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 骸は帰る際に幻術避けを解いていたようで上の階の様子を見ることができた。
 ――上の階はワンフロアのスイートルームになっているらしく、ジンを探すのは簡単だった。彼は五階上の部屋のベッドルームにいた。ベッドの上には三谷原の死体。ジンは三谷原が自殺したように偽装しているところだった。
 私は周囲を確認して骸とフランの痕跡がないことを確認してから、私の指紋や痕跡を消していった。そしてジンの元へ行くためにエレベーターに乗り、三十二階のボタンを押した。手には一応手袋を装着した。たった五階だからすぐに軽快な音を鳴らし、エレベーターのドアが開いた。玄関の鍵は開いている。入るとすぐにリビングがあり、ソファーの間を通って次のダイニングに向かう。ダイニングの奥に目的の人物がいるベッドルームがあった。ジンに警戒されて撃たれないように、ダイニングからジンの姿が見えた段階で声をかけた。

「ジン、終わったよ」
「よくここだとわかったな。……なんて野暮だったな」
「そうだね」

 ベッドルームに足を踏み入れるとほのかに火薬の臭いがした。それと血の臭い。

「マスコミはどうしている」
「……うーん、一階のロビーラウンジと五階のバーに数人いるけど動きはないよ。たぶん出入りだけ見張っているんだと思う」

 ジンは「そうか」と言って部屋を出て行こうとするので、慌ててジンを呼び止めた。

「靴の跡とか消さなくていいの?」

 カバーもされていない私たちの靴を指差したが、ジンは鼻で笑った。

「こいつはここを自宅として使っている。見られて困るものが山ほどあるからルームクリーニングを頼んだことがねえ。つまり俺たち以外の靴跡も山ほど残っている」

 なるほど、自殺に見立てるのなら、逆に下手に痕跡を消すと怪しくなってしまうのか。そういうことなら大人しくジンの後ろをついて部屋を出た。
 さっき乗ってきたエレベーターにもう一度乗り中間ロビーに戻る。ジンは倒れているSPたちをしばらく観察したあと満足そうに口元に笑みを浮かべた。

「上出来だ」

 それだけ言うと、ジンはさっさとどこかに電話をかけ始めた。
 最初、何を言われたのか理解が追いつかなかった。頭の中で言葉を反芻してようやく褒められたのだと理解でき、驚いて目を見開いた。じんわりと胸が暖かくなる。
 私一人でやったことじゃないけど、褒めそうにない人に褒められただけでこんなに嬉しいなんて。SPたちを任されたときの憂鬱感なんてきれいさっぱり消え去った。それにちょっとだけやる気も出た。リボーンや骸も命令するだけじゃなくてちゃんとアフターケアもしてくれたらいいのに。とはいっても、ジンだって「六歳にしては上出来」という意味だろうから、本来の年齢だったらきっとリボーンや骸と同じ反応に違いない。
 いっそこのままの姿なら、なんて馬鹿なことを考えながらジンの電話が終わるのを待つ。どうやらSPの始末を頼んでいるらしい。こんな暗殺任務の多い組織で掃除屋をするなんて、さぞかし大変だろう。私は絶対にできない。
 電話を終えたジンは私の方を見た。

「マンションに荷物はないな」
「え、マンション? ってジンのマンションだよね? それならないけど……」
「それならいい。あのマンションは処分するからもう戻らねえ」

 突然の言葉に驚いた。それなら、残りの任務は研究所から行くの? と聞いたがそういうことではないらしい。

「残りの取引は中止だ。奴の死が明るみになれば、しばらく警察が動くからな。自殺と処理されてから再開する。お前はそれには同行しなくていい」
「……はーい」

 ジンのマンションに泊まるのは旅行みたいで楽しかったから少し残念。だけど決まったものはしかたがない。任務が早く終わったってことは、それだけ早くスコッチから誕生日プレゼントがもらえるんだから、そっちを楽しみにしよう。
 じんじん痛む左腕を無視して、帰った後のことを考えた。
 何をもらえるんだろう。あれこれ思い浮かべたけど、どれもピンとこない。
 うきうきする気持ちが顔に出ないようにゆっくり呼吸をしながら、ジンのコートの裾を掴んで歩いた。カムフラージュのためだ。それからジンが不審者に見えないように、いい感じの笑顔を作るとチンと軽い音が鳴った。
 エレベーターからエントランスまでは近いけど、エレベーターのそばにはスタッフがいる。スタッフさえ欺けば、監視カメラはジャックされているから私たちはなんの苦労もなく外に出ることができる。
 エレベーターの扉が開いた。堂々と、そして不審がられないように気配を消して、エレベーターを降りた。さすがジンは気配を消すのがうまい。明らかに怪しい恰好なのに誰も振り向きもしない。
 人通りの多いロビーを人にぶつからないように右に左に体を避けて前に進む。玄関の自動ドアをくぐった瞬間にどっと疲れがやってきた。はあと息を吐きそうになったが、まだ人目のあるところだと気を引き締めなおす。


 帰りの運転もジンだった。ウォッカはまだかかっているのか。
 すっかり暗くなった外に、さっき我慢した息を吐いた。帰ったら何時だろう。日付変わっちゃうな。
 ジンのマンションのダイニングに置いたままの夜ごはんのことを思い出した。せっかく作ったけど、きっと誰にも食べられないまま捨てられるんだろうな。命知らずにジンに「食べてね」と言おうかと思ったけど、それなら別の誰かに食べてもらうように頼んだ方がましだろう。
 静寂な車内に、ジンの携帯の音が響いた。ジンは即座に車を停めた。
 物々しい空気が車内を支配した。
 相手はウォッカらしい。いくつかやり取りをすると、愉快そうに笑った。
 おおよそジンのような性格の人間が楽しそうにしているとき、他の人は不幸な目にあっている。つまり裏切り者は無事に処分されて、それをウォッカが確認したのだろう。
 わざわざウォッカを遣わせたのが気にかかる。桂小五郎のごとく逃げるのがうまいのか。それとも、それだけ大物なのか。
 電話を終えたジンに聞いてみたら「いや」と簡単に否定した。だけど理由は教えてはくれなかった。
 代わりに、その裏切り者の名前を告げた。

「スコッチだ」

 ぴゅっと喉が鳴った。
 大きく吸った息が吐けない。目を閉じて、ゆっくりと息の吐き方を思い出す。胸に右手を当てる。その手からいつもより早い鼓動を感じながら、ゆっくり、ゆっくりと呼吸を思い出す。
 左腕の痛みが移ったように心臓がどくどくじくじくと痛くなる。
 気持ちを落ち着かせてから最初に思ったのは、案外「悲しい」でも「つらい」でもなく、「バーボンと合流できたのかな」だった。スコッチは裏切り者だったけど、それでも暗くて寂しいところで孤独に死んでいくよりは、最期に仲良くしていた人と会ってから死んでほしい。
 合流、できてたらいいな。それから、少しだけ楽しいこと話して、最期に笑ったあとで裏切り者だとバレて処分されていたら――。それでもきっとスコッチはやりきれなかっただろうけど。
 ジンが話してくる内容を聞き流す。聞き流したのか、頭が聞くのを拒絶したのかは私にもわからない。ただ、ジンの言葉が遠く聞こえた。
 頭が働かない。考えるのはやめにして、目を閉じた。そして心の中で「ジンと夜ごはん、食べられなかったよ」とスコッチに謝るように呟いた。

ヒトリヨガリ