午後八時の内緒話






「三途くんだ。」
「あ?あー、オマエか。」



 お風呂に入っているとき、数学の課題をやっていないことを思い出した。
 頭の片隅でやらなきゃなあなんて思いながら髪を乾かし、適当に化粧水をバシャバシャと付ける。
 大して面白くもないバラエティー番組を眺めながら鞄の中身を広げれば、そこには数学の教科書もノートも入っておらず、学校に忘れてきてしまったのだと今更気が付いた。
 そのせいか、元から大してなかったやる気が更に削がれてしまった。

「お腹、空いたなあ。」

 お腹が空いたという言葉はなんだか都合が良い。実際、別にお腹は空いていなくて、ただなにか食べたいだけ。でもお腹が空いたと言えば、それは人間の欲求だから仕方ないと片付けられるような気がしたから。
 冷蔵庫、キッチンの戸棚、ひっくり返した鞄の中。簡単に食べられる物は何一つなかった。
 両親は仕事、いつ帰ってくるのかもわからない。仕方がない、やる気も削がれてしまったことだし、コンビニにでも行こう。
 適当にパーカーを羽織り、サンダルを引っ掛ける。お風呂上がりの火照った体に、外の冷たい風がやたらと沁みた。
 そもそもやる気があったところで、教科書もノートも学校に置いてきてしまったからなにも出来ないのだけれど。まあ、最初からやる気がなかったから全部置いてきてしまったのだろう。そんなことを思いながら扉に鍵を掛けた。



 家から一番近い場所にあるコンビニに足を運んだ。なに食べようかなあなんて考えながら店内を物色していれば、ドリンクコーナーに見覚えのある姿を見つけ思わず声を出してしまった。
 重く冷えた扉を開けた彼がミネラルウォーターを一本取り出し、声を出したわたしの方へ顔を向ける。
 三途春千夜くん。同級生でただの顔見知り。それだけ。

「三途くんでもコンビニとか使うんだね。」
「コンビニくらい誰だって使うだろ。」

 わたしは彼の横をすり抜け、奥の棚に並ぶいちご牛乳を手に取る。彼はわたしの手に収まるいちご牛乳を見て、なんだか眉を顰めていた。
 わたしはそんな彼に苦笑いを返し、アイスケースを覗く。別に、そんなに話す程仲が良い訳ではないから。
 寒いからアイスの気分じゃないな。そう思いお弁当のコーナーに目を移せば、時間が遅いせいか大した物は置いていなかった。おにぎりも昆布と梅干ししか残っていない。
 フラフラとしレジ前のホットスナックコーナーに辿り着いたが、やはり時間が時間なのか、粗挽きウインナーと唐揚げ棒しか残っていなかった。この唐揚げ棒、いったい何時間放置されているんだろう。なんとなく、見ただけで固そうなのがわかる。
 結局、レジにいちご牛乳を置き、肉まんを一つ頼んだ。本当は黒豚角煮まんが食べたかったけれど、肉まんの倍以上の金額がするからやめた。
 店員さんが肉まんを取り出している間に財布からお金を出そうとすれば、後ろからレジにミネラルウォーターが置かれた。
 振り返るとそこには三途くんがいて、肉まんを袋に詰めた店員さんがご一緒ですか?と声を掛ける。しかし彼が反応することはなかった。
 苦い顔をした店員さんはミネラルウォーターを手に取り、バーコードをスキャンする。
 え?待って、これわたしが払う感じ?マジか。
 水の一本くらいなら買えるお金はあるはずだが、心配になって財布の中を覗く。良かった。ギリギリ足りる。
 財布から小銭を取り出そうとすれば、再び後ろから伸びてきた手がトレーの上に千円札を置く。それを手に取った店員さんはさっさと会計を済ませ、六百二十円のお返しですとお釣りをトレーに置いた。
 彼は小銭を取るとそれを適当にポケットに突っ込み、ミネラルウォーターを手に取って店の出口へと向かった。
 レジに残るのはわたしのいちご牛乳と肉まんだけ。その袋を引っ付かみ彼の後を追う。
 店員さん、冷たいのと温かいのは別の袋に入れほしいんだけど。

「さ、三途くん!お金、払うよ!」
「別に要らねぇ。」
「いや、でも!」

 店から出れば彼はボトルの蓋を開け、ミネラルウォーターを流し込んでいるところだった。
 要らないじゃないんだよ!受け取ってよ!そもそもわたしは、彼に奢って貰う義理などないのだから。

「じゃあ三途くんも肉まん食べる…?」
「…食う。」
「あ、食べるの。」

 食べる?もなにも最初からこれは彼が買った物だ。もしかしたら肉まん食べたかったのかもしれない。これ、一つしか残ってなかったもんね。
 申し訳ないけれどわたしも肉まんが食べたいから一口くらいは恵んで欲しい。

「えっと、じゃあ、はい、」
「ん。」

 包みを開き、肉まんを彼の方に差し出す。
 なんとなく、これは偏見だが、三途くんはちょっと潔癖が入ってそうだから。わたしが分けるより自分で食べたい分ちぎって貰った方がいいだろう。
 お願いだから一口分くらいは残しておいてほしい。そんなことを願っていれば、彼はサイドの髪を耳に掛けると、なぜかわたしに合わせるように腰を曲げ屈む。
 そしてわたしの手を掴み、そのまま肉まんにかぶりついた。

「ん、あといいわ。」
「…あ、はい。」

 彼は惚けたわたしを気にもとめず、再びミネラルウォーターを流し込んでいた。
 多分、これは気にしたら負けなやつだ。そうわかっていても、なかなか手に持った肉まんを食べる気にはなれず、思わず彼の顔をジト目で見つめてしまう。

「なんだよ。」
「え?あ、あ〜…?三途くんって、ピアスそんなに開いてたんだね…?」

 視界に入った右耳に四つ並んだピアス。苦し紛れに出た言葉。あれ、骨貫通してるのかな、痛そう。

「あー、うん。」
「痛そう。」
「そうでもねぇよ、オマエは?」
「え?わたし?」

 わたしは開いてないよ。そう口にしようとした瞬間、彼の手がこちらに伸び、わたしの頬に掛かる髪を耳に掛けた。
 びくりと、肩が小さく揺れる。
 開けねぇの?という問い掛けに、予定ハナイカナとカタコトで返すことしか出来なかった。
 上手く次の行動に移すことが出来ず立ち尽くしていると、無機質な機械音が響く。彼の携帯が鳴ったようだ。
 わたしから離れた手が雑に携帯を開き、彼は画面に目を移す。ほんの数秒で彼はパタンと携帯を閉じた。

「じゃあ、オレそろそろ行くから。」
「あ、うん。じゃあまたね、三途くん。」
「気ぃつけて帰れよ。」
「三途くんも、えっと…、背後には気をつけて!」

 なんだそれ。そう言って小さく笑った彼が背を向けた。わたしも帰ろう。そう思い、自宅の方へと足を動かす。
 お腹、空いてたはずなのにな。なんだか空腹だったことを忘れてしまった気がする。
 結局、わたしは手にある肉まんを遠慮がちに一口齧った。うん、美味しい。
 人に買って貰ったものだからか、より美味しく感じる気がする。そんなことを考えていると後ろから肩になにかぶつかる衝撃が走った。

「え…、さ、三途くん…?」
「オマエが背後気を付けろよ。」
「びっ、くりしたぁ…。」

 振り返るとそこには先程別れたばかりの彼がいた。どうやらわたしの肩にぶつかってきたのは彼のようだ。心臓止まるかと思った。

「どうしたの?」
「…こっちから行った方が近ぇから。」
「あ、なるほど…。」

 わたしの肩と彼の腕はまだ触れたまま。
 ふと彼の視線がわたしの手元を映す。そしてマスクを下げると、あ、と口を開きこちらに顔が寄せられた。
 肉まん、やっぱり一口じゃ足りなかったのかな。わたしは彼の口元にそれを寄せた。
 肉まんを持つ手元を眺めながら、意外と一口大きななんて思って、視線を少しだけ上にずらせば伏せた瞼から伸びる長い睫毛が目に入る。三途くんの顔、初めてこんなに近くで見た。なんか、女として負けた気がする。
 恨みがましくその顔を見ていれば、なんだよと問い掛ける彼と視線が合う。

「いやぁ?」
「ンだよ。」
「…マスクしてないの、久しぶりに見たと思って。」

 彼はなぜか最近、黒いマスクをつけている。わたしの記憶では、彼が毎日のようにマスクをつけていた記憶はない。風邪でもないようだし、お洒落かなにかだろうか。

「つけてた方がいいか、これ。」
「いや…?綺麗な顔もっと見せびらかしたら?」
「ふーん。」

 自分で聞いてきたくせに、彼は適当な返事をする。
 それでも彼は、顎に掛かったマスクを元に戻すことはなかった。なんだかそれが少しだけ嬉しく感じた。

「家どっち。」
「右。」
「ん。」

 わたしの肩と彼の腕はやっぱり未だ触れ合ったままだ。
 今日気付いたこと。意外と三途くんはパーソナルスペース狭くて距離感が馬鹿だということ。
 それと、三途くんは案外優しいらしい。

2021.06.01






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