愛と銀鮭の格闘
「なにそれ。」
「バルミューダのオーブンレンジ。」
「バ、バ…、なんて…?」
両手塞がってるから玄関開けて待ってて。数分前に送られてきたメッセージに従い、わたしは玄関の扉を開け彼の帰りを待った。
両手が塞がっているとは、いったいなにを持って帰ってきたのだろう。そんなことを疑問に思いながら待っていれば、長い廊下の先からダンボールを抱えた彼が帰宅した。
ただいまなまえ。そう笑った彼におかえりと返す。そして、わたしは彼の抱えるダンボールを指差した。
「レンジなんて要る?。」
「馬鹿だなぁ。これはオーブンレンジ。なんか色々作れる。」
「なんかってなに。」
彼が雑に脱いだ革靴を揃え玄関を閉めた。
そもそも家には電子レンジがある。壊れてもいないのに買い換える必要があったのだろうか。
食事はだいたい外食かテイクアウトか宅配。オーブンレンジなんて立派な物、この家には必要ないのに。
「蘭くん料理なんてしないでしょ。」
「オレじゃなくてなまえがやるんだよ。」
「は?」
彼は笑みを浮かべわたしの顔を見た。なまえがやるんだよ?わたしが料理するってこと?なんで?
「わたしがやるって、なに?」
「なまえもそろそろ料理くらい出来てもいいんじゃね。」
「わたしが料理出来ないって言ったとき蘭くん、そんなん別に買って食えばいいだろって言ったじゃん!」
「ん〜、気が変わった。」
「はあ!?」
料理が出来なくてもいいって言ったくせに。今更料理しろとはどういうことか。
だいたい、このご時世出来合いの物を買った方がコスパはいいんだ。たとえコンビニ弁当が添加物塗れだろうが美味しいことには変わりはないし、電子レンジで温めるだけで調理の手間はかからない。それに、最近ではネットで注文するだけで家まで持ってきてくれる。今更自炊する気になんて、なれるわけがない。
「ほら、これ見れば作れんでしょ。」
「見たくらいで作れたら苦労しないけど…。」
彼がわたしに見せてきたスマホ画面には、オーブンレンジのメーカーの公式サイトに掲載されたレシピ一覧。そこに並ぶ料理達はきっと、料理人が作った物だ。一般人にスペアリブなんて作れるはずがないだろう。
「あ、オレこのパエリア食いたい。」
「…無理でしょ。」
「まぁ、これで蘭くんのお嫁さんになる練習でもしとけ〜。」
彼はネクタイを緩めながらわたしの頭を軽く撫で、着替える為に自室へと向かって行った。
なにお嫁さんって。冗談でもそんなこと言われたら頑張るしかないじゃん。なまえってチョロいよな。彼はよくそう言う。今わたしは、自分のチョロさをまざまざと思い知らされていた。
「なに作ってんの?」
「わ、びっくりした。おかえり蘭くん。」
「ただいま。で、なにこれ。」
「チリコンカン。」
「へぇ。」
いつの間にか帰宅した彼が後ろからわたしの手元を覗いていた。帰ってきたならそう言ってよ。
気にせずそのまま作業を続けていれば、なんだか痛い程の視線を感じ彼の方へ視線を向けた。
「…なに?」
「いや、なまえが洒落たなモン作ってるから。」
「なにそれ、普通でしょ。」
「だってオマエ、最近までブロッコリーとカリフラワーの違いもわかんなかったような女がこんなモン作るようになったらびびんだろ。」
「待って?わたしブロッコリーとカリフラワーの違いくらいわかるけど?」
ブロッコリーとカリフラワーは似たような形をしていても色も味も違うのだからわたしにだって違いはわかる。正直な話し、キャベツとレタスの違いはよくわかっていなかったけれど。ついでにいうならしじみとあさりの違いもわかっていなかったが。
それも前までのわたしの話しだ。今のわたしは違う。バルミューダのオーブンレンジが家にやってきてから、わたしは暇さえあれば料理動画を見るようになった。
別に、動画を見たからといって料理が出来るようになるわけではない。それでも、わたしなりにちゃんと勉強をしようと思った。
それから包丁やらなんやらの調理器具を買った。料理をする人間がいない家にはそもそも調理器具がなかったから。
まともに料理をしたことがなかったわたしは、野菜をざく切りにすることすら難しく、震えながら包丁を握っていた。
千切りなんてもってのほかで。お店みたいに細く切れないし時間はかかるし、絶対にコンビニやスーパーで既に切って袋詰めされた千切りキャベツを買った方が早いと思った。それでも、それを買いにいかなかったのはもはやただの意地にすぎない。
その日から、わたしの食事は自分の作ったクソマズ飯に変わった。
彼が食べたいと言ったパエリアを作ったとき、載っているレシピ通りの材料をいれて作ったはずなのに、出来上がったものはパエリアと呼べるような代物ではなかった。
不味い。顔を顰めながらパエリアになる予定だった物を一口食べれば、ガチャリと玄関の鍵が開かれる音が耳を掠めた。教えてもらっていた帰宅時間よりもだいぶ早い。急いでキッチンを片付けようとしたが結局間に合わず、ただいまと言った彼がキッチンに顔を出した。
いくらわたしが料理が出来ないとわかっていても、こんな無惨な姿を晒すことはしたくなかったのに。
隠しそびれたパエリアになる予定だった物。それを見て彼はスプーンを手に取り、一口頬張った。
まっず、彼はそう言って笑う。そんなこと、作った本人が一番よくわかっている。食べなくていいよ。そう言ったのに、なせか彼は食べ進める手を止めようとはしない。
何度口に運んではやっぱ不味いな、彼はそう笑いながら食べることをやめない。ついには皿の中身を空にしてしまった。
なまえがオレのために作ってくれたモンなら全部食べるよ。そう言ってわたしの頭を優しく撫でるものだから、年甲斐もなくキッチンで大泣きしてしまった。
それからわたしは一生懸命料理を勉強し、今では人並み程度の腕前になった。
使わないがゆえにこざっぱりしていたキッチンには調理器具が増え、炊飯器や圧力鍋、フライヤーといった調理家電も増えた。
ミネラルウォーターとエナジードリンクくらいしか入っていない、収納を持て余した無駄に大きな冷蔵庫は、今ではたくさんの食材が詰まっている。
いつも不味い不味いと言いながらもわたしの料理を食べていた彼の口から不味いという言葉を聞くことがなくなった。多分、それなりに食べられる物は作れているのだと思う。
「はい、これ持ってって。」
「パシんなよ。」
「蘭くんのご飯でもあるんだからちょっとは手伝ってよ。」
外で食事を済ませてくることの多かった彼が、ここ最近は真っ直ぐ帰宅し、わたしの作ったご飯を食べることの方が多くなった。
そのおかげか彼と過ごす時間が少しだけ増えた気がする。それは嬉しいけれど、なんだか恥ずかしいから絶対に言わない。
「あ、明日さぁ、早く出なきゃいけねぇから朝飯作ってほしいんだけど。」
「わかった。なんか食べたいのある?」
「なまえが作ったモンならなんでもいーわ。」
よく主婦の人が言うなんでもいいが一番困るってこういうことなんだな。そんなことを思いながらもそれがなんだかちょっとだけ嬉しくて、ニヤけそうになる顔を必死で誤魔化しながらはーいと返事をした。
寝起きのせいか、いつもよりも柔らかい空気を纏った彼が掠れた声でわたしの名前を呼ぶ。おはようと言えば、いつもより舌足らずにおはよと返してくるものだからそれが可愛くて思わず笑ってしまう。
今ご飯出すから待ってて。そう伝えれば彼は大人しくテーブルに着いた。
朝ごはんって意外と作るの大変だなあ。そう思いながら、座っている彼の前にとりあえずの一品を置く。
いつもより早い時間に起き、人のためにご飯を作るって結構な労働かもしれない。これを毎日やっている人が世の中にはたくさんいるのだと思うとただただ尊敬する。
「…オイ、なまえ。」
「なにー?」
なんだか不機嫌そうにわたしを呼ぶ声にキッチンから顔を出せば、彼は顰めっ面で片手にグラスを持っていた。
「スムージーは飯じゃねぇから。」
「蘭くん野菜食べないんだからそれくらい飲んでよ。」
「しかも緑。」
「何色が良かったの。」
「色の問題じゃねぇんだけど。」
それ飲まないとご飯出してあげないよ。そう言うと彼は渋々と言った様子でグラスに口を付けた。わたしにミキサーを買い与えた蘭くんが悪いよ。
お椀に味噌汁を注いでいれば、眉間に皺を寄せた彼が飲んだ、と空になったグラスを寄越してきた。
子供みたいで可愛いなと思ったけれど、言ったらなにをされるかわからないから心の内にしまう。
「あ、蘭くん箸持ってって。」
「相変わらず人使い荒いな。」
文句を垂れつつも彼は二人分の箸とご飯茶碗を持ってテーブルに戻って行った。
数回往復し、テーブルに朝ごはんを並べ終え、食べてていいよと彼に伝えればうんと返事をするも箸を手にすることはない。多分、わたしがテーブルに着くまで待つ気なのだろう。
散らかったキッチンを軽く片付けて、テーブルに戻ればやっぱり朝ごはんには一切箸はつけられていない。わたしが椅子を引くと、ほら食うぞとやっと箸を手に取った。
黙々と食べ進める彼になんとなく美味しい?と尋ねれば一言美味いと返ってきた。
今まで言わなかっただけ、もしかしてそう思っててくれたのかな。今みたいに聞いたら言ってくれたのかな。不味いは言うくせに。
「蘭くんのお嫁さんになる練習順調だよ。」
「おー。」
あの言葉を本気にしてるわけではない。けれど、彼のために必死に頑張ったことだから。それだけは認めてほしいと思った。
クソマズ飯しか作れなかったわたしが、人から美味しいと言って貰えるご飯を作れていることは、わたしからしたらすごいことだから。
「明日指輪買いに行くか。」
「うん、…うん?」
「こんだけ出来ればもう練習要らねぇだろ。」
わたしの手から箸が滑り落ち、カチャンと小さな音を立ててフローリングにぶつかった。箸落ちたぞ、そう言って彼は味噌汁を啜る。わたしはうんと返事をし、落ちた箸を拾い上げキッチンへと戻った。
箸を洗って再びテーブルに戻れると、彼はわたしに骨取って、と焼き鮭の乗った皿を差し出す。わたしはその焼き鮭をただ眺めた。
「お嫁さんになるんだから骨くらい取って。」
「旦那さんになるんだから骨くらい自分で取れるようになって。」
これじゃあ子供でしょ。そう思いながら、わたしは仕方ないなあと言って焼き鮭の骨を取ってあげた。
2021.07.13
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