ベタな愛の言葉でもいかがでしょう
彼に関するわたしの最後の記憶は、青いブレザーを着て、まだ少しだけ幼さを残す笑顔を浮かべる姿だった。
目の前で微笑む彼は酷く大人びて、まるで知らない人のように見える。おかしいな、いつもテレビ越しに見ている筈なのに。
彼が片腕に抱える薔薇の花束は、あの時わたしが望んだ百本の薔薇なのだろうか。そして、片手にある白い小さな箱にはきっと、あのカフェのモンブランが入っている。
わたしは彼に気付かれないよう唇を噛み締めた。
「薫くん、学校楽しい?」
「なにその質問。」
「なんとなく。そういえばレッスンは?出なくていいの?」
「ん〜、だってなまえちゃんとのデートの方が俺的には大事だしね?」
「デートではないけどね。」
高校三年の春。桜の蕾がまだ咲ききっていなかった頃、わたしの質問に対する彼の返答。
彼はつまらなそうに目の前にあったカフェラテを飲み干し、ガラス窓の向こうの桜並木を眺めていた。
「薫くん、学校楽しい?」
「…なんかこの会話、前もしなかったっけ?」
「今日は?レッスン大丈夫なの?」
「今日はUNDEADのレッスンはお休みでーす。なまえちゃん、もしかして俺がサボってここ来てると思ってるでしょ〜?」
「まあ、前科があるからね。」
「あはは、確かに。」
高校三年の冬。雪のちらつく肌寒い日、わたしの質問に対する彼の返答。
彼は嬉しそうに口を開く。学校のこと、UNDEADのメンバーのこと、他にもたくさん。あの春の日、つまらなそうな表情を浮かべた彼はもうどこにも居なかった。
「薫くん。」
「ん?今度はなに?」
「アイドル、楽しい?」
「…うん。思ってたより、楽しいかな。」
彼は少しだけ眉を下げて笑った。
そんな彼を見て、安心感と同時に寂しさが募る。
「薫くん。」
「なに、なまえちゃん。」
「今日で会うの、最後にしよっか。」
「え?」
「薫くんは、卒業してもアイドルを続けたいんだよね?」
「う、うん…。」
「じゃあやっぱり、今日で最後だ。」
「なんで…?」
「薫くんはね、アイドルになるんだよ。みんなの憧れる、そして、愛されるアイドルに。だから、わたしと一緒にいることでその夢を潰したくないの。」
わたしは無理矢理口角を上げて笑った。自分の感情を隠すよう、誤魔化すようにして。
目の前の彼は、まるでアイドルとは思えないような顰めっ面を浮かべている。
知ってるんだよ。薫くんが、真面目にアイドルとして活動していく為に、身辺整理していたこと。
どうしてわたしがそのタイミングで切られなかったのかはよくわからない。けれどきっと、それも時間の問題だから。だったら、わたしから先にさよならしてあげる。
「薫くん。」
「…なまえちゃん、俺ね、」
「薫くんとこうやって、放課後お茶するのね、楽しかったんだよ。ありがとう。」
彼の言葉を遮ってわたしは笑った。なにも、聞きたくなかったから。思い出も、なにもかも、残したくなんてなかった。
テーブルの隅に置かれたバインダーを手に取り、席を立つ。
「今日はわたしが奢ってあげるね。」
「えっ、いや、俺が払うって!」
「薫くん。」
「…なに。」
「これは、未来の売れっ子アイドルへの投資だから。だからそのうち倍にして返してね?」
「投資って。」
彼は少しだけ困ったように笑う。きっと、その顔をこうやって目の前で見るのは今日で最後なのだろう。
仕方がないといった様子で彼はマフラーを巻き、鞄を持って立ち上がると、伝票の挟まるバインダーを持つわたしの後ろを着いてきた。
「それで、未来の俺はなにを返せばいいの?」
「え〜、そうだなぁ…、」
学生のわたし達には少々お高い金額を払い、店のガラス戸を開いた。
冬の冷たい風が吹き抜ける。やっぱり、タイツ履いてくれば良かったかな。そんなことを考えながら、道路を挟んで目の前にある花屋に並ぶ花々を眺めた。
「百本の薔薇の花束かなぁ。」
「…なまえちゃんって意外とロマンチスト?」
「薫くんが思ってるよりはそうかもしれないね。」
彼はきっと、薔薇の花言葉を知りはしない。だから、彼から百本の薔薇の花束を贈られる日など、一生来ることはないだろう。
「あとそこのカフェのモンブランかな。」
「あそこのモンブラン美味しいよね。ちょっと他より高いからあんまり頼まないけど。なまえちゃん、前に美味しいって喜んで食べてたもんね。」
「よく覚えてるね。」
「なまえちゃんのことなら、なーんでも覚えてるよ。」
嘘くさ。そう発しようと口を開いたのに、あまりにも彼が優しそうな瞳でこちらを見るものだから、口から零れるはずだった言葉は宙に溶けて消えてしまった。
「なまえちゃん。」
「…なに。」
「俺さ、なまえちゃんがかっこいいって思ってくれるようなアイドルになるから。」
「…うん。」
「そうしたら、薔薇の花束持って、なまえちゃんに会いに行くね。」
「期待しないで待ってるよ。」
「え〜、そこは期待して欲しいところなんだけど。」
冷たい手のひらがわたしの手を握った。彼の顔を見ることが出来なくて、俯いたまま口を開く。
「素敵なアイドルになってね、薫くん。」
「うん。なまえちゃんが惚れちゃうようなアイドルになるね。」
薫くんは知らないだろうけど、もうわたしは薫くんに惚れてるんだよ。これ以上、惚れさせるつもりなのかな。なんて罪な男なんだ。
最後だから、笑顔で送り出してあげないと。最後が泣き顔だなんて、彼も見たくはないだろう。
「薫くん。」
「…うん。」
「バイバイ。」
「…またね、なまえちゃん。」
またなんて、もうないんだよ。
今日のことは、いつかただの過去になってしまう。
わたしは弱い力で彼の冷たい手を振り解き、背中を向け歩き出した。
「久しぶり、なまえちゃん。」
「なんで…、」
「え〜?忘れちゃったの?」
忘れるはずなんてない。一日たりとも、彼のことを忘れたことなんてなかったのだから。
出来ることならば忘れたかった。彼のことなんて。
学生の頃の淡い思い出として、ああ、そういえばそんなこともあったっけ。そんな風に、過去の産物にしたかったのに。そう簡単には出来なかった。
いつだって、わたしの頭の隅には彼がいた。こびりついて離れてくれなかった。
「薫くん、なんで、覚えてるの…、」
「忘れるわけないでしょ〜?」
彼は片手に持った白い小箱を目の前に差し出す。大人になったから何個でも買えるよ。そう言って彼は、あの頃となんら変わりはしない、わたしの知っている無邪気な笑顔を浮かべた。
「なんで、忘れてくれないの…、」
「忘れたくなかったから。」
アイドルとして生きていく彼の邪魔をしたくなかった。忘れて欲しい。そう願う反面、そういえばあんな子とも遊んでいたっけ。その程度くらいは覚えていて欲しいだなんて、そんなくだらない欲もあった。
ちょっとだけ面倒なことを口にしてしまえば、彼の中に少しでも記憶として残れるだろうか。そんなことを思ったから。
「なまえちゃんにとって、今の俺はどんな風に見える?」
「…とっても素敵な、かっこいい、アイドルだよ。」
「良かった。だからね、」
会いに来たんだ。そう言って彼は、わたしに薔薇の花束を差し出す。
「なまえちゃんは百本をお望みだったみたいだけど、九十九本しかないんだよねこれ。」
「なんで、九十九本…?」
「あれ?それは知らないのか。まあいいや、あとで調べておいてね。」
「う、うん…?」
「これ、受け取ってくれる?」
「貰っても、いいの…?」
「なまえちゃんの為だもん。当たり前でしょ?」
九十九本あるという薔薇の花束を受け取り、潰れないようぎゅっと抱き締めた。
「迎えに来たよ、お姫様。」
「薫くん、アイドルみたいなこと言うようになったね?」
「みたいじゃなくて正真正銘アイドルだからね?」
彼は笑ってわたしの手を握る。
最後に握った彼の手は酷く冷たかった。今、目の前にいる大人になった彼の手は温かくて、その手をそっと握り返した。
2019.10.14
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