主演男優賞
「もしかして七種茨くんですかー?」
その瞬間、茨はさっさとタクシーを捕まえて帰るべきだったと心の中でボヤいた。
背を向けているのを良いことに、思い切り顔を顰めたがすぐさま口角を上げ、アイドルとしての七種茨の顔を貼り付ける。
「はい!自分が七種いば、って…、」
「やっぱり茨くんだ。」
振り返った茨は驚愕する。ファンかなにかに声を掛けられたと思っていたが、その相手が知り合いであったからだ。
みょうじなまえ。茨の同級生、だった人物である。
「…なにしてるんですか、こんな時間に。」
「バイトの帰りだよ。」
「バイト…?」
時刻は既に22時を過ぎている。
女がこんな時間に一人で、そんな風に思う茨をよそに、なまえは茨くんもお仕事終わり?と呑気に声を上げる。
「…ええ。ちょっとした打ち合わせの帰りです。」
「そうなんだ。やっぱり副所長は大変なんだねえ。」
「それよりも、バイトってなんですか。」
「え、スーパーのレジ。」
「いや、仕事内容を聞いてるんじゃないんですよ。」
隣に並んだなまえに合わせるよう、茨は歩くスピードを落とす。
視線を下げれば、なまえは困ったように笑みを浮かべた。
「働かないと生きていけないからね。」
「…事務所で働けば良いって、自分、あの時言いましたよね。」
「嫌だよ。わたし年齢的にはまだ高校生だもん。芸能事務所でちゃんとした社会人として働くなんて無理に決まってる。」
それに、と言葉を続けようとしたなまえの口が閉ざされる。
茨は今、なまえが何を言おうとしているのか、なんとなくわかっていた。
「芸能事務所で働くなんて、未練タラタラみたいでしょ。」
「実際どうなんですか。未練、あるんですか。」
「ないって言ったら、嘘になるけどね。」
なまえは秀越学園の生徒だった。だが、学園を辞めた。
自分には才能がない。在学中、なまえは茨にそう零していた。
茨は、なまえが劣っていると思ったことは一度たりともなかった。ただ、周りがなまえより勝っていた。それだけの話しなのである。
非特待生として、残りの約一年をこき下ろされ過ごすくらいならば自ら学園を去る。それはそれで懸命な判断だ。
それでもなんとなく、茨はなまえを放っておくことが出来ないでいた。
なまえの家庭がごく一般的な家庭で、決して裕福とは言えないことを知っている。今更、そう簡単に普通の高校へ編入するという訳にもいかないだろう。
だから茨は、なまえにコズプロで働くことを提案した。
しかし、その提案はなまえによって、虚しくもあっさりと切り捨てられてしまったのだ。
「自分は、なまえさんの演技が好きでしたよ。」
「演技っていう程それらしい仕事してなかったけどね。」
「自分はちゃんと、女優としてのみょうじなまえを見てきたつもりでしたが?」
「教室内のその他大勢の生徒とか、通行人Dとか。死体とかしかやってこなかったのに、女優なんて言えないでしょ。」
「…最後に、出たドラマ、」
「あ〜、茨くん見てくれてたんだ。」
あんたの出てるモンなら全部見てるよ。茨はそう心の中で呟く。
なまえが最後に出演したドラマは刑事ものの二時間ドラマだった。なまえは殺人鬼に殺される名もない女子高生の役。死にたくない。そう泣き喚きながら、ナイフで滅多刺しにされ殺された。
あのとき、役の女子高生が殺されたと同時に、女優としてのみょうじなまえも一緒に死んでしまったのかもしれない。
そして、死にたくないと必死に縋る姿は、まだ女優を続けたいと切に願うなまえの感情と重なっていた気がした。
茨はつい最近見たドラマを脳内で再度放送させる。
「あんたは、女優でいるべきだったよ。」
「ん?なんか言った?」
「…いえ、なんでも。」
茨には、なまえに対して隠していたことがある。
以前、なまえに来たモデルの仕事を本人の確認もなしに勝手に蹴ってしまったことだ。
大した仕事ではない。表紙、巻頭、巻末、どれでもない。一番ページにも満たないもの。そんな仕事を受けたところで、こちらに多大なるメリットがないと感じたから。
「そういえば茨くん。なんでわたしにモデルの仕事が来てたこと、言ってくれなかったの?」
「…知ってたんですか。」
「マネージャーさんが教えてくれた。」
「そう、ですか。」
「わたしのために受けなかったんでしょ。」
茨は思わず目を見開く。隣にいるなまえは、自身の爪先を眺めながらなにごともなかったよう歩みを進めていた。
「はは、そんな訳ないじゃないですか。こちらの利益にならないと思っただけですよ。」
「そっか、そういうことにしておく。」
モデルの仕事が来たとき、茨はなまえはきっとこの仕事を受けてくれないと思った。
なまえは女優になりたかったのだ。女優以外には、なりたくはなかった。
もしかすれば、一ページの角の方に写ることで、なまえになにか利益が生まれたかもしれない。それでも、なまえはきっとこの仕事を拒んだだろう。
モデルから女優に、バラエティタレントから女優になどはよくあるパターンだ。そして、人によってはそれが女優への一番の近道でもあった。
それでも、なまえは女優以外の仕事をしたくはなかったのである。
この話がなまえまで行ってしまった場合、なまえにはこの仕事を断ることは難しかっただろう。きっと、断ることなんて出来なかったはずだ。実績を残していないなまえに仕事を選ぶ権利などないのだから。
「モデルなんて絶対出来ないよ。」
「断っておいてなんですけど、もしかしたら向いていたかもしれませんよ。」
「だってわたしスタイルが良い訳でもないし、特別可愛くもないし。」
「随分と自己評価が低いんですね。」
「じゃあ茨くんはわたしのこと可愛いって思う?」
その言葉に茨は思わず眉間に皺を寄せる。
そんな茨を見て、なまえはごめんごめんと笑って見せた。
可愛いと言ったところで、あんたは真に受けてくれないだろう。茨はそう思って顔を歪めたのだ。そんな茨の気持ちになまえは気付くはずもない。
「小さい頃からの夢だったけど、この業界自体に向いてなかったんだよ。」
「そんなことはないと思いますよ。」
「…茨くんは優しいね。」
「はあ?自分が?なに言ってんですか、あんた。」
「茨くんはさ、茨くん自身が思ってるよりもずっとずっと優しいって、わたしは思ってるよ。」
茨には、優しくしているつもりなど一切なかった。けれどもなまえは、茨から受け取る全ての言動に優しさを感じていた。
「わたしみたいなモブに優しくしてくれてありがとう。」
「モブって、」
確かに、この業界、いや、この世界からしたらなまえはモブであったのかもしれない。
茨は思う。俺にとってもただのモブでいてくれたらどれほど良かったことかと。
「あんたがモブなら、俺はなんなんですか。」
「んー、茨くんは主人公かな。」
「…は?主人公?」
他にどんなに売れて人気の芸能人がいようと、なまえにとっては茨が主人公だ。茨がそれをどれだけ否定しようと、なまえが意見を覆すことはない。
「俺は、どれだけあんたに過大評価されてるんだ…。」
「過大評価なんかじゃないよ。ちゃんとわたしが見てきた茨くんだよ。」
「…あんたの世界で俺が主人公っていうなら、」
茨はその場で足を止める。それに気付いたなまえもゆっくりと足を止めた。
酷く晴れた空を映したような茨の瞳が揺れ、なまえは思わず手を伸ばした。茨は伸びてきたなまえのその手を掴み、そのまま指先を絡め取る。
今、柄にもないことを思っている。絶対に、死んでも言ってやるものか。そう思っているはずなのに、茨の口からは自然と言葉が零れ落ちる。
「じゃああんたは、ヒロインだ。」
「…え、」
「主人公の隣には、ヒロインがいるべきじゃないですか?」
「わたしには、ヒロインなんて似合わないよ…。」
茨には、似合う、似合わないなんてどうでも良かった。自分自身がそう思ったから、そうなのだと。
そこになまえの意思は関係ない。なまえも、茨の意思関係なく、茨を主人公に選んだのだから。
「俺がなまえさんをヒロインだと思った。なにか不都合でも?」
「不都合っていうか、その、」
「あんただけですよ。」
「え?」
「俺が優しくするのは、あんただけだ。」
思わずなまえの手に力が籠る。
それに気付いた茨は思わず口元を緩めた。そして、その手を握り返す。
「わたし、もう事務所も辞めてて、ただの一般人なんだよ…?」
「それがなにか?なにをしていようがなまえさんはなまえさんでしょう?」
「わたし、茨くんのヒロインになれるの…?」
「だからもうなってるんですよ。」
「…これじゃあ、茨くん、主人公っていうより王子様だね。」
王子様なんて、あまりにも自分に似つかわしくない。どちらかといえば、悪党の方が性に合っている。
それでも、嬉しそうにそう零すなまえを見て、茨はなんだか悪い気はしなかった。
なまえにとっての主人公でいられるのならば、なんでも良い。そう思ってしまった。
2021.01.29
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