その日、友人は異様にそわそわしていたと思う。去年の今頃もそわそわしていた筈だが今回はそれの比ではないほどの落ち着きのなさだ。頻りにちらちらと時間を確認したり普段は垂れている頭もぴしりと上がっていて教壇に立つ先生が驚くほどだ。「太刀川、今日は寝ないのか」「俺がいつも寝ているみたいな言い方じゃないっすか」「いつも寝てるだろ」「今日の俺は一味違うんです」と謎のどや顔をかます友人にいつもこうだったらいいのにと溢した先生の溜め息に心の中で謝罪した。太刀川がいつもすみません。

チャイムが響き渡る。キーンコーンカーンコーン。
今日の授業はここまでで、後は掃除にSHRで下校となる。俺や太刀川は直でボーダー本部だが、太刀川の本番はここからだ。というのも、ここまでの可愛らしい奇行は別の学校に通っている幼馴染みが原因だってことを俺は知っている。

「堤、俺はやるぞ、今年こそやってやる」
「それ去年も聞いたんだが」
「今年は紅香の奴も行動を起こすらしいんだよ!」
「紅香ちゃん去年もやってたと思うけど」
「ばっか、告白の方!今年は!告るんだと!」
「ああ、ついに」
「月さん情報だからな間違いない」
「そこに信憑性全部持ってかれてるけどな」
「成功させてたまるか!」

ぐっと握り拳をつくり悔しそうに唸る友人は普段よりも人の話に耳を傾けようとはしてくれない。友人、太刀川は我が道を行く。やってやるよああやってやる俺だって男だ。と自身を鼓舞するが結果の見えている負け戦だということを本人は気づいているのかどうか。いや、目に見えて紅香ちゃんの行動は日頃から分かりやすい。当たって砕けろ的な、敢えて分かっていての渇なのだろう。

今日は世間一般でいうところのバレンタインだ。

外国では違うみたいだけど、日本でバレンタインといえば女が男にチョコをあげる日。謂わばカップル製造日。とか別の友人が言っていたな。また別の友人は愛を伝える日、だとかロマンチックなことを溢していた。そんなロマンがあふれ返る日らしい今日日、町は普段より異様に色めきだっている。そうしてやってきたボーダー本部もまた色めきだっていた。誰も彼もが理由もなくそわそわと浮き足だっているのだ。チョコを貰えるのか、ちゃんと渡せるのか。そんな空気が作り出す空間の背景は例えるならピンク色で、ちょっとした眩暈すら覚えるほどに残酷だ。

「けっ、リア充が」

よかった。そう思っていたのは俺だけじゃないようだ。



☆ ☆ ☆



そわそわ。そわそわ。朝から落ち着きなく右往左往と視線が泳いでいる親友に笑いが込み上げてくる。時おり動きが止まったり、鞄の方へと目がいったり、授業中も心あらずに意識が飛んでしまっていたりといつも以上に挙動不審が目立つその姿に後ろから見ていて微笑ましい気持ちになる。

「少しは落ち着いたら?」
「え!?あ、う、うん、そう、なんだけど、さぁ…」

時間が迫ってきていることに多少の緊張と苛立ちがあるのか声が上ずっている。最後の方なんて自信なさげに小さくなっていってとてもじゃないけれど聞き取りずらかった。いつもの自信満々な紅香はどこいったんだか。本当に、恋とは人を変えてしまうものなのね。ふとした瞬間、さ迷っていた視線が鞄へと落ちている親友を見つけて、加古のなかにそんな言葉が溢れた。

バレンタインなんて、一イベントにすぎない。

滅多なことではしないお菓子作りなんて洒落たことをして、友達や身近な人に配り歩く。そんな些細で、けれど小さな変化は時に変わらない日々の刺激となるようで、普段は動けずにいる人にとっては背中を押されている感覚になるのか行動を起こす人が多い。まぁ、日頃からぐいぐい行っている筈の親友は逆に静かなものどけれど。そんな些細な日に自分の親友は一大決心をしたようで、積み重なる小さな挙動不審はそれへと繋がっている。

皆が皆、浮き足立っていても日常というものは変わらない。授業が終われば掃除に、掃除が終わればHRに。そうしていつも通りの帰路について本部を目指す。一ヶ月近くバレンタインムードに包まれた町も見慣れてしまったようで、所々ピンクや赤に装飾されて華やかになった道も最初よりかは気にもとめなくなった。それもそろそろ終わるとなるとほんの少しの寂しさはあるけれど。

まだ二月。寒さもまだまだ続く。手袋越しに手持ちのカイロで暖をとりながら、ちらりと除いた隣はいつもより静かなはずなのに本部に近づくにつれてそわそわ度も最高潮に到達しそうな勢いで忙しない。

「紅香、煩い」
「いいいいいいつもより静かだよ!?」
「存在が煩いわ」
「辛辣!!」

うわぁーん!と大袈裟に泣き真似に入る親友の背に大きく振りかぶって掌を勢いよく打ち付けた。当然何が起きたのか状況に追い付かない紅香は間抜けな顔でこちらを伺うだけで、込み上げてくる笑いを素直に受け止めながら私にできることなんてほんの少し渇を入れてあげることだけで、でもそれだけで大丈夫よね。

「しっかりしなさいよ、やるって決めたんでしょ?」

ぽかん。落ち込んでいた色が引っ込んで、ただただ私を見つめる瞳は間抜けだ。しかし次にはいつものふざけた紅香が顔を出した。

「望……」
「だいじょーぶよ」
「………う、うん、私、がんば」
「100パー振られるだろうけど、慰めてあげるから」
「だからそうなんで辛辣なの!?」




そう、それがついさっきの出来事。なのだけど。

「本当にぶち壊してくれるわね」
「本当、ごめんね」

親友の恋路だもの。結果が見えていたとしても応援するのは当たり前。だからこの際いい結果じゃなかったとしてもやると決めたのなら、迷ったとき背中を押してあげるのが私の役目だと思った。なのに、あと少しと言うときに我慢を知らない男が乱入してくるなんて。分かっていたことだし警戒もしていたけど、こうも堂々と正面から待ち伏せされていたら回避のしようもないというもので、来て早々に捕まってしまった。

「紅香!」雄叫びのような大きな呼び声はロビーに集まる人達の視線を集中させるほど。それには気を散らかしていた紅香も気づかないわけもなく、苦虫を噛んだように「げっ、慶…」と溢していた。わかる。なんで今出てくるのかしら。太刀川くんの後ろで両手を合わせ謝罪のポーズをとる堤くんを見つけ、なるほど今回堤くんはあちら側に回ったのかと納得する。

呼んだ当人も、呼ばれた当人も何ひとつ言葉を発しない。奇妙な空気が漂う。いや、奇妙というより居心地の悪い空気、かしら。それに私たちが割って入ることはない。数秒、数分と無駄に時が流れて、太刀川くんの眉間の皺の数が増えていくのをぼんやりと数えた。あー、やら、うー、やらと唸る太刀川くんにじとりとした視線を投げる紅香。なかなか進まない展開に、やっぱり介入するなんて野暮なことはしない。

「勢いだけで来たって感じね」
「まぁ、紅香ちゃんに関しては勢いだけだからな」
「そうかしら?太刀川くんって大体考えなしじゃない」
「凄い貶すね……」
「こんな時間稼ぎみたいなことしても、なんの解決にもならないでしょ」
「いや、時間稼ぎっていうか、本当に何も考えてなかったんじゃないかな」
「堤くんも大概よ」
「本当に面目ないです」

「おい!テメェら聞こえてんだよ!!」

蚊帳の外をいいことに言いたい放題言いまくっていれば、余裕がないように見えて届くように言っていた会話はちゃんと耳に届いていたようで、先程からうじうじとした女々しい態度とは正反対に吠える太刀川くん。

「ねぇ、慶」

そうして痺れを切らしたのは太刀川くんだけではなく、久しぶりに響く低い声は全てを語っていた。

「なにもないんだったら私、急いでるから」

後にして。そう言う紅香の言葉に後ずさる太刀川くん。緊張やら苛立ちやらを全て飲み込んで絞り出した声音は腹を括ったのか意外にも落ち着いていた。本部までの道すがらずっとそわそわしていた人物とは思えないほどに静かに、けれどその瞳にはうっすらと膜が見える。勘違い、と強がり。その二言が頭をよぎる。「ちょっと、太刀川くん」慌てて制止をかけるもそれより早く動いたのは地雷を担いだ太刀川くんで、近づけなかったくせになんの躊躇いもなく紅香へと掴みかかる勢いで距離をつめた。

「その鞄に入ってるの、チョコだよな。誰にあげんの」
「慶には関係ないでしょ。それに朝ちゃんとあげたんだから文句は聞かないよ」
「紅香」
「だから何」
「やめとけよ」
「はぁ?突然なんなの。ホント、用がないんなら後にして。ランク戦でもなんでも付き合うから」
「忍田さんに、言うんだろ」
「………誰から聞いたの」
「そ、れは、」
「やっぱいい……、どうせ兄貴でしょ」

鞄を抱き締める手に力がこもった。段々と雲行きが怪しくなっていくのをどうやって入ろうかと画策しながら見守るもいい案なんて思いつかず。それは堤くんも同じなのか焦って表情を浮かべていた。周りも煩い。いつもの騒動と違う雰囲気を察してか遠巻きに人が集まりだしている。素通りでもすればいいものを態々足まで止めて痴話喧嘩かなにかかと囁いている。正直、放っておいてあげてほしい。今の紅香にも太刀川くんにも、それらに構ってやる余裕なんてないんだから。

「自分から傷つきに行くとか馬鹿かよ」
「何それ」
「わかってんだろ。どうせふ───」

バンッ!境界線を飛び越えてしまった。紅香自身の足で越えなくてはいけなかった線を、太刀川くんの言葉が邪魔をした。「……紅香」届かない手は虚空を切る。散り去ると分かっていても込めた想いごと、太刀川くんに投げつけたそれは重力にしたがって無惨にも落下した。呆然と立ち尽くす太刀川くんと、堰をきったようにぼろぼろと泣きはらす紅香。嗚咽混じりにただ出たのは精一杯の罵倒だった。

「ばかっ!」

中はきっとボロボロだ。


19.3.4
茶番とガチは違う。結果が分かってるからこそちゃんと消化したいお嬢と気が気でない太刀川。