はじめましての春つれて

初桜が咲き始めた。
季節が春へと移ろいだす頃、僕らは学舎を旅立った。

「やだやだやだぁ〜!!」

ギャンギャン五月蝿い声で子供のように駄々をこねるのは僕の片割れで、しかもさっきから引っ張られている学ランの裾が大変なことになっている。草臥れたそれはもう着ないからいいんだけどさ。それにしても酷い。一ヶ月後には高校生というワンランク上にいく人とは思えないぐらい酷い。

「ちょっっっと!トド子姉さん!」
「卒業なんかしたくないいいい!!!」
「いやするよ!しなきゃいけないの!」

校門の一角でギャーギャーと騒ぐ僕らは周りの喧騒なんて比べ物にならないぐらいには五月蝿い、と思う。だってほら、あちこちから突き刺さる視線に明らかにこちらに向けられているくすくすと笑い声。それは春の陽気以上に燻りを覚える生暖かさだった。そりゃこんだけ騒げば人の目も引き付けるだろうけど、さ。僕は恥ずかしさやら呆れやらで思いきりその手を振りほどいた。

「はっずかしいなぁ!もう!」
「トド松が意地悪するううううう!!!」

さらに泣きわめく片割れに視線が倍増した気がした。いきなりだが僕とトド子姉さんは通う学校が違う。違うといっても男子校と女子校ってだけで二つに分けられた敷地はもとを辿れば同じ学園だ。そして二校は姉妹校なだけあって交流も深く生徒同士も仲がいい。そしてここは男子校の方だが女子校の方の生徒もかなりいる。おそらく女子校の方にも男子校の生徒が行ってんだろうな。ってそれは置いといて。女子ってなにかと男子より恐ろしい一面があったりするじゃない?何が言いたいかって言うと、さっきから生暖かい視線に混じって「なにトド子ちゃん泣かせてんだ」って刺々しいのがぶっ刺さってんだよね。姉さん、こんなんだけど人気だけはあったからなぁ。
なにも知らず嫌だ嫌だ喚くその〈嫌〉なのが本当は〈卒業〉ではないことを僕は知っている。ホントにこの姉は…。もう何度目かもわからない溜め息は飲み込んで、棘を背中に受け止めながらもうんざりと引きずり帰路についた。それが中学生活最後の出来事だった。




「で、今度はなに」

あ!トッティ!と両手を掲げ駆け寄ってくるのはよく知った顔で、僕らの家から道路を挟んだ真向かいに自営業をかまえる和菓子屋の息子である十四松だ。(因みに僕らの家もまた自営業で、洋菓子屋をやっている。)その背中の向こう側では顔面蒼白の片割れと、それを慌てた様子で覗き込んでいる十四松の姉の十四子ちゃん。うん、帰ろうかな。

「ごめんね、うちの姉が」

一応断りをいれ、幼い頃から入り浸っているおかげで慣れ親しんだ、どこか懐かしい畳の匂いがたちこむその空間へと足を踏みいる。
十四子ちゃんに会いに来ていたトド子姉さんがまたネガティブモードに入ってしまったらしい。新しい環境に馴染めるか不安なのは分かるけど、だからって前日に爆発しなくても、ああ迫ってきたから爆発したのか。

「どうしよ。知り合いが一人もいなかったら。な、馴染めなかったら?友達が一人もできなかったら?だからワタシは残るって言ったのに!カラ子も一子も赤塚行っちゃうし!十四子は紅女来てくれないし!もうワタシも行くしかないじゃない!」

ぶつぶつ呪詛でも唱えてるのか怖いんだけど。十四松と十四子ちゃんがトド子姉さんを挟んで「大丈夫大丈夫!別クラスになっても会いに行くってぇ〜」「トド子一人じゃないよ!みんな居るよ!だから元気出してほしいっす!」と励ましている。うん。いつもの光景。そうしてそんな片割れを回収しに来るのもいつものことなので今さらだ。
ふう。一連の流れを眺め、一つ息を吐く。「トド子姉さーん」努めて明るい声で名前を呼べばぴたりと止まる恐ろしい念仏のような呟き。

「もー、いつもいつも飽きないねー。そんな心配しなくても知り合いは結構いるでしょ?一人だけ別クラスにぼっちなんて低い確率だって。友達できなくても十四子ちゃん達がいれば寂しくないし。ね?」

この姉の心配性を通り越した思考退行には困ったものだがそれでももう高校生になる。そしてあと数年もすれば大人だ。今は無理でも少しは自立できるようになってもらわなければと思うも僕が姉さんを支えなくてはという思いがなくなった訳じゃない。一つ一つの不安要素に大丈夫だと言葉を並べながら、きっと高校生活という過程でこの姉も変わる。そう信じて。

「トド松……」
「ん?何?姉さん」
「もしも一人になったらトド松のクラスの人になるから!」

あ、この人高校生になっても変わらないな。
ものの数秒でトド松は諦めた。


■ □ ■ □ ■ □


ぼんやり、目を覚ました。
頬を撫でる肌寒い空気にぶるりと震えるも、自分の体温を返してくる毛布の温かさにうとうとと再び眠りへと落ちそうになる。このまま二度寝もいいかもしれない。そう、そっと甘い誘惑に身を委ね、そうになったところで両方の頬を違和感が襲った。

びよーん。

は。引っ張られじわりと熱を持つ頬。処理ができずに止まる思考。寝ぼけ目にかちあう視線。目前まで迫る、女の顔。

「え、」
「おはよう」
「……なんでいんの」
「チョロ子、おはよう」
「おはよう」
「うん」

ほんの少しの痛みが夢ではないことを告げる。にんまり弧を描くのは居る筈のない幼馴染みで、小学生の途中で引っ越してしまってから音信不通になっていたその人だった。
微笑ましそうにふふと溢す様はもう子供の頃とは違って、妙な燻りを覚える。

「早く起きないと遅刻するわよ?」

伸ばしていた手を私の頬から離し、緩やかな動作で落ちていた髪を耳へとかける。なんというか、数年振りに会うというのに緊張もないのか。子供の頃仲が良かったとはいえかなりのブランクがある。数年。そう、それなりの時間会っていないのにこうもベタベタと触れれるものなのだろうか。しかも普通に部屋に馴染んでるし。

「?チョロ子?」
「……着替えるから出てって」
「気にしないのに」
「私が気にするの」

はい、出てって。背中を押し半ばむりやり退室してもらった。さてと。普通にスルーしていたけど今何時なんだ。定位置に置かれている眼鏡をかけ、覚醒しきれていない寝ぼけ目でうろうろとその辺へ視線を這わせる。カーテンの隙間から差し込む陽の光だとか、部屋の外から聞こえる微かな物音が料理を作る音や食器と食器のぶつかり合う音だとか、カーテン越しに囀ずる小鳥の鳴き声だとか、ゆっくりと朝を感じるこの時間は魔の時間だ。
それでもゆるゆると覚醒していく脳は確かにそれを見せた。ゆっくりなペースでやっとそれへと到達した私の脳は再び止まってしまったようで、「は?」言葉にするならそう。しかし、言葉なんて出ない。
短針はまだ8の数字に止まっている。式は確か11時からだったはず。

「……早すぎでしょ」

しかし、既に覚醒しきった頭は二度寝という選択肢を無くしていた。




早くに袖を通すことになった真新しいブレザーは固く、着ているというよりも服に着られている感が否めない。中学生になったばかりの頃もそうだったし後一年もすれば違和感もなくなるだろうから気にはしないが、それでもついこの間まで中学生だった自分が今は高校生という肩書きに変わっている。たったそれだけで大人になった気分はどこかふわふわとしていた。
起こされたせいでまだ時間はある。離れていた幼馴染みが家に居ることにまだ疑問はあれど待たせているため早々に下へと向かう。最後に姿見で変なところは無いかチェックし、鞄を持った。

「………」
「どう?優等生に見える?」
「安直」
「眼鏡かけりゃいいってもんじゃなくない?」

だから馴染みすぎだって。一階リビングでは兄と先程追い出した幼馴染みの一子、そしてもう一人の幼馴染みである一子の弟の一松がじゃれていた。
数年振りに見る光景に溜め息を吐きつつも、緩む頬に気づいた。まぁいいか。昔と変わらず触れてくるその手を私も握りしめることに変わりないのだから。そうして私もその輪の中へと合流するのだ。


■ □ ■ □ ■ □


いつもと違う日だった。テンプレートのように流れるだけなんてつまらない日なんかじゃなくて、どこか忙しなく浮き足だってしまうような特別な日。きゅっと赤いリボンを形よく結び、鏡の中の自分を確かめる。真新しいブレザーとスカートには皺一つない。セーラー服じゃない新しい制服に身を包み笑っている自分と目があった。にこり、と愛想の良い笑み。今日から高校生だ。あの子と同じ高校に通う。それだけで愛想笑い以上の笑みが浮かぶ。ああ、どうせならクラスも同じなら同じ高校に通ったと分かった時以上に大はしゃぎするのに。同じクラスになんないかなぁ。神様お願い。なんちゃって。

「おーいおそ子ぉーそろそろ出っぞー」
「ぎゃああああ!!もう!勝手に入ってこないでよ!」
「え?なになに?着替え中だった?んなもん別にいいじゃんお前の裸見たってどうってことゴフッッ」

突然の不法侵入者は沈んだ。入ってきたのは同い年の兄だがいくら血を分けた兄妹ひいては片割れだとしても年頃の、しかも女の部屋に無断で押し入るとはちょっと無遠慮すぎやしないか。しかし、畳とこんにちわしている侵入者に握り拳を作り息巻く部屋の主もまた遠慮なく一発ぶちかましていたので喧嘩両成敗だが。




「ホンット最低!底辺男!」
「あ!?呼びに行っただけだろうが!」
「だったら外から声かけるぐらいでいいでしょ!?」

大声で喧嘩しているそこは既に他者の目を引く通学路だ。周りからの遠巻きな視線など二人には微塵も気にさわらず家を出た今もなお口喧嘩は継続中だった。何故この兄が自分の兄なのか信じられない!と怒りながらもふと視線を前へと向けたところで先程まで憤怒のごとく燃え上がっていた炎が萎縮していく。あ、あれは!

「あ!おい!話はまだ、」
「チョーローちゃぁぁぁん!!」

その後ろ姿を認めた瞬間、兄への些細な怒りなど完全に消え失せた。タックルをかます勢いでその人、チョロ子へと後ろから飛び付いた。当然、華奢な身体に突然そんなことをされればガクッとよろめく。

「うわっ、ちょっと、なに、は?おそ子?」
「おっはよーチョロちゃんん」
「ちゃんは止めてきもい」

奇襲をかけられながらもぐいぐい手で避けようとするあたり慣れている。んふふ。それでも奇妙な声をあげながらチョロ子へと巻き付く腕が放れることはない。

「………いい加減放してあげれば?歩きにくそうよ」

そこに第三者の声。完全にチョロ子へと持ってかれていた意識がそこで漸く、隣の人物へと向く。真っ直ぐと長い髪に上品な印象うける立ち姿。しかし、それとは真逆に気だるげな瞳と合った。

「ねねね、だぁれ。この子」
「ん?ああ、幼馴染みだよ」
「幼馴染み?あたし知らないけど」
「なに知ってて当たり前みたいに言ってんの?昔引っ越したんだけど高校は赤塚にしたとかで戻ってきたの」
「つまりは昔の女ってことね」
「言い方」
「縁を切った覚えはないわ」
「そこ、張り合わない」

自分を挟んで突如始まった謎の攻防にチョロ子は疲れきったように深く深く息を吐く。そんな三人の後ろでは一人置いてけぼりを食らったおそ子の兄、おそ松が完全に入るタイミングを無くし一人つまらなさそうに拗ねていたことなど後ろに気を配る余裕のない三人には、特におそ松が居ることすら知らないチョロ子と一子が知るよしもなかった。

「……二人初対面、なんだよね」
「こんにちワ」
「どうも」
「にしては仲悪くない?」
「「さぁ?」」
「うーん」

そうしてチョロ子の疑問に答えを出してくれる者も二人の謎の攻防を止める者も居らず、探り合いともよべない二人の牽制は学校につくまで続いた。



「あ、ほら。組分け出てる」



移ろう季節は此度、桜色。
枯れ草の香りをほんの少し肺におさめ、新たなページを捲った。

19.6.11