おとぎの国にはいけないの
この前まで寒さに震えていたのに、気づけば陽だまりの中だと汗ばむ季節になった。車の暖房は切れ、窓を開ければ爽やかな風が車内に吹き込む。
着る服の量が減って身軽になったからか、見える景色もいつもより心なしか軽やかな気がする。
助手席から外を眺めれば、歩道を歩く人たちはみんな陽気に笑いながら公園に吸い込まれていく。杖をついた老夫婦はゆったりと、子供を連れた家族は大荷物を背負って、学生のグループは顔を赤らめて、みんな各々楽しそうだ。身を縮めながら歩いていた冬とは大違い。
花見なんていつからしていないだろう。少なくとも組織に潜入してからはやっていない。
昔の記憶を引っ張りだすと、今私たちの車の横を無意味に走り抜けた学生くらいのころは毎年友達と花見をしていたのを思い出す。
「春だね」
ひとりごとだったそれに、運転席の透くんは少しだけ間を置いて返事をする。
「そういえば花見をしたことありませんでしたね。今度しますか?」
今、この子供の姿で透くんと花見をしたら、きっと親子だと思われるんだろうな。周りの目を気にせずはしゃぐのも、子供ぶって透くんにとびきり美味しいお弁当をねだるのもきっと楽しい。
春だし、花見をするのもいいかも。
そう思って返事をしようとしたけど、フロントガラスにひらひらと舞い落ちてきた花びらを見て、その気持ちは少しずつ萎んでいく。
そして出た言葉は真逆のものだった。
「時間合うかな」
「花見くらいなら合わせられると思いますよ」
「でもなあ」
言葉を濁した私を気遣うように透くんは窺うように聞いてきた。
「あまり桜は好きじゃないですか?」
また一枚、桜がフロントガラスに落ちてきた。
「別に嫌いってわけじゃないんだけど……」
「僕は、結構好きですよ」
顔を右に向けると透くんは、どこか誇らしげに真っ直ぐ前を見つめていた。その奥の窓ガラスから桜並木が見える。
吹き込む風にさわさわと揺らされる亜麻色の髪は舞い散る薄紅に映えるし、ハンドルを握る手の褐色は春の暖かさを思わせる。桜の木の下に立つ透くんは、さぞ女性の視線を集めるだろう。
「でも、透くんに桜は見合わないよ」
好きなものが似合わないと言われた透くんは、少しだけ唇を尖らせた。
「散る姿が綺麗な花は、透くんに似合わないよ」
桜が美しいのは、咲き誇ったと思ったら、あっという間に散ってしまうからだと誰かが言っていた。儚いから美しい。一瞬の輝きだから目に焼きつけたいのだと。
私の目蓋の裏には、桜の代紋を背負って眠りについた人の姿が焼きついて離れない。
透くんは散る姿も、静かに眠る姿も似合わないから。
「うん。透くんは桜っていうより海の男って感じ」
「それは見た目の問題じゃありませんか?」
ちょうど信号で停まり、透くんがじっとりとした視線を私に向けた。
「生命力溢れる夏と、母なる海だよ? 透くんにぴったり」
拍手まですれば、透くんは呆れたように少しだけ笑った。
「それで、花見はしなくていいんですね?」
「うん。わざわざ時間を調整してまでしなくても、こうやって車の中で見ているだけで綺麗だし」
「まあ、公園は桜を見るというより人を見ると言った方がいいくらい人で溢れていますからね」
「そうそう。……ああ、でもせっかくだから美味しいお弁当は作ってよ」
私は花より団子が好きだよ、と言えば、今度こそ透くんは「まったく」と言って楽しげに笑った。