三途の川で待っててね






 雑居ビルの屋上から眺める街の煌めきを誰かは下品だと笑う。これは今も、この広い世界で誰かが生きている証だというのに。
 ビルの隙間から吹く風が髪を靡かせる。
 金網の隙間から地上を覗けば、街行く人と無数に照らされた光。人工的に作り出されたものだとしても、下品と笑われようと、わたしはここから眺める街並みが好きだ。
 春の夜は、まだ肌寒い。

「なにしてんの。」

 ガチャン、とフェンスが音を立てる。
 後ろからわたしを囲うように立つ彼が、両手でフェンスに手をついた。そのまま彼はわたしの頭に顎を乗せる。少しだけ旋毛が痛い。

「夜景、見てたの。」
「つまんねぇだろ、こんなモン見たって。」
「じゃあさ、」

 頭に顎を乗せられているせいか、頭蓋骨を通していつもより彼の声がよく響いた気がした。気がしただけだけれど。
 振り向いて彼と視線を合わせる。街の煌めきを映し出すその瞳は、まるで宝石のようだった。


 時刻は二十二時過ぎ。ライトアップはもう既に消灯され、花見客はほぼ居らず、通行人がチラホラといる程度だった。
 桜が満開に咲き誇る、目黒川沿いを歩きながら隣を歩く彼を見上げる。その瞬間、一つ大きな風が吹き、花弁が舞った。
 瞬きをすれば、その瞬間彼を見失ってしまうのじゃないだろうか。そんな錯覚に陥る。

「三途くん。」
「なんだよ。」
「連れて来てくれて、ありがとう。」
「…暇だったからな。」

 彼の桜色をした毛先が揺れる。
 中目にお花見しに行こうよ。そんなわたしの突飛な提案に、彼は嫌な顔一つせず別にいいけどと返事をした。
 彼は興味がなさそうにただ前だけを向いて歩く。意識的なのか、無意識なのかはわからないが、彼がわたしの隣を歩くとき、必ずと言っていいほど歩くペースを合わせてくれる。その長い脚でわたしの歩幅に合わせるのは大変だろうに。
 立ち止り、写真を撮ろうとカメラを起動させる。スマホを構えた瞬間、前を歩く彼がこちらを振り返り中指を立てた。そのままシャッターを切る。

「物騒な写真撮れた。」
「待受にでもしとけ。」

 スマホを操作して、少し前を歩いている彼に駆け寄った。ん、と差し出したスマホを見て彼は眉間に皺を寄せる。

「本当にすんなよ。」
「三途くんがしろって言ったんだよ。」

 買い換えたときから初期設定のままだったホーム画面を先程撮影した彼の写真に設定した。しろって言ったのは自分のくせに、いざしたら文句を言うんだ。なんて理不尽だろう。

「綺麗だね。」
「女ってなんで花なんか見てそんな風に思えんの。」
「え〜、もしかして今誰かと比べた?」
「そういうんじゃねぇよ、一般論。」

 桜を見上げる彼の姿はまるで、この世のものとは思えない程、絵画の様に美しかった。昔から綺麗な顔をしていたが、年齢を重ねても全く劣化しないなんてなんと羨ましいことだろう。
 広い背中も、伸びた身長も、いつの間にか増えたピアスホールも、少しだけ、知らない人を見ているようで寂しい気持ちになった。
 昔はもっと可愛げがあったのに。なんて言ってしまえば、彼は怒るだろうか。
 散った桜の花弁が埋め尽くす目黒川を静かに眺める。置いてくぞ、その声にわたしは顔を上げ、彼の後を追った。
 彼が一足先に橋の上を渡り始める。わたしは思わず立ち止まり、その場で立ち尽くす。
 それに気付いた彼が振り返り、なまえとわたしの名前を呼んだ。

「三途くん。」
「なんだよ、さっさと行くぞ。」

 この場所が此岸だとして、彼の今いる場所が三途の川。そして、向こう側が彼岸。
 わたしは彼に向かって手を伸ばした。

「わたしが死んだら、三途くんが手を引いてね。」
「は?何言って、…ああ、そういうこと。」

 彼は長い脚を一歩踏み出し、空いているわたしとの距離を詰めた。わたしは未だ地上を踏みしめ、彼は橋の上にいる。
 そしてわたしが伸ばした手を、彼はまだ、掴もうとはしてくれない。

「なまえの初めて全部奪ったのオレだもんなぁ。」
「三途くんって意外とそういうこと知ってるんだね。」
「博識だからなぁ?」

 その発言に思わず首を傾げれば、彼は小さな舌打ちを一つ零した。そして、わたしと視線を合わせる。やっぱり、彼の瞳は宝石みたいだ。

「なまえは連れてかねぇ。」
「え?」
「オマエの手ェ引くだけ引いて、向こう側に着いたらハイ、サヨナラ〜なんてそんな都合良く離してやれねぇからな。」
「なにそれ、」
「だから、なまえの手は引いてやんねーよ。」

 オマエだって地獄には行きたくねぇだろ?そう言って彼は笑う。
 なにそれ。わたしの初めて、なにもかも全部奪ったくせに。ちゃんと、責任取ってよ。責任取って、わたしの手を引いてよ。平安時代からそう相場が決まってるんだから。
 苦しくて、痛くて、悔しくて、差し伸ばしていた手をん、と更に差し出す。だから、そう言って彼はガシガシと髪を掻き、めんどくせえなという表情を浮かべた。

「手!繋ぎたいの!」
「はぁ〜?なにオマエ、その為だけにこんなまどろっこしいことしたのかよ?馬鹿じゃねぇの?」

 最初からそう言えよ、めんどくせぇ。彼はそう呟き、わたしの手を掬いとった。
 わたしの手を引いて歩き出した彼の隣を歩く。繋いだ手に力を込めれば指を絡め取られた。

「つーか、それってオレが生きてても出来んの。」
「えー、わかんない。生霊飛ばすとか?」
「あー、そういうこと。オレが先に死ぬ前提の話かと思ったわ。」
「わたしより長生きする気なの?」
「なまえの方が年寄りなんだから先に死ぬんじゃね。」
「数ヶ月しか変わんないんだけど。そもそも平均寿命は女の人の方が上だからね。」

 勘弁してよ、わたしより長生きするなんて。お願いだから、一秒で良い。ほんの一瞬で良いから、三途くんが先に死んでよ。
 彼の前から消えること。きっとその行為は、彼にとって裏切りだ。
 わたしに裏切り者のレッテルなんか貼らないでよ。だから、わたしより先に死んでね。お願いだから。
 そして、死んだわたしの手を引いて、三途の川を渡って。彼岸に連れて行って。そのまま手を離さなくて良い。地獄でもどこでも、好きに連れて行ってくれれば良いよ。
 いつ死んでもおかしくはない状況下で生きている彼に対し、自分より先に死んでくれと願うなんて。なんて、酷い女だろうか。
 三途くん。そう彼の名を呼べば、進む足は止まった。そして、こちらに視線を向ける彼の頬に手を伸ばす。
 やっぱり、春の夜はまだ冷えるね。
 彼の頬は酷く冷たい。わたしの手に擦り寄る彼の姿が、三途春千夜という男が今ここに、ちゃんと生きているということを実感させてくれた。

「花弁、ついてたよ。」
「あっそ。」

 わたしは地獄でも、君と一緒に居たいよ。

2021.05.27






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