存在証明
「俺がお前の生きる意味になってやるよ。」
確かにあの時、彼はそう言ってわたしに手を差し伸べた。だからわたしは、その手を取ったんだ。
「お〜い、なまえの嬢ちゃんや。」
「朔間さん、お疲れ様です。」
「やはり日中の屋外ステージは我輩にはちとキツイわい。」
ただでさえ透き通った白い肌をしているのに、今の彼の顔色は青白い。一言で片付けるのならば、死にそうな顔をしている。
陽の光が苦手な彼にとって、日中の野外でのライブは体調に響くのだろう。
「お水どうぞ。一応トマトジュースもありますけど。」
「嬢ちゃんは気が利くのぅ。」
ステージ裏手、人気の少ない日陰。わたしと彼の待ち合わせ場所。
別に約束はしていないけれど、いつの間にかそれが決まり事のようになっていた。
「なまえちゃんには我輩だけだと思っていたんじゃがそうでもないらしい。」
「なんの話ですか?」
上下する喉元をぼけっと眺めていれば、ペットボトルの中身を半分程度飲み干した彼が口を開く。
「今日隣に居った子、友達であろう?」
「とも、だち…。うん。友達、です…。」
「ほ〜う?我輩、なまえちゃんのそんな顔初めて見たぞい。そんな可愛い顔も出来るんじゃな?」
「ちょっと、からかってるでしょ。」
「そう怒りなさんな。なまえちゃんも良い方向に変わっていったんじゃなぁと、親心さながらしみじみしておっただけじゃ。」
「同じクラスの子で、羽風くんのファンなんだって。前のライブでわたしのこと見かけたらしくて
、それで、話しかけてくれて…。今日のライブ一緒に行こうって、誘って貰いました。」
「え〜ん、我輩のなまえちゃんが取られた。」
「朔間さんのじゃないし。」
小さい子供のような泣き真似をする彼を無視し、その白い肌を伝う汗をハンカチで拭う。
「甲斐甲斐しくも年寄りの世話を焼いてくれるんじゃな。」
「別に世話って程でもないでしょ。」
出会った頃の彼の面影は、今は見当たらない。まるで、知らない人のように感じるのに、目の前にいるのは間違いなく朔間零だ。
生きていくのに相応しい理由を探し出すことが出来なかった。
ごく普通の家庭で育ち、ごく普通の高校生になった。
違ったことといえば、夢ノ咲学院というアイドル科のある高校に入学したこと。家から徒歩圏内というだけで受験した学校。アイドル科なんて大層な存在と関わることはないだろうと思っていた。アイドルに興味もなければ、そもそもアイドル科と普通科は校舎が違う。わたしには、全く関係ないこと。
人よりもコミュニケーション能力が乏しかったせいで友達は出来た試しがない。それでも、別段寂しいと感じたことなないし、いじめにあったことがあるわけでもない。なに不自由なく、生きている。
それでも、ちょっとだけそんな人生がつまらないなと感じてしまって、けれど、変わる勇気もなかった。
わたしはこのまま適度に勉強に励み、まあまあな企業に就職し、ただただ仕事に打ち込む人生を送るのだろうか。結婚とか、そういうことは多分わたしには向いていない。
それとも、とんでもないブラック企業に就職して、社畜にでもなってしまうのだろうか。それで耐え切れなくなったわたしは、生活感のない部屋で首なんか吊っちゃったりして。
悲しい未来だな。そんな不安で溢れた未来のために生きていてもしょうがない。だったら、今死んでしまおうかな。
屋上の錆びた鍵は、鍵穴にヘアピンを差し込んでガチャガチャと適当に回せば簡単に扉が開いた。
必死になって高いフェンスを登り、腰掛けて足をプラプラと宙に彷徨わせる。
ここから飛び降りたら、きっと痛いのだろう。痛いのは、嫌だな。やっぱり死ぬのは怖い。そもそも死ぬ勇気なんて、最初からありはしないのに。
「オイ。」
「…え?」
まずい、屋上に忍び込んだことがバレてしまった。しかも今は授業中。恐る恐る振り返れば、そこには同じ学院の制服を着た人が立っていた。
「聞いてんのかよ。」
「聞いて、ます…。」
「だったら返事くらいしろっつーの。」
「す、すみません…。」
真っ黒な髪に真っ赤な瞳、浮世離れした顔の作りに思わず見蕩れてしまった。こんな綺麗な人、初めて見た。
その姿をぼーっと眺めていれば、彼はわたしが必死でよじ登ったフェンスを軽々と飛び越える。
「普通科でも死にてえとか思うやついるんだな。」
「え?」
「なんでもね〜よ。」
彼はそのままわたしの隣に腰掛ける。
「で?」
「で、って…?」
「こっから飛び降りんのかよ。」
「いや、えーっと、その…。」
飛び降りようという思考は一瞬過ぎりはしたが、怖気付いただなんて恥ずかしくて言えなかった。
「やっぱ生徒会長としては止めるべきなんだろうな。」
「え、生徒会長なんですか?」
「あ?知らね〜のかよ?」
「…すみません。」
言っちゃ悪いが、生徒会長という出で立ちは一切感じられない。どちらかというと、素行不良の生徒という方が合っている。
きっとそれを口にしたら、彼は怒るのだろう。
「そんで、どうすんだよ。」
「どうするって…、」
「なんなら俺が背中押してやろうか?物理的に。」
「え、あ、そ、それはちょっと…!」
「冗談に決まってんだろ〜が。」
そう言って彼は笑った。嘘だ。冗談なんて。目が本気だった。
きっとわたしが背中を押してほしいと答えれば、彼は迷うことなくわたしをここから突き落としただろう。
「お前名前は?」
「みょうじ、なまえ、です…。」
「なあ、なまえ。」
「な、なんですか…?」
「つまんね〜?生きんの。」
「…つまん、ない、です。」
彼は鋭い犬歯を一瞬光らせ、口角を上げる。そして、わたしに手を伸ばした。
「この手を取るのはなまえの自由だ。」
「えっと…?」
「俺がお前の生きる意味になってやるよ。」
彼はわたしの生きる意味になってやると言った。正直、その意味はよくわかっていなかったけれど、その手を取ればなにかが変わる気がした。
「お〜い、なまえちゃんや〜い。」
「あ、すみません。考えごとしてて。」
「え〜?我輩と居る時は我輩のことだけ考えていてほしいぞ?」
「ハイハイ、朔間さんのこと考えてた。」
その後、彼、朔間零がアイドル科の生徒だということを知った。アイドル科の生徒とは、一生関わることはないと思っていたのに。
彼はことある事にわたしの元へとやって来た。アイドル科の生徒が普通科に用があるのかは謎だったが、生徒会長と言っていたからきっと大事な用があったのだと思う。
待ち合わせも約束もなにもしていないのに、わたしが屋上でサボっていれば絶対と言っていいほど彼はやって来た。
しょっちゅう来たと思えば、一ヶ月間ぱたりと来なくなった時もあった。なんでも海外に行っていたとか。生徒会長って大変なんだなあ、そう思いながらお土産のお菓子を貪った記憶がある。
「そういえばお友達は良いのかえ?」
「用事あるから先に帰ってって言いました。」
「用事ねぇ…。のうなまえちゃん。我らは別に、毎度毎度会うことを約束はしとらんぞ?」
「えっと、…そう、ですね?」
「別にお友達と帰っても良かったと思うがのぅ。」
「…もう癖ですよ。こうやってライブ終わりに朔間さんに会いに来るの。」
「これで、我輩が来なかったらどうするつもりだったんじゃ?」
「考えたことなかったなあ…。そっか、朔間さん最近UNDEADの活動忙しいですもんね。来れない時もあるのか、そっか…。」
「…なまえ、」
「きっとわたし、朔間さんが来なくてもずっと待ってると思いますよ。朔間さんが来るまで、待っちゃうと思います。」
「…はあ。」
彼は大きな溜息を一つ吐き、ユニット衣装でもある黒の帽子をわたしに無理矢理被せた。
「わっ!なんですか急に、」
「俺は、ちゃんとお前の生きる意味になれたみて〜だな?」
「え、朔間さん、覚えて…、」
「忘れるわけね〜だろうが。」
勢い良く顔を上げれば、朔間さんは鋭く尖った犬歯を見せて笑った。ああこれは、あの時の朔間さんだ。
ずっと、忘れているものだと思っていた。わたしにあんなことを言ったのはただの気紛れで、彼にとっては大して意味のない一言だと思っていたから。
それに朔間さん、いつの間にかおじいちゃんになっちゃったから。ボケて忘れちゃったって、そう思っていたのに。
「あ、あのね!朔間さん!」
ずっと、言えなかったことがある。彼はとっくに忘れてしまったと思っていたから。それに、なんだか気恥しくて。
わたしは、朔間さんと出会ったあの日から、朔間さんだけがわたしの生きる意味になったんだよ。
彼と話すことが楽しかった。会えることが嬉しかった。だから、海外に行ってしまったときはどうしようもなく寂しくて、それでも、お土産片手にただいまって突然帰ってくる姿は大好きで。アイドルなんて興味なかったのに、彼のライブが見たくて。
朔間さんはなんの変哲もないわたしの人生で、わたしの生きる意味になってくれた。だから、わたしはこれからも朔間さんのために生きて行くの。
「わたしね、朔間さんのこと大好き!」
「我輩も、なまえのことが大好きじゃよ。」
2019.09.25
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