いくら矜持をかけた戦いをしていようと、許しがたい相手だろうと、年頃ってのは肩を並べて戦って、同じボールを追って、同じ釜の飯なんか食っちまったらもう他人には戻れないもんである。
加茂は呪術高専東京校の寮にあるモニターで虎杖にボコられていた。スマブラである。病的に厳格な家庭で育った加茂はコントローラーを持たされたままそっぽ向いて喋り出すので、虎杖はここぞとあれもこれも技を繰り出している。負けても「あら、負けていたのか」と天気予報でも見てるような声音で言うので、虎杖はそのうちつまんなくなっちまって、結局加茂に持たせていたコントローラーは釘崎に渡した。
「アンタMr.ゲーム&ウォッチ使って虎杖から一本も取れないの、逆にスゴいわね」
「や、加茂さんそもそも横B出せてない。教えなきゃ出せねーだろうなーと思って最初に「これいいっすよ!」って言ったんよ」
「いい性格してるわね虎杖〜! よくやったわ。好きなポテチ選びなさい1枚だけ取ってきてあげる」
「なんで単位が袋とか掴みとかじゃなくて枚なのぉ゛!?」
「うるさいんだけどアンタのとこの」
「否定はできません」
呪術が関わらなければ睦まじい子らである。寮の広間は賑やかで、喧騒の中で加茂は不意にくふくふと笑い出した。
「キモ」
「何? ここ治外法権なんだからサツ呼べないんだからね」
「言われようがひでえな。なしたんすか」
「いや、楽しいなと思って。拓人も来れたらよかったのに」
「うっわ」
「アンタがそれを言うの?」
「なになに、だれ?」
禪院所縁の面々が顔を歪めるなかで、非術師家系から来た面々がハテナを浮かべている。
「友人だよ。ずっと昔からの」
加茂の顔は凪いでいた。
*****
平成も終わろうかという時代に至ってなお、下手すりゃ千年単位の時代的ギャップを抱えるクソ封建制度の根強い御三家は、政治家も真っ青になり、赤子も黙って首を振る権謀術数渦巻く場所である。
御三家。呪術界に於いて特に有力とされる、かつ歴史の古い家系を言う言葉。馴染みのない人間には「ポケモンの最初の三匹」であったり、前述の通り家系を指す単語として受け止められるが、呪術と馴染みの深い者には「派閥」として理解される。
戦国武将みたいなものだ。徳川だ豊臣だと一口に言っても、その下には本多だの宇喜多だの数々の有力武将家系がある。五条だ加茂だは、あくまで派閥のトップの苗字にすぎない。そういう場合もある。呪術師に求められる「空気を読む力」は、もちろん呪霊の気配を感じ取ることともう一つ、「今言ってる「御三家」って家? 派閥? ポケモン?」を判別することを意味していた。
加茂家もまた御三家なれば、もちろん数多くの家臣とも呼べる血族を擁している。分家筋から先祖代々加茂家に仕えるために存続しているものまで。
そのなかで、加茂家が特に代々目をかけている家というのがあった。
「次の祢宜は出来がいいらしい」
加茂憲紀、当時6歳。世界の不条理を知りはじめた頃、部屋の外からそんな声が聞こえてきたことを、今でも確かに覚えている。
ねぎ。ねぎって言った。からいし不思議な匂いがするからあんまり好きじゃないけど。
あまりに娯楽に乏しいこの家で、廊下から突然聞こえた「ねぎ」が野菜を指すのか違うのかを探すのが憲紀少年の唯一の楽しみとなった。
もちろん大人たちは何も教えてはくれなかった。憲紀様は知らなくて良いことですよ。それより採血はお済みですか。修行は。くだらぬことに気を回す暇があるなら理論のひとつでも覚えなさい。
憲紀少年が小学校中学年に上がるころには、肘の内側はすっかり消えない鬱血が染み付いていたが、それでも修行の密度に反して事前に抜かれる血が少ないこと、修行で扱う血の量が採血された量と噛み合わないことに気づくのには、もう二年ほどかかった。
*****
虎杖と釘崎が「どっちが先に横B即死を出すかタイムアタック」と称してMr.ゲーム&ウォッチ同士でキャットファイトを繰り広げているのを、加茂はスマホで撮影している。加茂のスマホはiPhoneのproのやつで、カメラと容量が一般人には持て余すタイプだった。
「すじこ」
「ほんとだ。なんかミスマッチ感がすごい」
「なんて?」
「似合わないねーだって」
「マジで言ってるのかそれは」
「しゃけ」
「そうだよだって」
「わかんなー、東京校マジ意味わかんない」
取り巻きたちが話題を狗巻に掻っ攫われているあいだ、加茂は撮った動画をグーグルドライブに片っ端からぶちこんでいた。手つきに迷いはなく、釘崎の復帰攻めに歓声を送りながらも手元はフリックが止まらない。
「おや」
またも加茂は画面を見て笑う。一同に「すまない」と断りを入れ、スマホを水平に口元に掲げた。
「起きたのか?」
「何も賭けてへんやろな?」
加茂の声は穏やかであった。反して、電波を介して届けられた声は苛立ちと侮蔑と呆れをこれでもかと含んでいる。
これに東京校の面々は口々に「え?」と言ってしまった。禪院真希だけが「うわ出た」と言った。
「え? あスピーカーにしてますか」
「ふふふふ。している」
「この野郎ジョイコンのスティック折れろ!」
終了音。相手側から通話を切られたらしい加茂が「ふむ」と微笑む。「なんか久々に声聞いた気がするわ」とは西宮の言である。
「今のがダチ?」
「ダチ、そうだね。友だ」
「おい真依、こいついつからこんなだ?」
「入学した時にはもうこうよ」
「うわぁ。だろうけどうわぁ」
「え何? なんでそんなドン引きしてんの?」
虎杖が朗らかに訊くと、御三家所縁のメンバー、特に禪院真依は唇をグニョリと曲げた。加茂の閉じられているくせによく見える慧眼が目端にその様子を捉える。
「機嫌をとってやらなくては。少し席を外す」
そう言って加茂は先程暴言を吐いたスマホを携えて広間を後にした。話したければ話すといい。訊きたければ訊くといい。狩衣風の背中がそう言ったような気がする。
許されたとなりゃ話は早い。虎杖は伏黒に狙いを定めた。
「なぁなぁなんでドン引きしてんの?」
「お前、俺に人んちの事情ぺらぺら喋れってか」
「別に良いんじゃねえの? 言いたきゃ言えって背中してたし」
真希が追い討ちをかける。しかしその顔は「私はぜってー喋んねぇけどな」と如実に語っていた。伏黒は内臓ごと吐き切ってしまうんじゃないかと思うほど深く長くため息をついて、眉間と顎に皺を寄せながら口火を切る。
「京都校の三年に、今回交流会に来てない人がいる。たぶんその人だ」
「へえー。名前なんて?」
「祢宜さん」
「は?」
「祢宜さん」
虎杖はあんぐりと口を開けたまま黙った。その顔ときたら、後に真希が「伏黒が「おひさま」っつった時の釘崎の顔とおんなじだった」と評するほどだった。
*****
「祢宜は出来がいいらしいが、どうにも駄目かもしれん」
「あれも仮にも分家筋だろう? 術式を扱えんとは」
「出来ぬのは赤鱗躍動だけらしいが、一番致命的ではないか」
最近、「ねぎ」の悪口をよく聞く。母の悪口は、母が家を追い出されてから日を追うごとに聞かなくなった。どうして自分が好きになったものはいつも悪く言われるんだろう。
憲紀少年は十五歳になっていた。クソ前時代的な我が家は「前時代」の単位がおよそ十世紀なので、中学卒業を前に元服の儀が行われる。祝いの言葉を述べにくる大人たちを同じ挨拶と「さしすせそ」で捌きながら、自分の前から退いた瞬間に喜色を浮かべて噂話に勤しむ大人に辟易していた。
そういうことするから呪いが生まれるんだよな。いくら自分が努力したところで周りがこうなら意味がないんだ。ただ愛してくれた人と一緒に暮らしたいだけの望みすら叶わないのに、与えられるのは諦観だけか。ああ、やってられない。思いつつも、母と交わした約束のために、絶望のなかで身につけた笑顔を貼り付け続けていた。
「立ちなさい!」
祝いの場に鋭い声が走る。驚いて見やれば、小さな着物姿がうずくまっていた。大きな着物姿が必死に立たせようと腕を引き、文字通り引きずられるようにして加茂の眼前へと運搬されてくる。
黒檀の髪は黒く、真雪の肌は白かった。本来白くあるべきでない頬や唇までが真っ白で、加茂はわずかに頬を引き締める。
「この度は憲紀様の元服式、おめでとうございます。祢宜家当主名代として参りました。申し訳ございません、愚息が失礼を。顔を上げなさい」
「……」
「顔を上げなさいと言っとるんだ」
小さな着物姿は動かない。加茂はその白雪に覚えがあり、席を立って小さな着物姿の頬に手を当てた。
加茂家次期当主の介添あってようやく上がった顔は、青かった。
その青さを、加茂はその原因を知っていた。脂汗をかく頬を伝って、下瞼をめくり下ろす。中は肌と同じ色をしていた。致命的な貧血。
そうか、彼が「ねぎ」なのか。
加茂は感動に打ち震えながら、その深刻さに肝を冷やしてもいた。彼は「祢宜」だ。人権団体が助走つけて殴りかかってくるような言い方をすれば、彼は加茂家のための生きた血袋であり、贄であり、供物であり、今を生きていてなお次代のための布石でしかなく、それも唯一ではないのだった。
ただ、彼は殊更質が良かった。面を突き合わせて会うのは初めてだが、彼の血とはこれまで数え切れないほど向き合ってきた。
「あの、目が渇きます」
小さな着物姿ーー祢宜が呻いたのを聞いて、加茂はやっと自分が何をしていたかを知覚した。人の顔を両手で引っ掴んで両目の下瞼の裏側を露出させたまま固まっていた。そりゃ声も上がる。
しかし、知覚したに過ぎなかった。オヤと思ってやっと祢宜と目を合わせてみれば、加茂は再び、今度はその瞳に縫いとめられた。
お前が「そう」か。目は語っていた。寄る辺なさの、奪われた幸福の、終わりなど死以外にありはしない苦痛の、すべての原因はお前か?
加茂とて被害者である。しかし、加茂のなかにあった「ねぎ探し」の灯火は、この怨嗟の瞳でもって名前を変えた。
「わたしが、加茂家次期当主、加茂憲紀だ」
顔を持ち上げ、瞳を露呈させ、あまつさえ覗き込むようにして加茂は言った。言い聞かせるように言った。教え込むようにして、とっくりと言った。
開かされている双眸がさらに見開かれる。しばしして、祢宜は力を振り絞って頭を振った。加茂の手は振り解かれてしまう。
重たい前髪にすっかり隠れてしまったように見せかけて、その奥には触れれば切れる絶倒の目がある。ああ、加茂は楽しくて仕方なかった。サディズムと呼ぶにはあまりに希望的観測が過ぎ、愛玩と呼ぶにはあまりに歪んでいた。
きっと祢宜は、私を憎むだろう。今すでに憎んでいるだろう。目を見ればわかる、聡い男だ。転んでもただでは立たない男だ。この男はきっと、私をうまく利用しようとするだろう。
その目論見を、私をこそがうまく使えば、私は最良の加茂家嫡男に、当主になれる。
祢宜は頭を振った拍子に崩れかかった五体を執念で立て直した。畳に爪を立て、腕を突っ張り、首に筋を浮かべるほど力んで、しっかと加茂に傅く。
「……加茂家預かり、祢宜嫡流、拓人です」
下げられた頭が持ち上がれば、前髪に隠されていた眼光が加茂を穿っていた。口元は食いしばった笑みが見える。
「変わらぬご愛顧のほど、どうぞよろしゅうお頼申します」
頭を上げながら、祢宜は震える左手で中指を立てた。
*****
普段からわりと付き合うので忘れがちだったのか、相手が悪かったのか。加茂は格ゲーが苦手ではなかったし、なんなら得意であった。Mr.ゲーム&ウォッチの横B技に確率で即死判定のギミックがあることも理解していたが、対戦相手の虎杖悠仁は野球を経た今となってはとっくにすっかり好感のある部類の人間で、それをボコすとあってはどうなのか、なんて考えちまって、とんだ接待プレイになってしまった。
人気のない廊下で加茂は通話ボタンをタップした。一コール目が鳴り終わる前に繋がる。
「スピーカーにしてへんやろな」
「してない。さっきはすまなかったよ」
「ほんまやぞ」
通話口の声は相変わらず不機嫌で、シュミレーションゲームは軍事ものしかやらない加茂はどう答えれば好感度をこれ以上損なわないか見当もつかなかった。
が、別に好感度を損ねたところでどうでもいいか、と思う。損ねたところで、祢宜が加茂に離反することは、祢宜の血が赤い限り許されはしなかった。
「出会い頭にジョイコン折れろなんて言うからだ」
「俺が言ったのは「賭けスマブラしてへんやろな」や。ほんま頭わる。TOEIC運営に受験料カモられてんで、加茂だけに」
「今度試験を受けるときはお前を背負っていくよ」
「クソサイコパスやな。でも若が受験資格失うとこ見てみたいから体調良い時やったらええよ」
「クソサイコパスだな」
「あんさんとほぼ同じ血ィ流れとるからな」
軽口の応酬で、祢宜は多少機嫌を持ち直したらしい。加茂は短く笑った。
「団体戦、特級出て若怪我したって聞いてんで。無事なん」
「無事だよ。包帯は巻いてるけど、反転術式の世話になった」
「障りないんやな?」
「ないよ。戻ったら鉄拳でもやろうか」
「せやったら帰りにアケコン買って来や。若のアケコン、フレーム処理落ちとるで」
「物理の話だが」
「そら組手や」
祢宜も短く笑った。笑い声は短く、後には何も続かなかった。しばしの沈黙を挟んで、祢宜は独り言のように言った。
「まあ、元気なんやったら、ええわ」
あまりに含みがありすぎる声に、加茂は微笑む。そうでなくては。
「お前も元気そうでよかった」
「おん。まだくたばるわけにはいかんさかいな、お互い」
ほなら、帰りにアケコンとニンテンドーショップのカード買うて帰ってきて。締めくくって通話は切られた。沈黙したケータイをすぐには仕舞わず、加茂は漫然と窓越しの空を眺める。青々と晴れている。
ああ、似つかわしくないな。加茂は青空を鼻で笑い飛ばした。
互いにまだくたばるわけにはいかない。互いの野望のために、互いを手垢で真っ黒になるまで使い潰して、果てにはこの世の何よりもなおざりに打ち棄ててやるのだから。
そのために、まだ壊れてしまっては困るのだ、互いに。
電話越しに秘めた感情はどうせ同じだろう。ましてあちらは初対面で中指をおっ立てやがったのだし。寿ぎのように晴れ渡る空には到底似つかわしくないこの関係を、加茂は好いている。上辺を繕いながら腹の内を探りあう、スリリングでリスキーな、二人だけの遊戯であった。
ああ、似つかわしくない。似合うとすれば、この制服の如き黒か、はたまた互いを縛る血筋の赤が関の山だ。
加茂はもう一度青空に鼻息を吐き捨て、来た道を戻った。