って言ったのに、はぁ?と呆れたような、予想外な返答にえ、と喉が詰まってしまった。
「どうやって帰るん」
「いや、そりゃこなままだと痛くて歩けないから、は、裸足?で??」
「阿呆か」
「え」
「いや、ど阿呆やわ」
「えええええ!?」
まさかの阿呆とか。隠岐でも阿呆とか言うんだ、じゃなくて初めて言われたんだけど。しかも二回。二回目なんてどがつくほど酷くなっているし。いや、家族や友達からはよく馬鹿だとは言われるからそれと同じと考えるべきなのか。いやいや、そうじゃない。そうじゃなくて、それも違うくて。隠岐から。そうだ、あの隠岐から言われるなんて思ってもみなかったんだ。
私がプチ混乱していたらいつの間にか目の前まで来ていて、はっとする。我に返りはしたもののまだまだ頭は真っ白で、真っ白な頭のままどうするのかと動向を気にしていたらとんでもない行動をとりだして「お、隠岐!?」変な声でた。普通に恥ずかしい。
いきなり屈んで、腫れているであろう私の右足へそっと手を這わせだす友人が一人。しかも男。え。なにやってんの。怪我を診るためとはいえ女の足になにやってんの!?ちょ、ちょっとちょっと隠岐さん素面だよね!?ここでもプチ混乱。痛むか、だなんて当たり前のこと聞かないで。そりゃ触られてりゃ痛いよ。しかも皮は剥がれて血が滲んでる。本当によくここまでほったらかしてたよ私。
「あれ、苗字だ」
「お、ホントだ。おーい」
は、
ここで新しい声が暗闇から現れた。こんな、状況で、だ。しかも、私、この声二人分も知っている。
「こんなとこでなにやってんのって、おいおい」
「あ?隠岐お前こんなとこ居たのかよ」
「つか二人してなにやって………………」
「「………………………お邪魔しましたぁ」」
「待て待て待て!待って!お願いだから!待ってぇぇえええええ!!!!」
コントか!飛び出てきそうな言葉の代わりに待ったをかける。案の定それは友人枠におさまっている出水と米屋で、なんの漫才かと言いたくなるほど憎たらしくも息の合った掛け合いに突っ込まずにはいられなかった。
出水と米屋まで来てほんの、いやかなり賑やかになった。特に米屋の声が大きい。煩い。やっほー、と暢気に手なんて上げて悪い悪いと差して悪びれもなくこれやるから機嫌直せ、だなんてたこ焼きを貰った。安くみられたものだ。ま、貰うけど。
「なにやってんだよ」
「検診」
「「は?」」
「あ、間違えた」
「何をどう間違えたらそんなもんが出てくんだよ」
「出水、諦めろ。相手は苗字だ」
「診察」
「隠岐に聞いた方が早そうだな」
なんだとコラ。
私は間違ったことなんて言っていないのに失礼な二人である。しかし意味不明であることは私でも分かっている。このまま放置しておいても仕方ないので、意味がわからないと首を傾げる二人に実は…と勿体ぶった言い方で斯く斯くしかじかと手短に話す。一言で言ってしまえば、靴擦れを起こしてしまいそれが悪化しただけなのだが。案の定、二人になにやってんだと呆れられた。うん、ごもっともです。ぐうの音も出やしない。それにしても、この二人から呆れられるのは分かるのだが隠岐からそういった反応を頂くのはやはり慣れてないせいか感情の整理が未だにつかない。というか隠岐さんいつまで掴んでんの。
「お、いつの間にきよったん」
そうしてやっと顔を上げた隠岐にも同じ視線が投げられた。私も二人と同じ目してる自信あるわ。
「お前、勝手に消えんなよ」
ポチポチ携帯に何かを打ち込む米屋が溜め息混じりにそう言った。それにすまんかったなぁ、と本当にそう思ってんのか疑わしくなるほどの軽やかな返しを見せる隠岐。え、どゆこと。顔に書いてあったんだろう。置いてけぼりをくらう私の疑問に出水が代わりに教えてくれた。
つまりだ、どうやら隠岐は出水と米屋、あと数人のクラスの人と来てたらしいことが判明。途中で私を見つけた為にはぐれて、それを探しに来たのがこの二人らしい。なんかごめんなさい。
「一人でこないなとこ居ったから吃驚したわ」
「う″っっ、動けなかったんだもん……」
「こりゃひでぇな」
「よくここまで放置してたな、絆創膏、あるか?」
「勿論ない」
「コンビニで買ってくっか」
「なにからなにまですみません」
深々と頭を下げる。いつもは一緒にふざけてバカやるか馬鹿にされるかのどっちかだけど、こう困ってる時は普通に助けてくれるあたり友達っていいなって思うよ。今日に限った話じゃないけど今日限定で素直に感謝する。
「俺らもう帰るけど、苗字どうする?」
「いや、私も帰るよ。帰る、けど……」
「ん?」
「お連れさんのことか」
「連れ?ああー、誰と来てたんだよ」
「熊ちゃん達と。でもはぐれた」
「連絡は?」
「充電切れ」
「お前なぁ」
隠岐とした様なやり取りを米屋と繰り返したあと、仕方ねぇ奴だなぁとぐちぐち小言を漏らしながらもするする画面を滑る指はきっと熊ちゃんに連絡をとってくれているんだろう。これで勝手に帰っても文句は言われない、はず。
帰ろう。足をひしひし痛め付けていた片っ方のサンダルを持ち、歩けそうかぴょこぴょこ確認してみる。うん。いけそう。どうせ人の足元なんてそうそう見られないだろうし、いけるいける。そう密かに画策していればすっとんきょな声が掛けられた。指を足元に差され「は?お前もしかしてそれって本気だったのか?」だなんて当たり前のこと聞かないで。超本気です。
「その足で?きつくないか?」
「迎えとか呼べねぇの?」
馬鹿を見るような目で、それでも心配そうに聞いてくる出水と米屋に今日は家に人が居ないことを告げる。隠岐がここまできて黙りなのが少々気になりはするものの大丈夫!人間成せばなる!そう勢いよく息巻いたところで脳天にクリーンヒットする手刀。ガクン、と脳内が揺れる。痛い。
「馬鹿言ってねーで真面目に考えろ」
「お前だって一応女なんだからな」
「そうだぞ、一応、一応女なんだ。一応な」
「一応一応うっさいわ!」
「どうする?熊待つか?「いんや、おれが送るわ」
!!?!?
ぎゃいぎゃいと出水が言い終わる前に茶番に参加していなかった隠岐が割って入ってきた。突然の割り込みに三人して隠岐を凝視してしまったのは仕方ないんじゃないだろうか。そして、更にはまさかの申し出に吃驚しすぎて思わず固まってしまった。出水も米屋も隠岐を凝視して微動だにしない。そんな私たちの異変に当人は気づいているのかいないのか、有無を言わさず私の荷物たちを攫っていく。そ、それは私のたこ焼きー!私のかばーん!!
「返してよ!」
「送ってく言うてるやん」
「いやいやいや!別にいいよ!!」
そこまでしてもらうのは流石に申し訳ない。ってちょっと待て、承諾した覚えないのに屈まないで。荷物返して。早く乗れとか視線投げてこないで。一人でも帰れるから!とんだ隠岐の奇行に漸く脳内は動き出したようで、途端にあたふたしだす。助けを求めるように出水と米屋へ視線を向けるも、二人は顔を見合わせたあとそうしてもらえと頷いている。味方はいないようだ。
「裸足で帰るわけにもいかねぇだろ」
「熊たちも心配してるかもしんねぇし、ちゃんとお前から連絡してやれって」
「それに早くしねぇーとそのうち迷子放送でもかかるんじゃね?」
「え、ちょっと待って、お前なにしやがった」
ピンポンパンポン≪えー、迷子のお知らせです。三門市在住の苗字名前さん。苗字名前さん。お連れの熊谷さんが≫
やっぱり今日は最悪の日だ。
出水と米屋が吹き出すのを尻目に、ぼんやりと霞だす景色はどこまでも暗かった。
18.10.8
(顔が)恐いイコさんと(性格が)悪い水上先輩。