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ショッピングモールの出入り口から観覧車までは目と鼻の先だ。遠目から見て、被害状況はあまり大きくないことがわかった。
観覧車から降りてきた乗客が逃げ惑っている間を走り抜け、アミューズメントエリアに着いた。観覧車の周りはスーツを着た警察官らしき人がちらほらいる。目を凝らすとスタッフと話している警察官の中に松田を見つけた。
ほっと胸を撫で下ろす。
見たところ怪我人もいないようで、さっきの爆発は犯人からの挑発かな、と当たりをつける。
さて、私が警察の群れに突っ込んでいくわけにもいかないし、どうしたものか。
松田たちに近寄り耳をそばだてていると、松田が周囲の警察官を振り切ってゴンドラに乗り込んでしまった。女性警官の悲鳴を聞くに、どうやらそのゴンドラに爆弾が乗っているらしい。
慌てて私は松田の次のゴンドラに飛び乗って、外から見えないように身を低くした。存在感は消したままだし、みんな松田に注目していたから私が乗ったことに気づいた人はいないだろう。
そして、ある程度地上から離れてから松田に電話をかけた。
「もしもし、私愛子。今、あなたの隣にいるの」
「はあ!?」
「言っとくけど、爆弾と観覧車デートしてる松田に文句言われたくないからね。松田の方が無茶してるんだから」
「だからって!」
「それで正午までにどうにかできそうなの? っていうか一人で乗って、爆弾解体なんてできるの?」
「……休職前までは爆弾処理班にいたんだ。十八番だぜ」
松田は独り言のように「なんたって爆弾処理は降谷に張れたんだからな」と呟いた。だけどそれは、独り言と無視するにはあまりにも自慢気だった。
「降谷?」
「ああ。前に言っていた警察学校で同じ班の中の一人で首席だったやつだ」
鼻歌でもうたいだしそうなほどのんきな松田に肩の力が抜けて、鉄板の床に座りこんで座席に寄りかかった。
なんだ、心配してついて来るほどでもなかったっていうことか。それならそれでいい。
電話口からカチャカチャと機械を弄る音を聞きながら今さらバーボンを置いてきたことが不安になってきた。
なんて言い訳をしようか考えながら、どんどん上昇していく窓の外を眺めた。雲ひとつない気持ちのいい青空だ。
「よし、救命活動をしに来たって言おう」
「何がだ」
「実はお兄ちゃんを撒いて観覧車に乗ったのよ。だから何て言い訳しようかなって。『迷子になってたら観覧車が爆発したから助けに行った』とでも言っておくわ」
組織は私に、組織のやっていることは平和活動だって洗脳しているしちょうどいい。私にできることがあるかと思ったのとでも言おう。
松田は納得したような相槌を打ったあと、なにかに気づいたような声を上げた。
「……悪い。携帯の充電の減りが早いから一旦切る。何かあったらまたかけるわ」
「はーい」
電話を切ると、ゴンドラ内はしんと静まり返った。
手持ち無沙汰になって、リュックにしまっていたサングラスをかけた。千里眼を使ったことにするかは決めていないけど、つけておいて損はないだろう。なにかと組織の人を誤魔化せる。
ゴンドラに乗って数分。やっと頂上だ。
景色を見るために立ち上がって窓のそばに寄った瞬間、ボンッ! と小規模な二度目の爆発が起きゴンドラが揺れた。大きな揺れではなかったので、たたらを踏むだけで転びはしなかったけど、観覧車は動きを止めてしまった。
現在の時間は十一時五十分過ぎ。
タイムリミットまで十分もないのに下に降りられなくなってしまった。爆発は地上で起きたみたいだけれど、今の衝撃で松田が思わぬ怪我をしていないか心配になって慌てて電話をかけた。
「松田! 腕とか怪我してない!?」
「ああ、なんともねえよ」
「……そう、よかった。あと十分もないけど本当に大丈夫なの? もし無理なら私がどうにかするからね。爆弾を遠くに投げるとか」
「バカ。そうしたら下の民間人が危ないだろ」
「あ、それもそうか」
それじゃあ空に向かって投げたらいいかな、と思っているうちに一方的に電話は切られてしまった。気が焦ってしまったけれど、よく考えたら下の警察官と連絡を取り合わないといけないのだろう。
地上ではスタッフが消火活動をしていて騒ぎが大きくなっている。火は大きくないけど、おそらく観覧車を操作するところが爆発したから松田が爆弾を解除したあと救助されるのを待たないといけないだろうな。
たくさんいる警察官はこっちを見上げているが、やっぱり視線の先は松田の乗っているゴンドラ。私が何かをしても彼らに認識されることはないだろう。
あと五分という時間になって松田から電話がかかってきた。
「密室から瞬間移動ってできないんだったよな?」
単刀直入な言葉だった。その切羽詰まったような、それでいて覚悟をきめたような声に息をのんだ。スマホを握る手に力がこもる。だけど、すぐに「いや、なんでもない」と言葉が続いた。
「なんでもないわけないじゃん。前もそうだったでしょ」
松田は長い息を吐いてから、精彩を欠いた声で「爆発する三秒前に次の爆発場所のヒントが表示される。水銀レバーが作動したからお前が言ったみたいに爆弾を投げ飛ばすこともできねえ」と静かに言った。
「それで瞬間移動を……」
「ああ。ヒントを見てから避難できねえかって思ったが、そううまくはいかねえな、言いながら無謀だって気づいたわ」
諦めたように笑う松田に奥歯を噛み締める。
「密室って言ったってゴンドラなら脱出方法はいくらでもある。でもヒントの長さがわからないから一秒前とかになっちゃうと爆風からは逃れられないと思う」
「ヒントを見て、それを下のやつにメールしてからだしなあ。……ダメもとで聞いたんだ。覚悟は決めている」
死ぬ覚悟より生きる覚悟をしてよと叫びたいけど、松田だって生きられるなら生きたいに決まっている。よく聞けば、その声は揺れていた気さえした。
「他の人に連絡しなくていいの?」
「さよならの挨拶ってか? 内容考えてるうちにタイムオーバーになるさ」
そのまま松田は「伊達はこのこと知ってるし、降谷と諸伏は連絡つかねえしな」と拗ねたようにボヤいた。
「ああ、そうだな。最期に萩原のことをお前に話しておきたい」
「萩原?」
「四年前に死んだ親友だ。俺の代わりに愛子にあいつのことを覚えておいてもらいたいんだ」
「うん」
私が静かに返事をすると、松田は残された時間でできるだけたくさん話そうと早口で萩原さんのことを話し始めた。
ムードメーカーで軟派なところがあったこと。落ち込んだことがあれば軽く笑い飛ばしてくれたこと。コミュニケーション能力が高くて、だからこそいつも周りに女性がいたこと。端的だったけど会ったことのない萩原さんがどういう風に喋るのか予想できるくらい松田の説明はうまかった。
そして、萩原さんの話をする中で一緒の班だった残りの三人のことも簡単に教えられた。生真面目で頑固者な降谷さんとは折り合いがつかなかったこと、諸伏さんは降谷さんの幼馴染みだけど付き合いやすかったこと、バラバラな性格の四人を面倒見がいい伊達さんがまとめていたこと。
きっと萩原さんのことだけじゃなくて、松田が彼らをどう思っていたのかも覚えていてほしいのだろう。
――三分前。
松田は一度口を閉ざし、それから妙に改まった語調で話し始めた。
「この爆弾に使われているC4爆薬の量は三十グラムくらいだろう。C4のTNT換算値は一・三四倍。C4を等価のTNT火薬量に換算して爆風圧を割り出したが、俺のゴンドラは潰れるが観覧車すべてを吹き飛ばすほどじゃねえ。ったく、この爆薬は二ヶ所めの本命に使ったやつの余りなんだろうな。本当に警察をバカにしていやがる。……まあ、そのおかげでお前の生存確率はぐんと上がったが」
安心しろとでも言いたげな声だったけれど、私のことよりも自分のことを考えてほしい。松田は爆弾のすぐそこにいるんだから。きっと激しい炎と、爆破の破片が松田を襲うだろう。
心臓がばくばくと早鐘のように打ちつける。痛い、けれどそれ以上に苦しい。
喘ぐように声を絞り出した。
「助けてって、言わないんだね」
「どうやって。俺は爆弾のプロだって言っただろ。いくら余り物の爆薬だからって、この至近距離で爆発すれば俺の体がひとたまりもないことはわかる」
「でも幻術を使えば……」
「『警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする』。そして、『不偏不党且つ公平中正』を重んじろっていうのが警察法第二条のありがたいお言葉だ。いいか、お前が反社会勢力に属してようとこっちには守る義務があるんだよ。だいたい、その姿のお前と元のお前が同一人物なんて信じるやつなんていないだろ」
捲し立てるように言い連ねた松田は、一度言葉を切ってから「幻術使った奇跡の生還を何て言って下の奴らを納得させるんだ? バカ正直にすべて話して、お前は危ない立場に陥るんじゃないのか? その姿のお前はただの子供で、俺の友達だ。その安全を脅かしてまで守ってもらう命なんてねえよ。これは俺の警察としての誇りだ」と言い聞かせるように言った。
はっと息を飲んだ。
誇りを大事にするマフィアに属している身として、誇りより命を大事にしろなんて言えない。言えるはずがなかった。
誇りを傷つけて、「命はある」という状態で延命させて、そのあとの松田の人生の責任は誰が取る?
松田の言うようにすべてを下の人たちに明かしたとして、松田は反社会勢力に助けられた警察官というレッテルが貼られて一生噂がつきまとう。警察官でいられなくなるかもしれない。夢も志も折れ、今までできていたことができなくなった松田を、私はきっと支えることはできない。マフィアも組織もそんなに甘くないんだ。
生きてほしい。だけど、生きてとは言えない。
――残り一分。
「まあ、俺はお前を守るが、そのうちきっと降谷が反社会勢力のお前を捕まえるから覚悟しとけ。……じゃあな、耳と目を塞いでろよ」
ぐっと噛みちぎりそうなほど唇を噛んで溢れそうな感情を抑え、震える声で「Arrivederci」と別れの言葉を口にする。その直後、松田は「元の愛子も見たかったがな」と言って電話は切れた。
なんでそんなこと最期に言うのよ、ばか。そう詰りたくなった。
――あと十秒。
体を小さく丸めて両手でしっかり耳を塞いだ。ぎゅっと閉じた目蓋から、ぼろぼろと涙が溢れる。拭おうにもサングラスが邪魔でどうすることもできない。自分で涙を拭うことすらできないんだ。
そして、ついにその時間がきた。
バゴンッ! と、ミサイルでも撃ち込まれたかのような短い轟音とともにゴンドラが飛んでいかんばかりに大きく揺れた。私の幼く長い悲鳴が反響する。
手で押さえた程度では守りきれなかった耳の奥がぐわんぐわんと痛み、荒ぶるゴンドラに翻弄されて体のあちこちをぶつけ、もはや痛くないところを考える方が困難なほど全身が悲鳴をあげた。
それでも嫌な浮遊感はない。松田の言ったとおり、観覧車は壊れていないんだ。
無力感と安堵感で心がめちゃくちゃになる。痛いのは外側だけじゃない。胃はムカムカするし、心臓は張り裂けそうだ。目蓋を開けられないまま、ゆりかごのように揺れ続けるゴンドラの中で私は意識を手放した。