夏休み中盤、僕は静岡県ではなく東京都にいた。新幹線と電車を乗り継ぐこと約2時間、LINEで送られてきた住所へ向かって歩き、恐らくこれじゃないかという家に付くと、遠慮がちに呼び鈴を押した。僕は小さい頃からマンションに住んでいたし、家に遊びに行く友達と呼べるものもいなかったから、こんな立派な日本家屋を見るのは初めてだった。中からパタパタと走るような音が聞こえてきて、玄関と思われる扉がガラガラと開いたときは緊張のあまり心臓が飛び出るかと思った。
「いらっしゃい」
「っ名前、ちゃん…!」
出てきたのは2週間前に初めて会った女の子。彼女はオールマイトの知り合いの人の娘さんらしく、小さい頃から交流があるのだとか。
初めて彼女に会った時はとにかく「綺麗な人だ」と思った。
ごみの散乱した海岸でいつものようにオールマイトとトレーニングの進捗について話していると、そのごみの合間に白い雲のようなものがゆらゆらと揺れていることに気が付いた。オールマイトからの話もそっちのけで気をとられていると、その白いものが日傘であることに気が付く。目の前に現れた日傘から覗く、風に揺れるワンピースと色素の薄い黒髪、それからオールマイトを呼ぶソプラノのかわいらしい声。それだけでも充分美しかったのに、日傘から顔をだした彼女を見た瞬間、息が止まるかと思ったのだ。
日焼けなどとは無縁そうな透き通るほど白い肌、海のように深い碧色をした宝石のような瞳、果実を彷彿とさせる紅い唇。今までの人生で見たどの人よりも美しかった。人形だと言われても違和感を持たないほどのその姿にくぎ付けになったほどだった。そんな彼女は見た目だけじゃなく中身まで綺麗な人で、オールマイトに言われたからというのもあるけど、それを除いても僕と友達になってくれるというとんでもなく素晴らしい人だった。
その日のうちにLINEを交換して色々と情報交換を行った。オールマイトの事や勉強法、トレーニング方法、受験対策など。名前ちゃんがくれる情報はとても参考になることばかりで、気が付いたら毎日LINEをしていた。こんなに親密に連絡を取り合う友達は初めてで、距離感を間違えてしまっている気がする。実際、女子を名前で呼ぶなんて今まで生きてきた中で一回もなく、本来は苗字で呼ぶべきなんだろうけど名前ちゃん、なんて呼ばせてもらってる。
…本当は緊張しちゃうから苗字で呼びたいんだけど、オールマイトからも名前しか聞いてないし、彼女はLINEの登録名も「名前」だけだから実は苗字を知らないのも名前で呼んでいる要因だ。
今日名前ちゃんの家まできた理由は僕が「名前ちゃんは普段どんなトレーニングをしているの?」と聞いたからだった。
初めて会った日に砂浜で少し手合わせをしたけど、その時は恐ろしいほど無駄がなく素早い体術に翻弄され、手も足も出なかったのが記憶に新しい。でも彼女本人から言わせると「素人相手だし限りなく力抜いてたよ」だそうだ。彼女も雄英を受験すると聞き、雄英受験者はこんなにもレベルが高いのかと驚愕した。あの幼馴染も恐ろしいほど強いし。僕、本当に受かるんだろうか…そんな風に自信を失っていた。だから少しでも彼女に近づきたくてトレーニング方法を聞いたところ、名前ちゃんは少し迷って言い淀み、その後「興味があるなら見に来る?」と答えた。
恐らく名前ちゃんは答えるのが面倒だったんだろうけど、僕は強い人の練習風景を見られるのであればそんないい経験はないぞと張り切って「いいの!?」と答えたのだった。それが”女の子の家にお邪魔する”事だとは昨日の夜になるまで気が付かなったのだけれど。
「父さん」
「ん…名前、その子が緑谷くんかい?」
「はっはじめまして!よろしくお願いします…!」
招かれるままに名前ちゃんの家に上がると、通されたのは広い道場のような場所だった。彼女によると、この場所も自分の家の敷地なのだとか。その場所には名前ちゃんのお父さんらしき人と何人かの男の人がいて、恐らく柔道とかそういう類の体術の訓練のようなものをしていた。
名前ちゃんが声を掛けると、彼女のお父さんは振り返ってにこやかに笑った。この人がオールマイトの学生時代からの友達…!ぺこぺこと頭を下げると「ゆっくりしていきなさい」と優しい声で言った後、すぐにまた訓練に戻った。
「あれがお父さんで、わたしの師匠。体術はあの人から教わった」
「なるほど…名前ちゃんはいつもあそこで稽古してるの?」
「うん、この時間は何もなければあそこで他の生徒さんと組手してる」
何となく「体術を習ってるのかな」なんて、名前ちゃんの強さの理由は分かっていたけれど、まさかお父さんが師匠で毎日体格も違う男の人相手に稽古をしているなんて、想像以上だった。そりゃ強いわけだ…愕然としながら大道場を出てどこかへと足を運ぶ名前ちゃんの後を追うと、今度は小さな9畳くらいの畳の部屋へ付いた。
「でも、あそこは基本生徒さん用だから、メインはここ」
「ここ…?」
「うん、個性も使っていいように補強してあるから、いつもはここで個性訓練したり形を流したりしてる」
「…あれって……」
「弓道用の的?あれもいつもやってる」
話を聞くと、いつもは個性ありきの訓練を色々と出来るようにこの少し小さめの部屋で一人訓練しているようで、柱や畳、天井などに傷や痛みなどが無数にあった。一体どんな訓練をしているんだ…?そんなことを考えながら辺りを見回していると、その部屋から直接庭に出れるようになっていた。そこには青と赤のカラフルな的のようなものもあって、何かと首をひねるとなんと弓道用だという。
「え!?一体いくつ習ってるの!?」
「…………えと…たぶん……10以上?」
「……言葉が出ないよ…」
指を折り込みながら習っている武体術の数を数えていたけど恐らく途中で数えるのが面倒になったのだろう。抽象的な数を口にしたけれどそれでも驚くほどの数だった。愕然と口を開けていると名前ちゃんは「見てみる?」と壁際に立てかけてあった弓と矢を手に取りながらそう言い、僕は何も言えずに首を縦に振った。
そりゃあ名前ちゃんが強いわけだよな…こんなにたくさんの事を毎日繰り返しやっていて、きっとそれは雄英に入るため、ヒーローになるためで。強くなるために時間を惜しまず訓練に費やしているんだろうな。そんなことが容易に想像できた。
だって、こんなにきれいに形をなぞらえられるんだ。素人目から見てもその姿勢や腕の角度や足の開き方が正しく美しいものなのは見て分かるくらいなんだ。きっと顎の角度も、腕の開きも、腰の位置も。すぐにその姿勢をとれるくらい、何度も繰り返し行ってきたんだろうな…固い弓を弾く腕が全く震えることがないくらい、当たり前に出来るくらい何度も、繰り返し。
きっと、幼い頃から。
「緑谷君、すまないね。ほったらかして」
「あっ…名前ちゃんのお父さん」
「あの子はなんて言うか…筋金入りのオタクなんだよ。武体術のね」
「はい…見てるだけで勉強になります…」
ぼうっと名前ちゃんが矢を射る姿に見惚れていると、名前ちゃんおお父さんが来て話しかけて来てくれた。話を聞くと、どうやら名前ちゃんは4歳くらいから今日まで、毎日数々の武体術の稽古をしているらしく、それを一日も欠かしたことはないんだという。
「やっぱり小さなころからヒーローを目指していたんですね」
「いやぁ、それはどうかな?雄英行くって言いだしたのここ最近だし」
「えぇ!?じゃあ…なんでこんなに一生懸命…」
「うーん…頑張らないと捨てられるとか思ってたのかもねぇ…」
「……?」
ハードな稽古を毎日欠かさずなんて、よほどのモチベーションがないと無理だ。だからきっと彼女は小さい頃からヒーローを目指しているんだと勝手に思ってた。けど…お父さんの語った理由に首をひねると、彼は「あれ?聞いてない?」と不思議そうに目を丸くした。
「僕とあの子、血がつながってないんだよね」
お父さんの語った事実に、僕は一瞬頭が白くなる。
4歳の頃、名前ちゃんは道端に立ってた。まさにこの家の通りの道の端っこに。親に捨てられたのか、はたまた亡くしたのか。何があったのかは定かではないが、ボロボロの布切れを纏い、汚れにまみれ、お腹を空かして雑草を口に入れている様子は普通の子供とは明らかに違ったという。彼は名前ちゃんを家に招き、ご飯を与え、どうせひとり身だからとそのまま彼女を引き取ったと言っていた。
思ってもなかった名前ちゃんの過去に息が詰まる。僕、これ聞いてもいい話だったのかな…と逡巡すると、お父さんは「隠してるわけじゃなくて話して面倒事になるのが嫌なだけだと思うから大丈夫だよ」と笑った。後ろをついてくる名前に色々と体術と武術を教えた。少し面倒くさがりなところがあるから長続きはしないと思っていたけど…もしかしたら名前を縛ってしまったかなと近頃思っていたんだ、というお父さん。
「でも、緑谷君と知り合ってから変わってね」
「え?」
「形をみて欲しいとか、あの技はどうするのが正しいかとか、教えてって言うようになったんだよ」
あぁ…多分それ、ぼくが教えてって言ったからです……
興味本位であの技はどこに気を付けてやればいいのかとか、形見てみたいなとかを名前ちゃんにLINEで送ったら律義に動画付きで解説してくれてたけど、たぶん撮る前にお父さんに見てもらってからやってたんだなぁと少し申し訳なくなりながら白状すると、お父さんは「義務感でやってるわけじゃなくなったのがうれしいんだ」と笑った。
「きっと一緒に目指す目標を持った友達に出会えたからかな」
「えぇ…っと、僕なんか、その…」
「名前と友達になってくれてありがとう、緑谷くん」
ヒーローを目指して、雄英を受験する。ものすごく高い壁を越えようとするには勇気がいる。でも確かに、僕だって名前ちゃんと出会ってから、もっともっと頑張らなくちゃって気持ちになっていた。もしも名前ちゃんも同じ気持ちでいてくれたなら、こんなに嬉しいことはない。お父さんの言葉に照れながら頭をかいた。
小心者の無個性で、ただのヒーローオタクの僕。今はまだ名前ちゃんと組手をしても勝てないし、力だって弱い。けれど。
「僕も、名前ちゃんと出会えてよかったです」
いつか、名前ちゃんの隣に胸を張って並べたら。そんな未来が来たらいいな。
もう少し頑張る理由を名前ちゃんがくれた。そんな風に思った一日だった。