応援上映

 こいつ本当に呪術師か?
 虎杖は何度も細かい瞬きを挟みながら、相手を観察した。
 死滅回遊における100点獲得者ーー日車寛見は、覚醒タイプの呪術師だ。だのでスーツも着るし迷惑な冗談も飛ばせる。
 いきなり着衣水泳が好きだったんだよな、とか言い出す。

「ねー先生! 寒くねぇの!? 風呂これお湯沸かしてねーじゃん! えてか着衣水泳てなに!? どういう字書くの! あもしかして服着たまんま水泳するてコト!? バッカでぇ、寒すぎて死んじゃうじゃん!」

 虎杖はついに目を擦った。
 ポワポワの癖毛をぷわぷわ揺らしながら、少年が日車の周りをウロウログルグルしながらキャンキャン喚いているのに、日車は一切気にする素振りも見せない。
 少年の歳の頃は自分と同じくらいだが、クソデスゲームに放り込まれたにしては線が細い。なにか術式を持っているかとも考えたが、なら人間にしても呪霊にしても、自分にしか見えてないのは何かがおかしい。
 認識をバグらせる術式を持っていて、虎杖にだけ解るようにさせている。もしくは、マジで虎杖にしか見えていない。
 どっちだ……? 虎杖が眉間に力を溜める前に、日車が朗々と声を上げた。

「気に入らない奴をブチ殺したことはあるか?」

 沸かされてないらしい風呂から伸びた足が舞台を踏む。板に付いた怒れる男は、ネクタイを締め直して言う。

「思っていたより、気分がいいぞ」

 戦いの気配を察知した虎杖がゆるく拳を握る頃、少年は虎杖の耳元で囁いた。

「ねぇオマエ、頑張んなよ。せんせぇ強いよ」





 結局少年は、虎杖と日車が戦っている間一切の関与をしなかった。時折「やれ先生!」「そこだぁ!」「腕折っちゃえ!」「かっけー!」など歓声を上げるものの、しかしすべて間合いの外側での話だった。

「……虎杖。人を殺したことはあるか?」
「……あるよ」
「そうか。最悪の気分だったろう」

 そう言って日車が視線を落とすと、少年はフワフワ浮いて、背の高い日車の首元に抱きついた。介抱のようにも、強い恨みのようにも見える。虎杖はむにむに唇を噛んで、その様子を黙って見た。

「100点はくれてやる。……余った2点は東京に来る前に俺が殺した裁判官と検事のものだ。結界が開けたら、自首でもするかな」
「そか」
「虎杖。またな」

 日車はずいぶん大人だった。言いたいことも思うこともありったけあるだろうに、言葉少なく劇場を後にした。
 少年はいつしか日車に引っ付くのをやめていて、虎杖がやっと着たパーカーの袖をツンと引き。

「ねぇイタドリユージ、イタドリユージってどういう字書くの?」
「うぇ!?」

 少年があんまり突然思いもよらないことを聞くもんだから、虎杖は間抜けな声を上げた。びっくりしながら「虎にぃ……杖って書いてイタドリで……」とバカ正直に説明すれば、少年は「すんげー、めずら名字じゃん」と素直に感心したふうだった。

「ねーめずら名字の虎杖悠仁、やぶらこうじのぶらこうじみたいだね」
「誰が寿限無だよ」
「ユージって呼ぶね。ユージいくつなん? なに学生?」
「高専1年……かな、まだ」
「中退?」
「そ……えいや俺今どうなってんだろ。まだ在籍してんのかな?」
「俺に聞くのぉそれぇ?」
「わかんないよねぇ」

 最初こそ認識バグらせ術式持ちかと思われた少年だったが、日車戦での挙動や言動を見るに、今のところ一応害意はないらしい。
 どころか、話せば話すほどこちらも脳がとろけてくるようだ。わけもなく言葉が辿々しくなるし、舌ったらずになる。「どぉしよっかなマジでぇ」とボヤいた虎杖に、少年は「いいじゃあん」とのんびり声を上げた。

「俺も今年から高校行けたはずだったのにさぁ、行けんくなっちったから〜、行けてたの偉いよ」
「え何したん?」
「死んだん〜」

 思わずギョッと少年の顔を見る。少年は相変わらずポワポワの癖毛をふわふわ遊ばせて、笑顔を浮かべながら「え〜? てか俺の話はいいんだよ」とむにむに言った。

「俺最終学歴中卒だからユージのほうがセンパイだけどぉ、先生に関しちゃ俺のほうがセンパイなんよね」
「何? 誰が何の?」
「俺がぁ、せんせぇの、センパイっつってんの。ユージより先生のことたくさん知ってんよ。靴下かかとだけ脱ぐし、盛岡冷麺のスイカとか酢豚のパインとか嫌いだし、ポッキーよりえびせんが好き」

 矜持とか信念とか、そういうものをぶつけ合って戦った年上の男のパーソナルな話がポンポン飛び出てきて、虎杖は大層気まずくなった。これいくらこの少年が日車と知り合いだとして、日車はこれを他人に話すのを到底許しちゃいないだろう。勝手に聞いていいんかな、聞かんでおきたかったな、そんなことを思いながら「へ、へぇ……」だけを絞り出した。

「んでね、自分のことが一番嫌いなの」

 少年は日車が出ていった扉を、扉の先を見るような目で言った。
 なんとなくそうだろうなと思う。許せないことがたくさんあるなかで、自分のことが一番許せない人だ、と言われれば疑わずに納得できてしまう雰囲気があった。

「俺先生のこと好きすぎて、大事にしようとしすぎてたんだなーって思ったわけ。先生にバカ! とか絶対本気で言えない。うそ、言いかけたことあるけど面と向かって絶対言えない」
「……うん」
「だかんね、先生はもともとああいう人だけど、俺が先生をもっとああしちゃったとこもきっとあんの」
「うん」
「だかんね、ユージ、先生をぶん殴ってくれてありあと」

 少年は虎杖にほにゃほにゃと感謝を述べて、深々と頭を下げた。口調こそ間抜けているが、これが少年にできる誠心誠意の感謝なのだとわかる。虎杖はもう一度「うん」と言って、頭を上げて欲しくて手を伸ばした。
 伸ばした手は、ぽわぽわの頭をすり抜けた。

「んはは、俺のこともぶん殴ってくれてありあと!」

 少年は笑った。
 この少年が何者なのか虎杖にはさっぱりわからない。先ほどマジで腕が折れそうなシーンで「腕折っちゃえ!」とか言われたが、日車は結果として虎杖の腕を折らなかったことしかわからなかった。
 が、この少年は日車のことがほんとうに好きなんだと思う。そして、ごめんなさいもありがとうも二度と自分の口からは伝えられないんだろうな、とも思う。
 なんだかちょっと苦しくなった。虎杖はこの苦しさをなんとかしようとして、とりあえず聞いた。

「ごめんて。あんさ、名前は?」
「俺のことはいいって。あてかさ、先生さっきまたなって言ったじゃんね」
「言ってたね」
「てことはさ、また会うかもしんないよね」
「そうね。そうなったらいいなって思う」
「したらさー、そん時、先生に「春好き?」って聞いてほしい」
「春好き? って?」
「そう。それでいいの!」

 少年はニパ! と笑って、んじゃ先生行っちゃうから、俺もまたね! とフワフワ飛んで、日車が閉めていった扉をすり抜けた。
 あいつ呪術師じゃなかったな、呪術師じゃなかったんだな。
 虎杖は二人が消えた扉を見て、ふたつ、ゆっくり呼吸をした。
 東京は冬だ。底冷えする劇場に、白い息がふたつ漂って、消えた。