逃げられるものならお好きにどうぞ
「はい、どーぞ。」
「…ありがとう。よく覚えてるね。」
「ねえ〜?ボクもびっくり。」
たいして混んでいない店内。注文したフラペチーノを彼女に手渡し、自身のカフェラテに口を付けた。
なんだっけ、そのフラペチーノ。ちゃんとした名前は覚えていないけれど、チョコチップとかソースとか、色々追加したりシロップ変更したりするやつ。とにかく注文が多い、面倒なカスタマイズのフラペチーノ。ここに来るとキミがいつも頼んでいた物。
「なーんかさあ。」
「なに?」
「ちょ〜っと見ない間に可愛くなくなったんじゃないのー?」
「…久しぶりに会ってそれ?」
ストローを咥えた彼女が小さな音を立て甘ったるいフラペチーノを吸う。彼女の小さい一口では、盛りに盛ったエキストラホイップはなかなか減りはしない。
「ていうか、髪の毛切っちゃったの〜?しかも暗くなっちゃった。」
「似合ってないでしょ。」
「うん、ボクは長い方が好きかな〜。暗い色もまあいいけどさ、もーっとなまえらしい、なまえの好きな色の方がずっとずっと好きだよ!」
別に、似合っていないという訳じゃない。ただボクは、明るい色で長い頃の方が好きだったっていうだけの話。
「乾かすのは、ちょっと楽になったけど。」
「…自分で出来んの?」
「…まあ、うん。それなりに…?」
「はい、ダウトー!絶対乾かさないまま寝てるでしょー!」
「たまーにね…。ほんと、たまに…。」
彼女は窓の外に視線を移す。何かを誤魔化す時、ボクから目線を逸らす癖は変わっていないようだ。
「ボクがいないとなにも出来ないんだねえ。」
「…そうかも。乱数くんがいないとわたし、なにも出来ないのもかしれない。」
相変わらず、笑うのは下手くそらしい。自分の笑った顔が嫌いだって、言ってたっけ。まあボクとしては、下手に愛想を振り撒かれるよりマシなんだけどさ。キミの一番可愛い顔は、ボクだけが知ってればいいもん。
「わたしがいない間、遊んだりしたの。」
「したよ〜。オネーサンといーっぱいご飯行ったし。」
「そっ、か…。」
「でもでも〜、てっぺん回る前に、あー!早く帰らなきゃボクの可愛い彼女が怒っちゃーう!って思って、帰っちゃってたんだよねえ。身に染みた習慣ってこわーい!…帰っても、誰もいないのにさ。」
最後の一言は、皮肉も込めて。
カフェラテを飲み干し、彼女を見遣れば気まずそうに顔を伏せ、視線をキョロキョロと彷徨わせていた。
「ボクより良い男、いた?」
「…わかんない。そういうこと、考えてなかったから。」
「ボクのことは?考えてた?」
「…毎日、乱数くんのことばっかり考えてたよ。」
「ボクも、なまえのことばっかり、ずーっと考えてたよ。」
彼女が唇をキュッと結ぶ。嬉しい時と苦しい時、彼女はどちらのときもその仕草をするから、今のボクじゃどちらの感情か読み取ることが出来ない。
やっぱり、離れてた時間って大きいんだなあ。
「ボクがいなくても、ちゃんと朝起きれた?」
「アラーム、いっぱいかけた。たまにそのまま止めて寝ちゃったけど。」
「ご飯は?ちゃんとしたの食べてる?」
「コンビニとか、お惣菜とか、冷凍…。」
思わず溜息が出た。本当に、ボクがいないとまともな生活を送れないじゃないか。ボクと出会うまで彼女はどうやって生きてきたのだろう。ああ、違う。彼女をダメにしてしまったのは、きっとボクなんだ。
「ほんと、ボクがいないとなーんにも出来ないんだね?」
彼女の頬に手を伸ばす。指先で隠しきれていない隈をなぞった。
ボクもね、キミがいないとなにも出来ないんだよ。言うと調子に乗るから言ってあげないけどね。
仕事で些細なミスが目立った。靴下を左右で間違えたこともあったなあ。今思い出しても恥ずかしいや。
キミがいない部屋にね、いつもの癖でただいまって言っちゃうこともあった。キミの好きなコンビニスイーツをお土産で買っちゃうこともあったよ。そのまま帰らないキミを待って、冷蔵庫で腐らせた。馬鹿みたいでしょ?
「ねえ、そろそろボクのところに戻ってくる気になった?」
「わたしは…、」
「ボクもう一人で寝るの寂しいんだよねー?帰って来ないなら、オネーサン呼んじゃうけど?いいの?」
「それは、嫌、です…、」
「でしょ〜?だからさ、いい加減、」
帰って来てよ。そう言って彼女があの日置いていった鍵を、再び彼女の手に握らせる。
鍵に付いている犬?猫?どっちだかわかんないけど、そのストラップがなんだか嬉しそうに見えたのは、多分ボクが疲れているから。
いい度胸してるよね、ボクにシブヤの街を全力疾走させるなんて。ボクに会いたかったから、シブヤに来た癖に。いざボクのこと見つけたら逃げるんだもん。
もう鬼ごっことかする歳じゃないんだけど?まあ逃がしてなんかやらないし、捕まえるつもりだったけどね。
「置いてった物、全部残ってるよ。」
「捨てて、良かったのに…。」
「いつ戻って来てもいいように。流石に歯ブラシとかは、カビ生えると嫌だから新しいのに変えちゃったけど。」
「…ありがとう。」
捨てられたら、どれだけ良かっただろう。忘れられたら、どれだけ楽だっただろう。ボクのことを置いていった、捨てていった女のことなんて。
それでも、彼女の帰りを待った。
「髪、伸ばしてくれると嬉しいんだけど。」
「乱数くんってロングが好みだったの?」
「うーん、本当は別にどっちでもいいんだけどね。なまえの髪巻いたりいじるの好きだから。それに乾かす時間はちょっとでも長い方がいいでしょ?」
「出来るだけ早く終わらせたくない…?」
「その意味わかんないって顔やめて〜!」
染め過ぎて傷んでボロボロなところとか女子力ないなあって思うし、右側の後ろ髪はくせっ毛が強くてなかなかストレートになってくれないけど、ボクが名前を呼んだ瞬間、振り向いて揺れる毛先とか、シーツに広がる細い髪がなんだか愛おしくなるから。
それに、乾かす時間がかかる方が、キミに長く触れることが出来る。
「ボクさあ、ヨリとか戻さないタイプなんだよねえ。」
「…それっぽい。」
「まあそもそも?ボクは別れたと思ってなかったけど。」
ボクを見つめていた彼女が視線を逸らし、キュッと唇を結んだ。ああ、多分、それは苦しい時の感情。ボクへの罪悪感でいっぱいなのかもしれない。
苦しんでよ、もっと。ボクも、苦しかったから。
「もう変な気起こさないでよね!」
「変な気って…。」
「ちゃんと、ボクに一生愛される覚悟出来た?」
ボクの隣はキミしか似合わないよ、他の誰かじゃなく、キミだけが隣に居てくれれば良い。
もう二度と、置いていかないで。あの冷たい部屋に帰るのはもうごめんだ。
首を縦に振った彼女が下手くそな笑顔を浮かべる。
「乱数くんに、捨てられないよう頑張るね。」
「ボクももう二度と捨てられないように頑張りまーす。」
「捨てた訳じゃないんだけど、その、怒ってる…?」
「当たり前でしょ〜!?」
ボクがキミを捨てるなんてこと、絶対にないのに。こんなにみっともないくらい執着しちゃうほど好きなんだから。
だからね?自信を持って、ボクの隣にいてね?ぜーったい!約束だから!
2019.09.27
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